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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述3 夢見る書斎
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記述3 夢見る書斎 第3節

 図書館の中は休館日なのかと思うくらい静かだった。

 入ってすぐのロビーには誰も座っていないソファーが並んでいて、その向かい側にあるカウンターには「離席中」の札がひっかけられている。

 カウンターの上には紙束を挟んだボードと焼き入れ筆――ペン先の熱で紙を焦がして使う筆記具――が無造作に置いてあって、どうやらこの紙に印刷された記入欄に来館者の名前を書き入れる必要があることがわかった。しかし名前欄の横には「貸し出しナンバー」を書き込む欄もある。当然ながらそんなものは持っていない。

 カウンターの上には他にも呼び出し鈴などというアンティークグッズも置いてあったので試しに鳴らしてみたが、誰も出てくる気配がない。何度鳴らしてもシャランシャランシャランと綺麗な音が鳴るだけで、待てども待てども人の気配は無し。待っている間に新しいお客さんが入ってくることも無かったので、いよいよ本当に休館日なんじゃないかと不安が加速した。

 じゃあもう、図書館の中に入っちゃおう。

 離席したきり帰ってこない方が悪いんだからな、なんて冗談まじりの愚痴をこぼしながらロビーの奥にあった両開きの扉を開けた。

 その扉一枚を隔てた先にあったのは蔵書室だ。無論、蔵書室という所には本がたくさん置いてあるとはわかっていたのだが、ここまでたくさんあるとは思わなかった。

 天井が高い。屋根裏まで吹き抜けになった広々とした空間。それを埋め尽くすほど窮屈に建ち並んだ背の高い本棚。ぎっしりと詰め込まれた本、本、本、本……とにかく本。あっちもこっちも、横にも縦にも奥にも開けた空間の全てに本があって、まるで本で出来た濁流の中に呑み込まれたような気分になってしまう。息が詰まりそうなくらい圧巻の光景だ。

 そもそも紙の書籍が本棚いっぱいに並んでいる様子を見るだけでも珍しかったのに、こんな空間がこの世界にあるだなんて想像できるわけがなかった。恐らくフロムテラスの中にいるだけでは一生見られなかった景色の一つだっただろう。

 あっけに取られながらも恐る恐る近くにあった本棚に近付いてみると、分厚い本の背表紙にはそれぞれに掠れた文字でタイトルが書かれていた。文字は、読める。しかしどれも見知らぬ単語ばかりでちんぷんかんぷんだったものだから、結局は背表紙の色だけで好きな本を一冊選んでみることにした。どれにしようかなと少しだけ迷った後に、なんとなく目に付いた薄紫色の本を棚から引き抜いた。古い本なのだろうか、表紙の装丁は劣化のためにほとんど剥げ落ちていて、題名どころか表紙絵すらも見当たらない。中を開いてみると、黄ばんだ紙のページに植物の挿絵が描かれていた。挿絵の横には手書きの文字で植物に関する説明が長々と書き綴られていて、この本が植物の図鑑であることがわかった。

 

『このような特徴を持つ蔦植物は遥か昔に絶滅したとする言説が一般的である。しかしほんの百年ほど前まではこのウィルダム大陸の一部地域でも自生していたと主張する研究者も存在する。原住民の伝承の中に語り継がれているだけで信憑性があるとは言い難いが、興味深い話ではある。一方で、海の向こうにある未開領域で似たような種類の植物を見たことがあると主張するものもおり、こちらは前述の研究内容よりいくらか信憑性があるものだと考えられた。海の向こう、所謂アブロード人の住む世界には謎が多い。かつて大陸の東にあった森林地帯のように豊かな大自然が広がっているのではないかという噂話も真しやかに伝わっている程である。本当にそんな世界があるとすれば、我々研究者にとって、いいや、この大陸に住む誰にとっても楽園と言えるべき場所であるはずだろう。夢のような話だ』

 

 ふーん、と思いながら次のページを開く。するとまた別の植物の絵と、名前と、説明が書かれている。「太古の昔に絶滅」「気候変動により絶滅」「生態系の変化により絶滅」と、もう今の時代には存在しない「幻」ともいえる植物ばかりが掲載されている。

