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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述19 この愛は私のために
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記述19 この愛は私のために 第5節

 寒気と共にぶわりとにじみ出た冷や汗が、首の裏を這うように滴り落ちていく。

 モニターに釘付けだった視線を逸らしてローザの方を勢いよく振り返った。機械と向き合い続ける彼女の表情は冷ややかで、何の感情も抱いていないように見えた。

 しかし、今、この女は「俺を殺す」と言った。

「コネクション。こちらブルーローズ観測制御室、エリア:シークレット、ナンバー:シークレット、マスター:ローザ。キーポイント3611-ES08。SAMPLE:A-000、応答せよ。オーダー、応答せよ」

 彼女の冷たく引き締められた唇から無機質で記号的な単語が羅列する。その音はこの部屋にはいない誰かに向かって発声されている。

『ナニ?』

 どこかに設置されていたスピーカーから、酷く不機嫌そうな声が聞こえてきた。ノイズが混じり、興奮したように震える低い声。聞く人が違えば恐怖を感じたかもしれない。覇気は無いのに、怒りや敵意の念が抑えきれずにいるのだと手に取るようにわかる。これが久しぶりに聴いた、アゼロの声だった。

「ご機嫌麗しゅうございます。此度の実験データ収集も順調に進行しています。これも単にアナタの献身的な協力あってのこと。我々はとても感謝しています。いえ、本当に」

 実験場の真ん中で静かにうずくまっていたアゼロがゆっくりと顔を上げる。面倒な相手に声をかけられたと思っているのだろう、いかにも気だるげで、まともな返事をする気も無い様子でそっぽを向く。あんなことをさせられた後では無理のない反応だと思うが、それと対峙するローザの態度は猛獣の尾を踏みつけるが如く挑発的だ。

「アナタには事前に此度の実験内容がスペシャルなものであると説明していました。詳細は勿論お伝えしておりませんが、SAMPLE:A-000という個体にとって不都合極まりない内容であるとの察しはついていたものでしょう。相変わらず優秀で我々も鼻が高い。しかして、先程のSAMPLE:C-114との戦闘実験にて準備は完了したと判定されました。ここからはメインフェイズへ移行します」

『……ソレデ?』

 ローザは勿体ぶったように瞼を降ろし、眼鏡の位置を数度いじる。そして瞼をもう一度開くとともに、溜息を吐くような口調で会話を続けた。

「まずは報告から行いましょう。ディア・テラスの意識が快復しました」

 アゼロの体がピクリと露骨な反応を示す。真っ黒なアイシールド越しで表情は分からないが、驚いた顔をしているだろう。

「スクリーンを提供します。送信された映像をご覧ください」

 ローザがそう発言した直後、アゼロのすぐ側の何もない空間に、青緑色のウェイブスクリーンが現れる。それは数度映像表示領域を点滅させた後、画面に、自分の、ディア・テラスの姿を映し出した。

 ぐったりと力無く手足を垂らしながら車椅子に体を預けている自分の姿は、客観的に見ても主観的に見ても頼りなく、とても快調な様子とは思えない。そして画面の中の自分はアゼロの方を真っすぐに見つめている。そうなるように演出されていたのだろう。より強く、アゼロの感情に訴えかけるために。

『ディア!?』

 スピーカーから届く耳慣れた声。聞き心地が良いはずのアゼロの声が、今は鬼気迫る剣呑さを孕んで甲高く歪んでいる。

『ディア! ディア! ネぇ、僕ノ声聞こエテる!? ねェ、ディア!!』

 必死に俺の名前を呼んでいる。何度も何度も。その姿は先程の巨大生物を虐殺していた姿とは重ならず、純真な少女のように素直な人間らしさを感じさせた。アゼロは俺より遙かに俺のことを心配してくれている。それでやっと、己に迫る危機的状況と向き合う気力が湧いてきた。

