薬が作れないとやばいかも
宿屋の寝台で寝こけていたマジョーリカは町の偵察から帰ってきたクロウに叩き起こされた。危うく夕飯を食べ損ねるところであった。慌てて地階の食事処に駆け下りて行く。
「ふおおお、初めて椅子とテーブルでご飯が食べれるううう。それだけでなんか幸せ。
神様の見習いというか、それ以前の見学も大変よねえ・・・私って本当に神様に近い存在なのかしらん? 危うく不審者として捕まるかもしれない状況だったし。」
自分のいい加減な設定が招いた危機と苦労だったことは考慮されていない。それが嫌なら降臨するのではなく誰かの子供として誕生するべきだったのだ。
「うんと、食事ありなしでの宿泊料の差額が銅貨20枚だから、この1食分の食事の価値が銅貨10枚くらいということよね。お昼はここで食べれるのか確認するのを忘れていたわ。
でも十分満足な量と質だったわね。パンは食べ放題だし。ポケットに忍ばせてクロウに持っていってあげましょう。あの子は穀物が好きそうだしね。」
魔女の食事なんて普段はかなり質素なものである。魔力を使うのは体力を消費するので、自ずと質より量の食事となるのであった。ちなみに元の世界では太った魔女なんてほとんど見た事はない。どちらかというと病的に痩せている魔女の方が多い。
そういうわけでテーブルの上のバスケットに入ったクロワッサンのようなパンはあれよあれよとマジョーリカのお腹の中に消えていった。ちなみに宿に昼の食事はあるのだが別途有料となる。
久しぶりに夜をしっかりとした建物の中で安心して過ごして疲れがとれた翌朝。12歳の子供の回復力はなかなかだった。マジョーリカはばちんと目が覚める。
「ふわあ・・・久しぶりによく寝れたわ・・・クロウ、起きてる?」
「ああ、起きてるぜ。早く降りていかないと今度は朝飯食べ損なうぞ。」
「うそ。ごはんごはんー。」
替えのない下着に浄化の魔法をかけて綺麗にし、さっと魔女のローブを被ってマジョーリカは部屋を駆け出していく。
「はあ、慌ただしいお嬢だ。せっかく調べてきた店のことは未だに聞かれてねえし。」
クロウが部屋でもうひと眠りした後、食事を終えて満足気なマジョーリカが戻ってきた。
「はああ、スープと焼いた玉子がおいしかったわあ・・・クロウにはパンを持ってきたわよ。
そうそう、何かクロウが食べたいものを売っているお店は見つかった?」
「ああ、肉と野菜と果物が食べたいな。お嬢の顔を立てて、畑に生っている作物に手を出すのは我慢してやったぜ。」
クロウは新鮮な生物が食べたい様子であった。人間の町でそのような物を手に入れるのは鳥にとって命懸けではある。
「あらいい子ね。じゃあ好きなだけ買ってあげる。約束だものね。肉は生がいいの? それとも干し肉とか燻製肉とか?」
「とりあえず生で頼むわ。干したり燻したりしたのはいくらかここに置いておいてくれると助かる。いつもお嬢の傍にいられるわけでもないだろう?」
クロウは賢い。保存の出来るものと出来ないものを知っていた。そして町中で自分が傍にいるとマジョーリカに不都合が発生することも知っているようだ。
「分かったわ。お店の場所を行きながら教えてね。それと、本屋と薬屋の場所は分かったかしら?」
「それっぽい店というだけだけどな。まあ行って確かめてみてくれ。」
「じゃあ町をぶらぶらしてみましょう。と、その前に出でよ、『魔女の肩掛け鞄』ー。」
とんがり帽子の中からぬっと鞄が生えてきた。それをさっと翻して肩にかける。
「それも何か凄い道具なのか?」
「え? 普通の鞄よ。魔女が使うから『魔女の肩掛け鞄』でしょ? 手ぶらじゃ買い物できないし。」
「ああ分かった、違げえねえ。」
クロウは突っ込むのを止めた。この女と言い合いして主導権を握れた試しがないので、諦めて引き際を見定めるのが賢い付き合い方だと悟ったのである。マジョーリカの期限が良いならそれに越したことはない。
マジョーリカは町に出た。昨日までは緊張していたのか、俯きかげんで視線を遠くにやっていなかったのか、街並みがよく分かっていなかったが今日は違う。街並みを観察する余裕がある。
「うーん。今日も気持ちのいい天気ねー。」
伸びをしながら町中をクロウの案内で練り歩く。飛びながらだったり建物の屋根に止まったりしながらなので怪しまれることはない。
