k01-02 嫌われ者の大罪人
講堂の大時計に目をやると、式典の開始から1時間半が経過していた。
既に7割以上の生徒が宣言を終え、早々に採用定員に達した人気上位のマスター達は軒並み壇上から姿を消している。
観客も徐々に飽き始め、真剣に見ているのは宣言がまだな生徒の家族や定員割れしているファミリアの先輩達くらいといったところかしら。
当の私も……正直、最初の20人を過ぎた辺りからはライバルになりそうな生徒も殆ど居ないし、他にこれと言って気に掛かる事もない。
ただ待つ身としては正直退屈なのよね……。
暇潰しがてら、祭壇に残っているマスター達を端から眺める。
中堅マスターが残り少しと、他は名前の売れてない新任マスターばっかり。
マスター達の背後には巨大な魔鉱パネルが設置されていて、これで各ファミリアの定員残数が一目で分かるようになっている。
――ふと見ると、未だに1人の志願も貰えていない若いマスターが1人居た。
……マスター・ジン？
誰あれ？ あんな人居たっけ……？
……あぁ、思い出した。
表明式を目前にして、なんか経歴の怪しい人物が1人、急遽採用されたって噂があったわね。
教員歴も無ければ飛びぬけた実績がある訳でもない。
それなのにいきなりマスター職としての起用。
噂によると、グランド・マスターの知り合いでコネ採用だとかなんとか。
一応それなりの格好はしてきたつもりでしょうが、雑な作りの背広に安物の靴。
天然なのかパーマなのか知らないけどほんのりうねったやや長めの髪。
唯一褒められるとすれぼ、それなりに整ったルックスぐらいかしら。
よく言えば物腰柔らかそうな……いや、やっぱり精一杯よく言っても緩んだ締まりの無い顔ね。
てか、寝ぐせくらい直して来なさいよ！！
威厳も荘厳さも一切感じられない上に、身の上も経歴も何からなにまで怪しい何とも頼りなさそうな人物。
そんな感想を抱たのは私だけじゃないらしい。
普通人気上位のファミリアが一通り埋まりだすと、鶏口牛後ってことでどのマスターにもまず1人は志願者が付くものなんだけど……こんな後半まで来て志願者0人なんて初めて見たわ。
自分の置かれている状況を分かってるのかどうか……壇上の彼はただ静かに正面を見据えている。
―――――
それからさらに30分程が過ぎ……ようやく、全生徒の宣言が終了した。
「い゛……以上をもちまして、本年度の志願表明式を終了、致します！ ぜ、生徒諸君は本日の宣言を忘れる事なく、明日からより勉学に励むようにぃ！」
ひしゃがれた声で、司会者が式典を締めくくろうとする。
だいぶ喉をやられたようね。お大事に。
――その時
「あ、あの……！」
突然、女子生徒の声が会場に響き渡る。
その場に居た全員が声の方を振り向く。
「な゛……何かねぇっ！？」
司会者が苛立った声で叫ぶ。
「わ、私まだ名前を呼ばれていないのですが……！」
列の後ろの方で、1人の女子生徒が恐る恐る手を上げていた。
晴れ渡る夏空のような深い青色のショートヘアー。
伏し目がちな大きな瞳も、髪と同じ深い青を湛えている。
大人しそうで、どこか儚げな雰囲気の少女……。
――アイネ
司会者が、あからさまに不機嫌そうな態度で名簿を見ながら言い放つ。
「えー……アイネ・ヴァン・アルストロメリア……あぁ、"大罪人シルヴァント"の一族、ヴァン家の方ですかっ！」
“大罪人”という台詞を強調しつつさも嘲笑うように、壇上からアイネを見下す司会者。
「……っ！」
アイネは一瞬何か言い返そうとしたけれど、唇を噛み締め黙って教員を見つめる。
まったく……いい大人が大衆の面前で堂々と嫌がらせとは。どんな神経してるのかしら。
名簿にチェックを入れながら順に名前を呼んでたんだから抜ける訳無いでしょうに。
観客席や列席している生徒の一部から、どよめきや馬鹿にしたような笑い声が聞こえてくる。
――大罪人『シルヴァント・ヴァン・アルストメリア』
今から約80年前。
大きな戦争があった。
私達の世界『キプロポリス』
その隣にある、剣と魔法の異世界『エバージェリー』
両者間で起きた"二世界戦争"にて、勝利目前にまで迫っていたキプロポリスを一転敗戦にまで貶めた、キプロポリス史上最悪の裏切者“シルヴァント”
そのひ孫であり、現状唯一の血縁者である彼女の事を良く思わない人は、とても多い。
「……で？ アイネさん。あなたどこのファミリアを選ぶのですか？ 皆さんをお待たせしているのですから早く宣言してください！」
司会者から急かされて、慌てて壇上のマスター達を見渡す。
けれど……誰一人として彼女と目を合わせようとはしない。
