ザックとの勝負
「あ、また馬車が来た。」
街道から3台の荷馬車がやって来てマジョーリカのいる休憩所に入ってくる。今度こそマジョーリカが待っていた商隊のようである。先ほどの荷馬車は1台なので商隊とは言えない。
「クロウ、木の枝ににでも止まって待機していて。鳥さんとお話してる女の子はどう見ても怪しいでしょう。」
「ああお嬢、分かったぜ。」
パタパタと舞ってクロウは木にとまった。マジョーリカは木に背中をもたれかけて、ペタンと脚を伸ばして座った姿勢のまま、商隊の様子を眺めている。言語の修正は一段落したようである。
商隊は整列して停車し、先の荷馬車と同様に各車の御者は馬を外して河原に水を飲ませに行った。樽に水を汲んでくるよりは楽らしい。
身なりからこの商隊の主らしい人物が荷馬車から降りてくる。マジョーリカに気付いているのかいないのか、周囲の人間に指示を出すのを優先している。
マジョーリカはじいいいーっと、その主らしい男に視線を固定して追跡する。
(さあ、この私の視線を無視できるかしら? さっきの男はここに女の子が一人でいるということは非常事態のように言ってたけどね?)
主らしい男はさすがにやっとマジョーリカの視線に気付いたのか、それとも観念したのか、マジョーリカに向かって振り向いた。だが振り向いただけである。
(くっ、警戒しているの? どうやらさっきの男より用心深いようね。どうしてこう商人ってやつは・・・)
隣の町か村に歩いて行ける距離ではないこの休憩所に女の子がひとり。関わらずに済むものなら関わらない方がよい、というのが大事な商品を抱えた警戒心の強い商人の常識なのだろう。男はしばらく立ち位置を変えようろはしなかったのだった。
マジョーリカは視線を変えず粘る。子供が珍しいものを目で追い続けるのはおかしなことではないだろうという作戦だ。
主らしい男は女の子にずーっと見つめられてしまい、無視もできずいいかげんに覚悟を決めたのか、マジョーリカに向かって歩き出して目の前で立ち止まった。
(よっしゃー、きたきたー。今度は失敗しないわよ。町娘の言葉になってるはずだからね。)
男はかがんで膝に手を付き、ありきたりの言葉をかける。
「こんにちは、お嬢ちゃん。おひとりかな?」
「こんにちは、はじめまして。私はマジョーリカと申します。」
立ち上がって、相手の真摯な態度から丁寧な言葉を選んだマジョーリカ。果たしてこの作戦は成功するかどうか?
マジョーリカの作戦とはどこかの町に連れて行ってもらうこと。そして現金を調達することである。魔法が出来ても食べ物と寝るところを出すことはできない。町と現金さえあればどうにか生活できるだろうと考えているのである。
「これは丁寧なご挨拶をどうも。よくできたお嬢さんだね。近くに親御さんはいらっしゃるのかな? 私は商人のザックと言う。怪しい者ではないよ。」
ザックは身分を示すらしい金属の板を見せた。商人の証なのだろうか?
