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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述18 救済のカタチ
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記述18 救済のカタチ 第7節

 空は今もまだ漆黒の雲の層で埋め尽くされている。けれども地上は白く、白く、白い雪の中に全ての身をゆだねるようにしっとりと沈み込んでいた。

 見渡す限り平坦な大地。障害物は何もなく、真っ黒な空と真っ白な大地、その間にはゆるやかにふりそそぐ粉雪の姿があるだけだった。

 寒くはないはずなのに、吐いた息は白く染まって宙へ消える。左右を見渡しても周囲に人の気配はなく、それどころか何の音も聞こえてこない。風の音すらどこからも。

 これは夢なんだろうなとぼんやり意識したところで、不意に、今、この世で一番耳にしたくない男の声が聞こえてきた。

「思い出せて良かったじゃないか」

 黒い空と白い大地の間に真っ直ぐと伸びていた地平線がぐにゃりと歪み、その内側から霧状の黒い何かが姿を現わした。

 黒い霧は瞬く間に雲のような集合体に変わり、実体を持つ黒い塊に、あるいは巨大な生物の体の一部のようなものに変化していく。爬虫類によく似た滑らかな光沢を持った鱗がびっしりと敷き詰められた、長い長い生物の胴体。

 ゆったりとした速度でとぐろを巻くように、雪の上に立ち尽くしたままの自分の上空を周遊する。初めて見るものではなかった。

「最後に会ったのはバスティリヤだ」

「覚えている」

「生意気なことを言うな。思い出させてもらっただけだ」

「わかっている」

「ふん。随分と素直なもんだ。やっと自分の立場というものを理解できたようだな。それにしたって遅すぎる気がするけど」

 声を聞いているうちに周囲を取り巻いていた巨大な生物の影はどこかへ消え、代わりに目の前に一人の人間が姿を現した。ステラと同じ茶色の髪に、エッジと同じ琥珀色の瞳。整った美青年の顔立ちは不機嫌そうに曇っていて、重たい感情が押し込められた視線は真っ直ぐに俺を睨み付けている。

「過去を見つめ直すだけの回想はこれでおしまいだ。そして、最後まで見ずとも十二分に思い出せただろう? お前はな、逃げ出したんだ。ソウド・ゼウセウト。あるいは失われた大陸の守護龍フォルクス。お前というヤツは、あの子が俺の息子だと知っていながら手を差し伸べ、父親を殺したのが自分であることを知らされるのを恐れるがゆえに逃げ出した。あの子を、エッジをバスティリヤという牢獄の街に一人残して、失踪してしまった。それこそがことの真相だ」

「その後に……死んだはずのオマエと再会した」

「あのまま放っておいたらお前、自殺でもなんでもしていただろう? そんな簡単な選択で自分だけ救われようったってそうはいかない。俺はお前を赦さない。お前はもっともがき苦しみ、悩み、痛みを抱えながら生きねばならない」

「俺がエッジを裏切ったから」

「信頼していたものの裏切りほど心に響くものはない。人間モドキのお前にだって、それくらいはわかるだろう」

「俺から記憶を奪ったのはオマエなんだろ、レトロ・シルヴァ?」

「肉体は死すとも魂は死ねず。神とは従来からそういうものだ。ただ干渉を控え、見守るだけに徹することにしたのは我が子の未来をこれ以上と思ってのこと。にも関わらず、この様だ。だから俺は言った。『全部忘れてしまえば良い』と。ふりしきる吹雪の中、行く宛てもなく途方にくれたお前の眼前に姿を現し、記憶を奪った。二度とエッジに近付かぬよう。これ以上エッジを傷付けぬよう。全部忘れる代わりに楽になって、生き延びて、そのうえで永遠に苦しみながら生きていけと、俺は言ったな?」

 確かに言った。頭が弾けて真っ白に染まる、その直前に見たものは、俺に向けて激怒の言葉を投げつけるレトロ・シルヴァの姿だった。

 

『なぜ助けた! なぜ手を差し伸べた!

 最後まで見守ることもできないくせに、救い上げる覚悟もろくにできなかったくせに、なぜ優しくした!!

 エッジは確かにお前を信じていたのに、お前もそれをわかっていたのに、どうして逃げ出した!!』

 

 それこそ俺が五十年もの長い間悩み続けた記憶喪失の呪いの正体だった。

「そして長い時を越えてエッジと再会し、短いながらもともに日々を過ごした今のソウドにならばわかるだろう。お前にはもう、この呪いは必要ない。知らぬことを罰としていたところが、知ることを罰とすることに取って代わったからだ。ソウド・ゼウセウト。お前は今一度、たった今取り戻した過去の全てを手にした状態でエッジと向き合うべきなんだ。なぜならエッジは、あの子はいまだにお前を信じ続けているのだから。どれだけ凄惨な傷を心に刻み込まれた後だとしても、忘れられたままでいられることに苦しみを感じ続けていようとも、傍にいることをやめられないほどソウドのことを信じていた。あの静かな城の一室で二人きり、真実の一欠片を知っていながら打ち明けられなかったのは、傷付けるのを恐れたため。エッジは優しい子だ。だから俺が代わりにソウドに思い出させてやったのさ! これ以上は馬鹿なお前にだってわかるだろう?」

「俺は、エッジのもとへ戻って……」

「ただいまと、それだけ言ってやればいい!」

 その高らかに空へ打ち上げられた言葉を最後に、レトロの姿は白と黒の境界の隙間へ溶けて混じって、消えてしまった。

 雪と闇と、それだけしか存在していない夢の世界は音をたてずに揺らぎ、かすみ、霧散する。

 俺は眼を閉じ、微睡みの中に溶けていく。

 あぁ、夢が終わる……長い、夢が……

 結局俺は、何のために……


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