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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述19 この愛は私のために
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記述19 この愛は私のために 第4節

 今ではない。ここではない。どこか遠い領域の景色が見える。

 混濁する思想。明滅する意識の流れ。聳え立つビル群。鈍色の壁。親しき隣人の笑顔。

 瞼の裏に映るのは過去ばかり。それが嫌だった。それでは足りない。ならば、前へ進まなければならない。

 

「はい。そろそろ目を開ける頃合いかと」

 聞こえてきた言葉の通りに両目を開く。霞む視界の中に白衣を着た女性の後ろ姿が見えた。その人は俺が目を開けるのとほとんど同時にこちらを振り返った。気を失う前に見ていた顔と同じ。名前は確か、ジャンク・ローザ・ツークンフト。

「予定時刻ジャストの覚醒を確認しました。コンディションにおいては想定より低いバイタル数値が目立ちますが、本実験への支障は無い範囲の減衰であると判断し、このまま次のフェイズへと移行します」

 ローザはどこかへ向けて指示を出すように声を上げ、それに応じて周囲の機械から聞こえる稼働音が徐々に大きくなっていく。

 一体何が始まるのだろう。冷静に状況を判断しようと周囲を見渡すと、ここが操作室のような部屋であることがわかった。ローザの部屋とはまた違ったシンプルな形状の機械が整然と並べられていて、その周りに無数のモニターが配置されている。モニター画面の一つ一つにはそれぞれ別の内容が表示されていて、何かの計算に使用する数式、過程や結果をまとめた図形や表、この部屋の外にある別所の撮影映像などが映っている。

 部屋中を真っ白な光が眩しいくらい照らしていて、それなのに目の前に見える景色は鉛色。白い壁に、灰色の床板。正面の壁は透明になっていて、この部屋の外側に広がる実験施設の様子が一望できるようになっていた。段組みになった施設構造はコンサートホールの上層階から見える光景によく似ている。フロアの最下層部分にはオブジェクトが何一つ置かれていない真っ平らな空間が広がっていて、たぶんあれは実験場。それを取り囲むようにこの部屋と同じ機能を持っているであろう観測室が各フロア等間隔に配置されている。

 調節機で完璧に管理された部屋の空気は自分の体に良く馴染み、呼吸をする度にほんのりと懐かしい心地になる。何の臭いも、温かみも無い、ただ自分を生かしてくれるためだけに存在する空気の味。嫌いではないが、好きでもない。けれども疲弊しきった我が身はこれをすんなりと受け入れ、ほとんど停止していた脳に酸素と血液がじわじわと染み渡っていくことを歓びであると言わんばかりに実感させていく。それで段々と思考がクリアになってきて、今、自分がどんな状況に立たされているのか、やっと把握できるようになった。

 まず俺はゆりかごのような形をした車椅子に腰かけていた。体には一見して気付くような拘束具の類は何もつけられていない。目の前でカタカタとパネルキーを叩いているローザが何らかの意図で俺をこの部屋に連れてきたであろうことはわかるが、当の本人にはこちらを警戒している様子はない。実験用のマウスでももうちょっと真面目に管理するものだと思う。回りくどい拘束具なんて必要無いという彼女らの傲りが滲み出ている気がするが、実際俺には逃げ出す力なんて残っていないみたいなので失笑してしまう。

 まだ痺れが残る左手をゆっくりと動かして首の裏を撫でてみるが、皮膚の上にチップが埋め込まれている様子はない。俺を気絶させた電気ショックを放つ装置は、もっと奥、体内の神経系に接触するような場所に取り付けられているのだろう。嫌な話だ。

「懐かしい光景だとでも思ってもらえましたか。それとも、アナタもまた、郷愁の想いなど妄執の類であると一笑する側の個体であるのでしょうか……いえ、こんな話は必要ありません。らしくもない失言でした。はい。待ちに待った世紀の大実験を前にして気持ちが高ぶっているのでしょう」

 こちらを笑わせる気なんて一切ないくせに、そんな冗談を顔色一つ変えずに口にしている。悪趣味な研究者だ。

「こちらへ」

 ローザが手元のパネルを幾つか指で叩いて操作すると、急に俺の乗っている車椅子が自動で動き出した。そのまま彼女のすぐ隣までやってきて、停止する。

「ここがどのような施設であるか、既に理解していますね。勿論実験施設です。それも、アナタがここにいるということは新人類開発プロジェクトに関係している。取り分け、SAMPLE:A-000にまつわる研究、その一過程」

