クロウとの出会い
マジョーリカは商人らしい男たちと対峙する意を決した。逃げることは簡単であると思ったがそうではない。子供の足で走ったところで捕まるのがオチだ。魔法で空を飛んで逃げたら恐らく怪しまれてこの地には戻って来れなくなってしまうだろう。
そして今の自分は何をやっても許される・・・かどうか分からないが子供だったのだ。少々の失敗は笑ってくれるはずである。そのために子供の年齢を選んだのをすっかり忘れていた。よってこの商隊の男たちと意思疎通を試みることにしたのである。
「こ、こ、こんぬづわあ?」
「すごい言葉だねえ。どこから来たのかな?」
「お、オラの言葉おかしいだか? なまってるだか?」
すごい言葉とか言われてしまって、マジョーリカは思い切り凹む。
だがもう開き直ってやけくそである。とにかく会話を重ねて経験を積むしかない。言語を習得するのはそういうものだと、過去の人生経験から恥をかいて経験を積む覚悟を決める。
「うーん。なまっている、というのがよく分からないけど、ちょっとたどたどしい感じかな。で、親御さんは一緒ではないのかい?」
たどたどしいだと? 突っ込んでほしくないところを荷主らしい方の男はえぐる。
仕方ないだろう、ついさっき聞きかじった言葉を必死に操っているのだ。だがそれを言うわけにはいかない事情がある。マジョーリカはくじけない。
「オラ、田舎から出てきたもんだで、ちっと言葉おかしいくらいは堪忍してくんろ。まっだく通じないわげではながんべ?」
「ああ、まあ、言わんとしていることは分かるよ。でも、ここより田舎ってあったかなあ?」
(しまった。ここが一番辺境の田舎だったわね。おおお、田舎から出てきたというお約束の言い訳は通用しなかったあああ。)
必死の言い訳はさらに危機を招いてしまった。言葉がたどたどしいのは許してもらえないらしい。だが他に言い訳は思いつかない。マジョーリカは必死に考えた結果、ひとつの策を思いついた、
(さらに言語を補正よ。あの国の上流階級が使っていた言い回しに近づけてみよう。もう、何だってやってやるわ。)
「すみません、世慣れぬゆえ言葉をわきまえず失礼を致しました。これでお分かりいただけるでしょうか?」
「うわ、いきなりお貴族様らしい言葉になったね。いったい君はどこの子なんだい?」
(おおお、この世界にも貴族なんてあるんだ。貴重な情報っと。ええい、設定を考えろ。自分は一体何者なんだ、と。設定設定いいー。)
言い回しを変えたら途端に相手の態度が変わった。貴族と思われては田舎から出てきたというのはもはや通用するまい。
自分はどこから来たのかなんとか納得してもらわないと怪しまれるだけということが理解できた。考えてみれば当たり前か。
「どこから来たのかは存じませぬ。方々を巡って逃げてきましたゆえ、いろいろな所の言葉を聞いてきましたので・・・」
「ううん・・・その言葉といい、よく見れば綺麗な身なりといい、どこかいいところのお嬢様なのかな? うわあ・・・聞かなければ良かったかな。」
怪しまれている。しかも警戒もされ始めた。ここはなんとか誤魔化して警戒だけでも解いてもらうべきだ。お尋ね者にされては敵わない。
助けてくれとは言わないがせめて情報が欲しい。話を続けるために誤魔化すための設定をマジョーリカは考える。
「いえ、追っ手を見なくなってからもう何か月も経っておりますので心配は無用に存じます。この国の端を目指して逃げて来ましたから・・・」
「確かにここは国の最果てだね。だがこちらも商人だ。面倒ごとには近づかないことにしている。悪く思わないでくれ。」
逃げて来たと言ってしまった以上、警戒するのは追手が何者かということのはずだ。その心配はないと伝えてみたものの警戒を解いてもらえない。なるほど商人というのはそういうものなのか。
ならば話の流れを変えてみよう。こっちは子供なのだ。慈悲にすがったっていいじゃないか。
