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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述18 救済のカタチ
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記述18 救済のカタチ 第4節

 空が明るい白色に照った「白天」の昼下がり。見上げた空のどこにも雪はふっておらず、空気もいくらか爽やかに乾いている。二度の改変を迎えた後のウィルダム大陸にとって「良い天気」とはこのようなもののことを指す。「快晴」だとか「晴天」だとかいう言葉はそもそもこの世界の誰の頭の中にも存在しなくて、俺だってもう二度と見ることはないのだろうと思う。

 分厚い雲で覆われた空に向けていた視線を地に戻し、複雑な感情を抱いたまま自動車の運転席に乗り込む。すると目の前のルームミラーに、エッジの姿が映り込んだ。車の後部座席にしっかりと座り込んだ彼は、外出用の暖かい外套を体に羽織り、大きめのフードで頭を隠している。外出を楽しみにしていたのだろう、車が動き出すのを今か今かと気にするように、車内から窓の外をキョロキョロと見回していた。そんなエッジの姿を見ていると、陰鬱な気分もいくらか薄まり、口角も上がる。俺はエッジにシートベルトをしっかりと付けるように言ってから、車のエンジンをかけた。

 目的地である商店街はそう遠くない場所にある。朝一番から稼働を始めた除雪機がいくらか仕事を終えた後の車道をするりと走り抜け、少し経ったあたりで前方に開けたスペースが見えてくる。商店街に隣接して設けられた共用駐車場、そこに俺たちは車を駐めた。後部座席からエッジを降ろし、広々とした駐車場の真ん中を歩いて進む。幸いなことに商店街まで続く道も機械によって除雪されていたため、他の道と比べればいくらか歩きやすい。それでもまだ水っぽく滑りやすいため、俺はエッジが怪我をしないように手を繋いで歩くことにした。

 空気は灰色。体に吹き付ける風はひんやりと冷たく凍り付いている。強風が一つ二つと吹き抜ける度に、小麦粉みたいな粉雪がふわりと浮かんで視界を覆った。道路脇に降り積もったままにされている雪の山には少しも溶けた様子は見られなくて、絵の具を落とす前の真っ白なキャンバスのようだった。

 そうして二人一緒に並んで商店街の中に入ると、エッジは周囲を見回しながらいたるところで目を丸くした。俺の目から見れば寂れたシャッター街にも似た趣きのある店並びでも、エッジにとっては「ものがいっぱいある」という点だけでも新鮮で興味深いものに見えたのだろう。

 あらかじめまとめておいた買い物リストをカバンから取り出して確認していると、ふと遠くの方を見物していたエッジが俺の外套の袖をクイクイと引っ張った。何かあったのかと思ってエッジが見ている方へ眼をやると、そこにあったのは灰色の皮鎧に身を包んだ兵士の集団だった。

「どうしてあんなに兵隊さんがいるんだ?」

 エッジが不安そうな声色で俺の顔を見上げた。

「怖がる必要はないさ。きっと今日は軍用の物資が中央から輸送される日なんだろうな。この商店街の隣には軍用物資を大量に保管する倉庫街があって、週に何度か大量の輸送車がやってくるんだ」

「だから駐車場があんなに広かったんだ」

「その通り」

 それにしたって兵士の数が多いように見えるのは気のせいではないだろう。何か特別な物資でも送られてくる日なのか、何なのか。自分はこのバスティリヤに滞在中、国軍の兵舎などにはよく顔を出しているが、そのような話は聞いていない。少しばかり嫌な予感がした。けれどその不信感がエッジにまで伝わらないように、遠くで群がる兵士に背を向けて、「さぁ、店に入ろう」と小さな手を引いて歩き出そうとした。

「教官!」

 そこで急に、通りの反対側から誰かに声をかけられてしまった。振り向いてみると、立っていたのは真新しい黒の軍服に袖を通した若い男。知らない顔ではなかった。少し前までは自分のもとで訓練をしていた、黒軍の出世頭だ。

「お久しぶりです。このような場所でお会いできるとは思っていませんでした。本日は休暇のご予定ですか?」

 飼い主を見つけて尻尾を振りながら近づいてくる犬のような明るい表情で話しかけられてしまえば、無視をすることは難しい。

「ああ。あの男の世話をするにも休みは必要だからな。そういうオマエは確か黒軍の……こんな辺鄙な区画にいるような人材とは思えないが、今日は本当に何か大事なものが届く日みたいだな」

