その2-県立宮野原農業高校の熱い夏-
白球が青空に大きなアーチを描いて外野スタンドに飛び込んだ時、球場は刹那の沈黙に包まれた。
だがその直後、沸き起こった歓声と拍手に場内は溢れ返る。選手達もベンチから飛び出し、逆転サヨナラを放った四番打者を迎えた。
高校野球県大会決勝、県立宮野原農業高校が初の甲子園出場を決した瞬間であった。
翌日、宮農の校長室には校長を始め数人の学校関係者が集っていた。
「さて、この度はハァ目出度えこって。まずは顧問の栄先生にお礼を述べさせてもらうべな。栄先生、お疲れ様でしたぁ」
校長が、野球部顧問の栄正宗国語教師に頭を下げる。
「いやあ私はなんも。選手達が頑張ってくれたおかげですけ」
「んだなぁ、みんな気張ってくれた。
選手の皆にはこの後も大舞台で頑張って貰わねばなんねども、こっからは我々大人も踏ん張らねばなんね。おめら、わがってんべな」
校長が居並ぶお偉方をぐるりと見回す。その真剣な眼差しに、PTA会長が頷く。
「とにかく、何を置いても金だべな」
「ああ、私立の金持ち校と違って、オラとこみてえな田舎の公立校には甲子園は遠すぎる。選手はともかく、応援団まで送り込むなんていくら掛かっか見当もつかね」
「だどもよう、そこをケチるわけにはいかねえど」
「あったり前だぁ、ちっけえ応援で選手に恥かかせるなんて出来っか」
「けんどもなあ」
そこに手を上げたのは、野球部OBでもある同窓会会長だ。
「金のことは心配すんな。ここらの百姓は皆うちの卒業生だ。皆に声かけりゃ、それっくれえ何とかなんべよ」
「そっかい。んじゃあそっちは任せるだ」
「おう、どんとこい。なあに、いざとなりゃ農協が融通してくれんべよ、なあ」
そう言って、同じく野球部OBである農協組合長の肩をたたく。
組合長は苦笑しながら答えた。
「先輩には敵わねえだな。ええだよ、可愛い後輩のためならいくらでもハンコ押してやるだよ。それから、宿とバスの手配も俺に任せとこれ」
「そりゃ助かる」
「なあに、これでも若い頃は農協ツアーで世界中を飛び回ったもんよ。
ハワイでもロンドンでも。ああ、爺さま婆さま引き連れて、旗振ってルイビトンの本店に突撃したのを思い出すだなあ」
「んだば、わだすは役場とケーブルテレビに挨拶行っときます」
と、教頭。
「頼んます。んじゃあ、応援の方を具体的にどうすっかだが」
「まあ、吹奏楽部6人つうのは少なすぎんべな。昨日の決勝でも、相手の野次の方が大きかったくれえだ」
「バンドやってる生徒がいんべ、そいつら引っ張ってこい」
「楽器も足んねえな。族の連中にバイクのホーン持って来させっか」
「あとは歌と踊りだな」
「派手にいきてえな、なんかこう、宮農らしさをアペールできるような」
「野菜持たせたらどうだべ」
「農大の大根踊りだな」
「大根は冬だべ、今ならカボチャか?」
「あれは持ち辛え、踊るならトウキビだべよ」
「かんぴょう束ねてボンボン作んべ」
「ワハハ、そりゃあいい」
「トマトは?」
「あんなの振り回したら……。待てよ、水分補給にゃ良いかぁ。したっけ、スイカも持ってくべえ」
「食い物なんか持ち込めんだべか。栄先生、ちっとインターネッツで調べてくれっけ」
「あ、はい。えーと大丈夫みてえです」
「ベンチにも差入れすんべ」
「いいんけ?」
「オリンピックだってモグモグやってたべよ」
という訳で、学校幹部の大号令により街を挙げての大応援団が結成された。
なにしろ全校生徒300人という小規模校だ。生徒はもとより父兄やOBも参加して、応援の準備や練習に勤しんだ。
二週間後。
「おめら、いぐぞー!」
「「おおーっ!」」
夏の全国高校野球選手権一回戦、第一試合。一塁側応援席は、さながら野菜直売所の様相を呈していた。
スタンドには段ボールが山積みされ、「キュウリ」「トウモロコシ」などののぼりが立ち並ぶ。
自ら応援団長を買って出た校長の掛け声で始まった応援歌も、野菜にちなんだ曲ばかりだ。
全校あげての特訓の成果も披露される。曲に合わせてキュウリやトマト、パプリカなどカラフルな野菜を次々とかかげ絵文字を描き出すパフォーマンスには、放送席からも感嘆の声が上がった。
選手達も奮闘する。
試合中何度もピンチに陥ったが、円陣を組みトマトを齧って気合を入れた。溢れた汁がユニフォームを赤く染めるその姿に、全国のお茶の間からゴクリと唾を飲む音が響いた。
試合結果は、激戦の末の勝利。校長は教頭と肩を抱き合い、感涙に咽んだ。
続く二回戦、三回戦も僅差ながら勝利を重ね、宮農の進撃は次第に注目の的となる。
連戦が続けば、遠征の費用もかさんでいく。これに対応するため、宮農応援団はクラウドファンディングを開始した。
すでに人気者となっていた彼らのため、有り余るほどの資金が集まる。支援者には宮野原産の新鮮野菜と「この野菜をかじりながら、一緒に宮農を応援しましょう」と記された礼状が送られた。
そして、ついに迎えた決勝戦。
敵側応援席を見た宮農応援団は、息を飲んだ。
そこには、内野席を埋め尽くす無数の大漁旗。本日の対戦相手、土佐一本岬漁業高の応援団だった。
鳴り響く鐘や太鼓、集魚灯による光のパフォーマンス、一糸乱れぬよさこいの演舞。
これまで一度も姿を見せなかった大応援団。その正体は、宮農に負けじと急遽送り込まれてきた地元お祭会の精鋭部隊なのだった。
「いいかおめえら、あんな連中に負けんじゃねえぞ! 百姓のど根性見せてやれ!」
「おおーっ!」
試合は一進一退の激戦となったが、応援合戦はそれ以上に熾烈を極めた。
両団共に、喉も枯れよと大声援。歌に踊りに気力体力を振り絞り、持ち込んだ夏野菜も消費し尽くす。
敵も土佐名物、鰹のタタキと文旦で補給は充分、両者一歩も引かぬまま九回裏を迎えた。
0対0、一本岬の攻撃。ツーアウトランナー2塁の場面で放たれた痛烈なライナーは二遊間を抜け、センター前に届く。
二塁ランナーは三塁を回り、渾身の返球と競うように、ホームを目指す。
タッチとホームインは同時に見えた。
日本中が固唾を飲む中、主審が大きく手を広げる。
三塁側から沸き起こる大歓声と、一塁側を満たす深い溜息。
だが続く静かな拍手と声援に、宮農ナインはグランドに並び、礼を返した。
「よくやったー」
「来年もあるぞー」
「あーあ、オラ達の夏もこれで終わりかぁ」
「何言ってんだ校長、おめんちも百姓だべ。夏野菜の収穫はこれからが本番だべよ」
「んだな、まだまだ夏は終わんねか」
「終わんねなあ」