賽の河原で。
『 賽の河原で 』
どこまでも続く深い濃霧。周りにあるのは石、石、石。
そんななか、彼女は鼻歌混じりにその石を積み上げていった。
彼女の名前は真理。もう立派な中学三年生である。
とにかく神話が大好きで、昔からありとあらゆる本を読んできた。
ギリシャ神話はもちろん、日本の神話に中国の神話…。
世界中の神話の殆どを彼女は知っていた。だから、ここが何処かもすぐに分かった。
賽の河原。
簡単に言えば、親よりも先に死んでしまった、十にも満たない幼い子供が来る場所である。
ならば何故、彼女がここにいるのか。経緯はこうだ。
死んですぐに三途の川まで来たものの、何故か彼女には一番重要なもの無かった。
そう。乗車賃である『六文』だ。
普通船に乗るためには六文必要で、これが無ければ死者はいつまでもこの世とあの世の入り口をさまようこととなる。
そのため渡し舟には結局乗れず、此処、賽の河原で油を売ることになったのだ。
この賽の河原、実は石を一定の高さまで積み上げると地上へ帰れるという逸話がある。
つまり、運がよければ生き返えることが出来るのだ。
だが、世の中そう簡単に話が進むものではない。賽の河原でもう一つ重要な逸話がある。
それは、鬼の存在だ。
牛と獅子を合わせた様な大きな頭、その手には、怪しく黒光りする金棒。
その姿を見た誰もが恐怖の余、息をすることさえ忘れてしまうという。
彼等は石があと少しで地上へ帰れる高さとなったところで現れる。
石の塔を破壊するためだ。
それでも地上へ帰りたくて、また石を積んでいく。それの繰り返し。
ゆらり、と霧が動いた。遠くから地響きも聞こえる。
「お!来た来た!」
真理は嬉しそうにその姿を探した。
地響きはだんだんと大きくなり、霧の中から大きな影が現れた。
鬼である。だが真理は怯えず、ただニコニコと笑っていた。
「久しぶり!元気だった?」
…神話オタクの真理。
彼女の夢は、河原の鬼と友達になることである。
赤い鬼はギョロリと目玉だけを動かした。
「最近冷えてきたからさ、風邪引かないようにね?」
とは言え、此処賽の河原は万年濃霧である。気温差はほとんど無い。
積み上げられた石の前で鬼は立ち止まった。
「鬼は風邪を引かない。」
その一言と同時に、石の塔が壊される。
それでも大して堪えた様子も無く、楽しそうにしている。
初めて彼女の塔を壊しに行った日。鬼はいつものように金棒を手に持ち、塔の前まで来た。
大抵の子供は怖くて逃げるか、壊さないでくれと泣きついてくる。が、彼女は違った。
「は、初めまして!今日からここで石を積み上げることになりました!これからよろしくお願いします!」
そう言って頭を下げてきたのだ。鬼は驚きの余、金棒を落としてしまった。
この赤鬼、その名を『ヌ』と言う。
初めは霧から出てくるので『霧太郎』と呼んでいたのだが、この呼び名がよほど嫌だったらしい。
珍しくも、鬼のほうから真理に教えてくれたのだ。
ヌ曰く、鬼の名前は五十音から好きなものを選ぶらしい。
何故『ヌ』にしたのかを聞くと、金棒で叩かれそうになった。
ヌは他の鬼に比べ良く話す。
誰かと話をするのは元々好きだったらしく、何かを問えば必ず答えを返してくれる。
鬼はどうやって生まれるのか。何を食べているのか、地獄や天国はどんなところかなど。
一つ一つ丁寧に教えてくれる。
中でも興味深かったのは、『河原の鬼』についてだった。
ヌはこの話をするのを嫌がったが、最後には遠くを見つめつつも、ちゃんと話してくれた。
「河原の鬼はただ意地悪で、子供の積み上げた石を壊しているのではない。
我等は子供達に『厳』を持って接することで、仏になれるのだ。」
「じゃあ、石の塔を沢山壊せば神様になれるってこと?」
「そうだ。我は仏になりたい。他の鬼とて同じ思い。だから壊す。壊し続ける。だが…」
ヌは少し俯いた。
「我は迷っている。」
鬼は笑わない。
表情を作ることが出来ないのだと、前に教えてもらったことがある。
しかし、このときのヌの顔はなんだか悲しげに見えた。
また、真理の塔が壊された。
「ねぇ、これで何回目だっけ?」
「百二回目だ。」
「覚えてるんだ…。」
彼女は退屈そうにしながらヌの方を見た。
本当に、いつもと変わらない。
「なれないね。仏。」
「…そうだな。」
鬼は踵を返し、その場を立ち去ろうとした。
そのとき、パンッと手を叩く音が河原に響き渡った。
「待って!」
振り向くと、そこには満面の笑みが見えた。
「今日こそなろうよ。仏にさ。」
