記述16 塗り潰された家路 第5節
広大な森林地帯と豊かな大河とに隣接するように建国された、由緒正しき歴史ある国、王制国家アルレスキューレ。その城下街はこの世界で最も華やかで美しい場所と称賛される地上の楽園。城壁を潜りさえすれば誰もがこの国の素晴らしき栄光を前に目を見張るだろう……と、そのような美辞麗句で着飾られた言葉を聞かされた後ですら、旅人の目に新鮮な歓びを与えてくれることこそ、この場所が真に華の都たる所以であった。
この都に住まう民たちは、ただ一時のために立ち寄っただけの余所者の頭にすら祝福の冠を与える。そして歌を口ずさめるのは詩人だけではないことを思い出させるのだ。
荒野を歩き、嵐の高原を乗り越えてはるばるこの国に足を踏み込ませた者たちは、街中ですれ違う誰もが老いも若きも変わらず明るい顔色の内に笑顔の花束を抱えている姿を目にして、この世界が思っていたよりもずっと恵まれていると、救いはあるのだと気付かされることだろう。
しかして彼は、この国に初めて訪れた時の俺はどうだったろうか。他の人間たちと同じような歓喜の感情を胸の内に抱くことができただろうか。意識だけは微睡みの中に深く沈み込んだまま、見つめる夢世界の中を歩く過去の自分自身の姿を俯瞰してゆく。回想はまだ続いている。
彼の表情は実に冴えないものだった。まるで天気雨にでも降られたような顔だ。それはなぜか、当時の俺にはこの国の人々が何故楽しそうにしているのかわからなかったのだ。暖かな陽射しに見守られる春がいつまでも続くと思われるほどの楽園の中、楽しくないわけがないというのに、彼にはそもそも周囲に同調するだけの能力が無かった。感受性そのものが人並みに機能していなかったと言えるだろう。だからこそ、この時はただただ人の多い場所に踏み入ったことに居心地の悪さを感じているくらいの感想しか抱いていなかった。
『アルレスキューレは素晴らしい所です。きっとこのウィルダム大陸の何処よりも美しい、夢のような都です』
シルヴァ家の主人から聞いた言葉がスッと意識の端を通り過ぎていく。
あぁ確かに、見れば見るほどまるで夢のような情景ばかり。周囲を取り巻く人々の歓びの正体と意味が何なのかはありありと理解できる。けれど、この時の自分はその中に混じってはいけない。
晴天の下に広がる白亜の街並み、住民の笑い声。積荷をたっぷりと乗せた荷車が大通りを行き交い、商人たちがより良い物を紹介しようと競い合い、民家の中からは焼き菓子の甘い香りが漂ってくる。
回想の中で記憶を巡らせる。そうして、俺が知っていたアルレスキューレと、今見ているものとを見比べる。何もかもがまるで別物だ。あの国は貧困だとか物騒だとか、そういう言葉の似合う場所だったのに。同じ名で呼ばれるこの国とは似ても似つかない。
ここは本当にアルレスキューレなのか? 俺は全く知らない場所に来ただけなのではないか?
