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月曜日の朝。俺はいつもよりも早い時間に家を出ていた。というのも、転校手続きの関係で里奈を高校まで連れて行く必要があったからだ。ちなみに彼女が通うのは俺と同じ都立高校である。
「薫人くん、おはよう。今日は早いのね」
二件隣の家の前を通ると、庭で花の手入れをしている女性に声をかけられる。その女性は千原路花という。年齢は二〇代中頃で専業主婦をしている。そのお腹が少し膨れているのは妊娠をしているからだ。
「路花さんも早いじゃないですか」
「今日は夫が早出なのよ」
路花さんは少し眠そうな表情で微笑む。何というか本当に綺麗な女性だと思う。
「大変ですね」
「頑張ってるんだから応援はしないとね。それより隣の娘はどなた?」
隣の娘とは里奈のことだろう。というか、一緒にいるのは彼女しかいない。間違えようがなかった。
「昨日からウチに住むことになった片岡里奈です」
パッと見は俺より年下に見えただろうが、里奈の着ている制服は高校のものであったし、タイの色が三年生を表す緑色だった。それは路花さんが俺の通っている高校の卒業生ということもあって、すぐに察した様子である。
「三年生で転校なんて大変ね」
「もともと進学は東京と決めておった。それが早まっただけじゃ」
里奈は相も変わらず、尊大な態度である。きっと彼女は誰に対してもこうなんだろう。いまさらながらに思い知らされる。
「あの、気を悪くしないでください。こいつ、誰に対してもこんな感じなので」
俺が申し訳なさそうに謝罪すると、路花さんはクスリと笑う。
「薫人くんこそ、年上の里奈ちゃんを“こいつ”呼ばわりしてるわよ」
「え、あははは……」
そういえば、そうだ。里奈は年上で、学校では先輩である。
「薫人くんもそんなんじゃ女の子にモテないわよ」
つい最近にも聞いた話だな。俺は苦笑いをして頬をかいた。
「心配せんでもよい。わらわがこの男に惚れるようなことはないであろうし、このパッとしない男がモテるようなこともあるまい」
おい。どういう意味の心配しなくていいだよ。可愛い顔で言うから尚更傷つく。
「路花、そろそろ行ってくるよ」
ドアを開けてスーツ姿の男性が出てくる。年齢で言えば、路花さんと変わらないくらいか。察しの通り、この人が路花さんの夫である。
「おはようございます、進さん」
「よう。インドア少年。朝練もないのに早いじゃないか」
進さんの言葉に嫌みは一切ない。彼はこういう人なのだ。
「今日は里奈ちゃんを連れて、早めに登校しないといけないんだって」
「りなちゃん?」
進さんは俺の隣にいる少女に視線を移す。
「昨日から、薫人くんの家に住むことになったんだって」
「可愛い娘じゃないか。羨ましいねぇ」
進さんはにやにやといやらしい笑みを浮かべる。
「進くん、そろそろ行ったほうがいいんじゃないかな?」
路花さんが表情に凄みを持たせながら、言葉を一言一句ゆっくりと読みあげる。
「そ、それじゃあ俺たちも学校に行かないと行けないので!」
路花さんの恐ろしい気配から逃げだすように、俺は里奈の手をとって走りだす。
「気をつけてねー」
後ろを振り返ると路花さんが手を振って見送ってくれる。その横で進さんも震えていた。完全に尻に敷かれてるな……。
「里奈、今日は一緒に帰ろうか」
「なぜじゃ?」
「まだ、周辺の地理には疎いだろ。慣れるまでは一緒に帰ったほうがよくないか?」
「馬鹿にするでない。ぬしの助力なんぞ、誰が頼まれてやるものか」
里奈は俺を小馬鹿にした様子で鼻をフンと鳴らす。可愛くないなぁ。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫に決まっておる」
昨日、服を脱ぐのに俺を手伝わせた奴が何を言っているんだろうか。
「……わかったよ。とりあえず、困ったら何でもいいから連絡しろよ。そのために俺の携帯番号を教えたんだからな」
「気が向いたらの」
相変わらずも傲慢な態度で彼女はそう言った。一方の俺は、彼女の根拠のない自信に不安だけを募らせるのである。