「はい。一言でいえば、戦争の準備ですね」

「なるほど、便利な言葉だな」

 チラリと商店街前の灰軍兵たちの方を横目に見る。緊張感というものはあまり見られない、だらしのない後ろ姿からは、とても開戦が近いようには見えなかった。

「わかっているとは思うが、こういう時勢だ。灰兵の挙動には逐一眼を光らせておけよ」

「ご助言ありがとうございます!! ……ところで、教官。失礼ですが、そちらの子供は?」

 不意に話題にあげられたエッジが肩を跳ねさせて驚いた。フードの端をひっぱって顔を隠し、黒軍兵から顔を逸らす。明らかに怪しい動きをしてしまっているではないか。

「俺の客人だ。何か問題でもあったか?」

「いえ! とんでもありません……失礼しました!」

 若い黒軍兵はエッジの方を興味津々といった様子で数秒の間見つめた後、一礼をしてからそそくさと立ち去っていった。本当に挨拶だけをするために話かけに来たのかと辟易した気分で遠ざかる黒い背中を見送る。するとふと、つないでいた手に力が入った。横を見ると、フードの中に顔を埋めたエッジが不安そうな表情で俺の顔を見ていた。

「見つかったらどうなるの?」

 少し考えてから答える。

「全身の血を抜かれて剥製にされる」

「えぇっ!?」

「冗談だ」

 そうすぐに伝えたところで、エッジの頭の中からはなかなか剥製になった自分のイメージがなくならないようだった。

「……実際は、どうにもならないさ。エッジがまたアイツらに捕まるようなことがあったら、その時はまた逃がしてやるだけだ。俺にだってそれくらいの力はある。それくらいのことなら……」

「また、助けてくれるの?」

「約束する」

「そっか……じゃあ、安心だね」

 

 

 入り口横のカウンターでショッピングカートを有料でレンタルしてから、商店街の中で最も大きな建物の中へ入る。エッジと一緒に店内を見て回りながら、必要なものをアレコレとカートの中に積んでいく。ひかえめな調子でカートの横をついて回っているエッジは、商品の全てに興味津々な様子を見せていた。

 陶器の食器にガラスのコップ、少し重たい金属製のカトラリー。毛皮のローブ。暖かそうなセーター。

 頑丈なベルト。ふかふかの帽子。大きなタオル、小さなハンカチ。ひざ掛け、クッション、枕カバー。

 店の中を一周する頃には、ショッピングカートの中は購入物でいっぱいになっていた。そしてこれらはほとんど全て、エッジのためのもの。

 あらかた必要そうなものは揃ったかと思ったところで、ふと思い至ってエッジに声をかけてみた。

「欲しいものはあるか?」

 自分としては、気軽な調子で言ってみただけの言葉だった。けれどそれがあまり良くない問いかけであったことに、間もなくして気付かされる。

「ほしいもの……?」

 エッジは困ったように、心底困ったように、小さな首を横に傾げた。「欲しいもの」という言葉の意味がイマイチ理解できていないように見えた。

「店の中にあるものの中で、家に持ち帰りたいものを選んでおいで」

 そう言い換えてみると、エッジはコクリと控えめな調子で頷いた後に、店の一角を歩いて回り始めた。けれど、戻ってきた時の彼の手には、何も握りしめられてはいなかった。

 「ごめんなさい」とでも言わんばかりの表情に胸を打たれ、俺はエッジの頭を無言で数回撫でた。俺が悪かったという思いを込めてだ。

 会計が終わり、購入した商品を車まで運ぶためにショッピングカートを押しながら来た道を歩く。通信端末で時間を確認すると、まだ夕方にも早い時間。一度車に戻った後には、ゆっくりと二人で商店街を見て回ることにでもしようか。

「なぁエッジ……」

 と、エッジに声をかけようとしたところで気付く。隣を一緒に歩いていたはずの彼が、自分から少し離れた後方で立ち止まっている。何かに気を取られているようで、とある一点を真っ直ぐに見つめたまま、こちらの声すら聞こえていない。

 どうしたのかと思ってエッジの視線の先を見ると、それは古びた雑貨屋の店先で、さらに細かく言えば、その店前に乱雑に積み上げられた衣料品の山の上だった。ポツンと一つ、床に落ちた鮮やかな色の果実のような佇まいをしたものがある。

 それは柔らかなパッチワークの生地で縫い付けられた、動物の姿をしたぬいぐるみ。木の実の種をはめただけの簡素な丸い瞳が、白い空から降りそそぐ真昼の光に照らされてピカピカと光っていた。