 ウィルダム大陸というのは今俺がいる場所の名前だろう。大陸という言葉を聞いてもどういうものなのか上手くイメージができないが、たぶん、海……というものに囲まれた大地のことを言うのだろう。いやサッパリわからない。

 思い返してみれば、このアルレスキューレに来る途中の道のりには草の根一つ生えない荒野しか無かった。このアルレスキューレの国内でも植物はほとんど見かけなかったし、多くの種類が絶滅しているという話にはなんとなく納得できた。

 ページをめくればめくるほど見知らぬ植物の挿絵が現れ、そのどれもが俺の知らないものばかり。これを一冊読んでいるだけで一日が終わりそうなくらい、途方も無く面白そうな本だった。だから俺は途中で怖くなって、植物図鑑を本棚の元あった場所に戻した。

 本も気になるけれど、今は先にこの図書館にいると聞いていたクルト家の人を探そう。司書の一人でも見つけられれば、そこから彼らの居場所について尋ねられるはずだ。

 「自然学:植物」とプレートに書かれた本棚の脇を通り過ぎて、そのままふらふらと館内の奥へ奥へと歩いて行った。

 やはり広い。広い。建物の外観だけなら然程大きくは見えなかったのに、いざ中に入ってみるととても広い。土地の高そうな城下街の中心部にこんなに大きな敷地を確保しているというのであれば、代々管理を任されているクルト家が由緒正しき血筋であるという主張にも頷ける。しかし、本当に人がいない。こんなに面白そうな場所なのに、どうして来館者が少ないのだろう。一般人の立ち入り禁止でもされているのかな。

 わずかでも人の姿を見つけられないかと本棚の隙間という隙間を目を凝らして見て回り、物音でもしないかなと耳を澄ましながら無音の図書館の奥へ奥へどんどん進んでいく。

 するとそこへ、カッカッカッと硬いタイルの床を蹴りながら歩く小さな靴音が聞こえてきた。人がいる! やっと見つけた人の気配に喜びながら、音のした方へ近付いてみた。

 この辺り、だったような……?

 本棚の間を三つ四つくぐり抜けた先には、別の部屋に繋がる扉があった。靴音はもうすっかり聞こえなくなっていて、もしかしたらこの部屋の中に入ったのかもしれないと思った。片耳を近づけみると扉の向こうは相変わらず静まりかえっているようで、誰かが何かをしている物音はしない。

 試しにノックをしてみる。返事は無い。ドアノブをひねってみると、少し錆び付いて硬くなっていた。鍵はかかっていない。なので思い切って扉を開けてみることにした。どんな材質でできているのかわからない重たい扉を押すようにしながら開く、すると、その先には橙色のペンダントライトで照らされた小さな部屋があった。

 本がたくさん置いてあるところは図書館らしいのだが、この部屋には本や本棚以外にも色々なものが置いてあった。年季を感じる木製の家具がしっかりとしたインテリアを意識しながら配置されていて、壁際のチェストの上には異国情緒に溢れた不思議なデザインの小物や文房具が飾られている。

 本の置き方はさっきの蔵書室の様子に比べて乱雑だ。狭い部屋の壁を埋めるようにして置かれている六つの本棚。その中で棚を本だけで埋めているのは二つだけ。それ以外の棚はスカスカに空いていたり、本や文房具が平積みにされていたりしていて「使用感」がある。動物の形をしたブックスタンドなんてものもあって、この部屋の持ち主がどんな人物なのか少し気になって来てしまう。

 タイル敷きの床には赤茶色の模様付き絨毯。その上にどっさりと直置きされた本の山。壁には力強い色彩で描かれた風景画と、色とりどりの綺麗な石を繋ぎ合わせて作られている壁飾りのカーテン。

 部屋の真ん中には物がたくさん置かれた机が一つと、座り心地の良さそうな椅子が三脚。そのうちの一つの椅子の背もたれには女性物のコートが脱ぎ捨てるようにひっかけられている。さらに腰を下ろす部分には食べ終わった食事の皿と、少し汚れた濡れタオルなんてものまで置いてある。妙に生活感のある空間だ。