「……何の、実験をするのですか?」

「単刀直入な質疑応答を求める姿勢。そのセンスはとても好ましい。答えましょう。そして問いかけに対する回答は、言葉で説明するよりも目で見た方が早い」

 ローザは会話をしながら忙しない速度でキーパネルを叩き続ける。しばらくすると俺のすぐ近くにあった小型のモニターに「GATE No.38 Open」の文字が表示された。それと同じタイミングで、実験場の真っ白な壁の一か所に切れ込みが入り、複雑な変形過程の後に、表面に「38」と大きな文字が書かれた扉が現れる。見るからに厳重そうな造りの扉は素早く左右に開き、そこから……巨大な図体をした爬虫類が実験場になだれ込んできた。

 爬虫類の数は三体。そのどれもが二階建ての住宅と同程度の背丈を有しており、牙や爪の凶悪な形状から肉食の生態を持つことがありありと把握できる。『猛獣』や『化け物』とも形容できる三体の生物は、どっしりとした足取りで実験場の中央部に躍り出ると、とある一点を真っすぐに見据えながら静止した。何かを視認し、警戒している様子だ。

「表示しましょう」

 困惑した心理を察したローザが、俺の目の前の大型モニターに実験場の内部を撮影したカメラ映像を表示させてくれた。そのモニターの中に映っていたのは……ヘルメットのような機械を頭部に装着し、簡素な防護服を身に纏った、人型をした何か。人型をしてはいるが、真っすぐと背筋を伸ばした立ち姿や、すらりと長い四肢の安定した造形は人工物のような印象を受ける。

 新型アンドロイドの機能実験でもするのだろうか。

 なんて、そんなとぼけたことを言うわけがない。あれはウルドだ。見間違えるわけがない。そうだった、こういう場所で会ったんだもんな、俺たち。

 三体の爬虫類は当然遭遇してしまった敵対生物を前にして、どう動くべきか思案を巡らせているようだ。挙動はとても慎重で、その冷静な眼差しからは高い知性を感じる。一方で、この危険なシチュエーションに投げ込まれてしまった自身の不条理な待遇を受け入れきれず、大きなストレスを感じている様にも伺える。彼らは目の前の見知らぬ獲物、あるいは外敵と対面しながらも、時たま周囲を観察するために首を動かし、逃走経路を探している。その僅かな隙をついて、ウルドが動き出した。

 まず一発。

 ウルドの華奢な拳から繰り出された強烈な打撃が一体の爬虫類の巨大な頭部を直撃し、脳を揺さぶり昏倒させる。

 すかさず襲いかかってきた二体目の鋭利な爪による攻撃を軽いステップでかわし、その腕の関節部分に素早く蹴りを入れる。腕が吹き飛んだ。まるで小枝でも手折るかのように、簡単に。吹き飛ばされた腕の断面から血液が噴き出し、真っ白な床が赤く染まる。

 怯んだ仲間を庇うように三体目がウルドの前に躍り出てくる。鋭い牙がズラリと生え揃った口を大きく開き、強靭な顎の力で標的を喰い殺そうと迫る。しかしウルドにはそんな大振りな攻撃の相手をするつもりなんてさらさら無いようで、一瞥することもなくこれを無視し、襲いかかる猛獣の脚の間をスルリと潜り抜け、無防備な腹部に拳をぶち込む。一発、二発、と素早い連打が急所に決まり、最後の三発目で一際強烈な一撃が腹の骨を砕く勢いでぶち込まれた。巨体が宙に打ち上げられる。吹っ飛んだその体は少し離れた床の上に受け身も無く転落した。

 それとほぼ同時か少し速いかのタイミングで腕を千切られた個体が再びウルドに襲いかかったが、その攻撃も当然のようにかわされ、今度は太い首に回し蹴りを喰らわされ、もの凄い勢いで床に叩きつけられてしまった。首の骨が折れたのだろう。床の上にぐったりと倒れたその個体は、開いた口から赤い血をドクドクと垂れ流しながら、ピクリとも動かなくなる

 それを確認したウルドは初めに昏倒させた個体の方にコツコツと歩み寄り、床に転がっている大きな頭部を片脚で力いっぱい踏み付ける。遠目に見れば地味な動作ではあったが、頑丈に造られているはずの実験場の床板がバキバキと音を立てながら凹んでしまったので、かなりの力が入っていることがわかった。

