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妹は兄の名前を知らない  作者: ながる


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妹:心の奥の奥にあるもの

 足の踏み場がない。

 むかむかと腹が立つ、その原因が見当たらない。何もかもが散らかっていて、探しても探しても見つからない。当たりをつけて手を突っ込むと、そこから上の層が全部崩れてきてさらに散らかってしまう。そんな感じ。

 本当は分かってるはずのことを直視したくなくて、わざわざ散らかるように探してるのかもしれない。


 お兄ちゃんは格好良かった。

 涼と園子は幸せそうだった。


 いくらそこだけピックアップしようとしても上手く出来ずに、残ったアルコールが、園子の口を塞いだ涼と目配せを交わすお兄ちゃんの姿をいつまでも繰り返す。

 お兄ちゃんが名前を教えてくれないのはいい。不自由はないんだし、タイミングを外してしまったら言い出しにくいのも分かる。

 だけど涼がそれに手を貸すとは思わなかった。あんな、あからさまに。

 周りの人には何のことか分からなかっただろう。ちょっとしたサプライズでもあるのかとも思ったかもしれない。

 

 ありえない。涼はお兄ちゃんのこと今でも疑ってる(攫ったうえに洗脳した、的な……)し、お兄ちゃんも最初から涼には当たりがきつい。披露宴の間だってお互い歩み寄る気配も暇も無かった。それなのに――

 これは疎外感だろうか。それとも、別の感情だろうか。園子や涼が知っていることを、一番近い自分が知らないのが悔しいんだろうか。お兄ちゃんが進んで名前を教えたわけじゃないことは分かってる。渋ってたのも知ってるのに、勝手にそんなことを思うのはみっともない。

 みっともないと思いつつも、じゃあ、“恋人ごっこ”を迫られた時、つつけば明かしてくれそうだった軽さは何なのか。と、イラついてしまう。その程度のものなら、園子が口を滑らすのを見逃してくれたっていい。


 だいたい、失礼だ。恋人ごっこをしたいなら、それなりの女の人を探せばいい。ひとりパートナーを決めてしまえば他を断るのも簡単だろう。わざわざ演技だと分かってる付き合いなんて、あたしはしたくない。お兄ちゃんは手近で、全部知ってるあたしなら面倒がないって思ったのかもしれないけど。

 誘えば付き合うなんて、本当に思ったんだろうか。お兄ちゃんにはそんな気が無いのをあたしは知ってるっていうのに。今は彼氏がいないから、偽りの優しさでも満足するだろうって?

 “よしよし”に浮かれたけどさ。あれは、一応お兄ちゃんの中から生まれたものだったじゃない。きっかけはあたしの言葉だったかもしれないけど。

 あたしが恋人探しを頑張ってるのは、お兄ちゃんの感じてる責任を軽くしてあげたいからで――


 はっと、暗闇の中、目を開く。

 ……それはお兄ちゃんが知る由もない話。あたしが、勝手にそうしてあげたいだけ。

 お兄ちゃんは何か深く考えて行動した訳じゃない。だから、謝れと言えば謝ってくれる。何が悪いのか解ってなくても。謝ってはくれるのに、教えてはくれない。『お兄ちゃん』をどれだけ知りたくても。「ほとんど空っぽだから」期待するなと、聞くだけ無駄だと何度言われただろう。