それどころか、その視界に入るなり『とんでもない！』とばかりに顔をしかめて小首を振るマスターまでいる。
規則上、マスターは志願してくる生徒を拒否する事は出来ない。それなのに何なのその態度！？
そもそも規則云々の前に、教育者としてどうなのかしら！？
……そうは思うものの、まぁこの先自身とファミリアの生徒達に降りかかる厄介事を考えれば無理も無いか……。
皆から軽蔑の視線を受け、不安と悔しさが入り混じったような顔で歯を食いしばる。
「あ、あの……！ 私、成績はあまりよく無いですけれど……一生懸命頑張りますので！！」
震えた声で精一杯叫ぶ。
それでも、マスター達は明後日の方向を見つめたまま、誰一人として彼女を見ない。
「早くしたまえ！！ それとも、どのマスターも宣言しないと言う事は……つまり辞退と捉えてよいのかね？」
司会者がニヤついた表情で問いかける。
成る程、それが狙いか。
志願表明式において、マスター側は定員超過以外の理由で生徒の志願を拒否する権利は無い。
宣言されれば必ず受け入れる必要がある。
一方、生徒側は師事したいと思うマスターが居なければ自らの意思で留年や離学を選択する事も出来る。
つまり……厄介者をここで自主退学に追い込みたい、そう言う事ね。
彼女もそんな事は分かっての上かしら。
だから中々決められずにいる。
自分が何処かを選べばそのファミリアの全員に迷惑がかかる。
かと言って今年留年を選んだところで、自分への風当たりが改善される事はこの先永劫無い。来年もきっと同じことの繰り返しだ。
つまり誰にも迷惑をかけたくなければ早かれ遅かれ自主退学するしかない。
「お、お願いします！ ファミリアの皆さんにご迷惑は……あの、家の事などで、全くおかけしないと言う訳にはいかないかもしれませんが――私に出来る事は精いっぱい努力しますので……！！」
縋るような目でマスター達を順々に見つめる。
それでも誰一人として目を合わせてはくれない。
「あの……私、小さい頃からの夢があって……それで」
力なく呟いた後、ゆっくりと俯いてついに黙り込んでしまう。
そのまま暫く沈黙が続く。
次第に
『早くしろ』
『いつまで待たせる気だ』
『他人の迷惑も考えろ』
そんな野次が会場のあちこちから聞こえ始める。
――その時
「おーい！」
なんとも間の抜けた声が会場に響き渡る。
皆が一斉に声のした方向――壇上の隅の方に目を見やる。
アイネも驚いて顔を上げる。
声の主は――
例の胡散臭い新人マスター。
マスター・ジン。
「よかったらうちのファミリアとかどうだ！？ ご覧の通り深刻な人手不足なんだよ！」
締まりのない笑顔でブンブンと手を振る。
背後の魔鉱ボードを見ると、未だに志願者０人。
確かにこの上なく深刻なようね。
困惑するアイネ。
少し間を置いて口を開く。
「……あ、あの、お気持ちは嬉しいですが……本当に私なんかで良いのですか？ 余計にご迷惑がかかるのでは……」
「大丈夫大丈夫！ 俺そーゆーのあんまり気にしないタイプだから！ だからお前も気にすんな」
「でも……」
アイネは再び俯く。
会場が静まり返る……
「……あ、そうだ！ いい言葉教えてやる！
『過ぎた日々に捕らわれるな、まだ存在しない未来を恐れるな。過去の後悔も未来の不安も、抗えるのは今の自分だけだ』
過ぎた事なんか気にすんな。あんま先の事ばっか心配するな。今、お前がどうしたいかだけを考えろ！」
そう言って笑みを浮かべ、右手の親指を立てアイネに付き出す。
「マスター・ジン！ お静かに。マスターから生徒への勧誘やアピールは違反行為です！」
司会者が壇上の彼に向かって警告する。
「すいません！」
一言謝った後、黙ってアイネを見つめるマスター・ジン。
何を言い出すかと思えば……。
彼が掲げたのは、キプロポリス中の子供が小さい頃に聞かされ憧れる"伝説の英雄"の言葉そのまんまだった。
こんな場でおとぎ話のヒーローの言葉を丸パクリするなんて……。
その自信満々の態度に、周囲からは嘲笑が漏れ、やれやれといった空気が滲み出る。
――けれども
その台詞を聞いた瞬間、彼女は……
長い間、口も聞いていなかった私の幼馴染は――
はっとした表情で瞳に浮かべていた涙を拭う。
そしてゆっくり
大きく息を吸い
精一杯の笑顔で声高らかに宣言する――
「私は……アイネ・ヴァン・アルストロメリアは――マスター・ジンに志願します！」
――こうして、少しの波乱を残しつつ……今年の志願表明式は無事に閉式した。
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