記述19 この愛は私のために 第2節
はて、俺はいつから寝ていたのだろう?
ベッドの上に広がる天井の白を見上げ、寝ころんだ姿勢のまま首を傾げた。自分が何処にいるのかわからない。見覚えのあるような、ないような、微妙な印象のある部屋の中に一人きりで寝ころんでいる。
無機質な装飾がされた部屋だ。白い天井、白い壁、白い照明。あれもこれも実に人工的な幾何学的デザインをしている。ちょっと首を傾けて周囲を確認すると、死角になっていた部屋の隅に用途不明の機械がたくさん設置されているのが見えた。本当に機械だらけだ。家具らしい家具はほとんど無い。かろうじて壁際にいくつか置いてあるガラスケースみたいな棚の上には、用途不明の薬瓶やら、何かしらの科学模型やら、謎のファイルやら、いかにも怪しげな雰囲気のアイテムがギッシリと詰まっていた。
「治療室」と、頭の中にどこかで教えてもらった気がする言葉が心当たりとして浮かびあがった。確かに言われて見れば治療室のように見えるだろう。けれども俺には、どちらかというと実験室とかそういう類の、もっと危なっかしい部屋であるようにうかがえた。そんな部屋の真ん中にあるベッドに経緯不明でいきなり寝かされているとは、なかなかスリリングな急展開ではないだろうか。
などと暢気に推察していれば、ふと、自分が寝ころぶベッドの裏側から機械の駆動音のようなものが聞こえてきた。これは多分自動ドアが開閉した音だ。何かが部屋に入ってきた気配もする。当然のように気になったものだから、少し起き上がって確認してみようかと寝返りを打ったところで、ぐるりと変わった視界の隅に、つるりとした円柱状のフォルムをした銀色の塊が映り込んだ。
これは何事か? 敵襲か? と重たい体を起こし上げながら銀色のつるりとしたボディを睨みつけるように確認する。パッと見は可愛らしいルックスをしているが、特殊合金で製造された業務用自律移動ロボットで間違いない。
だとしたら、この治療室がある場所はペルデンテでもアルレスキューレでもないということになる。だってこのロボットときたら、見るからに性能が素晴らしい。質量を感じない滑らかな移動もさることながら、驚きなのはその見事な清音技術。それなりに機械開発が進んだアルレスキューレになら自立歩行が可能なロボットくらいはあるかもしれない。しかしこれほどまでに高性能な代物ともなると、故郷に住んでいた頃ですらなかなかお目にかかれなかったんじゃないかなぁ。
だとしたら、ここはきっと……
『おはようございます。ディア・テラス。体調の程はいかがでしょうか』
銀色の機械はベッドの傍らでピタリと止まると、女性の声で話しかけてきた。
抑揚が無くて、非感情的で、冷たい声。機械が作成した合成音のように聞こえないこともないが、恐らくスピーカーを通して話しかけている肉声の音声通話なのだろう。とはいえ、この声に聞き覚えがあるわけではないので、正体不明のロボット相手にどんな会話をするべきか困惑してしまうことに変わりはない。
「おはようございます。随分と寝たきりだったせいで腰がかなり痛いのですが、それ以外は程々に好調です」
適当に挨拶を返してみると、スピーカーの向こうの女性は『OK』と簡素な返事をする。そして続けざまにいくつかの質問を繰り出してきた。
『腹部に痛みはありませんか。実際に触って確認してください』
『頭部に違和感はありませんか。脳は正常に活動していますか』
『視力は安定していますか。アナタ専用に調整された視力補正レンズがそちらのキャビネットに収納されているはずです。確認してください』
『指示通りに首を動かしてください……ワン・ツー・スリー。ワン・ツー・スリー』
『これ以降、神経系全般に異常を感じた場合は、些細な違和感であってもすぐに報告するように努めてください』
質問のような命令のようなよくわからない項目を一つずつクリアしていく。確認箇所の内容がちょっとばかし不穏が過ぎるものだから、自分の体に一体何をされたのか気になって仕方ない。治療室だって言うくらいだから治療されたんだろうな、とは思うけどね? 体の調子は以前よりずっと良い感じだし、そこは信じてもいいのかもしれない。しかし誰がそんなことを頼んだのだろうか。少なくとも俺ではないぞ、気絶をしていたんだから。
そもそも、ここが治療室だと教えてくれたのは誰だったっけ?