そんな疑惑は、ただ一つ変わらず存在していた王城の姿が否定していった。
石造りの壁、濃紺色の屋根、乙女の紋章。外観は何一つ変わっていないのに、いつもより華やかな印象を持ったのは、城の上に広がる空が真っ青だったからだ。
「何用だ、名を名乗れ!」
アルレスキュリア城の前までやってくると、城門に立っていた二人の門番が槍を交差させて行く手を阻んできた。当然の取り締まりであったが、これに遭遇した俺は適切な対応の仕方がわからないために「通して欲しい」「中に用がある」と、物を知らない子供のような我が儘を言い始めた。
門番は顔を見合わせ、面倒な輩が出てきてしまったと怪訝な顔をする。
「まずは名を名乗れと言っている!!」
そのように門番の一人が大声をあげたところで、背後からまた別の人物の声が飛び込んできた。
「門前で何を騒いでいる」
振り返ると背の高い四頭の騎馬が跳ね橋の上に整然と並び、俺の方を見据えていた。
今の時代に馬なんて珍しい……そう思いながら黙って眺めていたら、一団で最も位が高いように思われた人物が数歩馬を前進させ、馬上から声をかけてきた。
「客人のようだな。良質な生地の衣を纏っているが、異郷の巡礼者か何かか? 何にせよ我が城は訪問者を疎ましく思わない。用件さえ言えばお前にも門を開けてやろう」
偉そうな口調だ。ならだ身分の高いものに違いないと、世間知らずな当時の自分でも察することができただろう。厳かな兜を被っていたため顔はわからなかった。冷静で理性的で、やや高圧的だが耳障りではなく、誰の耳にもよく通る透き通った心地がする声色であった。若いながらも上に立つ者に相応しい威厳を兼ね備えているように思えた。
兵士が何か言いたそうな苦い顔で口を噤んでいたが、俺はそんなことは眼中に無いとばかりに馬上の人物の方を向き、発言をした。
「城下街の者たちからレトロ・シルヴァが城の敷地内にいるのではないかと聞いた。私はその人物に会わなければならない」
「レトロ・シルヴァ?」
馬上の人物は虚をつかれたようにその名を復唱した。
「それはかの機織り職人のことで間違いはないか? そうだな……彼ならば確かに城内にいるであろう。しかし自由奔放な性分のために面会できるかは保証しかねる。それでも良いならば通してやろう」
「構わない」
率直な返事を述べると彼は兜の下でコクリと頷き、兵士の方に顔を向ける。
「門を開けろ」
威厳のある声色で一言指示され、兵士たちは言われるがままに重い鎖を引いて門を開け放った。
城内の造りは見慣れたものと同じだった。柱の位置や窓の数、部屋の間取りも変わらずそのまま。床に敷かれたタイルの硬い踏み心地なども同じで、けれども総じて現実の記憶の中にあるものより小綺麗で煌びやかな印象を受けた。
俺が知っているアルレスキュリア城はほとんど古城のようなもので、随所に管理の行き届いていない場所が散見されていた。朽ち果てた壁や埃まみれの部屋、割れたままのステンドグラスに欠けた花瓶。そういった陰気な要素がいたるところに散見されていたのだが、こちらのアルレスキュリア城にはそれらと真逆のような清潔感が満ちている。廊下ですれ違う侍女の晴れやかな表情を見るだけでも、似て非なる別の空間であることを実感させられた。
とはいえそんな侍女と同じように廊下を歩く当時の俺には陰気なアルレスキュリア城の記憶など無く、何もかもが初めて見るものだったはずだ。
入城する際に案内役と称してピッタリと付いて来た兵士の監視は適当に振り切った。その後はキョロキョロと城内を見回しながら適当に長い長い回廊を彷徨い歩く。城の敷地内のうち自由に歩き回れる範囲を見て周り、その都度出会った人々にレトロ・シルヴァのことについて尋ね聞いた。
レトロ・シルヴァは天才だ。城内で会話した誰もが、彼の名前を出された後にそのような称賛の言葉を口にした。その心の内にある感情には良しも悪いもあったのだろうが、天才であることだけは誰一人として否定しようとしなかったのだ。
