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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述17 誰が為の裁き
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記述17 誰が為の裁き 第3節

 窓の無い渡り廊下を進み、別棟に続く古びた門を一つくぐった先。その部屋に行くのは当時の俺にとって初めてのことであったが、回想を再生している現在の自分にとっては記憶に新しい場所であった。現在の寂れたアルレスキュリア城において、この部屋はイデアールのものとして扱われていたからだ。

「こんな不便な位置に王女の部屋があるのか?」

 若いイデアールに向けて正直な違和感を伝えると、彼は苦い表情で「王女の寝室をここにせよと決めたのは、肉親である陛下ご自身の意思なのだ」と教えてくれた。

 そこで俺は随分昔に聞いていた、ルークス国王とエルベラーゼの親子仲が良くない、という噂のことを思い出した。身内であるイデアールはその真相を把握しているのだろうが、好んで口にするような話題ではないと思っているのか、それ以上は何も話そうとしなかった。

「お待ちしておりました、イデアール殿下」

 目的の部屋の前までやってくると、扉の横で見張りをしていた二人組の兵士の内一人が声をかけてきた。幽閉されているレトロ・シルヴァと面会することについてはすでに話が通っていたようで、兵士たちはすぐに扉にかかっている錠前を外してくれた。

 優美な装飾が彫り込まれた木製の扉。銀色のドアノブに手を伸ばし、中へ入る。

 来る途中に歩いてきた渡り廊下の薄暗い雰囲気から一変して、部屋の中は存外に明るかった。見上げると草花の絵が描かれた天井の真ん中に大型のガス灯が設置してあり、その灯りが点けっぱなしになっている。廊下と同じく、この部屋にも窓は無かったが、換気は行き届いているようで空気が籠っている感じはしない。

 全体的に清潔な状態を保っているような印象を受ける室内だ。恐らくは王女が失踪して以降の七年の間、時々係りの者が入って掃除をしていたのだろう。

 当時は存在していたはずの王女の私物は、ほとんどが処分されてしまった後のようにも見える。残されているのは、少女趣味を感じられるデザインのチェストやクローゼット、花柄模様のソファといった、大型の家具だけである。部屋の目立つところに置かれているキングサイズのベッドは、備え付けの天蓋を剥ぎ取られた後で、今はシーツの一枚も敷かれていない。

 片付いてはいるが、お尋ね者の幽閉先としては可愛らしすぎる印象を受ける内装。しかしそんな部屋の片隅、絨毯が敷かれておらず、石材が剥き出しになった冷たい床の上に、あの男、レトロ・シルヴァが横たわっていた。

 瞼を重たく閉じているが、眠っているのかどうかはわからない。意識があるとすれば部屋の鍵が開いた音が聞こえていたはずだが、そのために反応して体を動かすようなことは、ピクリともしなかった。

 共に部屋の中に踏み込んだイデアールと顔を見合わせ、まずは俺の方から先に彼に近付くことを決める。毛足の長いふかふかとした絨毯は踏みつけてもほとんど靴音を鳴らさない。

 近づく。膝をつき、横たわる彼の顔を覗き込むように、顔を近づける。静かな室内に、彼のか細い呼吸の音が小さく鳴って、鼓膜を揺らす。

 七年前は少年然としていたレトロの姿は、十分に大人の男性と言えるほどに成長していた。けれども今の成長した彼の手足には鉛色の重たい枷と鎖が繋がれており、一目見て何かしらの罪を持った人間であることがわかる姿をしていた。

 まずは起こさねば話が始まらない。肩でも揺すろうかと思って手を伸ばすと、

「触るな」

 鎖に繋がれた腕が動き、触れようとした俺の手を素早くはたき落した。見ると、さっきまで閉じきっていた瞼がいつの間にか持ち上がっており、琥珀色の鋭い瞳が二つ、こちらを見据えていた。

 俺の顔を見て、奥に立つイデアールの顔を見て、再び俺に視線を戻す。

「笑いに来たのか?」

 やや掠れ気味だが十分に美しい男性の声で、レトロが言葉を吐き出した。

「そうかもしれないな」

「ふん。あの赤子めいていた雑魚が、随分な正直者に育ったもんじゃないか」

「なぜ帰ってきたりした?」

 質問を拒むように軽口をたたく彼の態度を無視して、単刀直入に本題を問いかける。レトロは案の定不快そうに眉間に皺をよせたが、しばし俺の顔を睨むように見つめた後、何を思ったか条件を一つ繰り出してきた。「部屋の扉を閉めろ」、と。

 俺は立ちあがり、後ろで話を聞いていたイデアールの方を見る。するとイデアールは部屋に一つしかない扉の方へ戻り、外の兵士に一言声をかけてから扉を閉めた。それから広い部屋の中を横断し、俺たちの側まで近付いてきた。