『OK。問題は無いものと判断しました。ですが、治療はまだ完了していないため、過度な負担を与えないよう細心の注意をはらってください』
「ありがとうございます……?」
『次。そちらの端末へ艦内のマップデータを送信します。すぐに確認し、指定のルームまで移動してください。歩行が困難であれば、ベッド下に備え付けられている車椅子を活用していただいても構いません』
そう聞いた後に、ベッドの端に設置されていたモニター付きの機械端末が「ピッ」と短い音を発した。
『ディア・テラス。知りたいことがあるのならば、私の指示通りに行動してください。それが今のアナタにとって最も懸命な判断であると言えます』
それだけ言い残して、銀色の機械は入ってきた時と同じような速度で移動を始め、部屋から出て行ってしまった。
「車椅子は不要でしたか」
部屋に入るなり、彼女は挨拶より先にそんな野暮な発言を口にした。
「確かに体の方は随分と訛っていて不自由でしたが、さすがに歩けない程ではありませんよ」
「このルームに辿り着くまでの道のりも、今のアナタにとってはそう容易いものではなかったはずです。過度な負担を与えないように、と注意をしていたはずです」
軽口を叩いてみたところで冷たい声色の返答しか返ってこない。車椅子を使うかどうかは自由だと思っていたが、なるほどアレは俺の常識力を試していたのか。
「自分の足で歩くことが好きなんです。そんなことより、このような部屋に私を呼びつけるなんて、一体何を考えていらっしゃるのですか? まだ完了していない治療の続きでも?」
渡されたマップを頼りに見知らぬ廊下を歩き、指定された部屋の前までやってきた。自動で開いた扉の向こうには、壁一面が機械と電子モニターで埋め尽くされたサイバーな空間が広がっていた。足を踏み入れた途端、人の吐く息みたいに生暖かい微風が素肌を撫でていくのを感じる。生き物の鼓動を彷彿とさせる機械音が充満していて、張り詰めた空気が呼吸を忘れさせるほどの居心地の悪さを実現していた。かなり気持ち悪い部屋だ。
機械には半透明の細いコードが大量に繋げてあって、それがまた何ともいえずナンセンスにレトロモダン。今時有線接続なんて、どういうつもりなんだろう? うっすらと透けたコードの中を液体のようなものがゆっくりと流動していく様子は血管に似ている。それが蜘蛛の巣みたいに部屋の中を埋め尽くしている。ゾッとする光景だ。まるで巨大な怪物の体内にいるみたい。
そんな部屋の真ん中奥に、彼女が座るデスクがあった。白衣を着た妙齢の女性が、薄い眼鏡のレンズごしに冷ややかな視線をこちらへ送っている。
「先に、アナタがこの部屋に何をするためにやってきたのか答えてください」
質問に質問で返された。どうやら治療室で聞いていた声の主と同じ人物であるようだ。実際に顔を突き合わせて肉声で話す彼女の印象は、スピーカー越しで聞いていた時よりもいっそう機械的で淡泊に感じられた。
何をするためにやってきたか、と聞かれれば「来いと言われたから来ただけだ」と答えるのが真っ当ではないか。けれども彼女がそんな回答を求めていないことは明らかだ。先の反応を見るに、彼女は何故俺が大人しく指示に従ったのか、その理由を自分の口から説明してみろと言いたいのだろう。いちいち面倒くさい相手だ。指示に従うことこそ最も懸命な判断だと示したのは向こうの方じゃないか。
「……いいでしょう、答えます。知りたいことがあったからです。私はどうしてこんな所にいるのですか?と」
「定期巡回ルートを航行中にアナタを背に抱えたSAMPLE:A-000と接触しました。我々は直ちにこれの捕獲を開始しましたが、対象は思いの外無抵抗で、穏便にことを進めることができました。その際にSAMPLE:A-000本人から交渉を持ち掛けられたのです。すでに死亡しているも同然の状態であったディア・テラスの治療を行ってほしいと」
これはまた随分ストレートに答えられたものだ。
「我々、探求科学機関JUNKはSAMPLE:A-000の要望を聞き受けるため、その対価として交渉相手本人の身体データの提供を求めました。この交渉は成立し、生死の境を彷徨っていたアナタはあの部屋で大陸最先端の医療技術による治療を受けることができました。内臓などは、ほぼ丸洗い。各部位は劣化が著しく、いっそ新しい物への取り換えを推奨する程でしたが、却下されてしまいました」