 危機。それは、命の危機。

『ジャンク!! ディアに何をスルつモりだ!? なんで、ドウシテそこにいるノ? どうしてボクに、ソレを見セるの!?』

 何をする気なんだ。何をさせる気なんだ…………なんて、そんなもの、分からないフリをしていたいだけで……本当は察している。

「SAMPLE:A-000……いえ、今は彼の前ですので、アゼロ・ウルドと呼びましょうか。アナタはフロムテラスの、陰鬱な研究施設のどん底にて生を受けた。そうですね」

『そレがどうした!? アンタだッて、アンタだって同じダろうガ!!』

「イエス。同じ穴の狢というモノでしょう」

 何かが来る。よくない事が起こる。

 目を逸らす? できない。歯を食いしばって堪える? 意味がない。

 どうすればいい?

「フロムテラスは邪悪です。美しかったウィルダム大陸の環境を破滅に導いたのもフロムテラス。幼子を攫い集め、洗脳教育を施して囲い込み、あの小さな檻に閉じ込めたのもフロムテラス。倫理観の欠如した人体実験を繰り返し、野望のために生命を消費したのもフロムテラス。そう、我々は……『悪』に違いない」

 今まで感じたことがないくらい強烈な『悪い予感』が頭の中を危険色に染め上げていく。一つ、二つ、ローザが続けざまに言葉を紡ぐたびに、心臓の鼓動が早まっていく。

 脅威を感じるのは、逃げられないからだ。まず体が動かない。拘束されているわけでもないのに、ただ、力が入らないから逃げられない。病み上がりだから仕方ないなんて、そんな平和ボケしたことを言っている場合ではない。逃げなきゃいけない。それなのに……俺の体は、今日もどうしようもなく、無力で、不自由で、無惨なほど情けない。

「悪行には裁きを与えられなければならない。何故なら我々には責任があるから。過ちを正し、罪を罰で清算する。我々にはアゼロ・ウルドという殺戮者をこの世に生み出してしまった責任があり、適切な方法で処理する義務がある。ならばこそ、ワタシはここで、最後の勇気をもってアナタに牙を向けましょう! アゼロ・ウルドにとって最も厳しい愛でもって、アナタの行く末を導きましょう!!」

『何を言ッテ……』

「ディア・テラス。アナタに恨みはありませんが、ご勘弁ください」

 それでも諦めたくはないから、逃げ出したいから……肘置きの上に放り出していた右手を、力の限り持ち上げる。モニターの向こうのあの子に、助けを乞うように。そうだ。いつもみたいに、誰かの助けを借りればいい。

「さようなら」

 

 アゼロ……

 その名を口にしようとした途端、頭の裏側に強烈な激痛が走った。

 

「ッヒ……ィ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」

 

 体中に激痛が走る。肉を、骨を、脳を焼かれているかの如き激痛。電気が、電流のような何かが首の裏から大量に流れて来る。


 バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ


 痛覚がはじける。五感の全てが悲鳴をあげる。

 電流を流されている脊椎が燃えるように熱い。

 いや、冷たいのか? わからない。

 わからない。

 痛い、  痛い、     イタイ!!

 

 意識を無視して暴れまわる手足。さっきまで全然動いてくれなかったのに、今は勝手に跳ねるように乱れ踊っている。痛みから逃れようと必死に捻った体、よじれた体が、車椅子から転がり落ち、それでも止まない痛みを感じながら冷たい床の上で悶え転がる。

「               」

 声にならない叫び声が上がっている。自分には一切聞こえてこない。喉が、ちぎれて、血や胃液の混じった唾液の泡が壊れた水道管のようにブクブクと噴き出していく。

 体全体、心すらもとっくの昔にこの痛みに屈しているというのに、意識だけはいつまでも途切れてくれなくて、ショック死する程の激痛がいつまでも、いつまでも、膨大な悪意と共に流れ込んでくる。

 

 苦しい。

 嫌だ。痛い。

 苦しい! 痛い!

 嫌だ、イヤだ、イヤだ、イヤだッ!

 助けて!! 誰か俺を助けて!!