「いえ、親切でお言葉をかけてくださったのでしょう? 一人で心細かったですし、久しぶりに温かさを感じることができました。」
「そうかい、心細かったかい。水や食べ物はあるかな? そのくらいなら分けてやるよ。ひもじいのはよくない。心が折れてしまうからな。」
うまくいった。子供が1人でいて心配して話しかけてくれたことは分かった。ならばその流れに乗るまでである。
「ありがとう存じます。それではお言葉に甘えさせていただけますでしょうか。実はもう手持ちがありませんで・・・」
「そうかいそうかい。大したものじゃないが持っていきな。ちょっと待っててくれ。」
荷主らしい男は荷馬車に戻り、適当な袋にけっこうな量の食料を詰めて持ってきてマジョーリカに手渡した。男たちは面倒事と察して明らかに逃げの体勢に入っているので大盤振る舞いだ。
「おじさんに出来るのはこのくらいだ。嬢ちゃんが何者でどこから来たかも聞かない。だが頑張ってな。よし、行くぞ。」
「へいっ。」
男たちはそそくさと荷馬車の支度を整え、逃げるように休憩所を出発していった。
マジョーリカは荷馬車を見送っている。逃がしてしまったことを残念そうにするが、その顔に悲壮感はなく、安心感と達成感に浸っていた。
一方、街道に出てから荷馬車の荷主らしい旦那と呼ばれていた商人の男は御者に話しかける。
「なんだあの女の子は・・・いきなり言葉はお貴族様に変わるし、絶対に関わっちゃいけない存在だ。確かこっちの名前は名乗らなかったよな。危ない危ない・・・」
(聞こえてるわよ。聴力を魔法で強化していたら、このくらいの距離ならあなた達の会話は聞こえてしまったわよ。この世界の魔力は凄いわね。
まあ、無駄に怖がらせてしまったわよね。普通平民は貴族を怖れるものだし、ごめんなさいねえ。でも貴重な食料を調達、ありがとー。)
マジョーリカはこの世界で初めての人間との接触を果たして満足気であった。見捨てられたという気持ちはない。さっそく袋の中の収穫物を漁ってみる。
「うんうん。干し肉にビスケットみたいなやつに、パンかなこれは? ずいぶん固いけど日持ちしそうでいいわね。ふう、そういえばお腹空いたかな。いただきましょう。」
まだ独り言は元の世界の言葉のままである。河原の大きな石に腰かけ、ビスケットをポリポリとかじって空腹を癒した。
マジョーリカはビスケットをひとつ食べたところで、思い出したように馬が水を飲んでいた川の方に行き、水面に自分の姿を映してみた。まだ自分でも今の自分の容姿を確認していなかったのだ。
「おおお、確かにあの国での幼い頃の私ね。金髪碧眼の一等人種だったっけ? これはかなりの美人になるはずよ。肌の色はさっきの人も似たような感じだったし、浮いた存在にはならないでしょう。別に姿を見ただけでは驚いてなかったみたいだしね。
まあ問題はあの世界の美人がこの世界でも美人で通用するかということよね。美人は無駄に目立つけど何かと便利だし・・・ああ、美人だからお貴族様と思われたのかな?」
先ほどの男との接触を元の世界の常識で考察してみる。この世界の常識でも当たらずとも遠からずだったのは救いであろう。
マジョーリカは次の現地人との接触に向けて、何を確認して何を試すのか思考にふけってしまっていた。
ブツブツとつぶやいているその間に、一羽の黒い鳥が巨木の枝にバサバサと音を立てて舞い降りた。それに気付くとマジョーリカは迷わずバッと食料袋に飛びつく。
「お前、さてはこれを狙っているんだろう? これは私の大事な食料だ。お前なんかに取られてたまるものか。」
その判断は正しい。あと少し目を離していたら急降下爆撃機のような鳥の襲撃で食料は奪われていただろう。
「残念だったわね。少しくらいなら分けてあげてもよかったんだけど、お前は絶対袋ごと持っていっちゃうんだから。
あ、そうだ。ふふふ、いいこと考えたっと。」