食料品のお店は準備中で、売り出すのはお昼時からになりそうだ。本屋が見つかったので、クロウを外に待たせて入店する。
「本の品揃えは、まあ・・・期待したほどではないわね。子供向けの文字の読み書きが練習できる本なんてあればいいんだけど、どうでしょうね?」
本棚を一通り漁ってみるが、文字の羅列を見たところで読めないものはどうしようもなかった。たとえ絵本があっても一度は誰かに読んでもらわないと読み方を練習できないことに気が付いてしまったのだ。
読み書きを学ぶには先生になってくれる者が必要だと分かり、愕然としてマジョーリカは本屋を出るのであった・・・
「ううう、元の世界では難しい魔導書を自分で書く研究者だったのに・・・ここでは子供にも劣るかもしれないなんて不条理だわ。12歳で読み書きを教わるなんてここでは恥ずかしいことなのか、とりあえずそれを知りたい・・・自分の名前すら書けないのはとりあえずヤバいわ。」
町中には店名や場所を示す文字が溢れているので、人々はそれなりの識字率かと思われる。最低でもアルファベットのようなものを覚えて固有名詞くらい読み書きできる程度には皆あるであろう。
「とりあえず私には魔法しかないということね。魔法を使った仕事しかできる気がしないわ。
よおし覚悟を決めた。薬屋に当たって砕けて木っ端ミジンコになってやるうう。クロウ、お昼になる前に商工組合に行くわよっ!」
木っ端ミジンコになってしまった後に再び立ち直って仕事することができるのかは不明である。
「ごめんくださーい。」
意気揚々と商工組合の扉をくぐる。昨日聞いた通りザックはいて、職員と立ち話していた。
「おやマジョーリカちゃん。立派な鞄だね。早速買い物してきたのかい?」
「ええそうです。ザックさん、お願いです。薬屋さんを紹介してくださいっ。」
マジョーリカは鼻息を荒くする。覚悟を決めたのだからやる気を見せなくてはならない。
「ずいぶんと決心が早かったね。本当にやるのかい?」
「私は分かってしまったんです。私は魔法を使う以外役に立たない女なんですうう。そんな仕事ならなんでもやりますから紹介してください。お願いしますううう。」
鬼気迫る表情でザックに詰め寄るマジョーリカ。ザックは何事かとたじろぐばかりである。
「ええと分かった。実はよく分かってないけど、覚悟を決めたのは分かったよ。もうお昼に近いし、飯を食べに行くついでに行ってみようか?」
「お願いしますううう。当たって砕けて木っ端ミジンコおおお。」
「それは何の魔法の呪文だい? 危ないのはやめておくれよ?」
木っ端ミジンコになる覚悟を示しただけなのだが人に分かるわけはない。マジョーリカの知っているミジンコがこの世界でもミジンコと呼ぶか分からないのはカラスで分かったはずなのだが。
「ふーっ、ふーっ、ふう。すみません。ちょっと興奮してしまいました。気合を入れすぎたみたいです。」
「気合を入れる合言葉だったんだね。危ないのが出てこないなら行くよ。」
「はい。こちらの準備は完了してます。いざ行かん!」
なんとかザックを説得できたようで、二人は薬屋に向けて組合事務所を出発した。
「気合が十分なのはいいことだ。まずはやる気を見せないことにはね。」
「はい、やる気なら誰にも負けないつもりですっ。薬の腕も負けませんっ。」
歩きながらわけのわからない会話に付き合わされるザック。とりあえず薬屋に会わせて後は押し付けてしまおうかとか考え始めていた。
「こんにちは、薬屋さん。」
薬屋に着いて、ザックが話しかけたのはそろそろ婆・・・妙齢の女主人だった。
「ああ、あんたかい。こんな時間に珍しいね。見たところ薬が必要には見えないようだがね?」
「うん。薬を買いたいのではなく売りたい方かな? 薬師を紹介しに来たんだ。」
怪我も病気もない健康そのものである。ザックは用件を単刀直入に話し、マジョーリカを押し付けられないか画策を始める。
「おや、それっぽい人は見当たらないけどね。まさかそのお嬢ちゃんではあるまいに。」
「後は大丈夫です。はじめまして、マジョーリカです。すいません、私に薬を作らせてくださいっ!」
マジョーリカはザックを制して割って入った。変な紹介をされるよりは自己紹介した方がよいと考えた。
「あんたが薬を作れるのかい? どんな薬を作れるというんだい?」
「治癒薬でも浄化薬でも回復薬でも、上級から下級まで作れます。信じられないというなら腕を見てください。」