 

 ずっとずっと上げたかった救いを求める一言が、喉の奥まで込み上げてきて、けれども上手く言語にできなかったせいで、赤黒い喀血と共に唇の端から垂れていく。

 目の前が、真っ白だ。真っ白、真っ白……誰に、助けなんて……

 

 

 絶体絶命。命の危機。

 そんな時に聞こえてきた音は、

 誰かの優しい言葉なんかじゃなくて、

 全てをぶち壊す破壊の音だった。

 

 

 バゴシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!

 

 

 何かが巨大な力でぶち壊される音。

 水をせき止めていたダムが決壊した時みたいな、水分を失って乾いた岩の崖が崩落する時みたいな。そういう破壊音が耳に飛び込んできた。

 それと共に、俺の体をこれでもかと痛めつけ続けていた電流がピタリと止まった。

 俺は冷たい研究所の床に転がりながら、何が起きているのか必死で考えた。

 意識は朦朧としていて、今にも気を失ってしまいそう。でも、今気絶してしまったら、もう二度と目覚めることができないかもしれない。視界はチカチカ七色に瞬いていて、使い物にならない。体もビクビク痙攣していて制御できる気がしない。

 自分の周りで何が起きているのか微塵もわからない。それでも音だけは聞こえてきた。もしかしたら聞きたくなかった音かもしれなかったけれど、聞かないという選択肢は与えられていなかった。

 

『■■■■■■■』

「何もこんなに派手にぶち抜くこともないではありませんか。うっかりディア・テラスを殺してしまう心配をしなくてはいけなかったのはアナタの方であったようですね」

『■■■■■■■■■■■』

「バカバカしい話。何もかも。アナタはまだ自分のことを被害者だと思っているのでしょうか? 人を殺したことがあるのでしょう? 私利私欲、のみならず、娯楽のためにも。この世に無意味な殺生ほど醜悪な行いは二つと存在しないはずなのに。そこにいる若者のように、人間として生きる道もあったはずなのに」

『■■■■!!』

「知っていますよ。アナタは暖かい家庭で育ちましたね。アルレスキューレという王国の城下町、恐らく優しかったであろう義理の親に引き取られ、可愛がられ、甘やかされ放題、ワガママ放題で今日まで生きてきた。絨毯が敷かれ、暖炉に火の灯った暖かい家。綺麗な衣服。ピカピカの宝石。豪勢な食事。従順な召使い。溢れんばかりの娯楽。それらを手にして、なおも、アゼロ・ウルドは自らの行く末を正そうとはしなかった。自分は人殺しのバケモノだから、今更まともな生き方なんかしても意味がない。誰も許してくれない。ならばもう、何もかも……壊して、終わらせてしまおうか」

 

『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!』

 

 生物が発したものとは思えない、グチャグチャの怒号が痺れた鼓膜を突き破る。

 このままじゃダメだ。

 そんな思考が、やけにクリアになった頭の中を高速で通り過ぎていく。

 今度こそ動かなきゃいけない。

 強く、強く、心に念じた。

 

 チカチカ瞬き続ける視界の中に、黒い、何か黒い大きなものが浮かび上がっている。

 ドロドロとした何かを体中から垂れ流している何か。ビッシリと牙が生えた巨大な口から、水溜まりを踏みつぶした時みたいなビチャビチャと弾けた水音が聞こえてくる。

 その前に、ローザが立っていた。その後ろに俺がいる。

 

 動け。動け。俺の体。

 言うことをきいてくれ。

 今こそ持てる全ての力を振り絞って、立ち上がらなければいけない時じゃないか。

 

 アゼロを止められるのは俺だけだ!

 

 

 伸ばした腕がローザの細い足首を掴んだ。金属の棒に触れる感触。

 決死の想いでその冷たい足首をひっぱると、後ろから不意を突かれた彼女は簡単に体勢を崩し、床の上に倒れた。

 倒れた彼女の向こう側から、鉄で出来た杭みたいに太く鋭い四つの鉤爪が物凄い速さで迫って来ていた。

 だから俺は倒れたローザの体を守るように、庇うように。

 その間へ飛び込んだ。


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