戦争開始
ブルー王国の玉座の間は重い空気で満ちていた。
その重さにつぶれるものはいなかったが、その重さから逃げようとするものもいなかった。
空気が重い理由も、全員わかっていたが、空気よりも重い口を開こうとする人はなかなかいない。
だが、重い空気が出来上がって5時間経ったところで重い口を開き、体が椅子に鉄の糸で縫い付けられているんじゃないのかと思うほどに重い腰を上げる。
「みんな、正直に答えてほしい」
フライメントが重々しい口調で言う。
「僕は、人選を間違えただろうか」
その質問に、間違えたと思いますと思っていても、言える人物はいない。
何せ、フライメントの意見を支持したものしかこの場にいなかったのだから。
全員、まさか世界最強があんな人物であるとは思わなかったのだ。
想像では、体が大きくどっしりと構え、語る言葉全てに重みがあり、どれだけ嘘のような話でも信じさせてしまうだけの説得力を持った人物だと思っていたのだ。
過大評価にも程があった。
その場にいなかったものたちも、人伝に聞いただけで、世界最強がどれだけ本当のことを言おうが嘘っぽく、さらに言えば、世界最強、と言うところから嘘なんじゃないかと疑わずにはいられない人物だったのだ。
自分の臣下たちのその思いを感じ取って、「質問を変える」とフライメントが言う。
「あの男は僕が頼んだことを成し遂げられるだろうか」
「流石に、話を聞くだけならば、できないこともないのではないのでしょうか」
ようやく、フライメント以外の人物が口を開いた。
開きはしたが、明らかにリオルの実力に懐疑的な物言いだった。
「だが、話を聞き出すのに一年単位で時間をかけられても困り物だが」
フライメントの言い方は、リオルが話を聞くのに一年は最低でもかかると思っている言い方だった。
他の人もそのくらいはかかるのではないのかと思っていたので何も言えなくなる。
「今からでも、別のものを雇った方がいいのではないのでしょうか」
「そうですよ、まだ遅くはありません、成り行きで頼んでしまいましたが、あのようなものを使者として送ってしまったら、それこそ戦争開始の合図になってしまうのでは?」
「なら今からでも、私たちの誰かが駿馬で駆けてトゥエル王国に行くというのが一番いいのでは?」
「ならばなぜ、それを最初からやらなかったのかということになるのでは?」
「それはなんとか誤魔化せば、もし本当に戦争を仕掛けてきた時の準備をしていたなど、言えるわけがない」
「くそっ、やっぱり僕の判断が間違っていた!」
自分を責めるようなことを言って、椅子に座り直し、肘掛けを思い切り殴りつける。
それを見て臣下たちは顔を下に向ける。
それもすぐにやめて現状の改善策を考えようと頭を上げたものと、現状の改善策を考えるよう助言をしようとした者は、それをみた。
重々しい空気の中、床にうつ伏せに寝転んで、見たこともないものを開いてふふっと笑って、ガラスのグラスになみなみ注がれた飲み物を飲み、チョコ菓子を食べている、玉座の間をこんなに重い空気にした張本人がいることを。
それぞれ、三者三様、十人十色、の反応を見せ、それに釣られるようにフライメントを含めた顔を下げていたものたちも顔を上げて、玉座の間をまるでただの部屋と思っているような振る舞いをしている男を見つける。
「き、貴様!何をしている!」
フライメントが勢いよく立ち上がり、叫ぶ。
「うん?何って、休憩だよ?」
僕何かおかしなことしてる?とでも言いたげな言い方で、細い棒のようなチョコ菓子を咥えながらリオルは言った。
「僕何かおかしなことしてる?」
実際に言いやがった。
「えーだってそうじゃん、僕仕事は終わらせてきたんだから、ちょっとくらい休ませてよー」
地の文と会話しないでもらえませんか?