国中に名を馳せる偉大な機織り職人。けれどそれは彼の才能の一部分を評価しただけにすぎず、彼の本領は天才と称することすらおこがましいほどの「万能性」にあったという。どれだけ不可能なことであっても、レトロ・シルヴァが可能と言えば可能になる。想像を絶する偉業の数々を目にした民衆は皆一様に「まるで願いを叶える魔法のようだ」と表現した。あるいは「奇跡」と。
そんな彼は当然のように隠れるのも上手い。高慢な性格のために敵が多い彼は、普段から滅多に人前には現れないというのだ。だから皆して「探すのは諦めた方がいい」「あちらが現れてくれるのを待つべきだ」と頼りない意見を述べる。けれども俺の方もそんなことで諦めていられる立場ではないので、何の宛が無くともレトロ・シルヴァを見つけなければならないことは変わらなかった。
城内の行ける場所をあらかた見て回った俺は、やがて何かに誘われるかのように真昼の陽気あたたかい中庭の奥へ足を踏み入れていった。国を象徴する青い花の低木が数と贅を惜しまずいたるところに植え込まれた緑豊かな光景は、春の午後の白い陽射しを浴びて色彩豊かに輝いているように見えた。
自分が知るものとはほとんど別物になってしまっているが、それでも石畳が敷かれた通路やアーチのある場所は変わっていない。城にいた時の俺は暇があればこの中庭に来て時間を潰していたから、細部の装飾から植木の配置までよくよく覚えている。頻繁に足を運んだ理由は、単純に人気が無いからという理由だったかもしれないが、何故かここにいると落ち着いた気持ちになれたからというのもあったかもしれない。
アーチに絡みついた蔦植物の花弁を見上げながら、ふらりふらりと庭の中を歩き進む。そうしていると、ふと、見覚えのある白い石造りのベンチが低木の間に設置されていることに気付いた。新品同様に磨きあげられているが、あの日、検査に同行することを決めたあの時に、中庭にいたエッジが座っていたベンチと恐らく同じものだと気付いた。
自然に頭の中に、あの時のエッジの姿がありありと浮かび上がってくる。外した仮面を手の平に乗せ、何をするわけでもなくじっとしていた。
思えばあの城で過ごすエッジには娯楽と呼べるものが何も無かった。俺を見つける度に嬉しそうに微笑んだエッジの心の中を、その本音を、俺はきちんと把握してあげられていなかったのだ。身の安全については細心の注意を払っていたつもりだったが、それだけではダメだった。たとえば、そう……俺との会話なんかよりも心が明るくなるようなことを用意してやるべきであったと……後悔している。だから、次にあった時は……
「きゃっ!」
思考の途中で、突然俺の背中に誰かがぶつかってきた。甲高い声も同じタイミングで一つあがり、振り返ってみると、豪勢な白色のドレスに身を包んだ一人のうら若き少女が、柔らかな芝の上にしりもちをついていた。
「怪我はないか?」
そう言って手を差し伸べると、少女は驚いた様子でゆっくりと顔を上げた。
夕暮れ前の柔らかな日差しの下、泉の底のように瑞々しい青色の瞳が二つ、宝石よりも眩しく輝いていた。どうしようもないほど人の心を惹きつけけてやまない美貌の双眸、その一点を除いて少女は……エッジと同じ顔をしていた。
「あの、ごめんなさい。殿方の体には触れるなとお父様から言いつけられておりますの」
俺は首を傾げ、これなら良いのかと手の平の上に脱いだ外套の布を乗せる。それを見た少女はパッと表情を変えて喜んだ。
「ありがとうございます。素肌にさえ触れなければ、きっとお許しになってくださるでしょう。貴方はとても聡明で優しいお方なのですね」
無邪気で子供らしくはあるが、上品さも感じる魅力的な笑顔だった。花が舞うような、という形容が似合うその笑い方は、エッジとは少し違っていて、それで別人なのだと安心できた。だとしたらこの人は誰なのだろう? いや、もしかしたらこの笑顔は別の誰かと似ていたかもしれない。
「ステラ?」
思考とは別に、過去の記憶の中で動く自分の口からは別の知人の名前がこぼれ落ちた。そうだ、当時の俺はエッジを知らない。今目の前にいる彼女は、あの茶色の髪に青い目をしたステラ・シルヴァという少女とも似た顔立ちをしていた。