 しゅるしゅると怒りの気持ちがしぼんで、急に悲しくなった。これも、アルコールのせいだろうか……じわりと熱いものが瞳に浮かぶ。

 恋人と長く続かないのも、お兄ちゃんの名前を追求しないのもあたしの都合だ。


 結婚なんて全然考えてない。考えてるふりをしてるだけ。

 知られたくない名前を知ったら、お兄ちゃんは今度こそいなくなるかもしれない。

 だから……


 ……まだ、離れたくない。


 狡くてどろりとした本心が見えそうになる。

 開いていても見通せない闇に、ぎゅっと目を閉じる。涙の粒が頬の上を転がった。


 ――妹の立場を利用しているのは、あたしの方だ。



 * * *



 泣きながら寝てしまったからか、二日酔いなのか、起きたら頭がガンガンしていた。

 仕事には行かなきゃならないし、とりあえず起き出して薬を飲む。お弁当は冷凍食品多めで我慢してもらおう。

 日常に戻るのに、昨夜考えていたことにはとりあえず蓋をした。心の中の部屋を散らかしたまま、ドアを閉めて見ないふりをする。いつかはちゃんと片付けなきゃいけないけど、今はやめておいた方がいい。


「おは、よう」

「おはよう」


 鮭を焼いて、卵焼きとウィンナーも焼いて。起きてきたお兄ちゃんの窺うような挨拶に返事を返す。

 ご飯と味噌汁を用意している間にお兄ちゃんは洗面所に向かう。うん。いつもの朝だ。

 卵焼きを一切れ持ち上げた時、後ろからひやりとした物が目元に当てられて前が見えなくなる。


「――お」


 にい、と続けようとして、後頭部から響く声に遮られた。


「悪かった。謝るから、怒ってていいから、心を閉じないでくれ」


 頭を後ろに引かれ、お兄ちゃんの胸に押し当てられてる。その声は何だか焦りも含まれていて、どうしてだろうと考える。


「弁当も、いいから」


 それには小さく首を振って抵抗した。


「作りたいんだよ。タオル、どけて。卵焼き、落ちちゃう」

「ともき……」


 迷うお兄ちゃんの手の中で、お兄ちゃんはあたしの“心”を戻すことが仕事みたいなものだったことを思い出す。あたしはすっかり戻ったと思ってるけど、お兄ちゃんにしてみればまだまだ仕事の途中で、同じ轍を踏みかねないように見えているのかも。


「大丈夫。このくらい、誰でもするよ? 仕事に私情持ち込まないでしょ。いつまでもそのままにはしないから」

「まだ、怒ってるか?」


 そっと拘束が解かれて、目の前が明るくなる。


「怒ってる、っていうか、気分は悪い。頭も痛いし、二日酔いっぽいからあんまり構わないで」

「……そうか」


 一息吐き出しながら不機嫌に言ったのに、ほっとされたのが分かってなんだかばからしくなる。言わなくたって、お兄ちゃんはあたしのことにそれ程構う訳じゃない。

 怒ってる方が自分にちょっかいかけてこなくていい、なんて思ってるかもしれない。それも、なんだか面白くない。お兄ちゃんはホント、普通じゃない。

 普通じゃなくても、普通に戻らなくても、あたしは今の生活をやめようとは思わないんだよね。

 卵焼きを詰め込んで、出来上がったお弁当に蓋をして、朝ご飯に手を付け始めたお兄ちゃんを盗み見る。

 あたしが作ったものは必ず食べてくれる。少々失敗したって文句も言わない。褒めてもくれないけど。それが、出されたから食べるという機械的なものでも、何ひとつ繋がりのないあたしたちにとって大切なことのような気がするから、欠かせない。


「目、」


 視線を寄越さずに、でも見てるのは知っているという風にお兄ちゃんは語りかける。


「もう少し冷やさないと、腫れ引かないぞ」

「……余計なお世話っ」


 身を翻して洗面所に入ると視線が追いかけてきた気がした。

 鏡の中には不細工な女の顔。化粧で誤魔化せるだろうか。

 お兄ちゃんが当ててくれたタオルを、もう一度濡らして目の上に乗せる。根本的なところできちんと心配してくれるから、怒りも続かないんだよね……お兄ちゃんは“空っぽ”なんかじゃない。

 まあ、今回は、もう少し怒ってるふりしておこう。夜勤明けにコンビニスイーツでも買ってきてくれるかもしれないもんね。

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