k01-35 元気が下手
その日の夜。時刻は19時を回った頃。
ジン・ファミリア・ホーム
「ただいまぁ。お、アイネまだ居たのか」
アイネがレポートの作成をしていると、呑気な様子でジンが帰ってきた。
「あ、マスターお帰りなさい! ……って、マスター!! 今日シェンナ達来るって言いましたよね! 何処行ってたんですか!?」
そう言われて、小首を傾げるジン。
「あ……そういやそんな事言ってたな」
思い出した! とばかりに相槌を打つ。
「そう言や、じゃないですよ! もー!!」
腰に手を当てて怒るアイネ。
まるで子供を叱る母親みたいだ。
「悪ぃ悪ぃ、グランドマスターからちょっと緊急の呼び出しでな」
「……そう言えば、この前も呼び出されてましたよね? 大丈夫なんですか?」
グランドマスターは多忙な身。
生徒や教員はおろか、マスタークラスでもそう易々と謁見する機会は無いはずだけれど、それがこんな短期間に何度も……。
さすが心配になってくる。
「大丈夫大丈夫! ちょっと頼まれごとしててな。その打ち合わせだ」
「それなら良いんですけど……」
上手いこと話題が逸れアイネのお説教が終わった所で、手に持っていた荷物を降すジン。
机の上に置かれた小包に気付く。
「あ! それ、シェンナがお見舞いのお礼にって」
「へぇ。何か高そうな箱だな。……ちなみに、今日来たのってシェンナだけか?」
「いいえ、エーリエも一緒でしたけど」
「2人だけ?」
「はい。……どうかしました?」
ジンの顔がわずかに曇ったように思えた。
「いや、なんでもない! それより、せっかくだから空けてみようぜ!」
「はい! コティパのチョコみたいですよ!」
「あー、あのやたら高いチョコレートか。俺高い物食べるとお腹壊すんだよな……」
「頂いた物に文句言わないの! 要らないなら私全部食べますよ!」
「いや、食う食う!」
そう言って包み紙をビリビリと開ける。
「あ! 飲み物入れてきますね。コーヒーと紅茶どっちにします?」
「コーヒー! ホットで頼む」
「はい!」
ニコニコと笑いながらアイネはコーヒーの準備に取り掛かる。
その間、チョコの包みを開け終わったジンは、机の上に置いてあったアイネのレポートを手に取り、ペラペラとページをめくる。
1枚、2枚とめくりながら、テラスの方へと歩いていく。
テラスの手すりにもたれかかり、ふと森の方へ視線を落とす。
「そうか、あの2人だけか……。
だとしたらあれは……まぁいいか。」
そんな事を小声で呟き、再びレポートに目を落とす。
ーーーーー
しばらくして、アイネがコーヒーとチョコレートを持ってテラスに出てきた。
「夜はまだ冷えますね」
そう言いながらコーヒーを手渡す。
「お、サンキュ。そうだな、確かに少し寒いな。もう少し暑くなってきたら、テラスで夕涼みとかも良いと思うぜ」
「そういえば、真夏とか冬ってここどうするんですか? かなり厳しそうですけど」
「あぁ、隠してあって見えねぇけど、洞の縁に沿って特別な風の魔鉱器が仕掛けてあんだよ。それで外と室内の空気を遮断するんだ。その上で内側から暖房とか冷房で調整するから一年中快適だぞ! 目に見えなくて通り抜けも出来るけど、空気の壁がある感じだな」
「へぇ……凄いですね。あんまり聞いたことない技術です」
「まぁな、まだそんなに出回ってる物じゃない」
そんな話をしながらコーヒーとチョコレートを頂く。
「……そう言えば、あの棚にある金色の薬。あん、あんにーぱんとポーション? って言うんですか?」
「ん?ああ"アンニィパータントポーション"な。よく分かったな」
「シェンナが教えてくれました!」
「へぇ……さすが優等生。あんなマイナーな薬まで良く知ってるわ」
