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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述18 救済のカタチ
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記述18 救済のカタチ RESULT

 機械仕掛けの神様によってどんでん返しを迎えた舞台劇を批評家は嫌うだろうが、それが現実ならばどうだろう。さらにいえばその物語がハッピーエンドならばどう変わる。人々は受け入れるだろうか。拒絶するだろうか。

 例えば孤児の前に突如現れた真実の母親。恋人の後追い間際に墓石の下より蘇った令嬢。あるいは死した飼い主の墓の前で座り込む老犬の前に現れる真実の飼い主。彼らは幸せになることを望むだろうか。

 幸福の感覚は暴力の痛みに似ている。脳に一度与えられてしまった巨大な衝撃はその後の行動に影響を与え、時に過去の在り方すらも否定する。「申し訳ありません」と泣きながら平謝りすることと同じように、「光栄でございます」と諸手をあげて救済を受け入れることもある。この二つは対極の属性をもっていながら、従来の思考の在り方を改めるという点においては近しい関係にある。それは他者の支配を受け入れることと同義だ。

 命題、人間は未来の幸福のために自我を捨てられるのか。または過去の苦悩を見捨ててまでして幸福になれるのか。自己同一性の掌握は人生における重要課題。簡単に手放して良いものではない。本来はそうだった。人間は歓びのためにも、悲しみのためにも生きることができる。本当に正しい在り方とは何か。私は私に常に問い続ける。

 

「本人の意思の外側から行われる救済に意味はあると思うか?」

 半開きの培養槽の中に横たわる氷髪の麗人が口を開く。生きているのか死んでいるのかわからないくらい、か細い声色をしている。けれども美しい。

 ひたひたと、溶液の中に浮かぶ泡が空気に触れて、溶けて消える。

「私たちがこれから行うことは、本当に正しいと言えるのか?」

「お言葉ですが、本当に正しいことなんて、この世界のどこにもありません」

「ならば悩む必要などないと言いたいのか?」

「必要なのは、信じることです。正しいと信じられるかどうかこそが大切だと、そうおっしゃったのはあなた自身でございます、エッジ様」

「その名前で呼ぶのはもう辞めた方が良い」

「ですが……」

「テディ・ラングヴァイレ」

「はい」

「私は自分の選択が間違っていることを、誰よりも理解している。そのうえで覚悟を決めた。この世界をより良いものにするために。長年の果たせなかった願いを叶えるために」

「承知しております」

「その所業を行ううえでの、始めの一歩として……私は、彼の記憶から私というものを消滅させる」

「それは……!」

「願い、祈り、信じる力によって世界は変わり、奇跡を生み出す。願わくばもう二度と、彼が私のために苦しまないように」

 

 

 

―――

 

 

 


「――な……だんな」

 瞼を開くと、視界いっぱいに広がる真っ白な曇り空。見慣れた景色、見慣れた温度。背中越しに伝わる冷えた感触に目覚めたばかりの意識が驚き、自分が雪の上に横たわっていることに気付く。

「ゼウセウトの旦那!」

 少し長めの灰色の髪が視界の端をちらついた。誰かが俺の顔を覗き込み、困った子供の相手をするような表情をしている。

「……ディノ?」

「やっとお目覚めですか? といっても、まだ俺がここに来てから少しも時間は経ってないんだけどね」

 雪の上に転がしていた体を起き上がらせる。世界が九十度景色を変えて、石造りの古い建物が並ぶハイマートの牢獄跡の景色が目に映る。そしてその中に、崩落した直後のように見える石材瓦礫の山があった。

「あぁ、そうだ……塔が……?」

「崩れたんだよ。こんな近くにいてよく無事だったなぁ」

「近く? いや、俺はあの中に……」

 体のよじらせ、向きを変えて崩れた塔の方を見る。動くと体の上にふり積もっていた雪がバラバラと外套の上をこぼれ落ちていく。どうやらそれなりに長い時間気を失っていたらしい。

 崩壊した塔の瓦礫を遠目に長め、それからキョロキョロと周囲を注意深く見回す。レトロの姿がない。俺は本当に彼に会ったのだろうか?

 夢の中で彼は、俺の記憶障害の原因が自分であるとそれはもう堂々と白状していた。五十年。確かに五十年は記憶がないままウィルダム大陸を彷徨っていたであろう旨も話していた。

 記憶が続かずに困らされたことならば枚挙に暇はなく、恨んでいるかそうでもないといえば、俺は確実にレトロ・シルヴァのことを恨んでいる。自分のことだけでなく、あの夜のことに関しても到底許すことなどできはしない。

 そこで不意に、自分の記憶が五十年前から今にいたるまで、地続きで真っ直ぐにつながっていることに気付いた。

「どうしたんだい、旦那。ボーっとしちゃって。またエッジ様のことでも考えてた?」

 あまりのことに呆然としていた俺に、ディノが怪訝そうな顔で声をかけてくる。まるでいつものことみたいに少しの呆れの感情をない交ぜながら。

 それなのに俺には、その言葉の意図がわからなかった。

「……エッジ?」

「んん? まぁ、エッジ様だよ。旦那さんさっきから凄く変だぜ? 本当にどうしたんだ?」

「エッジって、誰だ?」

 心の中に自然に浮かんだ疑問を、加工も味付けもせず、率直に目の前にいる男になげかけた。するとどうだ。首を傾げ、いっそ心配そうに見つめていたディノの表情が一変した。

 雪の降りやんだ静かな街の中に、彼の驚愕の声が一際大きく轟き、消えていく。

 何をそんなに驚いているのだろう?

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