『ギャエエエエエエエエエ!!!!!』

 強烈な暴力を頭部に喰らった爬虫類は叫び声を上げながら絶命する。頭蓋骨が砕け、見るも無残にひしゃげた頭の形が痛々しい。けれどもウルドは、そんな異形の末路など気にした風もなく、既に死んだ動物の頭を何度も執拗に攻撃し続ける。もちろん、その行動には何の戦略的理由も無い。ただの死体蹴りだ。

 床を転がっていた最後の一体が起き上がり、その様子を視認すると、その個体は不利を察して踵を返し、ウルドとは反対方向に向かって駆け出した。逃げたのだ。しかし、その先には壁しかない。厳重に閉ざされ、汚れ一つ無い真っ白な壁面に向かって、爬虫類は攻撃を始める。壁を引っ掻き、牙をぶつけ、尻尾で叩き、それでも駄目なら体全体を使って体当たりをする。逃げられない。

 その様子をモニター越しに冷ややかな眼で観察していたローザが、再び手元のパネルを数回叩いた。すると、さっきまで逃げようと必死になっていた爬虫類の動きが止まり、ビクビクと数回の痙攣を挟んだ後に、実験場を訳もなく駆け回り始めた。いかにもパニック状態といったその様子から察するに、恐らく俺と同じように体の中に埋め込まれていた装置から流された電気ショックの効果で、一時的な狂乱状態に陥ってしまったのだろう。どこまでも無慈悲。けれどまぁ、実験なんだから仕方ない。こんなところに連れてこられてしまった時点で、あの生き物の未来は決定付けられていた。足掻くことは、美徳だと思うけれど。

 理性を失ったそれが再びウルドに襲いかかる。結果は言うまでもなく、惨敗。

 あっさりと勝者の地位を掠めとったウルドは、巨大な爬虫類の死体の上に立ちながら、静かに周囲の様子を見渡している。次に与えられる研究者側からの指示を待っているのだろう。

「つまるところ、こういう実験施設です」

 確かに、今ちょうど目の当たりにさせられた光景だけで、ほとんどの概要を理解できた。これはウルドの身体能力を測定するための戦闘実験だ。あの防護服のようなスーツとヘルメットが計測機の役割を果たしていて、それを通じて得たなんらかのデータを、別所にある本体へ送信している。そうやって収得したデータが目の前のモニターに表示され、その内容を見ながらローザが実験内容に関する指示を出している。そういう状況。

「それで、俺のことはどのような用途で使うつもりなんですか? まさかあの子と戦わせようなんて話じゃないでしょう?」

「最良の結果が得られるとは思えませんが、その方法も良いやもしれません。ですが、今回は別の手段でアナタを活用することが決まっています。実験内容の説明をする前に、もう一つ見ていただきたいものがあります。御覧ください」

 そう言ってローザはまたもパネルをトントンッと叩いて見せる。すると今度は「GATE No.39-A Open」の文字がモニターに表示され、先ほどと同じように実験場の壁に「39」と書かれた扉が現れる。

「セーフティ・チェック、異常無し。続いて『GATE No.39-B Open』」

 開いた扉の奥にあったもう一つの扉。二重ロックで厳重に管理されているということは、先ほどの大型爬虫類三体よりも危険な何かが登場するということだろう。その扉もローザの指示と共にゆっくりと開いて行く。

「セーフティ・チェック、異常無し。SAMPLE:C-114、解放」

 厳重に閉ざされていた扉の向こう。古い井戸の底のように真っ暗な空間から、何かが、黒い、何かが、ぬっと顔を出した。

 それは先の爬虫類ほどは大きくなく、かといって小さいわけでもなく。見た目は、どれかというと四足歩行をする哺乳類に近いかもしれない。けれども、目が無い。鼻も、耳も、口も無い。頭部だと思われる個所に『顔』が無く、太くて硬そうな毛のようなものが雑草のように歪な生え方をしている。ほとんど剥き出しになった表皮は腐った肉の塊のように爛れていて、どす黒く変色した血のような体液をドロドロと体のいたるところから吐き出すが如く垂れ流している。

 その『獣』は実験場の白い床を体液で黒く染めながら、ゆっくりと這うように移動していく。

「あれは比較的優秀な個体です。通常の出来であれば、生命管理装置の外に出した側から体細胞の維持機能を損失し、三歩も歩行できない内に死亡します。感覚器官の生成については成功とは言い難い出来栄えですが、脳や脊椎などの主要器官は揃っており、生命という範囲でいえば及第点であると我々は判断しています」