マジョーリカは何か悪知恵が働いたようで、河原の適当な大きさの小石を拾い、手の中で魔力を通した。
「ふふふん、魔女の食料を狙ったのが運の尽きよ。この石に風の魔法を纏わせて・・・えいっ」
ぽいっと放った小石は風に乗り、一直線にカラスのような鳥に向かって・・・ビシっと命中した。
「クアアアアー・・・」
カラスのような鳥は飛び立とうとしたが、意識を絶たれてフラりと落ちていく。ダッシュしたマジョーリカは地面に激突する寸前に見事にそのカラスのような鳥を抱きとめた。
「ふふふ、捕まえたっと。意識はまだ少しはあるわね・・・今のうちに禁忌級の魔法を放つわよ。ええいっ『使い魔契約』ぅ。」
魔法が終了するとカラスのような鳥は完全に意識を失ってくたりとしてしまった。マジョーリカはそっと木の根元に優しく寝かせてやるのであった。
マジョーリカは一仕事終えたと、満足気にビスケットをもう1枚袋から取り出してかじった。もう食料を奪われる心配はない。
「これで目覚めたときにはあなたは私のものよ。ふふふ、魔女の使い魔といったらやっぱりカラスか黒猫よねえ。使い魔なんて雇うのはずいぶんと久しぶりかなあ。」
使い魔としたとたん、呼び方がお前からあなたに変わる現金なマジョーリカであった。しゃがんで膝を抱えて、じいいっと目覚めるのを待つ。
いい加減待ちきれなくなったのか、つんつんとつついてみたりするとぴくりと反応が返ってくる。
「なんだあ?さっき凄いのが飛んできたぞ?」
バサバサと目覚めるカラス。使い魔契約が成功すると、対象の意志が言葉となって伝わってくるのである。ただしこの世界の言葉であるが、どうやら先ほどの男たちと同じ言葉だったのでマジョーリカにも何を言っているか分かった。
マジョーリカは安心してカラスに話かける。
「ふふふ、逃げようとしてもダメよ。あなたは私の僕となったの。私が認めた範囲から出ることは許されないのよ。」
この世界の言葉に切り替えたら高飛車なお貴族様の言葉となってしまうマジョーリカ。カラスは目の前の人間から意志が伝わってきて驚愕する。
「くうっ、ここから動けねえ。おまえ、いったい俺に何をしやがった?」
「言ったでしょう? あなたは私の僕になったの。私の食べ物を狙おうとした罰なの。」
「狙ったくらい何だってんだ。まだ何もしてねえじゃねえか。」
当然の言い分だろう。鳥が木に止まるくらいで罪に問われたら生きていくことはできない。そりゃそうだとマジョーリカも思ったが、ここは折れるわけにはいかない。
「ふふふ。私の心を乱しただけで十分に罪なの。カラス風情にはそれで十分でしょう?」
「カラスって何だよっ。くそっ、この見えない檻から出しやがれ。こっちは昨日から何も食ってねえんだ。」
さらにバサバサと暴れるカラスのような黒い鳥。どうやらこの世界ではカラスという種族名ではないらしい。
「あらそう。カラスとは呼ばないのね。まあいいわ。不便だからあなたに名前を授けましょう。そうねえ・・・あの国の言葉にしましょうかしらね。いいこと、あなたの名前は『クロウ』よ。いいわね? 私が『クロウ』と呼んだら返事なさい。」
「なんだそりゃ。勝手に俺に名前を付けるな。さっさと出しやがれえ!」
カラスのような黒い鳥はひたすらもがくが、使い魔契約魔法による見えない檻の大きさはどんどん小さくなっているようで行動できる範囲がどんどん狭まっていく。
「あなたの意志なんてどうでもいいの。私が『クロウ』と言ったら『クロウ』なの。いい加減に従う姿勢を見せないとどんどん拘束が厳しくなるわよ? 私の言うコトを聞くなら食べ物と寝るところの面倒くらい見てあげてもいいのに。」
「本当か?」
食べ物と寝床のことを聞いたら途端に大人しくなるクロウ。現金なものである。さすがにカラス・・・らしい種族は知能が発達しているのだろうか。人間の住む所には食べ物や空間が余っていることを知っているようである。