「何か……凄い貴重な物だって聞きましたけど、あれ本物なんですか?」
「もちろん! 偽物飾っといてどうすんだよ」
コーヒーを飲み終えたジンが、カップを下ろして笑う。
「そんな貴重品、マスターどうやって手に入れたんですか?」
「前にも言っただろ? 家にあった爺さんのコレクションを持ってきたんだよ。うちのじいさんがちょっとした有名人でな。それなりにデカい家で……って、この話前もしなかったか? あ、さてはお前疑ってるな!?」
「い、いえ! 違うんです。そんなに貴重な物ならお家で大切に保管した方が良いんじゃないかと思って」
「……あぁ」
そう呟いてジンはアイネの方に向き直る。
「いや、ずっとうちに置いてあったんだけどいつも埃被ったままでな。これじゃせっかく作った薬師も浮かばれないなぁと思ってたんだよ。で、ウチの唯一の生徒がどうにもおっちょこちょいなもんで、いつか大怪我でもされたときにすぐ使えるようにと思って持ってきた訳よ」
そう言っておかしそうに笑う。
「ち、ちょっと! 私がいつおっちょこちょいでしたか!?」
「ちょっと待て! 逆に、しっかり者だった時が一回でもあったか!?」
「ひ、酷い……!」
そう言って拗ねて顔を膨らませるアイネ。
それを横目に、ジンは笑いながらキッチンへと飲み終わったカップを運ぶ。
そんなジンの後ろ姿を見ながらアイネが声をかける。
「でも……もし私が怪我しても、本当に使ったりしないで下さいね。そんなに貴重な物……私お返し出来る物ありません」
そう言って寂しそうな顔をするアイネ。
「……お前、最近ようやく元気になってきたと思ってたけど、たまにそうやって寂しい事言うよな」
シンクにカップを置きながらアイネを見るジン。
背後に広がる夜空の中、室内の柔らかな照明に照らされたその姿が何とも儚げに見えた。
「そう……ですかね。
……実は、中等グレードまでこんなに人と話した事無かったんです。わざわざ私と話したい人も居ないだろうし……本当に必要な時に最低限の会話だけ。
でもマスターと会ってからは、マスター事あるごとに話しかけてくれるし、シェンナやエーリエだって。
それで気がついたんですけど……人と話すのって楽しいんだなって。私って意外とお喋りだったのかな? って」
そう言ってにっこりと笑うアイネ。
「でも、やっぱり変でしたか? 暗いよりは明るい方がマスターも楽しいかなと思って頑張ってみたんですけど……変だったらごめんなさい。元気なの、あんまり慣れてなくて」
もう一度笑ってみるアイネ。
寂しい笑顔。
それを見たジンは洗い物をしていた手を止めると、タオルで拭きながらアイネに歩み寄る。
目の前まで来ると、じっとアイネの事を見つめて立つジン。
結構な身長差があるので、自然と見上げる形になり、ポカンと口を開けるアイネ。
珍しく真面目な顔のままジンが口を開く。
「そんな事無ぇよ。俺なんてお前と会うまでは『こんなつまらない世界いっそ消えて無くなったらいいんじゃないか』とか毎日考えてたんだぜ。よっぽど重症だろ?
それが、今じゃ毎日が忙しくて楽しいわ。お前のお陰だ」
そう言ってニィーっと笑うとアイネの頭をクシャクシャと撫でる。
「ひゃっ」
力強く撫でられ思わず顔をすぼめるアイネ。
「さて、今日はここまでだ。遅くなったし送るぞ。荷物まとめて先に下で待っててくれ」
「……はい!」
そう言ってアイネは荷物を纏めて先に部屋を出る。
ジンも書斎の机に置いてあったいくつかの書類を纏めて手に取る。
去り際、本棚の奥にそっと仕舞われた1冊の古ぼけた本におもむろに手を当てる。
「シルヴァント。恩返しのつもりが……また助けられてりゃ世話ないよな」
そう呟くと、灯りを消して部屋を後にする。