 続きの話を聞く姿勢が整ったところで、レトロは冷たい声で事の発端について語り始めた。

「子供を人質にされた。茶色の髪に、青い目をした花のように可愛らしい女の子だ」

 ドキリと、胸が跳ねた。

「エルゼと俺の間に生まれた、二人の子供の内の一人だ。名前はステラ。ステラ・シルヴァ」

 まずは彼の話を聞こう。そう思いながら、心の中は瞬く間に動揺の感情でいっぱいになっていった。

「一週間くらい前に、商売のために立ち寄った村で捕まったんだ。ルークス直選の精鋭ばかりを集めた親衛隊の連中だった。なんであんな辺鄙な村に陣取っていたのか知らないが、とにかく運悪く鉢合わせて、捕まった。アイツらはステラを返して欲しければ一緒に城へ来るようにと俺を脅迫してきて、その通りに従っただけ……どうだ、お前にとっては興味のある話だろう」

「……悔しいが、確かにその通りだ」

「あの子が今どこにいるかは知らないぜ。ここに閉じ込められて以来、一度も顔を見られちゃいないんだ。けどな、きっと碌な目には合っていない。なにせあのルークス・アルレスキュリア国王陛下様の手の内だ」

「ルークス陛下が自身の孫にそのような野蛮なことをするとは思えない。お前が嘘を吐いているのではないか?」

 尊敬する陛下のことを悪く言われ、少しばかり機嫌をそこねたイデアールがレトロの発言を一蹴する。けれどもレトロの方はそんな態度を見せるイデアールを見て余裕あり気に嘲笑した。

「あの女はケダモノだ。苛烈な本性を微笑の下に隠したケダモノ」

「女?」

 疑問に思った言葉がそのままポロりと口からこぼれる。一方で、同じ言葉を聞いたイデアールは目を見開いて驚いた。

「……なぜ、そのことを知っている? エルベラーゼだって知らなかったはずだ」

「そんなもの、アレが今も昔も変わらず俺にご執心だったからに決まっているだろう。あの、名前を口にするのもはばかられるクソ女のことなら、表側も裏側も、嫌というほど教え付けられている。アイツ本人の意思によってな」

 敵意と嫌悪がじっとりと染みついた悪態を吐き棄てた後、レトロは俺に、自分が着ている服の裾をめくってみると命令するように言った。言われるがままに手を伸ばし、手触りの良い黒色のシャツを一枚めくりあげてみる。するとその下から現れた素肌の表面は、生々しい鞭打ちの痕でぎっしりと埋め尽くされていた。

 拷問の痕だ。

 さらに確認すると、枷に繋がれた彼の体からは次々と真新しい傷が見つかった。小さなものから大きなものまで、切り傷、刺し傷、骨折、青痣。腕には皮と肉を削いで遊んだ後まであり、さらに首回りには荒縄で締め付けた痕までしっかりと刻みつけられていた。

 それなのに顔だけは綺麗なままで、擦り傷の一つすら残っていない。

「何か聞き出したいことがあって、鞭で叩いているわけじゃない。いたぶることが好きなんだ」

 今のルークスは、実の娘であるエルベラーゼから恋人を奪い取ったことを悦んでいる。心の底から。

「こういう条件だったんだ。ひと月あの女の遊び相手になれば、娘と一緒に解放してやろうって」

 本気で言っているとは到底思えないことは、レトロにもわかっている。それでも、ステラという宝物を人質に取られてしまった以上は、素直に従うより他はない。そもそも自分はこの部屋に拘束されたままであるため、何もすることができないのだ。

 ステラとともに己の自由を失ったあの日から、レトロは毎晩のようにルークス本人の手により拷問という名の凌辱を受けている。来る日も来る日も繰り返し痛めつけられ続けた体は、正直に言うと、今、声を出して会話をしているだけでも辛いのだと言う。

「あの女は……本当のところ、ステラになんて興味は無いんだ。だから、ステラさえ助け出せれば、ヤツは執拗にあの子の後を追いかけて回ったりはしない。欲しいものはすでに手の中にあるんだ。今は満足して、俺に鞭を打つことに夢中になっている。なぁ、お前……今は……ソウド・ゼウセウトって名前みたいだが、七年前に最初に庭で会った時、お前は確かにステラ・シルヴァを探していたよな」

「あぁ……その通りだ」

「今もその気持ちが変わっていないって言うなら、あの子を……ステラを助けてやってくれないか。きっとまだこの城のどこかにいて、冷たくて狭い場所に一人で閉じ込められている。俺のことはいいから、あの子だけでも助けて……できればエルゼたちのもとへ返してやって欲しい」

 最後に「頼むぞ」と頭を下げると、それからレトロは力を使い果たしたのか再びぐったりと瞼を閉じて、眠りに付き始めてしまった。

 俺は床に付いていた膝を伸ばして立ちあがり、同じく傍で聞いていたイデアールの方を見る。物心ついた頃からルークス・アルレスキュリアの聡明な後ろ姿を見て育ったイデアールには、レトロの体の傷を見た後でも、どちらを信用すべきか決めるのは難しいように見えた。

 しかし、俺の方はまるで違う。迷う必要などひとつも無い。

 たとえ数えで六歳にも満たない子供だとしても、きっと、この夫婦の間から生まれ、その名前をもらった以上は、それこそ自分が求めていたステラ・シルヴァという存在に違いないのだから。

 


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