「いいえ、私ひとりです。ザックさん。」
「マジョーリカちゃんだったね。本当にひとりなのかい? そのうち迎えが来るのかな?」
「いいえ、誰も迎えには来ません。ずっと一人です。」
ザックは考えた。この娘は囮で、かまっている間に盗賊が襲ってきたりはしまいか。親切心で馬車に乗せてあげたら誘拐犯に仕立て上げられないか、などなど・・・
「一人で大丈夫かい? 困っていることはあるかな?」
ザックは会話を重ねることにした。この歳の娘なら、話をしているうちに何か悪意があるのならボロを出すだろうと思ったのだ。百戦錬磨の商人は会話の端々から相手の隠れた意図を読み取るものである。
「困っていることは・・・あります。」
(来た来た来たー。ここから要注意だな。チョロい。さあ、どんな要求をするんだい? お嬢ちゃん。)
ザックはしてやったりと耳を傾ける。
「おじさんに助けられることかな? 言ってごらん。」
「ええと・・・これからどうすればよいのか・・・分からないのです。」
「は?」
ザックにとってまったく予想外の回答であった。予想していたのは馬車に乗せてどこかに連れて行ってほしいとか、何かを恵んでほしいとか、自分の素性を知りたいとか、そういうことだった。
ザックはしばらく固まってしまったのだった。
マジョーリカは固まったザックに構わずクロウと話して決めた設定に従って答えを考え続けている。先ほどの商人に話した内容と矛盾の無いように、本人としては練りに練った設定なのだが通用するかどうか、などなど。
マジョーリカにきょとんとした顔をされてザックは再起動し、質問を続けることとした。
「ええと、ここまでどうやって来たのかな? 親御さんはどちらにいらっしゃるのかな?」
「歩いて来ました。父親は知りません。母は捕らわれてしまいました。今頃は多分・・・」
(ヤバい、これは絶対ヤバいやつだ。関わってはいけないやつだ。しまったあああ。)
質問したことをザックは激しく後悔した。とんでもない面倒事に巻き込まれる予感が止まらない。だがこの面倒事から確実に逃れるためには事情を確認し、慎重に対処した方がいいのではないかと考える余裕があった。
それなりに頼れる人脈を持っている商人ならではの思考回路をザックは持っていた。
「君は大丈夫だったのかい? 途中で水や食べ物には困らなかったのかな?」
「私はもう大丈夫だと思います。最後に追手を見てからかなり遠く、町をふたつみっつ通り越して来ましたので・・・食べ物は先ほども優しい方から恵んでもらったりしました。」
先の商人からもらった食料袋をザックに見せる。もらったものは最大限に利用してみる。
良い人は私を見捨てることはしないのよ、と主張してなんらかの援助をザックにも求めるのだ。その考えはザックにしっかりと伝わっていて、特に狼狽えはしない。
「それは良かったけど、食べ物に釣られて変なところに連れていかれたりしなかったかい? そういうのが一番危ないんだよ?」
「休めるところに連れて行ってもらうことはありましたよ? 痛いことはされませんでしたけど、食べ物と寝るところを与えてもらうためですから・・・我慢できることは我慢しました。」
何を我慢したのかマジョーリカは言わない。それはザックの想像に任せる。何も知らない子供と思われた方が得策だろうと考えた。
「ああ、もうそれ以上は言わなくていい。でも、本当に痛いことはされなかったんだね?」
「大丈夫です。身体のどこにも傷はありませんよ? その・・・ひょっとしたらザックさんが気にしているかもしれない部分にも・・・」
マジョーリカは頬を赤くしてうつむいて顔をそむける。あざとく映らないといいのだが、同情を買うためにちょっと大胆発言してみた。12歳の娘にしては大胆な発言ゆえ、冗談とはとられないだろう。
「そんなことまで聞いていない。済まなかった。でもここまで無事でよかったね。
しかし、なんでお母さんが捕らわれたり逃げなくてはならないことになったのか、君は理由を知っているのかい?」
ザックは墓穴を掘ったことを自覚し、とうとう観念して真相に迫った。同情できることなら助けてやろうと、マジョーリカの作戦に嵌ってしまったのであった。
マジョーリカは成果を確認して勝負に出る。女1人で長いこと生きてきたのだ。過去にどれだけ女の武器を使ってきたのかは秘密である。
「私の母は魔法使いでした。ザックさんは魔法使いは怖いと思いますか?」
「いいや、魔法を使うというだけで怖いとは思わないよ。私だってちょっとした魔法くらいなら使えるからね。」
なんと、神様の言うことは間違いではなかった。自分以外の魔法使いが目の前にいる。そして目の前の男は商売を生業としていてどう見ても魔法を極めようとしている存在ではない。
そのような男でも魔法を使えるというのなら、魔法を使える人が多いというのは嘘でも勘違いでもないのだろう。マジョーリカの表情が安堵に変わる。