 ああ、確かに生き物だ。そうに違いない。眼が見えなくても、耳が聞こえなくても、口が開かなくても。至るべき所を己で定め、感じたままに前進できるならば、立派な生き物だ。しかし、あれを前にして「生き物である」ということにどれだけの意味を見出せるだろうか。

「ご安心ください。あれは新人類開発プロジェクトの一貫として生成された特殊サンプル。汎用型デザインベイビーであるところのアナタとは遺伝子配分や生成過程が異なります。あちらには人間以外の遺伝子も組み込まれている……という点で大きな差が出ていると思うのですが。これを口にすると非人道的だと怒られてしまうことがあるので、口外はしないように」

「C-114って、言ったよな……ウルドは?」

「はい。その個体にも、C-114と同じように多種多様な生物の遺伝子が実験的に組み込まれていました。SAMPLE:A-000は、その実験中に運よく発生した奇跡の成功例……だったはずなのですが、あれも失敗作。設計通りに生成できたにも関わらずこの結果ということは、とどのつまりプランニングの時点で間違っていたという訳です。新人類開発プロジェクトが一度取り止めになってしまったのは、この設計ミスの在り様があまりに幼稚であったため、という点が大きかった。これ以上続けようと何も得るものが無いと気付いたのでしょう。あれだけ大きな損失を生み出しておいて、今更、ねぇ、ディア・テラス。勿体ないとは思いませんか?」

 ウルドは大きな爬虫類の死骸の上に立ったまま、そのわずかな高見から、ゆっくりと近づいてくる異形の生物を見下ろしている。何のことはない。あの真っ黒な何かのことも、先の実験動物と同じように殺すつもりなのだろう。

「ウルドはあれが何なのか、知って……?」

「勿論。こちらから詳しく説明したことはありませんが、SAMPLE:A-000は自身の体が『人間』とは言い難い独自の遺伝子配分で成り立っていることに気付いています」

 『獣』が何かを感じ取り、顔の無い頭をウルドの方に向けて掲げる。

「何故なら、あの個体もまた、同じような異形に変貌したことがあるのですから」

 ドチャリッ

 掲げた頭部に、ウルドの拳が叩き込まれた。瞬く間に距離を詰めて、あっという間に仕留めて、終わり。ただの一撃で頭部から腹の奥までぐちゃぐちゃに破壊された『獣』は、あっけなく絶命した。

 ように、見えたのだが……しばらくすると、ただの肉塊と化していた『獣』の体がゾワゾワと動き始め、破壊された断面から赤黒い泡のようなものを噴き出しながら、元の形を取り戻していく。再生しているのだ。

 『獣』が体を再生し、元の四つん這いの赤子のような形状に戻っていく様を、ウルドは何もせずに静かに見下していた。生物の頭を一つ二つ潰した後の左腕にはドロドロとした黒い体液が滴っている。

 何を感じているのだろう。畏怖だろうか。嫌悪だろうか。恐怖だろうか。

 さらに言えば、俺自身は、どう思っているのだろう。あの『獣』のことを。アゼロ・ウルド自身のことを。

「ディア・テラス。アナタは過去に、誰かに殺されかけた経験がありますね」

 冷ややかな声で、ローザが俺にとある昔話を語り聞かせる。

 

「今からおよそ十二年前。フロムテラス内のとある研究施設で実験事故が起きました。死亡者数十六人。負傷者数二十八人。

 公にはどのような実験が行われたのか、その詳細は発表されませんでしたが、事故後の関係者たちの騒ぎ様から、一大プロジェクトであったことを民衆は察していたことでしょう。

 人間に与えられた各種組織細胞および潜在能力の限界を引きだすことで、ミュータント適正をはじめとする様々な身体機能の向上を実現させた新たな人類の祖を生成する。新人類開発プロジェクト。その愚かさの最たる点は、生物の常軌を逸した身体能力をより良い状態で維持するために、精神面の強化も並列して行っていたことです。

 現代の技術力でもってすれば、生物に細胞再生能力を付与するのは造作もないこと。しかし、この強化を施すうえで問題となるのは、細胞破壊時に収得してしまう痛覚を始めとした各種感覚器官のショック反応。人間の脳の構造で耐えられる痛覚の範囲では理想とは程遠い。故に、こちらも強化しました。狂化と言えるほどの出来栄えだったやもしれません。

