1.冒険者都市アルトリア
「なぁ、そこの少年」
声をかけられてしまった。
塔を見て気分を高ぶらせていたところに余計な面倒事が入ったとしか、クレアは思えなかった。
振り返ったところにいたのはまだ年若い男だった。だが、体は屈強な戦士のそれであり、いたるところに筋肉の盛り上がりが見られた。顔立ちから見て、クレアよりも年は上だろうが、なんだか子供っぽさを感じさせた。
「なんだ?」
自分が思っていた以上に不快感丸出しの声を出してしまったが、実際に不快なので仕方ないと割り切った。
男もクレアの声を気にした様子もなく話を続けた。
「おう、ちょっと道を尋ねたいのだが、アルトリアへはどう行けばよいのだろうか? 知っていれば教えてもらいたいのだ」
クレアは男の頭の出来を疑いたくなった。本当に人間だろうかこいつはと。
先に述べたようにアルトリアには巨塔がそびえ立っている。そして、それはここからでも見えるのだ。迷子になるこの男の気がしれなかった。
「あれが見えるか。馬鹿には見えない魔法がかかっていたら、もしかしたら見えないかもしれないが、一応試してみろ」
初対面の男に馬鹿と罵るクレアも相当だが、その話を真面目に聞いている男はさらにひどかった。普通の男であれば、クレアの言動に腹を立て一触即発の空気になっていたに違いない。
男はクレアの指さす方角に目を向けた。クレアはその男の驚く表情を見て、これで大丈夫だと思い、止めさせられていた足を再び動か――せなかった。
「あの塔は……なんだろうか?」
男の呟きが耳に入ってしまったクレアは剣を抜きたくなった。いや、すでに手をかけるところまではいっていた。
「おい、お前。今なんて言った?」
イライラを隠さずにクレアは男に詰問した。アルトリアに巨塔が存在することは周知の事実だ。つまり、一般常識に等しい。それを知らないというこの男がおかしいのだ。
「だから、あの塔がなんなのかと。私はここから遠く離れた国の人間であまりこの近辺に詳しくないのだ」
遠い異国の出身だと言う男だが、少なくともあの塔くらいは知っていてもおかしくないのだがとクレアは思っていた。
「お前はあの塔が何かも知らずにアルトリアを目指そうとしてたのか?」
「そうだ。あそこには冒険者の最高の栄誉があると話には聞いている。私はそれを目指してここまで遠路はるばるやってきたのだ」
クレアは思わず顔を手のひらで覆った。
冒険者を目指しているというのに、塔の存在を知らないなどと言う男は変な奴としか言いようがなかったが、ここまで話しておいて知らんぷりという訳にはいかなかった。
「知らないのなら仕方ないか……あの塔には数多くの魔物が潜んでいて、それを冒険者が討伐して名声を上げる。そして、頂上には人智を超越した魔物が存在しているという噂だ。そいつを討伐することが俺たち冒険者の夢であり、手が届くかも怪しい目的だ。塔が突如出現してからもう一年くらいだが、アルトリアにいる冒険者たちも頂上には遠く及ばないようだ」
これが俺の知りうる塔の情報だった。塔の攻略が中々進まないのは、頂上に近づくにつれて魔物が強さを増していくためだ。その魔物達に成すすべなく敗れた冒険者は数えるのも馬鹿らしい。彼らもまた、クレアと同じように冒険者として名を上げるために挑んだに違いなかった。
「ほう、それは面白いな。私もまた冒険者の端くれだ。そんな話を聞いて黙っていられないな。急いでアルトリアへと向かうとしよう」
男はクレアの話を聞き終えると、クレアの横を抜けてアルトリアへと向かおうとしたが、クレアは一つだけ聞いておこうと思い、彼に声をかけた。
「お前、名前は?」
今まであまり気にしなかったが、後ろ姿で嫌というほどに目立っている巨大な盾、そして長大な槍がクレアの目を惹いた。
「スレイ・ボルダーだ。あの街で名をあげる一番の冒険者だ。覚えていてくれ、少年」
男はこちらを振り返ることなく名を告げ、スタスタと歩いて行った。
なるほど、異国から来たというに相応しい歩く速さだと、クレアはどうでもいいことを男の後ろ姿から感じていた。
「ここがアルトリアか。塔がこんなに近く見える」
クレアがアルトリアの巨大な石造りの門をくぐったときには、もう少しで日が沈む時間となっていた。
街に入ったことでより巨大に見える塔が夕日の燃えるような光を受けて赤く輝いている。
もう日が沈む頃だというのに、アルトリアは活気に満ちていた。クレアがいたトルネ村であれば、仕事に出ていた人たちや子供たちが家に戻り、あとは食事を取って寝るだけだったのだが、さすが都市というだけはある。
クレアにとって見慣れない光景ではあったが、賑やかな街を見ると無事にここまでやってこれたという実感がわいた。
間もなく日が落ちるということもあって、今日はこの街の様子を良く見たのちに宿をとることにした。
とにかく、今日の宿をとらなければ始まらない。早速、クレアは宿探しと同時に街の探索を開始した。
多くの人が行きかう広い道を歩いて進む。先ほど、クレアが入ってきたのが正門だったようで、荷を多く積んだ荷馬車や、それを運んでいる人々が多く目についた。冒険者が多いというこの都市であれば、あらゆる商品が売買されていることは想像に難くない。肉や魚、野菜などの食糧は勿論だが、貴金属などは冒険者の能力を高めるアクセサリーとしても機能するため需要が高い。
冒険者に宝石などは縁がないと思いがちだが、冒険者がいなければその宝石も手に入れることができなかったりするのだ。強い魔物ほど長い年月を生き抜いている場合が多く、美しい宝石を体内に宿していることが多い。冒険者の中にはそのような宝石を求めて一攫千金を夢見るものも多い。
しかし、若干15歳のクレアは近くで運ばれていた宝石に目もくれることなく、街の様子を伺うとともに頭の中に地図を描いていく。
このアルトリアは品物の取引も盛んだが、とにかく広いのが一番の特徴だ。下手に歩けば新参者などあっという間に迷子になってしまうだろう。だから、クレアは街に入る前から、街の広さを遠くからある程度確認していた。迷子になって時間を無駄にすることはクレアにとってあり得なかった。
「小道はあるけどほとんどの店は大通りにあるから、俺には大して用事はないか」
冒険者や街の住人にとって重要な施設は、そのほとんどが大通りに面していることが分かった。裏道にあるのは古びた店や、老朽化している家屋ばかりでクレアにとって役にたつことはなさそうだった。
簡単にではあるが大まかに街の地理を把握したクレアは、うろうろしていた途中で見つけたあまり高そうには見えないほどほどの宿屋に向かった。
その宿の名を見てクレアはぎょっとした。