「良かった。私の母は多分かなり優秀な魔法使いだったのだと思います。大きなお屋敷に召し抱えられていたのですが、そのお屋敷が潰されることになったみたいで、ご主人様に連れていかれそうになっていたのを、私だけ逃げろと放り出されてしまいました。
詳しい事情はまったく分かりませんが、魔法が何かの原因なのだと思ってました。」
「ううん、どこかの貴族のおとり潰しかなあ。お母さんは現役か引退した宮廷魔術師だったのかもしれないね。優秀な魔法使いならいろいろな意味で役に立ってくれる存在だろうよ。
ん? ということは王都から逃げてきたのかい? それなら大きな町は途中3つくらいになるけど。」
先ほど逃げられた男から貴族の存在を教えてもらったので早速使わせてもらう。だがこの世界の貴族のことはよく知らないので貴族という言葉は使わず、それっぽい設定を並べてみる。
それはどうやら通じたようだ、後はなんとかボロを出さないように余計なことを言わないことだ。
「分かりません。私は物心ついた頃からお屋敷からほとんど出たことがありませんので・・・」
「王都だったらここは国の端と端だし、領主様も違うし、まず追手が来る可能性は無いよ。ああ、領境を越えたところで追手を振り切れたのか。よく逃げてきたね。大変だっただろうに。
それで、これからどうやって生活していくのかあてはあるのかい?」
(よっしゃあ。同情を買って助けてくれる気になったみたいよ。さて、これからが本番だわ。頑張れマジョーリカ。)
マジョーリカはここまでの勝利を確信したのだった。考え抜いた設定は今のところ矛盾を生じていないようである。ザックの同情を買えたところで一安心することができた。
さてザックが望みを真摯に聞いてくれる姿勢を見せてくれたので、これからいよいよ作戦の本題に入ることをマジョーリカは決心する。深く一呼吸してから口を開いた。
「実はもうお金が尽きてしまいました。これをお金に替えることはできますでしょうか?」
マジョーリカは巾着袋から金の粒をひとつ取り出してザックに見せる。ザックはしげしげと眺めてみる。
自分の手に取って取り上げるようなことはしない。子供から物を取り上げると泣かれたり掴みかかられたりすることをザックは心得ている。
「本当に金のようだね。私はこう見えても商工組合の組合長だ。鑑定もできるし、領都まで行けば貨幣に換金できるよ。
それまでは間違いない価値の分だけの現金を用立ててあげようか。それでどうかな?」
「本当ですか? ありがとうございます。もうどうしようか途方に暮れていました。このままここでずっと物乞いを続けていくのかと・・・」
マジョーリカは瞳をうるうるさせたつもりでザックを見上げた。ここで真珠の涙を浮かべたら男なんてイチコロなのかもしれないが、さすがにそこまでの演技力はない。
「もう大丈夫だよ。それでは私が組合長を勤める町に一緒に来るということでいいかい? これからそこに向かうんだけど。」
「ええと、私のような小娘を受け入れてもらえるような町でしょうか? ご迷惑ならここで待っていますけど・・・」
人間はそう簡単に余所者を受け入れることはしないことをマジョーリカは知っている。それがたとえ子供でもだ。子供の方が逆に罪の意識を感じずに酷い差別をするものである。そんな経験は元の世界で何度も経験した。
「大丈夫だ。商工組合長の私が紹介すれば問題ない。それにそんなことを気にするような町の者たちではないよ。本当に今まで酷い目に遭ってきたんだね・・・さあ、一緒に馬車に乗りなさい。」
「ありがとうございますうううう。この御恩は生涯忘れませんんーー。」
マジョーリカはザックに抱きついた。無論、演技である。恩を素直に感じてここは素直に縋った方が良いと判断したのだ。なんでも言うことを聞く姿勢を示した方が向こうも何かしてあげたくなることを期待している。
ザックも美少女のはず?のマジョーリカに抱きつかれたら嫌な気はしない。鼻の下を伸ばすような色気はまったくないが、そこは大人である。
ザックは話は付いたと、ここでの休憩を切り上げた。商隊の者たちに指示を出す。
「ではそろそろ出発だ。少し遅れたけど予定通りで頼む。」
「分かりやした大旦那。」
そしてマジョーリカを乗せた商隊の馬車は出発して街道を進んで行くのだった。
「クロウ、馬車に着いてきて。荷馬車の屋根に止まってもいいわよ。」
使い魔との会話は魔力を乗せればかなりの距離まで思念として相手の耳に直接届くのである。大きな声を出す必要はない。マジョーリカは大仕事を終えたと安堵した。
(よし勝ったああああ。これで町の中に入れて現金が手に入るうううう。ザックさんが期待通りの大人物であればあちこちに口をきいてくれるかもしれないわね。
うん、幸先のいいスタートだあ。あのくらい恥ずかしくもなんともない。だって中身はおばさんだもの。いや、通算したらおばあさんというか化け物よね。ぷぷぷ。)
これで町に入れる。この世界のお金が手に入る。思わず勝利のポーズをとりそうになるのをぐっとこらえるマジョーリカであった。