極楽
様相が変わっていた。
見覚えのあるものなんて無くなっていた。
嗅ぎ覚えのある匂いすら無くなっていた。
みんなが待っているはずの家が無くなっていた。
跡形もなく、影も残さず、元からなかったみたいに。
でも、リオルの話ではみんなはちゃんと仕事を与えられて、平民と同じ生活をしているはず。
子供に壁を壊すなんてできるのか?
ちゃんとご飯を食べれて、服も着替えることができるくらいあって、柔らかい物の上で寝れているのなら。
平民と下民との意識の差は?元下民だから働いてももらえるお金なんて少ないんじゃ。
もしそうなら、服も新しくなっているだろうし、成長もしているだろうから、すぐには見つからなくて当然だ。
やっぱり奪われて、傷つけられて、身を守る術を教えてなかったから、もしかしたら、もしかしたら。
考えがまとまらない。
言い方に考えようとしても、すぐに悪いことの方が浮かんでくる。
周りにある串焼き屋も、果物屋も、山菜屋も、武器屋も、装飾品屋も、小物屋も、そこらへんで座っている人も、声を張り上げて客を呼び込んでいる人も、何も考えていないようにあるいている人も、全員が、全部が、悪いものに見えてくる。
全員が僕の敵に見えてくる。
全員が僕の家族を傷つけたように思える。
吐き気がして、膝をついて顔を地面に近づける。
怖い。
久しぶりにそう思った。
誰かが僕を傷つけてくるんじゃないのか、
誰かが僕を嘲ってくるんじゃないのか、
誰かが僕を利用してくるんじゃないのか、
誰かが、誰かが、誰かが、誰かが、誰かが誰かが
怖い、怖い、怖い。
僕は弱いんだ。
1人じゃ生きていけないんだ。
守る存在がいたから生きていけたんだ。
1人じゃ人がいるところで立ってられない。
息苦しい、生き苦しい。
「どうしました?大丈夫ですか」
声じゃわからなかった、
匂いでわかった、
僕の家があったところには何も残っていなかった。
でも、元々の匂いは無くなっていなかった。
「アカネェ」
僕はみっともなく泣いていたことに今気づいて、涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をアカネに向けて、震える声で言った。
「アウトさん!今までどこに行ってたんですか!」
アカネが僕に気づいて抱きついてきた時、遠くからウロウが四つん這いで走ってきているのが見えた。
アカネガ「ふぎゅう・・・・・・・・・」と泣き出すのとウロウが僕たちに飛びついてきたのが同時だった。
国の四つのメインストリートの内、北側で、ボロボロの服を着て汚れ切った男と、今や王国で最強と呼ばれている魔法騎士の女が、抱き合って泣き喚いている周りを、全裸の女が四つん這いでグルグルと回っているという、謎の光景がしばらく続いた。
「アウトー‼︎」
5年ぶりの再会で、ほとんどの子供が成長していたが、大抵の子供はそう言って泣いて抱きついてきた。
アカネが自分の家へと連れて行くと言った時には、あの家よりも大きいのだろうかと思ったのだが、心配する必要なんてなかった。
だいたい五十倍くらい大きかった。
男女で布製の仕切りを作ってあとは床で寝るだけだったあの家とは違って、2人一部屋で、1人1ベッドで眠っているらしい。
なんて贅沢な。
さらに、15歳を超えるみんなはそれぞれ仕事についていて、アカネは月給が金貨三枚だという。
1ヶ月働けば1年、いや一年半は暮らせる。
僕がそう言うと、土地代とか武器防具の修繕費で結構カツカツになっているとアカネは笑いながら言った。
そして、今の国の状況、みんながどんなふうに暮らしていたかを、あかねが教えてくれたあと、アカネは3歳くらいの子から13歳くらいの子供たちと戯れあっているウロウを指差して、笑顔で「だれ?」と訊いてきた。
笑っているのに怖い。
前から何度か感じていたけど、今回は特に強く感じた。
「えっと、あいつはウロウって言って、狼に育てられた子で、えーとそのお母さん狼によろしくって言われてそれで連れてきた」
なるべくまとめて短くしたが、余計にわかりづらくなった気がした。
「なんとなくわかったけど、五年間も何してたの?」
ウロウのことは気にしないことにしたのか、アカネはそう言って、どこで何をしていたのかを訊いてきた。
そちらの方は僕もわかってないんだよなぁ、どう言うかなぁ、と悩んでいると、
「それは僕が説明しよう!」
そう声を上げながらリオルが家に入ってきた。
両腕を斜め上に向かって伸ばし、シャキーン!と口に出して言いながら左腕を曲げる。
「誰ですか?」
「リオル・クライシス。世界最強の人間だよ」
警戒するアカネに説明する。
その反応は顕著で、驚いた顔をしてから「すみません」と言って立ち上がった椅子に座る。
椅子に座ってからは少し疑いの眼で見てはいるが、何も言わずにリオルの話を聞いている。
当然、1時間がこっちの一年になるような別世界に行っていた、なんて信じるわけがない。
「まぁ、いいでしょう、信じましょう」
納得がいってないような言い方でアカネが言う。
それはリオルも感じたらしく、
「ちょいちょい、なーんか訊きたいことがあるならなんでも訊いてよ」
なんでも話してやるぜ?
