中編
祖父宅の縁側に座りながら懐中時計のゼンマイを巻く。カリカリと心地よい音がする。お祖父ちゃんは思ったよりはよさそうだった。ボクが鉄道で働いていることも知っていて、放任というかなんというか、よいとは言わないが、悪いとも言わない。
外は段々の田畑が広がり、鉄路が遥か先に谷越しに見える。タンク機が短い列車を牽きながら走るのが見えた。戦争中に疎開して以来か。もう十二、三年たつ。あの時とそう変わらない風景。元々祖父はこの辺の地主で、GHQの農地解放令により、土地を手放した人だ。時計のゼンマイを巻き終えてつい、「定時」の時計を探してしまった。時計を正確に合わせる癖が着いたのは、鉄動員になりきれたと言う誇りを思い起こすのは、ボクだけかな。
本棚まで行こうとしたときに、母が下りてきた。昨日躯の隅々まで採寸したと思うと、そのまま部屋に籠っていた母が。嫌な予感しかしない。手にしている花柄のそれはなんだ。判るけど、わかりたくない。
着替えるようにと念がおされたそれは、花柄のワンピースだった。しかも襟刳りが大きく開いていて、しかも袖口や裾にはフリルがあしらわれている。女の子してるデザインで、これを着るのは相当な気合いが要る。
もし母がこんな人でなければ、ボクはここまで女として生きると言うことを嫌がりはしなかったかもしれないと思う事がある。母の言うことをまとめると、女とは常日頃から誰かに付き従って家に閉じ籠らねばならない非力な存在なのだ。ボクはそんな生き方は嫌だ。広いこの世界で、ボクはボクの夢を貫きたい。反発からか余計にそう思ったものだ。そして母はそんなボクを叩いたり、外出を禁じたりした。裁縫もやらされたし、レース編みとかもやらされた。レース編みは下手で、失敗する度に母は烈火のごとく怒ったものだ。裁縫は機関車の仕事をやる人はわりと必須だから役に立ったけども。萩野機関士なんか、自分で継当てもやるし、ボタンもさっと着けるし。それ以外で役に立ったものはない。そして、母に泣かされたボクを慰めてくれたのは父だった。時には鉄道の博物館にも連れていってくれた。そこで見た、『鐵道信号』という映像がいまのボクの原点だ。あれ?
物心ついて以来、ひょっとしたらそれ以前からボクはボクが女でないと自認している。何故かはわからない。ボクの他にそのような人が居るとも思えない。それが原因で周りから避けられたことも、心無い誹謗中傷に晒されたこともある。いまの職場でも、はじめは避けられていたし、早く諦めさせるために敢えてきついところに回されたこともある。そんなこんなで余計にこじらせた、そんな風に思うのだ。
躊躇いながらなんとか着たそれを、母は上機嫌になって解説する。曰く布地がさわり心地のよい物を使っているとか、曰く涼しげな形をしているとか何とかかんとか。悉くそれを聞き流しながら、鏡に写るものは自分でないと自分に言い聞かせ続ける。頭がいたくなってきた。
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そのまま買い物に連れ出された。いろんなところで娘自慢とかなんとかやられて、恥ずかしいやら苦しいやら。いまの気持ちを簡単に表すと、洗罐剤の入った水を間違って飲んだときの胸が焼けるような熱さ。違うのは吐くに吐けず、倒れるに倒れられないことだ。真夏に貨物列車のカマで坂道を駆けたのに比べたら軽いからか。倒れられたらまだ楽な気がする。