「イヌ……いや、クマなのか?」

 声を出して呟くと、エッジがこちらを振り返る。感情の読み取れない、不可解な表情をしている。

 カートと一緒に道を引き返し、エッジの傍で体をかがめ、視線を合わせる。それからエッジとぬいぐるみの顔を交互に見てから……少し嬉しい気持ちになった。

「気に入ったのか?」

「え?」

「そのぬいぐるみ。さっきからずっと見ているだろ?」

「……」

 エッジは何か言おうとして口を開き、けれど何も言えないまま口をつむぐ。その間もずっと、彼の視線は目の前のぬいぐるみに釘付けだった。

「欲しいのか?」

「……わからない」

「買ってきてもいいんだぞ。そしたら、エッジはこれからもずっとあのぬいぐるみを見ていられるし、好きなだけ抱きしめられる」

 エッジは俺の言葉に反応して、パチパチと大きな瞳を数度にわたってまばたかせる。けれどその一瞬の明るげな表情は、すぐにまた薄暗いものに変わってしまった。

 何かまずいことでも言ってしまっただろうか。俺の方まで不安になってしまい、「どうした?」と問いかけようとした。けれどその言葉より先に、エッジの方が口を開いた。

「でも、あの子は俺といっしょにいたくないよ、きっと」

「…………どうして?」

 返す言葉が一つも浮かばなかった。思わず溢れた疑問の声が低く、冷たく自分の耳に届き、己の動揺に気付いてハッとする。どうしてかなど聞く必要なんてどこにもなかった。それなのに聞いてしまった自分の行動を後悔するのだってすでに遅い。

 エッジはまるで叱られた後の子供のように怯えた表情で俺の顔を見つめていた。

「いや、すまない。エッジがそう思うなら、別にいいんだ」

 言葉がどもり、落ち着かない。エッジは俺の動揺を敏感に感じ取り、一歩後ろに後ずさって距離をとる。何か間違えてしまっただろうかと不安げに体を小さく丸め、道の端にじっと立ち尽くす。

 これではまるで俺がエッジを責めているようじゃないか。

 困った俺は周囲を見回す。彷徨う視線が再び映り込んだぬいぐるみのところで止まった。雑貨屋の店先まで近づき、そのぬいぐるみを手に取って、エッジに手渡した。

「ただな、エッジ。この子が考えていることは、この子本人にしかわからないものなんだ。だからこそ、好きだという気持ちがあったなら、ちゃんと伝えてあげた方がいい」

 手渡されたぬいぐるみを抱きしめ、遠慮がちに頭をなでる。目を閉じ、頬をすりよせ、じっと黙り込む。

「会えて、嬉しい。ありがとう」

 エッジは俺が言った通りに、ぎこちない言葉選びでぬいぐるみに感謝を伝える。しかしそれだけ伝えると、彼はぬいぐるみを元あったカゴの中へ戻してしまった。

「……フォルクスさん?」

 その行動の一部始終を見つめていた時の俺は……よほど不自然な表情をしていたのだろう。エッジのふるえた声かけに気付き、呆けていた意識を現実に帰す。

「あぁ……なんでもない」

 それだけ言って、二人はぬいぐるみがいる雑貨屋から立ち去っていった。

 

 

 

 買い物を終え、商店街を後にして家に帰る時が来た。車を走らせ、家路につく。その道中でエッジは一言も口を開かず、俺の方も気の利いた話題の一つも切り出せずにいた。気まずい気分のまま家の前までやってくると、見れば、入り口横に誰かが立っている姿が見えた。暗闇の中、自動車を定位置に駐めて近づいてみると、それは昼間に商店街で顔を合わせた黒軍兵だった。どこかで俺の仮住まいの場所を聞きとってきたのか。

 どこか不穏な気配を感じながらも、無視をするわけにもいかずに近付いてみる。すると彼はすぐに俺の存在に気付いて声をかけてきた。

「休暇中に失礼いたします、教官」

「その様子では、何かあったみたいだな」

「はい……実は…………イデアール様が再び癇癪を起しまして」

「なんだと?」

「看病をしていた看護師を殴り飛ばして怪我をさせました。以降も怒りが収まる様子は見られず、今現在も激しい独り言を繰り返している状態で……」

「それを、なぜ俺に伝えるんだ」

「率直に言いまして……我々の手には負えないのです。イデアール様のことをよく知るあなた様であればという考えのもと、私が言伝を預かるかたちになりました」

 重たい溜め息が喉の奥から込み上げてきて、今にも外に吐き捨てたくなるような心地になった。それを堪え、奥歯を噛みしめながら、言葉を選ぼうとした。それでも、選んで出てきたものは、やはり苦言でしかなかった。

「相手をしたくないというなら、いっそハッキリと言えばいい」

「……もうしわけ、ありません…………」

 暗い表情をする黒軍兵の若者。ただ伝言を任されただけの彼を責める必要などどこにもない。なのに、そう言わずにはいられなかったのは、俺自身が大切な友人のことをすでに億劫に思っていたからだった。

 暗がりの中で目を閉じる。瞼の裏に浮かび上がってくるのは、あの凄惨な殺戮現場の光景。イデアールの魂が裂けるほどの慟哭と、自分が殺した男の最期の顔。そして……

 今の俺にとって、大切なものは何だろうか。

 疑問は続く。大切にすべきものと、大切にしたいものが違う。その葛藤は夜を越えて、長く、長く続いた。

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