そう言うと、真理は石の塔を作り始めた。
長い間この作業のみをしていたため、流石に完成するのが早い。
「…?」
ある程度積むと、今度はその塔の隣にまた別の塔を作り上げていく。
「ほら、こうやって私がどんどん塔を作っていくからさ、ヌはどんどん壊してってよ。」
彼女は鼻歌交じりに石を積み上げる。
ヌは、何も言わず一番目の党を壊した。
作っては壊され、作っては壊され…。
本当に、ただそれだけの繰り返しだった。
作るのは大変。壊すのは一瞬。流石に真理も疲れてきた。
「ゴメン、ちょっと休憩…。」
彼女は大胆にも、その場に寝転がった。
石の布団は寝心地は悪かったが、ひんやりとしていて気持ちよかった。
ヌは相変わらず無言のままだった。
「後どれくらいで仏様になれるんだろうね…。」
適当な石を手に取り、それを眺めながら呟く。
ふいに、金属音がした。見ればヌが金棒を置いて座っている。
鬼はそのまま、徐に石を持ち上げた。
その石をどうするのかと思い見ていると、以外にもその石は他の石の上に置かれた。
「何してるの?」
「石を積んでいる。」
積んでいる途中で、塔は何度も壊れた。
これが初めての体験なのだから仕方がない。
それでも鬼は石を積むのをやめなかった。
その間真理は見ているだけだった。
長い時間をかけ、ようやく石の塔が完成した。賽の河原では初めての、鬼が作った石の塔だ。
「凄い凄い!立派なのが出来たじゃん!」
それはお世辞にも立派、とは言えない出来栄えだった。
石の大きさはばらばらで、今にも崩れそうだ。
だが、それでも真理は笑顔で拍手を送る。ヌががんばって作ったからだ。
ヌは無反応のまま、金棒を手に取った。
かと思えば、なんとその金棒を真理に差し出したではないか!
当然、真理は驚いたが、それ以上に驚くことが起こった。
「この塔を壊せ。」
そう、短く言われた。
「駄目だよ!だってこれはヌががんばって作った塔だもん!」
「壊せ。」
「それに、こんな重い物持てないよ!」
「安心しろ。鬼の金棒は持つ者によって重さが変わる。」
「でも──。」
「壊せ。」
鬼は一歩も引かない構えだ。
その強い意志を読み取り、真理は渋々承諾した。
「わかった。やってみるね。」
手に取ったそのときは、金棒はずしりと重かった。
だが、次の瞬間には鉛筆のような軽さになっていた。
「…ごめん。」
そっと、石の塔を突付いてみた。
案の定、不安定な塔はいとも簡単に崩れ去った。
鬼は何も言わない。ただ、崩れ落ちた石達を眺めていた。
が、しばらくするとまた石を積み始めた。二個目の塔が出来上がった。
鬼はまた「壊せ」と言う。
それは誰が見ても奇妙な光景だった。
いつもと立場がまったく逆なのだ。
鬼が石を積み、人がそれを壊す。何度も何度もそれを繰り返した。
これで何回目だろうか。
ヌは石を見つめたまま、何も言わない。
ついに鬼は、石を積むことをやめた。
河原には相変わらず濃い霧が立ち込めている。
空も無く、風も無い賽の河原。
──このまま、この時が永遠に続くのではないだろうか。
そう思えたときだった。
ふいに、鬼の目に涙が溢れた。真理はぎょっとした。
「え?何?どうしたの?」
心配して声をかけたものの、鬼の涙は止まらない。
ぼろりぼろりとまるで卵のような大粒の涙が零れ落ちる。
ヌは泣きながらポツリ、ポツリと話し始めた。
「我は…我は今まで幼子に…こんなにも酷い事を…!」
鬼は立ち上がり、天に吼えるが如く叫んだ!
「何が『厳』だ!我らの行為は『邪』ではないか!
幼子が苦しめられている間、仏は何をしておる?
仏は何故救いの手を差し伸べぬのだ!」
叫んでも、誰からも返事が返ってこないことなど分かっていた。
だが、鬼は叫ばずに入られなかった。
しかし河原の霧はその言葉さえ、包み込んで消してしまうかに見えた。だが、
「それじゃあさ、」
返事はちゃんと返ってきた。
そこには、長い間ずっと見てきた笑顔があった。
「ヌが救えば良いんじゃないかな?
ヌは大きいし、小さい子を体の後ろに隠しちゃえば良いんだよ。
そうすればその子はほかの鬼に見つからない。でしょ?」
鬼は、何かを悟ったかのように頷いた。
何か決意を決めた者の顔とは良いものだ。
このときのヌは、真っ直ぐな目をしていた。
真理はそれに満足し、鬼にうなずき返す。
「がんばってね。」
そう言って、彼女は鬼に金棒を差し出した。
ヌはその金棒を受け取る。
刹那、金棒が金色の錫杖に変わり、一陣の風がヌの周りを取り巻いた!