こんな子供が薬を作れるはずがないと女主人は問う。それは当然なことだろうとマジョーリカも分かっている。なんとか実力を見てもらうしかないのだ。
「ほらを吹くんじゃないよ。ばかばかしい。帰ってくれ、あたしゃ忙しいんだ。」
「じゃあ材料と手本となる薬を売ってください。それで同じものをすぐ作ってきますっ!」
「ふんっ、本気かい? じゃあこの薬でどうだい。」
女主人は手強かった。手を煩わせるのも面倒だという態度である。だが材料を買ってまでというマジョーリカの姿勢に薬屋の女主人は売り物が並べられてる棚から薬瓶をひとつとって手渡した。マジョーリカは蓋を取って中身を確認する。
「下級の治癒薬ですね。材料はどれですか?」
「この薬草だよ。見れば分かるだろう。」
薬の効用は分かった。だが出された薬草は元の世界には無い薬草だったのである。だがしかし、ここで知らない出来ないとは言えない事態にマジョーリカは自分を追い込んでしまっている。
「私が使っていた材料と少し違うので、参考までに調合に使う魔法陣を見せていただくことはできないでしょうか? ええ、一瞬で結構です。」
「ああ、これだよ。」
薬屋は魔法陣が刺繍された布を引っ張り出して、マジョーリカの前に手でつまんで垂らして見せてやった。マジョーリカはじっとそれを見つめる。魔法陣と言って通じたのと、それが見覚えのあるものだったので、自分の魔法が通じそうだとマジョーリカは安心した。
「丁寧な刺繍ですね。ええ、うん。ちょっと複雑ですが呪文の流れは同じですね。はい、大丈夫です。」
「もういいのかい?」
人間が読み書きする文字は読めなくても魔法陣に書かれている呪文の精霊語なら一瞬で判読できるマジョーリカであった。薬屋は何が起こったか分からず、相変わらず疑いの目を向けている。
普通呪文の魔法陣というものは、何度も写し書きしたりして覚えていくものなのである。
「はい、調合道具は宿に置いてあるので、宿で作ってきます。空き瓶があればお貸し願います。」
「ああ、とりあえず10本だ。通常の半束の薬草だが持っていきな。これから10本薬が作れればとりあえず上等だろう。」
「ありがとうございます。薬草のお値段はおいくらでしょうか?」
マジョーリカは空き瓶と薬草の束を鞄に詰めながらお金の入った巾着袋を取り出した。
「あんたが本気みたいだからとりあえず見てやる。売り物になりそうなら差額を支払ってやるよ。」
「ありがとうございます。それでは行ってきます。お昼を食べ終わるころまでには作って戻ってきますー。」
薬屋は賭けに乗ったようだ。マジョーリカは貴重な機会を得たと、駆け足で宿に向かって行ったのだった。
マジョーリカを見送った薬屋はザックに問いただす。
「あんた、あの子の何なのさ? 一刻で魔法薬を薬草から下ごしらえして調合するなんて普通ではあり得ないんだけどね?」
一刻とは一時間のことである。ちなみに一日は一日、一月は一月で同じである。
違うと言えば一週間は六曜制で、一年は360日といったところである。
「ちょっと訳アリの子でね。母親が宮廷魔術師みたいなんだ。腕前を見たことはないんだけど、魔法は母親仕込みらしいんだよね。」
「本当かい。それなら王都の学園に通ってもおかしくない年頃のようだし、ひょっとしたら有り得るのかねえ。
で、あんたはどうする? 飯食べたら戻って来るのかい?」
ザックがマジョーリカの事情の要点だけを話す。宮廷魔術師というのはその名の通り魔法の達人らしい。その娘というだけで薬屋は半分納得してしまった。
「ああ戻ってくる。ひょっとしたのなら私の仕事にも関係してくるかもしれないからね。」
「そうだね。あんたが領都から仕入れてくる薬のおかげでこっちは助かってるよ。ほとんど儲け無しなんだろう?」
ザックも薬には関係のある仕事をしていた。作るだけで足りなければ商人が買ってこなくてはならないということである。
「それは心配には及ばないよ。ちゃんとやることはやってるさ。」
「まあいいさ。とっとと飯作って食べておくかね。」
「私も食べてこよう。じゃあまた後で。」
薬屋の女主人は店の奥に入って行った。昼食の支度をするのだろう。ザックも薬屋の店舗を去っていった。
2人はとりあえずお昼を食べて、マジョーリカがちゃんと薬を作ってくるかその腕前を見極めてやろうと決めたようであった。