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それでも神話は生誕するのか  作者: 鵺獅子
記述3 夢見る書斎
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記述3 夢見る書斎 第1節

「いまどき紙の本を読むヤツなんていないだろ」

 

 崩れたコンクリートビルの麓にあった、ネズミの巣穴みたいなアーケード街。そのさらに隅の方に看板を出していた小さな電機部品専門店。その店内で中身が剥き出しのまま陳列された磁気ディスクのジャンク品を物色していると、すぐ近くから男女の二人組がケラケラと笑い合う声が聞こえてきた。

 何の話かな、と気になってそちらの方をチラリと見てみると、彼らはデモとして設置されていたモバイル通信端末の画面を人差し指の先でちまちまと触りながら談笑しているようだった。

 

「でもさぁ、貴族の連中は本を読むのが好きだって聞いたことあるよ」

「貴族っていうか金持ちな。たしかにオレも聞いたことあるけどさぁ、最近だと王立図書館ですら閑古鳥が鳴いてるって話だぜ?」

「へぇー。ていうかナニその王立なんとかって」

「ほら、闘技場の横に昔っから建ってただろ」

「城下なんて行ったことないし」

「そりゃ悪かった」

 

 ……王立図書館。会話の途中にチラリと出てきた耳慣れない言葉に興味を引かれた。図書というと、何年か前に訪れた研究所に紙の書籍がたくさん保管された部屋があったことを思い出すな。物好きな研究員にどうしてあえて物質化なんてするのか尋ねてみたら「こちらの方が管理が楽だから」と単純な回答を返されたのを覚えている。

 そう、紙の本にはアクセス権限も多重ロックもダミーファイルもウイルスも存在しない。手に入れさえしてしまえば、一定量の情報が確実に自分の物になる、という電子には代えがたい特徴がある。なるほど、今の俺にとってはちょうどいい情報収集手段じゃないか。

 故郷を出たばかりの世間知らずな俺には、とにかく情報が必要だ。例えばこの国の風土とか特色とか、やってはいけないタブーとか法律の話とか、そういう情報を知識として身につけることができれば無用な争いや事件を避けられる。アデルファさんが言っていた「龍」とかいう不思議な生き物のことも調べておきたい。

 しかし俺にはこの国の情報共有システムにアクセスするための権限が無かった。

 剣呑な空気が漂う軍事施設内での出来事から早一週間。色々とこの国の中を見て回ったところ、古風な佇まいのわりに情報の電子化だけは妙に進んでいることがわかってきていた。

 例えば目の前でしゃべくっている男女がその手の中に持っている、弁当箱みたいなサイズのモバイル通信端末なんていったら、購入して使用するためにはこの国の正式な国民であるための証が必要なのだそうだ。そう、身分証明書。ザッと調べただけでも、身分証明書を作るためには信用に足るだけの「国籍」「収入」「土地」「忠誠」「保証人」が必要とのことで、ふらっとこの国に遊びに来ただけの風来人などにはあまりにもハードルが高すぎる。

 それに比べて紙の本にはアクセス権なんて無いはずだし、本当に都合が良い。図書館に入ることさえできれば後はやりたい放題、調べ放題。うん。是非行こう。

 城下って言っていたけど、それって多分場所のことだよな。どこにあるんだろう。 

 次の目的地のことを頭の中で考えながら、陳列カゴの中から磁気ディスクを三枚ほど選んでレジに向かった。

 

「パーツが欲しいなら単品売りできるけど?」

 カウンターの向こう側に座った大きな体をした女主人が声をかけてきた。

「こっちで適当にいじくるから大丈夫」

「アンタは学者さんか何かなのかい?」

 女主人はやや不満げな表情で俺の顔を見る。

「好奇心いっぱいなのは可愛くていいけどもさ、治安屋さんには気を付けなさいね。この辺りは駐在も巡回も少ないからまだマシだけど、別の区画に行ったらすぐしょっぴかれちまうよ」

「だったら中古品の初期化くらいしておいてくださいよ」

「ディアちゃんみたいな客は珍しいのよ」

 実のところ、この店に来るのは今日で二回目だ。この女主人とは初めて会った時にすでに打ち解けていて、色々な世間話をしてもらっている。おしゃべりでちょっとお節介な奥さんだけど悪い人ではない。どうやら俺のことを気に入ってくれているみたいで、今も購入した磁気ディスクと一緒にちょっとしたオマケの品を買い物袋の中に入れてくれている。

 すでにしょっぴかれた後ですよ、なんて伝えたら説教を始めさせてしまうかもしれない。黙っておこう。

「ねぇ奥さん、王立図書館ってどこにあるの?」

「それなら城下街だよ」

「この国のお城があるところ?」

「そうそう。この辺りからでも霧が少ない日には見えるでしょ。尖った屋根の先っちょに真っ青な旗を掲げた背のたかーい建物。あれがアルレスキュリア城。「名前を知らない」なんて言っただけで首が飛ぶかもしれない恐ろしい連中がたくさん住んでいるおうちだよ」

