k02-07 怪しい身分証
窓口を見ると、マスターが女性係員に詰め寄っている。
「何で!? ちゃんと正式な書類だぞ!」
「ですから、そちらの書類ではハイドレンジアの入街手続は致しかねまして……」
「いやいや、ウィステリアテイルのマスター証書だぞ! ウィステリアじゃこれでお酒だって買えるし」
あのバカマスター!
まさかテイルのマスタークラス証書しか持ってきてないの!?
確かに地元では身分証として使えるけど、他の街のしかも入街手続で使える訳ないじゃない!
「しかし困りましたね……紹介状もお持ちですし、我々としても何とかお通ししたいのですが……。上の者を呼びますので、少々お待ち頂いてよろしいですか?」
「ん、あぁ。よろしく頼むよ」
そう言って、係りの女性が内線で呼び出しを掛けようとしたとき……
「はぁ!? 何でそいつの時だけ偉い奴が出てくんのよ!!」
隣の窓口で騒いでいた少女が、レーンを隔てる手摺りごしに、今度はこちらの窓口に詰め寄ってきた!
「も、申し訳ございません。個人情報に関わることですので……! ご自身の窓口にお戻りください」
「あんた! そんなあからさまな不審者相手する前に、こっちに責任者呼びなさいよ!!」
そう言って、窓口にある内線を奪い取ろうとする。
「はぁ? 何だお前!?」
それを見たマスターが負けじと食ってかかる!
辞めなさい! 大人げない!!
というかお願いやめて、絶対面倒な事になるから変に絡まないで!!
頭を抱える私の後ろで、事の一部始終を見ているアイネもアワアワしている。
丁度そこへ……
「申ぉ~~し訳ございません! いかが致しましたでしょうか!?」
お偉さんと思われる男性が2人、ぞろぞろと警備員を引き連れて現れた。
はい、これ以上騒ぐと場合によっては強硬手段にでますよ、ってことね。
屈強な警備員の登場に少しびびったのか、暴れていた少女はとりあえず静かになった。
対応を引き継いだ男性にくどくどと文句を言い始める。
マスターの方も、年配の男性が窓口の女性から話を引き継ぎながら一緒に対応を始める。
「申し訳ありません、お手数をお掛けしております。差し支えなければ、他に何か身分を証明できそうな物をお持ちでしたら、全てお見せ頂けませんでしょうか? 人街検査で許可できそうな物があればお通しできますので」
「う……。他に、か……」
そう言ってポケットをごそごそと漁るマスター。
そして、こっちをちらっと見る。
何よ?
さっきから待ってるですけど。
何かあるならさっさと出しなさいよ。
何故か、急にコソコソしだしたマスターがポケットから財布を取り出す。
そして、二つ折りになった一枚のカードを取り出し係員に渡す。
遠くてよく見えなかったけれど、何だかやけに古ぼけた紙切れのように見えた。
「これは……旧国家時代の個人IDですね。こんなに古い物をどちらで……」
「しーしーしー!」
口に人差し指を立て、静かにしろとサインを送る。
「失礼しました……」
そう言って、二つ折りになったカードをそっと開く。
しばしその文面を眺め……急に両眼を見開き明らかに驚いた顔で2、3度見直す。
マスターの顔とカードを交互に見比べて、隣にいた女性職員になにやら慌てて耳打ちをする。
それを受けた女性職員は小走りで何処かへ行ってしまった。
女性職員も顔が動揺している。
男性職員に至っては、マスターから預かったカードを持つ手が遠目で見て分かる程にブルブルと震えている。
当のマスターは、何やら気不味そうな様子で何処か遠くを眺めている。
…………
暫くして女性係員が数名の男性を連れて戻ってきた。
全員小走り……いや、全力ダッシュに違い。
あぁ……。
何かもうただ事じゃないわね。
立派な大人が揃いも揃って職場で猛ダッシュなんて……。
あのバカ、何しでかしたのよ……。
頭痛がしてきた。
現れた男性のうち、1人が深々と一礼した後マスターに話しかける。
「当施設最高責任者のクラタスです」
ただならぬ様子に、辺りの来訪者達がザワつきだす。
周りの様子を見て慌てるマスター。
「い、いいから。そういうのいいから。とりあえずどっか別の場所で頼む」
「でしたらこちらへ。あ、お連れ様もご一緒に!」
「いい! あいつらはいい。待たせといていいから!」
「え、しかし……」
そう言うと、最高責任者と名乗る人の背中を押しながら、他の職員に先導されつつマスターが奥へと姿を消してしまった。
……へ? 何なの?