 机には大きな地図がテーブルクロスみたいに広げられている。使い古しているのか、少しボロボロになっていて、端の方が千切れたり変色したりしている。地図の上にはあまり丁寧ではない筆記体の文字が並ぶ数枚のメモ用紙が散らばっていて、その横には、開きっぱなしのまま放置された一冊の本。リボンのついた栞が二つほど挟まっている。

 メモの文字は達筆すぎて解読できない。本の方も覗き込んでみると、ページの章タイトルに『赤い湖に住む未確認生物について』と書いてあった。

 なんだそりゃ? と不可解さを感じたので、少し読んでみる。

 

『最初にその声を聞いたのはいつだっただろうか。初めて言葉というものを理解した時だろうか。初めて音楽を聞いた時だろうか。はたまた母親の胎中で眠っていた時に見た夢の中でのことだろうか。霊魂というものはいついかなる時も私と共にあり、私と共に生き、そして誰かが死ぬのを見送る時にはその誰かと共に闇の底へと消えていく。声はいつも、いつも、いついつまでも私と共にあった。歓びも、悲しみも、怒りも、嘆きも、命と共に寄り添い続けた。いつからなのかはわからない。では、どこから。その声は赤い湖の底から聞こえていた』

 

 やはりわけがわからない。興味本位で目を通してみたが、なんのことについて書かれいるのか欠片も読み取ることができなかった。誰かの伝記のようなものなのだろうか。だとしたらこの本を書いたのは一体何者だというのか。

 変に気になってしまったため、本を手に取って最初の方のページを見てみる。本のタイトルと著者名が書いてあった。

 

 『 大地の産声  著者:アデルファ・クルト 』

 

「あっ、あなた! いつの間に入ってきたのよ!?」

 見覚えがある文字の登場への驚きより、突然後ろの方から声をかけられたことの方に驚いた。

 怒られる雰囲気を感じながらしぶしぶ振り返ると、自分より二回りくらい年下に見える気の強そうな女の子が、部屋に一つしか無い扉の前で眉間に皺を寄せた表情をしながら立っていた。

 その女の子の特徴的な菫色の髪を見て「あっ」と思わず声を出してしまった。アデルファの白髪に混じっていた地毛も、そういえば同じような系統の色をしていた。目の色も真っ青だ。

 いや、そんなことより先に謝罪しなきゃいけないんだった。

「は、初めましてお嬢さん。勝手に入ってしまってすみません。館内を歩き回っても誰もいないものだから、この辺りにいないかなぁーと、ちょっと覗いてみたくなってしまって! 何の部屋かわからないまま気になって入っちゃいました!」

「わからないにしても、入るかどうかくらいもうちょっと慎重に考えた方が良いんじゃないかしら!? 私が席を外していたのはほんの一瞬だったはずよ。その間に入り込んでいたってことは、あなた、大して迷わずにドアノブをひねったってことでしょう?」

 図星すぎて二の句がつげられない。

「いやぁー……ごめんなさい。入っちゃいけない部屋でしたか?」

「み、見てわかるでしょっ! スタッフルームよ! 私の!!」

 スタッフルーム、という名の思春期少女の私室。いや、それは悪いことをした。

「そうとは知らず……ハハハッ、すぐに出ますね」

 気の強そうな青い瞳にギンギンに睨まれ、苦笑いがこぼれる。そそくさに立ち去るべく、手に持っていた本を机の上に置き戻した。コンッと、本と机がぶつかる小さな音が狭い部屋の中に響いた。

 女の子の羞恥と怒りに染まっていた表情が、不意にその音を聞くのと一緒にやわらいだ。

「あら、あなたもしてかして、その本に興味でも持ったのかしら?」

「ん? この本ですか? はい……興味はあります。未確認生物がなんたらかんたらって」

「寝ぼけたことばかり書いてあるでしょう? こんな場所にいるってことはもう知っているかもしれないけれど、それはね、私のお爺様が若い頃に書いた学術書なの」

「お爺様?」

 片手で菫色の髪を掻き上げ、彼女は少しだけ誇らしげな笑みを浮かべながら自己紹介を始めた。

「ええ、この図書館にいるってことは噂くらい知っているでしょう。アルレス貴族随一の問題児であり、天才博物学者でもあるアデルファ・クルト。私は彼の孫で、この王立図書館の司書をさせられているライフ・クルトよ」


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