何も知らない人たち全員ポカーンとしてますよ。
( ゜д゜)って顔ですよ。
「あはは、いいじゃんいいじゃん、ま、ここでこれ以上話すのもあれだね、じゃあこれで話は終わり」
リオルはパンと、それが終わりの合図だというように手を叩く。
その破裂音のような音を聞いて、姿の見えない存在と急に話し出した人がいるという異常事態から意識を戻して、現実に目を向けて、
「仕事を終えたってどういうことですか‼︎」
身を乗り出して聞いてきたのはフライメントだけだったが、全員がリオルの発言に驚いている。
「文字通りにして言葉通り。理由は聞いてきたよ」
「そんな、我が国1番の駿馬でも片道3日はかかるのに、それを往復で5時間で」
「えー違うよー」
と、リオルは言いながら、何処かから出したのかわからない大きなプリンを頬張る。
「んーおいヒィ。ごくっんと、あのねぇ、僕が5時間で往復したってんなら話し聞けてないじゃん。だから往復は2秒だよ、能力が有ればこのくらい当然さ」
ポカーンと、先ほどとは別の意味で、全員がリオルを凝視する。
能力を使ったとしてもたった5時間で女王と話ができているという事実に、この場にいる全員がリオルのことを規格外と判断した。
規格外の化け物だと。
「さて、報告だ。あの国は君が物資をいつもよりも送り続けすぎたから、いつか物資の中に兵士を入れて襲ってくるんじゃないかって言ってたよ」
「なっ、そんなことはしない!僕はただ、あの国ともっと友好な関係を築こうとしているだけだ。そんなの、ひどい被害妄想だ」
最初こそ力強かったが、最後の方は消えそうな声だった。
自分の好意をそんなふうに捉えられていたのかと思い、悲しくなったから。
「うん、ところで僕からの質問なんだけどね、答えてくれるかな?」
「今はそれどころじゃないだろう!」
何でそんなふうに被害妄想をするのか、わけがわからない。どうして、どうして。
思考は続かなかった。
重い威圧。
辛い空気。
絶望感だけが募っていく。
「僕はね答えてくれるかなって、一応質問の形を取ったけどさ、いつもは本当に質問なんだけどさ、今は答えろって命令なんだよね」
———————答えてくれるよね?———————
ゾッ。
怖い。
僕はどうしてこんな怪物を前にしてあんな態度でいられたのだろう。
今まで殺されなかったことに感謝するしかない。
さっきまでは負ける想像が出来なかったが、今は勝てる想像ができない。
「あはは、そんな怖がらなくていいよ、君と同じで、僕も勝てないから、ただし負けもしない。勝てやしないけど負けもしない。今から起こる全ての勝負は引き分けでしか決着がつかないんだよ」
それじゃ、質問です。
人差し指を立ててリオルは言う。
「一途に人を思い続けるって、いいことだと思う?それとも悪いこと?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ヘ?」
フライメントは間抜けな声を出す。
そんな質問だとは思わなかったからだし、もしかしたら質問なんてされずに殺されるかもしれないと思っていたからだ。
「一途ってのはいいと思うんだよね、素晴らしいものだと思う。素晴らしく醜悪で、くだらなく美麗なものだと思うんだ」
あっこれただの言葉遊びだから気にしないで。
そう言って、ヘラっとリオルは笑う。
「だってさ、例えば、幼い頃からの幼馴染、3歳の頃に感じたそれが恋心かどうかもわからないくらい昔から、その人のことが好きで、そしていずれ結ばれる。
これは物語としてはありふれてて、見飽きたと言ってもいいくらいだよね。でも、美しい愛は素晴らしいと思うんだ。
でも、それまでに一体何人もの人を振ってきたのか、どれだけのいい相手を視界に入れていなかったことか、それを思うと醜悪だよ。一途ってのは」
そんなことはないんじゃないのか。
フライメントはそう言えなかった。
「逆に、同じ条件で、告白して手痛く振られて、それでも愛し続けるってどうなんだろうか、それは実にくだらない。キッパリ振られた瞬間から切り替えろとは言わないけど、その失恋をズルズル引きずって、いい人を見過ごして、それは本当にくだらないよね。
でも、そこまで一人の人を愛せるのはとでも美しい」
それは、それこそ、終わったものに縋り続けて、醜いと思う。
フライメントはそう言えなかった。
「僕が知っていることは色々ある。その中でも割と最初の方に知ったことは愛というのはとても強い感情だと言うこと。愛を向けるベクトルで善にも悪にもなる。いや悪にも善にもなるって言ったらいいのかな?
まぁどっちも似たようなものか。
それにしても————」
————本当に君は可愛かった。
うっとりとした声で、リオルは言う。
「初めて会った時から僕は君に心を奪われたよ。気高く生きて、力強く人を支え、手加減をして火の粉を振り払い。ああ———」
———最優、最高、最強、最上の存在だった。
うっとりとした目で虚空を見、震えを収めるように自分の体を抱く。
「そんな子だったんだよ、彼女は。もうだいぶ昔に死んじゃってるから、だいぶ脚色とか、美化しているところはあるんだろうけど、もしかしたら僕の記憶の中の彼女は僕の想像で、現実にはいない存在なのかもしれない。でも」
たとえ。
彼女が想像の中の人だとしても。
彼女が妄想の産物なのだとしても。
「彼女の心の気高さ、高貴さ、そして弱々さ。それの少しでも持っている人を傷つける存在を僕は許せない」
リオルはうっとりとした表情を引き締めて、真剣な表情を作り、王座の間にある大きな窓のうちの一つを見ながら、
「これも一つの歪な一途の形だよ。
愛は全て。
どれだけ美麗で、醜悪だとしても愛情ってのは最高にして最悪なものなのさ」
ああ、そうだ、今のあちらのお姫様は洗脳されて、自分のお母さんを自分で殺したことを忘れてる。君のことも忘れてるし、違和感は感じないように頭をいじられている。
「だから戦争を仕掛けてくるのさ、死なないように守りを固めな、僕は」
「よお、リオル、ちょっと遊ぼうぜ?」
窓の外でずっと浮いていた魔王を見ながら、
「あいつと、僕の全身全霊を欠けて引き分けてくるよ」
ヘラっと笑いながら言ったその目は、笑っていなかった。