え? 私達どうすれば良いの?
というか、さっき“旧国家時代”って言ってたような……。
呆然とその場に立ち尽くす。
「……はぁぁ!? ちょっと、何なのよ!? 何なのアイツ!!」
その場に響き渡る例の少女の怒号で我に帰る。
「何であいつだけ最高責任者とか出てくるワケ!? はぁー!! 冗談じゃないんだけど! こっちにも呼びなさいよ!!」
今にも暴れ出しそうな少女。
と、そこへ……
「申し訳ありません、ちょっと、ちょっと通してください」
そう言いながら列の間を縫って1人の男性が彼女に近づく。
「お嬢様、お待たせしました! 身分証見つかりましたよ!!」
そう言って、ゴテゴテとデコレーションされたパスケースを手渡す。
「あ! 遅っい! あんたのせいでどんだけ待たされたと思ってんのよ!?」
そう言って男性からパスケースをぶんどると、代わりにローキックをお見舞いする。
「あ、痛い! それは酷いですよ! そもそも、私がお預かりしますと申し上げたのにお嬢様が自分で持つとか言い出して、挙げ句の果てに置き忘れ……ぁ痛いっ!」
話の途中で再び思いっきり蹴られる。
……お付きの人、か。大変ね。
「お待たせして申し訳ありません、こちらへどうぞ」
声をかけられ慌てて振り返ると、窓口の女性が私に呼びかけている。
窓口へ行くと、若い女性ではなく、最初にマスターの証明書を確認した少し偉い感じの男性が応対してくれた。
案内されるがまま、身分証を提示する。
さっと内容を確認すると、すぐに身分証を返してくれた。
「あ、あの。先程のジン様のお連れ様ですよね?」
何だかやけに低姿勢だ。
「え、はい。すいませんうちのマスターがご迷惑を……。あの、何か問題でも?」
「い、いえいえいえ! 滅相も御座いません!! どうぞお通り下さい!!」
そう言って慌てて通してくれた。
え?
普通、来街目的とか滞在期間とか聞かれるんじゃなかったっけ?
え? 何かめちゃめちゃ怖がってたんだけど、私何か悪いことした?
続いてアイネが窓口に呼ばれる。
心配なので、立ち止まって様子を見守る。
「お待たせ致しました。ジン様のお連れの方ですね。申し訳ありません、身分証の提示だけお願い致します」
アイネから身分証を預かる男性。
文面を見て……そのまま固まる。
そして――
「ヒ、ヒィィーー」
何とも情けない声を上げ狭い受付内で逃げ惑うように後ずさり、そのまま腰から砕け落ちる。
「ど、どうしました!?」
慌てて女性社員が肩を貸す。
「ご、ごめんなさい! あの、私……」
慌てて何とかフォローしようとするアイネ。
しかし……
「ももももも、申し訳ございません! どうぞ! どうぞお通り下さぃぃ!!」
まるで獰猛な肉食動物に素手で餌を与えるかのように、ガックガクと震えた手で身分証を返す。
アイネはそれを受け取り、困惑しつつも小走りでこっちに来る。
「私……大丈夫かな? 私のせい……だよね?」
「いや、どっちかってと……」
さっきから、何あの反応?
どう考えてもマスターのせいよね?
あいつ、一体何したのよ……。
人の流れに沿って、とりあえず出口へ向かう。
ちらっと後ろを振り返ると、先ほどの男性腰が抜けてしまったようで、一緒にいた女性に肩を抱かれ何処かへ運ばれている所だった。
微かに会話が聞こえる。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫な訳あるか。いいか、私は何も見てないぞ。何で、“災厄”と“大罪”が一緒に……。私は一切関係ないからな! 私は何も見てないからな!」
譫言のように呟きながら男性は奥へと消えていった。






