9 戦争
今まで聞いたこともないほど大きな喧噪。人と魔物がぶつかり合い、多くの者が倒れていくのを、カンリは安全な上空から見ていた。
ここは、カンリを召喚したパグラント王国の隣国、タングット王国。今まさに魔物たちとの戦闘を繰り広げている最前線だった。
「どうだ、初めての戦場は?」
「・・・あんなに大勢の魔物がいるんだね。」
「あれは、ほんの一部だ。」
ヒックテインの乗騎に相乗りさせてもらい、カンリはここまで連れてこられた。戦場はまだ早いと制止するケイレンスを振り切って、ヒックテインはカンリを戦場の上空へと連れてきたのだ。
「戦ってみるか?」
「どっちでも。」
「なら行ってこい。」
ドンと、背中を押されたカンリは、そのまま戦場へと落ちていく。
「あ・・・」
青い空が赤く染まる。ヒックテインを乗せたグリフォンが消えて、灰色の校舎が目の端に映った。
あの時の光景が浮かび上がって、あの時の心情がよみがえる。
ぐつぐつと、煮えたぎる怒り。恨み。後悔。それでも晴らそうとして、晴らすことができず、諦めたのだ。
机の落書き。汚れた制服。隠された私物。嘲笑。
満点の答案、体力測定の結果。数々の表彰。
頭によぎった全てが、あの時と同じものだ。
「危ないっ!」
叫び声が聞こえるとともに、誰かに体を受け止められた。落ちていく感覚がなくなって、空も赤から青に戻る。
「大丈夫かい、ツキガミさん。」
「・・・はい。」
視界に入った金色の髪は、ヒックテインではなくケイレンスのものだった。にこにこと張り付けたような顔はそこにはなく、眉を寄せて険しい顔をしている。
怒っているようだ。しかし、その矛先はカンリではなく、ヒックテインだ。
「どういうつもりだ、ヒックテイン!」
「いや、悪かった・・・まさかそのまま落下するなんて思わなかった。」
「・・・空は飛べないけど?」
「いやいや、普通に着地するかと思って。」
「「は?」」
カンリとケイレンスの声が見事に重なる。
遥か上空から落とされた生身の人間が、無事に着地できると思ったらしい。いくら身体強化のギフトを持っているからと言って、そこまでのことを求められても困るカンリである。
「私、この世界に来る前に見た走馬灯を、今もう一度見たんだけど?」
「ヒックテイン!」
「悪かったって!でも、俺だって、そのまま落とすつもりはなかった。ちゃんと魔法の準備をしていたから、死ぬことはない!」
「・・・だいたい、なんで落としたの?」
「一度戦争を体験させようかと思って。」
「落とす必要あるのかって、聞いているのだけど?」
「・・・悪かった。落としても平気かと思って・・・」
「ヒックテイン・・・なぜ、女性を落とすなんて発想が浮かんだんだい?君がカンリに戦争を体験させたいのはわかったが、それがなぜ上空から突き落とすことになるのか・・・私には意味が分からない。」
「・・・お前が。」
「ん?」
「お前が、魔法を俺に教えた時、俺は突き落とされた。」
「・・・お前は、私の弟だ。私も、妹は突き落とさない。女性にはやってはいけないことだ、わかったね?」
「「・・・」」
いや、上空から突き落とすことに男女は関係ないだろうとカンリは思ったが、口には出さなかった。それよりも、ケイレンスの腕から解放してもらう方が先だと思ったのだ。
「ケイレンス・・・」
「・・・あぁ、もう大丈夫かい?」
「うん。」
カンリが今いるのは、ケイレンスの乗騎の上だ。下を見れば、まだ地上までは距離がある。ここから飛び降りるのは無謀だろう。
「もうすぐ、タングット王国は壊滅する。名をはせる騎士たちの半数が復帰できる状態ではないからね。それだというのに、魔族側は下っ端兵士しかまだ出てきていない。」
「下っ端兵士?」
人間のような物言いに首を傾げれば、ケイレンスははっとした表情をして、ごまかすように笑った。
「いけないね。・・・実は言ってなかったことがある。今、私達が戦っている魔物はね、人の言葉を解すんだよ。だから、惑わされないように、耳を傾けないように気を付けてね。」
「・・・そう。」
「驚かないんだね?」
「だって、そういうものなんでしょ?・・・それに、言葉を話す前に殺してしまえばいいだけだし。」
冷たく魔物を見下ろすカンリを、ケイレンスはただ見つめる。そんなケイレンスの視線が嫌になって、カンリはヒックテインに声をかけた。
「ヒックテイン、降りるから魔法をかけて。」
「わかった。地上に落ちる寸前に風魔法を使う。」
「・・・私は、特に何もする必要はないってこと?」
「魔法のことは俺に任せておけ。危なくなったら魔法で援護するし、戦場から離脱させてやる。」
「わかった、よろしく。」
そう言って、カンリはケイレンスの乗騎から飛び降りた。
ごうごうと風の音だけが聞こえ、ぐんぐん地面が迫ってくる。ぶつかると思ったときには、ふわりと優しい風に乗って浮き上がっていた。
ふっと体を包んでいた風が消えて、ゆっくりと着地をする。
初めて、カンリは戦場の地に立った。
怒声、悲鳴。お互いにぶつける感情は負のみ。濃い血の匂いと汗の匂い。赤く染まった地面に、ピクリとも動かない人々が転がっている。逆に泣き叫び芋虫のように這う人までいた。
顔を上げたカンリが目にしたのは、頭を食われて地面に倒れこんだ体と、その頭をつばでも吐くように口から吐き出す、4本足の魔物。
毛のない、紫色の皮膚をした、頭に二本の角のある魔物だった。
「案外、簡単そうでよかった。」
誰に聞かせるわけでもなく呟いたカンリは、斧の様な武器を構える。このような武器もあるのかと、不思議がったカンリだったが、破壊力が高い武器をまんざらでもない様子で振るった。
そこに、迷いはない。
一匹、二匹、三匹・・・軽々と魔物を葬ったカンリは、自分には斧ではなく鎌の方が似合うかもしれないな、などと思った。
宝物庫に鎌はなかったので、使う予定はないが。
その日、カンリの活躍によって、魔族は引いて行った。でも、これで終わりではない。今日は、下っ端兵士しか出てこなかったのだから。