「ウルドのデータ収集を穏便に済ませるために俺を利用した、ということですか」
「ウルド。なるほど、ディア・テラスはアレをそちらの名で呼ぶのですか。不可解な話です。アレに『アゼロ』などという固有の識別名を与えたのはアナタ自身ではありませんか」
「名前なんて何だっていい」
「では、『ウルド』と名付けたものが誰なのかという話にも興味はないと」
返事をしたくなかった。
「無言はよくありません。しかし当方にも実りのない質問をした自覚があります。ですので話を戻しましょう。ディア・テラス、確かに我々JUNKはアナタを利用しました。しかしながら聡明なアナタは、いつか必ず自分の身に罰則が下ることにも承知していたはずです。自身の体にガードチップが取り付けられていることも当然ご存知だったのですから」
ガードチップとは要人やその家族が非常事態に陥った際に速やかな追跡、発見、保護を行うべく開発された衛生測位システムの俗称だ。小指の先くらいの大きさの特殊加工チップを保護対象の人体に直接取り付けて座標を設定し、宙高く打ち上げた衛星を通じて位置追跡や生存確認を行う。主に脊椎、喉、心臓などを始めとした人体の急所部位に取り付け、高価なものであれば精密なバイタリティチェックなども遠隔で行える。観測可能範囲は極めて広大だと聞かされていた。
「都市外に進出したところで簡単に追跡される。アナタの行動が都市への反発心から生じるものであったとすれば、それは無謀な行いでした。しかしながら監視局は、この事案についてアナタを罪に問わないと仰っています。彼らの真意は不明です。そして我々JUNKもアナタの蛮勇には感謝しています」
白衣の女はしばしこちらを観察した後に、言葉を続ける。
「探求科学機関JUNKの主な活動内容は都市領域外の環境調査です。超大型フライギア『ブルーローズ』で大陸内の規定スポットを巡廻航行し、サンプル収集を行います。全ては、ミュータント適正を持たない我々フロムテラス人の生きる未来のため……ですがここから先は、この私、ジャンク・ローザ・ツークンフト個人の活動方針についての話になります」
都市で暮らしていた頃に彼女たちの名前を聞いたことがある。詳細不明の科学実験を繰り返す謎の組織JUNK。統率者は監視局の幹部関係者であり、名はジャンク・ローザ・ツークンフト。彼女を始めとした構成員は皆揃って頭のいかれたマッドサイエンティストばかりだと評判であった。まさか、その本人をお目にかかれる日がこんなタイミングで来るとは思わなかった。実際会ってみたところで、噂は本当だったんだなぁという感想しか出てこないけれど。
「新人類開発プロジェクト。今より十三年前に解散したこのプロジェクトを再始動し、成功させることが私の一番の目的です。そのためには、わかりますね。SAMPLE:A-000の協力が必須となります。アレは科学者たちの叡智の結晶に、少々の奇跡が生じて誕生してしまった、極めてイレギュラーかつ有益な被検体。化学調合によって生成されたデザインベイビーでありながら、設計者の想定の範疇を遥かに超えた驚異的な性能を有しています。過度に気性が荒く制御が不可能であると問題視されたため処分されたと聞き及んでおりましたが、まだ生きていたというのならば話は早い。文字通り骨の髄まで活用させていただきます。此度においては、ディア・テラスというセーブシステムも用意してあることですし」
マッドサイエンティストはニヤリと口角を上げて嗤う。
すると、謀ったかのようなタイミングで俺の首筋に痛みが走った。首の裏から額に向けて、頭蓋骨が真っ二つに割れた錯覚をするほど強烈な激痛が稲妻のように通り過ぎていった。
電流。通電装置……意識を失っている間に余計なものまで取り付けられてしまっていたのか。せっかく回復していた視界がまたぼやけて、真っ白で、見えなくなって……
あっさりと、意識がとんだ。
真っ白けな夢の中で一人ごねる。
何が治療だ、何がガードチップだ。
みんな、みんな、俺に死なれることが不都合だっただけじゃないか。