k04-08 同じ悲しみを背負う者
――同日の夜。
街の片隅にある小さな居酒屋。
観光都市として再開発されたウィステリアでは珍しい、よく言えば味のある、悪く言えば小汚い、昔ながらの“居酒屋”
若い頃からの行きつけであるその店にモルガは独りで居た。
いつの頃からか彼の指定席となったカウンターの一番奥に座り、誰と話すでもなく独り静かにグラスを傾ける。
よく冷えた黄金色の泡立つ液体を一気に飲み干すが……それはビールではなくアップルソーダだ。
かれこれ2年以上、彼は飲酒を絶っている。
酒を飲まないのならば普通の飯屋に行った方が、客としても店としてもお互いに都合が良いのは分かってはいるのだが……長年の習慣というのは中々変えられる物じゃない。
事情を知っている店主も嫌な顔一つせず彼の奇妙な晩酌に毎夜付き合ってくれるのだった。
もう遅い時間帯と言うこともあり、客はモルガだけとなった静かな店内。
そこに入り口の古めかしい引戸の音が響き渡る。
「いらっしゃい」
店主の威勢の良い掛声。
入ってくる客の顔をいちいち確認するような無粋な真似をする訳もなく、黙々と食事を続けるモルガ。
客は彼から何席か距離を取り、カウンターに座った。
「おぉ、久しぶりじゃないか」
「あぁ。近くまで来たもんでな」
店主とのありふれた何気ない会話。
しかし、客の声には間違いなく聞き覚えがあり、思わず食事の手を止めて眉間に皺を寄せるモルガ。
「何にする?」
「そうだなぁ、とりあえずビールと塩辛で。……で、そっちの居酒屋で酒も飲まない無粋な客にもビールを」
そう言われ、やれやれと言った様子で顔を上げるモルガ。
「無粋で悪かったな。……それよりも、護衛もつけずにこんな所うろつくなって言ってるだろ――ノーブル卿」
ーーー
グレンの前に、よく冷えたビールと塩辛の入った小鉢が置かれる。
「おぉ、これこれ。ここの塩辛に比べたら屋敷で出るキャビアなんぞただの塩の塊だわい」
嬉しそうに手を擦り合わせるグレンを見て、モルガが呆れたように呟く。
「屋敷の料理人が泣くぞ」
「別に高級な物イコール美味いとは限らん。趣味嗜好が人それぞれである以上、誰が食べても美味しい料理など存在せんよ」
「……そうかい。相変わらずだな」
「そっちもな」
店主からグラスにビールを注いで貰い、それをグッと飲み干す。
「仕事の方はどうだ?」
「……ぼちぼちだな」
そう答えながらモルガもアップルソーダを一口飲む。
話の流れを変えるため、今度はモルガの方から質問を投げかける。
「……シェンナお嬢さんは元気か?」
「あぁ。元気過ぎるくらいだ。今年高等グレードに進級したんだが、早々にマスターと大喧嘩して決闘なんかやっとったよ」
「……アンタと違って賢いお嬢さんだったはずだが、何でまた」
皮肉混じりに少し笑いを漏らしながら首を振るモルガ。
「――アイネちゃんの事をバカにされたのが許せんかったらしい」
そう言って目を細めると少し嬉しそうに微笑む。
「……成る程な。賢いだけにいつも周りの迷惑や分別を弁えて考えるような年甲斐のない所があったが……変わったな」
「あぁ……良い方にな!」
そう言って満面の笑みをモルガに向けるグレン。
しかし、モルガはそんな彼の顔を見ようとはしない。
「……あれから2年だ。……2年。短いようだが、季節が2周りもすれば色々変わるもんだ。特に若い子達の変化は著しい。この2年間、ずっと取り残されたままなのはお前くらいだぞ」
グレンからじっと横顔を見つめられ、罰が悪そうにアップルソーダをグッと飲む。
「何だ、元従業員に説教するためにわざわざこんな所まで来たのか?」
内心少し苛立ってはいるのだろうが、それを隠して敢えて楽しげに話すモルガ。
「いや、昼間街でお前を見かけてな。なんだか若い女の子連れて楽しそうに歩いとったからからかってやろうと思ってな」
グレンも調子を合わせて豪快に笑う。
「……あの若いの、アンタの差し金か?」
気を悪くしたのか、不機嫌そうにグレンを見るモルガ。
「いや、何の事だ? ……何か問題でもあったのか?」