 そうして出来上がったモノが、SAMPLE:A-000。それに、幼い頃のアナタは、『アゼロ』という名前を付けて呼んでいましたね」

 

 再生を終え、起き上がった『獣』に向けて、ウルドは、SAMPLE:A-000は、アゼロは、もう一度攻撃をする。一つ。二つ。三つ。四つ……今度は二度と起き上がらないように、念入りに、殴り続ける。

 何度も、何度も、何度も……

 同じ施設で生まれた。

 生命維持装置の中で出会って。何も知らぬまま言葉を交わして、親しくなって。それで、俺だけが里親に引き取られて、アゼロは研究所に残った。それからどうなったのだろう。

 いつまでも続く実験。言葉を交わすこともなく。心を通わす相手もいない。俺一人を除いて。

 それから、どうなったのだろう。

 

「研究員が初めてSAMPLE:A-000のステータスを閲覧した時、施設の誰もが実験の成功に歓喜しました。奇跡の産物であると。我々はまた一つ神を越えることができたのだと。しかし時が経つほどにメッキは剥がれ、次第に成功個体ならではの欠点が目立つようになっていきました。最も問題視されたのは、幼年期ならではの脆弱な精神性。いくらスペックが優れているからといって、生命体である以上は心身共に健康でなければ完全な状態であるとはいえません。それに加え、細胞維持の最大の弱点が精神起因のストレスであることも判明したため、コレを年相応の『人間の子供』として扱い、施設内で養育することとなりました。

 そのうえで問題となるのが、そう、孤独。大抵の感情機能の暴走ならば薬で治療できるのですが、これは環境の側に問題がある事案ですので独自の対処法が必要になりました。

 そこで、当時のプロジェクト・リーダーが連れてきた子供が……ディア・テラス。アナタです」

 

 初恋。

 治療室の中で眠りについている時に、初恋の話をする夢を見た。

 仕事で家を空けてばかりの両親。学校には通わせてもらえず、家で勉強ばかりさせられていた幼少期。父も、母も、優しかったとは思うけれど、家の外には一歩も連れ出してはくれなかった。俺は昔から体が弱かったからだ。普通の人間よりずっと脆弱で、病気がちで。心配症な両親は幼い頃の俺を無菌室にしまい込み、安全な本やぬいぐるみを買い与えながら大事に育てていた。

 そんなある日のこと。父に家の外に出てみないかと提案された。俺はこれに二つ返事で答え、連れてこられたのが、あの研究所。そこで俺は『あの子』と出会い、『アゼロ』という名前で呼んだ。

 いや、もしかしたらそれ以前にも会っていたかもしれない。同じ研究施設で生まれたんだから。でも、当時の自分は昨日あったことすら上手く思い出せない子供だった。何もわからない。

 

「この施策は概ね成功。しかし、ここでも問題が発生しました。

 『対象への依存度が強すぎる』

 なんて身勝手な言い分でしょう。けれども問題は問題。正しい処置が必要です。その上で最も手っ取り早い手段は何か?

 リセットしましょう。ディア・テラスを殺すのです。ついでに目の前で殺して、精神データの収集も行いましょう。

 けれどこの実験は案の定上手くいかず、SAMPLE:A-000は人質となったディア・テラスを目にした途端に正気を喪うように豹変しました。

 本当に殺されそうになったアナタを守るために、怒りに身を任せ、化け物のように豹変しながら、施設を破壊しつくした。もはや『人間』とは言い難い異形の力を制限なく振るい、頑丈な壁を幾つも破壊し、何人もの研究員の体をズタズタに引き裂き。それでもなお、守るべきと判断していた対象にだけは傷一つ付けなかった。当の本人は気絶をしていたため、そんな実験に巻き込まれていたことなんて少しも覚えていなかったようですが」

 

 動かなくなった真っ黒の肉塊。

 その上でうずくまる小さな背中。ヘルメットをしているせいで顔が見えないけれど、きっと笑ってはいないだろう。

 今すぐ駆けつけて、声をかけてあげたい。あの子を笑わせてあげられるのは、世界でただ一人、自分だけなのだから。

 だけど俺は、あの子のことを……

 

 

 

「……と、いうような経緯で失敗したこの実験ですが、その際に入手しそこなったデータ、とても欲しいですよね。今から再収集を行おうと思いますので、今度もアナタには最後までお付き合いいただきますよ、ディア・テラス」


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