そういってリオルは、左手の人差し指と中指で口の端を持ち上げて舌を出し、右手は両手でハートをつくるときの形を作って心臓部に手を当てる。
「なんだよ、それ」
「えっ?特に意味はないよ。僕の行動に意味があると思わないほうがいい」
なんだそれは。
「あっえっと、じゃあ、この五年間、私たち、結構あなたの話を聞いたんですけど、それはどうしてですか?」
「え〜そんなの簡単だよー。僕が複数人いれば僕が1人くらいいなくなっても大丈夫ってだけだよ」
「ひ、人は1人しかいませんよ?」
アカネの言い方は、そんな常識がこの人に当てはまるのかと思っているかのようだった。
別世界に連れて行かれたことを思えば、それは当てはまっているだろう。
「ちなみにさぁ、僕が五年間で何したのか教えてくんない?」
「はぁ、いいですけど」
アカネが言って、五年間のリオルの功績を話し出す。
「じゃあ大きいところを3つ。
3位が死地へと行って帰ってきたこと、その際、藍の宝玉を持ち帰ったこと。
2位が世界警察を潰したこと。
1位が、《ラグナロク》を潰したことです」
「へー、僕結構いろんなことやってるなぁ」
あとで褒めてあげなくちゃ。
他人事のように、リオルは話す。
もしかしたら他の自分のことはどうでもいいのかもしれない。
「じゃあ、僕のやることはもう終わったかな?うん、終わった終わった、ウロウちゃんから緑と紫の宝玉はもらったし、それじゃあ、もう帰るよ、バイバイ」
「ちょっとまて、僕から聞きたいことがあるんだが」
一人で街を歩いて泣いたことは置いておいて、強気で言って席を立つリオルの袖を掴み、椅子に座らせる。
「えー、何〜、僕も〜帰んないとフォーフォーに怒られるんだよー、5年間も妹ちゃんを連れて行ってたんだから」
「わかった、なら手短に、ウロウから宝玉をもらったってどうやってだ?」
「簡単なことさ、口に手を突っ込んで胃の中から直接ズボッて取り出したんだ」
ザンッ。
どうやらあの遺跡で作った短刀は、人体相手でもかなりのダメージを与えることができるものらしい。
「ねぇ、痛いよー」
腹を切り裂かれたリオルがブーブーと非難する。
非難しながらも腹の傷は治っていく。
僕が何をしたのか理解しきれず固まっていたアカネが、驚いて声を上げるには十分な衝撃的光景だった。
「なぁ。お前、ウロウに何してんだ?」
「冗談冗談。人の喉はそこまで大きくはないよ、もし入るならそれは口と喉を裂かないと入らないよ」
そんなおぞましいことを平然とリオルは言う。
それに続けて、さらにおぞましいことを言う。
「ほんとーは、さっきのアウト君みたいに腹を切り裂いてその切り裂いたところから手を入れて、胃の中から取り出したの」
あっ、もちろん、傷は治したよ。
そう言う問題じゃないだろう。
「なんで、そんなことを平然とやれるんだよ」
「なんでって、慣れだよ、なーれ。他人が死ぬのに慣れてきてるだけさ。それに、僕ならたとえどんな傷でも治せる自信はあるしねぇ」
慣れか、確かにそうかもしれない。
僕だって、みんなを守るために殺す時はある。
最初は、最初は・・・・・・・・・・・・
いや、最初から抵抗はなかった気がするな、
・・・・・・・・・・・・・・・なんで、平然とやれていたのか、
僕は慣れではなく、なんも考えていなかったからやれていたんだろう。
今も、特に何も感じない。
「ウロウは、大丈夫なんですね?」
「とーぜん、無駄な殺しはしないよー」
僕はね。
そうリオルが言った気がしたが、もしかしたら言ってなかったかもしれない。
まばたきひとつしている間に、世界最強はいなくなっていた。
国に帰ってきてからの日々は、最初のうちは大変だった。
仕事を始めることは簡単だった。アカネが僕を騎士団に紹介してくれたから、
騎士団にはすぐに僕を認めてくれた。
魔法は使えないが、能力を頼って頑張ってたら認められた。
当然僕より強くて、すごい人もいる。
その人にはまける。
それでもお金はちゃんと貰えたし、みんなで暮らしていける家もあった。
幸せだった。
とても。
10年経ってもウロウは狼から人にはならなかった。
人の言葉はある程度教えたが、スラスラ喋ることはできなかった。
スプーンやフォークなどもうまく使えなくて、手で取って食べるならまだいいほう、ご飯に顔を突っ込んで食べる時もある。家でならまだいいが、外でやるのだから困る。
服は布面積が小さく、サイズがピッタリの服を着ている。
リオルがきた時に持ってきたサラシと『しょーとぱんつ』と言うものを愛用している。
基本四つん這い。
これからも頑張って治させようと思う。
一人で風呂に入ることは出来ないので、ウロウが懐いている人が変わるがわる風呂に入れている。
僕がウロウと風呂に入る時にアカネが何故か睨んできて怖い。
それでも。
貧民街で暮らしていた時の数百倍楽しい日々だ。