「……人事から渡される略歴書なんざ、本人に不利になるような事はわざわざ書かれてないからな。うちみたいにお互いに背中を合わせて命を預けるような職場じゃ信頼は何より大事だ。新人が来る度に念のため過去の事件のデータベースに隊長権限で内密に検索を掛けてる訳だが……出てきたよ。――2年前のあの事件、その生き残りで保護された生徒のリストの中に……名前があった」
「……それは、中々だな」
それまで飄々としていたグレンも、思わず声のトーンを落とし言葉に詰まる。
「偶然な訳は無いだろう。こんなふざけた真似しやがるのは、あんたかあのバアさんくらいのもんだと思ったんだが。あんたじゃ無いとなると、シエンのバアさんで決まりだな」
そう言ってアップルソーダを一気に飲み干す。
それきり黙ってしまい、店内に沈黙が走る。
話題を変えようと思ったのか、グレンの方から口を開いた。
「禁酒、いつまで続けるんだ? 人伝に聞いたぞ。娘さんの悲報聞いたあの日。お前いつも通りここで酔っ払ってて、そのままの勢いでテイルに乗り込んで、事情を説明しようとする職員達をボコボコにしたんだってな。そんで警察に連行されてそれっきり。俺が直接会いに行っても面会謝絶、保釈金を払うって言っても拒否。挙げ句の果てに、俺は気にしないって言ってんのに勝手に近衛兵長も辞めちまうし。そん時、酒も辞めたんだってな」
「お前が気にしなくても、街一番の名家の近衛部隊に犯罪者を置く訳にはいかんだろ」
呆れて首を振るモルガ。
「だからといって何も友人関係まで断ち切る事も無かろうに」
グレンも同じく溜息をつく。
「それに関しては……すまなかった。ずっと俺を信頼してくれてたあんたに合わせる顔が無くてな。犯罪者の俺がこうして公務員の隊長なんかやれてるのも、あんたが裏から手を回してくれたんだろうってのも容易に想像出来た。礼を言いに行くべきだったな」
「……気にするな。ウィステリア領の一画を預かる身として、警察に優秀な人材を置いておきたいのはこっちの都合だ」
そう言うと、グレンはモルガの隣の席に座り直し、空になったグラスにアップルソーダ注ぐ。
モルガもビールを注ぎ返す。
「――今日な、その新人を稽古と銘打ってボコボコにしちまった。明日はもう来んかもしれん」
思わず飲み掛けていたビールにむせるグレン。
「おいおい、何やってんだ!? 今更復讐って訳でも無いだろ?」
「勿論だ! 別にあいつを恨むような気持ちはこれっぽっちも無い。……ただな、昼間あいつが刃物を持った犯人に飛びかかって行ったのを目の前にして……何が何でもこいつは死なせちゃいけないと思ったんだ。……娘が……命と引き換えに守った子なんだからな。そう思ったら、他人の為とは言え自分の身の危険も省みないその態度が許せなくなって」
そこまで言うと拳を振り上げてカウンターを思いっきり叩きつけ――はしなかつまた。
昔の彼なら躊躇なくそうしただろう姿がグレンの目に浮かんだが、牙を抜かれた獅子のような今の彼は、深く溜息を吐くと振り上げた拳でトンとカウンターをこずくだけだった。
変わって無いとは言ったものの、あれから2年経って、本人も少し冷静になったんだろう。
誰かを恨んでも仕方がない。
難民も、生き残った子も、テイルも……さもすれば、娘の命を奪った敵兵ですら、命令に従ってただ己の任務を遂行したに過ぎないのかもしれない。
もし怒りを向けるのであれば、未だ内戦なんて愚かなことを続ける権力争いしか脳のない馬鹿な政治家達にか。
……そんなやるせない思いが、固く握り締められた拳に篭っていた。
「ま、何せよせっかくの機会だ。どうするかはお前次第だが……知っておいて欲しいのは、お前が思ってるよりも遥かに、皆がお前の事を心配しているぞ。無理に前に進めとは言わん。だがせめて、もし明日その子と顔を合わせる事があれば、目を逸らさずにしっかりと見てやる事だ。……同じ悲しみを背負う者同士じゃないか」
そう言ってグレンの肩をポンと叩くと、カウンターに金貨を置いて店を出て行く。
「また来いよ」
そう声を掛ける店主に振り返らず片手を上げて挨拶をするグレン。
ピシャリと音を立てて引戸が閉められると、グレンは今日何度目かの深い溜息を吐いた。