「嘘を言ってどうするのよ。せっかく面倒この上ないことをして使い魔にしたというのに。勝手にのたれ死にされたら勿体ないじゃない。
いいこと? 私は今困っているの。いうコトを聞いて助けてくれたら、今は大したものを用意できないけどそのうちおいしい食事と温かい寝床くらい、いくらでも用意してあげてもよくてよ?」
「くっ・・・どうせ逃げようにも逃げられねえのか。無茶なことでないならいうコトを聞いてやる。で、お前のことはなんて呼んだらいいんだ?」
クロウは自分の運命を受け入れたようだ。その場にしゃがむ・・・という表現は適切ではないかもしれないが、足を折ってお腹をぺたんと地面につけた姿勢になる。一応逃げることは諦めたという態度に見えなくはなかった。
マジョーリカは過去を振り返って今まで使い魔に自分のことを何て呼ばせていたか思い出す。いろいろな呼び方をさせていたのですぐには思いつかなかった。
「そうねえ・・・『ご主人様』では気持ち悪いわね。まあいいわ。私の名はマジョーリカ。敬称は好きなように付けたらよくてよ。」
「くっ・・・偉そうな物言いだな。お前、『お嬢様』とかいうやつだろ? 名前より『お嬢』って呼んでやる。その方が楽だ。」
「ふふふ、短い方が手軽で早くて良いことは確かね。じゃあいいわよそれで。あなたから呼ばれたとすぐに分かるもの。」
マジョーリカは今までお嬢様となんて呼ばれたことはない人生だったので嬉しかった。初めて呼ばれたのが使い魔のカラスであってもまあよしとする。
「ああ、手軽で何よりだ。で、お嬢。こんな狭いところに閉じ込められたままじゃ何もいうコトを聞いてやれねえぞ?」
「ふふふ。早速いうコトを聞いてくれるようね。呼んだらすぐに来てくれるなら閉じ込めたりしないわよ。でも、すぐに来てくれないようだと・・・分かるわね?」
マジョーリカはジトリとクロウを睨む。生殺与奪とまではいかないが、閉じ込めて行動を制限することくらいは瞬時にできるのだということくらいは理解してもらわないと、余計なことをして本当に殺してしまいかねない。
「ああ、分かった。こっちは腹が減って死にそうなんだ。すまねえが何か食わせてもらえねえか?」
「ふふふ、干し肉でいいかしら? 私にはこれはちょっと塩気が強そうで、どうしようか迷っていたのよね。」
「ああ、頼む。いうコトを聞いてやろうにもこれじゃあ何もできねえ。」
マジョーリカは食料袋から干し肉を取り出してクロウに与えた。
「ほら、ありがたく頂きなさい。」
「くっ、その物言いはわざとやってんのか? そんな高飛車に出なくても食わせてもらえるならこっちは下手に出てやってもいいんだぜ?」
クロウはマジョーリカにかみつく。今まで人間に食べ物を貰ったことはないが、人間同士のやりとりを見て、これは理不尽な扱いをされていることはなんとなく想像がついたようだ。
「ああ、早速困ってるのがこれなのよ。この国の言葉を覚えたいのよ。いいこと、これから私とたくさんお喋りなさい。あなたの言葉から下々の言葉を覚えて行くんだから。」
「いいのか? 俺の言葉は人間でも汚い奴らから聞いた言葉だぜ? お嬢みたいな娘が使う言葉とは思えねえ。」
カラスのような鳥が人間の出したゴミを漁るのはこの世界でも同じらしい。クロウはそのような場所で食べ物を得ていたようである。
「大丈夫よ。そのような雰囲気だとは思っていたから、勝手に自分で修正するわよ。いろいろな国の言葉を知っているから、それと照らし合わせればどうとでもできるわ。」
「そうなのか。なんか凄い人間なんだなお嬢は。まあ。こうして話してる時点でとんでもねえ人間なんだろうが。」
知っている言葉にはどれも綺麗な言葉と汚い言葉があることは知っている、どのような種類があるか分かれば後は選択すれば良いのだ。
クロウとぺちゃくちゃとおしゃべりしていって、この国の平民の生活レベルを知るとともに、だんだんと普通の平民の言葉遣いらしきものに自分の言葉を修正していくマジョーリカであった。