 アルレスキュリア城。フライギアで空を飛んでいる時にそれらしい物を見かけたっけ。

「で、そのお城の周りをぐるっと囲むようにある街を、城下とか、城下街とか呼んでるんだ」

「そこに王立図書館があるんだね」

「古くさい外観の建物だから行ってみればすぐにわかるはずさ。それにしたって、どうしてあんな所に用があるんだい?」

「面白そうだと思って!」

「困った子だねぇ、アンタ」

「奥さんは行ったことがあるの?」

「若い頃に少しだけね。三十年くらい前まではあそこにもディアちゃんみたいな物好きがたくさん集まっていたもんだけどねぇ。今じゃあてんで人気が無いみたいでさ。この間ちょいと調べ物で覗いてみた時なんて、人がいなさすぎて入り口のカウンターが無人だったのよ。あれには笑っちまったねぇ」

「三十年前に何かあったんですか?」

「あー、どうだろ。適当に言っただけで、実際に何かがあったのはもっと前のはずだよ。図書館を管理している貴族様の世継ぎがちょっとした問題を起こしちまったらしくて。評判が落ちたのか、それ以来立ち寄る人が減っていったのさ。もともと紙の本なんて裕福で文字が読める連中だけの娯楽だから、寂れるのはあっという間だったよ。厄介ごとばかり押しつけられたクルト家のみなさんはさぞ大変だったでしょうねぇ」

「ん? クルト家?」

 女主人の口から思いがけない単語が出てきて、体がピクリと反応した。

「おんや? クルト家がどうかしたのかい?」

「クルトって、あのクルトですか? あの……青っぽい色の目をした」

「そうそう、そのクルト家だよ。瞳の色だけは一丁前に貴族っぽいのさ。知り合いだったのかい?」

 あの、フロムテラスで出会った不思議な雰囲気を持った老人。アデルファ・クルトと同じ名前だ。もしかしたら血縁者に会えるかもしれない。

「この間偶然道ばたで会って、少しだけ会話をしたんだ。そっか……名前が同じなだけかもしれないけれど、あの人は貴族さんだったんだ。なんだか納得したよ」

「へえー、そりゃまた珍しいもんだ。でもねぇ、あの家は昔っから良い噂を聞かないから、あんまり信用しちゃだめよ」

「うん。気を付けるよ」

 親切に教えてくれてありがとうと感謝の気持ちを伝えて笑うと、女主人はニコニコと頬を綻ばせながら笑い返してくれた。

「あー、アンタほんとに可愛い顔してるねぇ! 眼福眼福! ほら、ロックを外したから持って行きな」

 会計の済んだ磁気ディスクが入った合成布のバッグをカウンターの上に差し出され、俺はそれを受け取った。

「またいつでも顔を出しな。ディアちゃんなら大歓迎で特別セールでもしてやるよ」

「今日はしてくれなかったのに?」

「今日は今日、明日は明日」

「ハハッ、それじゃあまた来ることにするよ。今日もありがとうございました!」

 そう言って女主人に向けて手を振りながら店を出た。


 ほの暗いアーケード街の外に出ると、遠くの空に赤い夕焼けの切れ端が見えた。もうそんな時間になっていたのか、と思いながら足早に帰路を急ぐことにした。この国で夜道を歩くのは危険だ。夜が来る前に郊外に停めたフライギアまで戻らないといけない。

 顔には例の如くガスマスクとゴーグルを付けて、腕には買ったばかりの電機部品が入ったバッグと、その前の店で買った衣類が入った紙袋をぶらさげる。そんな格好で石畳が剥がれた車道の上を歩いて帰る。

 歩きながら、周囲の街並みをふわりと眺めた。

 真っ先に目に入ったのは半壊した家屋の山。それと、廃材。ゴミと、ゴミと、粗大ゴミ。家主がいなくなったまま取り壊されずに残った廃墟と、それと同じような建物の中で暮らしている人の気配。道ばたに転がる人と目を合わせてはいけない。その人が生きているかもわからない。人間以外の生物は虫くらいしか見かけなかった。道なき道の隅に立つ折れた街灯。くるくると飛び回る羽根虫の群れ。

 駐在も巡回も少ないとはよく言ったものだ。見捨てられたのか食い潰されたのか知らないが、俺が偶然立ち寄ったこの区画には、お城の政治家たちがほしがるようなものは残っていないのだろう。あるとしても、ほんの一握り。その一握りこそ見捨てられていく。

 スラムといえるような場所ならばフロムテラスにもあったけれど、あまり似ているとは思えない。あの都市では不要なものは見つかるや否や処分されていたものだから、こんな風に地面が見えないくらいたくさんのゴミが散らばっている様をみることは無かった。

 過酷だ。

 ガスマスク越しに吸い込む空気の中には得体の知れない不安が混ざっていた。

 あの瓦礫の山の向こうから、予想もできない困難が姿を見せて、俺を巻き込みながらどこかへ流れ去ってしまうんじゃないかとか。そういう杞憂を頭の中に浮かべてしまうような。碌でもない妄想めいた不安がたくさん、灰色の空気の中に浮かんでいる。

 こんな場所でさっきの店の女主人みたいな人に出会えたことは幸運だったと思う。そしてそれは、全くの偶然だとも思う。

 俺はほら、この通りあまり強くはないし、むしろ弱いし、自分一人では身を守れないし。それでも旅がしたいなんて思うのならば、出会い、幸運、奇跡といった類いのものを大切にしなければいけない。

 そこまで考えたところで、ふと、一週間前に出会った黒い髪の暗殺者のことを思い出した。彼女にもう一度会ったら、最初になんて言葉をかけようか。少し目をとじて、考えて、でも思ったよりたくさんの言葉が浮かんできてしまったから目を開けた。

 とりあえず「ありがとう」と伝えなきゃいけないことは覚えておこう。


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