知らない女性の名前をあげられた少女はコテンと首を傾げ、それでもその笑顔を一片も崩すことなくさらりと言葉を返す。
「ご存知ないようですから、お教えしますね。私の名前はエルベラーゼ・アルレスキュリアですのよ」
心臓が跳ねた。そうか、レトロ・シルヴァが生きている時代ならば、伴侶であるエルベラーゼも生きている。当たり前のことだし、それならば少女がエッジに似ていることにも納得ができる。
しかし、こんなにも似ているなんて思いもしなかった。エルベラーゼの顔は安静室に置いてあった写真立ての中で見たことはあったが、比べてみると随分受ける印象が違う。実際に今目の前に存在するエルベラーゼは年相応の、そう、『お姫様』という言葉が似合う可憐な少女だった。『王女』ではなく。
「あら、そういえば名前も言ってはいけなかったかしら。まぁいいわね。貴方、見かけない出で立ちをしていますし、城に遊びにきたお客人様なのでしょう? でもどうしてこの中庭にいらっしゃるのかしら? ここは庭師の方を除いては決められた者しか立ち入ってはならない特別な場所なのよ?」
「そうだったのか。いや、美しい場所だと思い、つい踏み込んでしまった。出ていけというのならば今すぐにでも……」
「あら、気に入ってもらえたのならば構わないわ! だって、とても素敵だもの。私もこの中庭を愛している。ふふふ。確かに立ち入ってはならないと言われているけれど、良いものを分かち合うのはさらに良いことよ。このエルベラーゼが特別に許してさしあげますので、存分にこの庭を楽しんでくださいまし」
「気遣い感謝する」
「宜しくてよ。私も今ちょうど人を待っていたところで……まだいらっしゃらないようだし、お話し相手になってくださると嬉しいわ」
「待ち人? それはもしかして……恋人か?」
「えっ!」
エルベラーゼの顔がパッと朱に染まる。
「あの……あの方は、確かに私、大好きなのだけれど……私には…………」
薄紅色の頬に両手を添え、キュッと目をつぶる。ただ単にレトロの所在が知りたかっただけの俺は予想外の反応に首を傾げ、さらにあたふたと困り果てている様子のエルベラーゼの顔を無言で見つめていた。
「恋など……」
「そこを退けデカブツ」
突然割り込んできた声と共に、今度は背中を土足で蹴りつけられた。苛立ちがたっぷりと込められた一撃に不意をつかれた体がぐらりと揺れ、エルベラーゼが驚いて数歩後ろに身を引かせる。崩れた体勢を元に戻して立ち直すと、いつの間にかエルベラーゼの隣に誰かが寄り添い、彼女の細い肩をそっと抱き寄せて。
「俺のお姫様をナンパするなんていい度胸だな色男」
知っている声が、けれどこの時の自分にとっては紛れもなく初めて耳にする声が聞こえてきた。
声を発した人物の……少年の顔を見る。忘れもしない、ギラリと閃く人外の瞳。高慢知己でキザったらしく喧しい話し声。今しがた現れた彼は間違いなくレトロ・シルヴァその人であった。
まだ成人を迎えていないためか、記憶の中の見知った彼の姿よりは若く、背も少し低い。レトロの周囲にいつも漂っていたような気がしていた剣呑な気配も今はなりを潜めていて、この時の彼の雰囲気を喩えるならば、『邪神』というより『悪童』の方がよほど相応しく感じられた。
うら若き少年のレトロは俺の顔を不機嫌そうな目付きで睨みつけ、やがて「俺の方が格上だ」と調子に乗った独り言を漏らす。言葉の真意なんて知りもしない。それを聞いたエルベラーゼも意味がわかっていないのかニコニコ笑うだけだった。彼女はレトロと一緒にいられるだけで楽しいように見えた。
「オマエはもしや、レトロ・シルヴァか?」
「だったら何?」
態度が悪い。初対面にも関わらず、すでに随分と嫌われてしまったようだ。警戒されていると言った方が正しいだろうか。
「ステラという少女を知っているか?」
「……ステラ?」
虚をつかれたレトロは形の良い大きな目をさらに見開き、驚いた様子を見せる。それから何か思うところがあるかのように表情を冷静に尖らせると、しばらくそのまま黙り込んだ。