光り輝く風のまぶしさに、思わず真理は目を瞑る。
しばらくして恐る恐る目を開けてみると、そこに鬼の姿は無かった。
しかし、変わりに、純白の法衣を身にまとった美しい女性が立っていた。
背中からは後光がさしており、彼女の周りを光の粒子がちらちらと遊んでいる。
まさに、仏そのものだった。
「真理。」
「は、はいっ!」
突然名前を呼ばれたので、声が裏返った。
その反応をみて、美しい女性は可笑しそうに微笑んだ。
「どうしたのです?今まで気軽に話していたではありませんか。」
「えっ…?」
真理は未だに状況をつかめず、キョトンとしている。
「あなたのお陰で、私はこうして仏になることができました。
あなたがいなければ、私は人をいたわる気持ちを知らぬままでいたでしょう。
深く、感謝いたします。」
女性は手を合わせ、丁寧にお辞儀をする。
真理は眉間にしわを寄せた。
「仏になる…?あ!もしかして…ヌ?」
その言葉に、少し困ったような笑みが返ってきた。
「やっと気づかれましたか。」
「でもまさか…女の子だったの?」
「ふふっ。鬼に性別はありませんよ。基本的にどちらにもなれます。」
あの恐ろしい鬼が、ここまで美しい女性になるとは。
流石の真理も予想ができなかった。
「あなたには御礼をしなければなりませんね。」
彼女は鬼の涙で出来た水溜りにそっと錫杖を近づけた。
すると、水溜りの中から植物の芽が出てきた。
その芽はどんどん成長し、終には白い花を咲かせる大木となった。
「綺麗!」
「この木にはあなたの名前をつけさせていただきます。
きっと、賽の河原の憩いの場となるでしょう。」
真理は顔を赤くしながら笑った。
「なんだか照れるなぁ…。」
「それともう一つ。」
ヌは錫杖をシャランと鳴らした。
「あなたを現世へ還します。」
見る見るうちに、真理の体が輝いてくる。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「安心してください。あなたの体はまだ生きています。」
「そうじゃなくて…」
その気持ちを読み取ったのか、ヌは優しく微笑んだ。
こうしている間にも、指の先のほうが透けくる。
「私はこれから『地蔵菩薩』と名乗り、ここの幼子たちを救っていきたいと思います。
少しでも子供たちを幸せにするために…。」
再び、シャランと綺麗な音が鳴る。
「だからあなたも、現世に還ったらがんばってくださいね。
悲しみや絶望に負けないで。強く生きてください。」
「ヌ…じゃなくて、地蔵菩薩さん…有難う。」
「呼び捨てでいいですよ。」
もう体のほとんどが透けている。
薄くなってゆく視界の中、彼女の嬉しそうな、それでも悲しそうな顔が見えた。
「そうそう。何故私が女性の姿を選んだのかというと」
世界が殆ど白く見える中、地蔵菩薩の声が聞こえた。
「あなたと出会ったからです。」
再び世界に色が戻ったとき、あぁ、戻ってきたんだなぁ、と思った。
それと同時に、何故か涙が溢れてきた。
「一重積んでは父の為。二重積んでは母の為──」
「おばあちゃん、それ何の歌?」
夏の縁側、風鈴の心地よい音の元、一人の老人が孫に歌を聞かせていた。
「賽の河原の歌だよ。」
「賽の河原?」
子供は目を輝かせながら聞いてくる。
「そうさ。石を積んでいると怖い怖い鬼がやってきて、その石を壊しちまうのさ。」
「えぇ!そんなのヤダ!」
先ほどとは反転、泣きそうな子供の顔を見て、老人は微笑んだ。
「でもねぇ、そんな賽の河原にも綺麗な花が咲いている場所があるんだよ。」
「え?どこどこ?」
「『真理の木』といってねぇ。大きな木なんだけども、とても綺麗な白い花を咲かせるんだ。」
「真理の木?おばあちゃんと同じ名前だね!」
「そうだねぇ。」
老人は、青い空を見上げながら言った。
「そこに行けば、地蔵菩薩にも会えるかもしれないねぇ…。」
「地蔵菩薩って誰?」
「ふふふ。それを話すにはちょいと長くなるかね。」
「教えて教えて!」
「しかたないねぇ…」
「昔々、顔は怖いがおしゃべりが好きで、心の優しい鬼がいました。」
終わり
自分の中でも結構古い小説です。
今見ると文の構成とかボロボロですねぇ…(汗
正直これを載せるのはどうかと思ったのですが、あえて投稿させて頂きました。
思いれもあり、割と気に入ってる作品でもあります!
少しでも楽しんで頂けたらなぁと思います。
ここまで読んで頂き、有難う御座いました。