「あの……レトロ様。ステラという人とはお知り合いなのですか?」
エルベラーゼが心配そうな顔で声をかけると、レトロの難しそうな表情がパッと柔らかいものに変わる。
「いや、別に。俺にはそんな名前の知り合いなんていないよ」
やっと見つけたステラの手がかりから「知らない」という言葉を突きつけられ、この時の俺はどう思ったのだろうか。失望しただろうか。それとも始めから見当違いだったのだとかえって安心しただろうか。だとすれば彼女はまた別のどこかにいるのだろうと……
だが、次にレトロの口から出た言葉はこうだった。
「なぁデカブツ。お前がどこでその名前を見つけて来たかは知らないが、ここにいたって得られるものは何も無いぜ。俺もお前なんかには何の用も無い。さっさと元いた田舎に帰ったらどうだ?」
「それは出来ない」
「……あぁ、そうみたいだな。なら、いいさ。嗅ぎ回るなり何なり勝手にするといい。お前の気が済むまで。あるいは、お前が死ぬまでだ」
「それはどういう……」
「おっと、話はここまで」
唐突に話を切り上げられ、一体なんだと心の中で文句をこぼす。レトロは「あれを見ろ」と庭の入り口の方を指で示す。そこには、レトロと同じくらいか少し年上かと思われる容姿をした若者が立っていた。
「アレにはあまり関わりたくないんだ。なぁエルゼ、今日はこっそり城の外に遊びに行こうか」
「まぁ、宜しいのかしら!」
「もちろん! エルゼに見せたいものはまだまだたくさんあるからね…………それじゃ、達者でな」
レトロはエルベラーゼの手をとり、優しく握りしめる。それから二人揃って庭の奥へと立ち去ってしまった。
その場に一人残された俺はというと、レトロ・シルヴァに会うという当初の目的を果たしたにも関わらず、何も得られるもの無く途方に暮れるばかりであった。いや、そもそも自分が欲しかったものとは、彼から聞きたかった言葉とは何だったのか。それすら決めていなかったことに今さら気付いている。俺はなぜ、こんなところまでステラを探しに来たのだろう。
どうしたものかと宛もなく周囲を見回していると、先程レトロが指し示していた若者の姿が再び目に入ってきた。彼もまた、庭の向こう側へ駆け去っていった二人の姿を見送ったまま少しも姿勢を変えずに同じ場所で立っているままだった。
そっと近付いてみると、何やら物思いに耽っているように見える。
「オマエは……」
側に寄り、声をかけると、若者はピクリと肩を震わせてから、こちらへ顔を向けた。
明るめな灰色の長髪に、少しくすんだ淡い青の瞳。アルレスキュリア王家の血統を持つ者と近い特徴だ。着ている服も厳かで、濃紺色を基調とした高級そうなデザインはどこかで見たことがあるような気がした。
「探し人とは会えたようだな」
その声を聞いて、やっと彼が城門前で会った騎馬の貴人本人であることに気付いた。
「あの時の……おかげで城の中に入ることができた。感謝する」
「何かことが済んだようで何よりだ。しかし、あまり冴えた様子には見えないな。ここからでは会話までは聞き取れなかったが、あの者に何か悪い言葉でも吹き込まれていたのか?」
「そういうオマエの方こそ浮かない表情をしている」
「私は……あぁ、すまない。客人に気を遣われるなんてふがいない姿を見せてしまった。こんなことで気をやっているようでは駄目だな。本当に、そう思う……」
彼は先程までレトロやエルベラーゼがいた庭園の一角を見つめたまま、目を細める。
「あの者はいつもエルベラーゼの前にだけ現れる。エルベラーゼにだけ愛を捧げ、エルベラーゼの愛だけを受け止める。まるで彼女を愛するためだけに生まれて来たような、途方もないお方だ」
あぁ、もしかして。
俺がそう思ったところで彼はこちらに視線を向け、ふふっと自嘲気味に笑う。
「気が滅入ってつまらない話をしてしまったな。そういえば名乗るのを忘れていたが、私の名はイデアール・アーニマライト。王弟ユグウィ・アーニマライトの第一子であり、かの正統王位継承者エルベラーゼ・アルレスキュリアの婚約者だ」