フクシマに積もる雪・解説編
「フクシマに積もる雪」について、公開している分だけではあまり私の意図が伝わらない気がしたので、急きょ作成しました。
一読頂いたうえで、もう一度読んでもらえれば、幸いです。
解説せねばなるまい。といっても、自分で自分の作品を解説するなんてのは邪道だし、本当は私の信念に反する。が、この場合、作品の背景について語らないと片手落ちな気がしたので。
作品製作のきっかけは、原発事故について取り扱った某本。ちょっと調べれば出ますが、実名出してやる事ではないので伏せときます。
その本の中では、事故によって家族が引き裂かれ、悲劇的な末路を辿る少女が取り扱われていました。
事故云々についてはその通りだし、そうした悲劇があったのも分かります。
が、それを商売にするのはどうだろう?と思った訳です。
作品作るのは自由ですし、どんな心意気であったかなんていちいち推し量る事は出来ません。が、こうした作品の乱立によって、福島県産が危険極まりない物とか、死の土地だとか言われ続ける原因になる事を理解して書いているのか?という疑問が出てきました。
私も原発から遠い場所とはいえ、福島県民です。町のあちこちにソーラーパネル付きの放射線測定器が設置してありますし、地場産品を扱うお店の片隅では放射能測定の為の装置と部屋が用意されています。全部調べた上で出荷しているし、町の中は低い数値で推移している事が分かっています。勿論私は毎日食べてます。今年も山菜が採れ、美味しく頂いております。私は鼻血を毎日流したりしないし、ホールボディカウンターの測定の結果内部被爆も無い事が分かっています。
が、そうした事実を『踏まえず』、「フクシマ」と一括で呼び、危険な場所、近寄っては行けない場所と声高に叫ぶ人間がいるのも事実な訳で。その一声でどれだけの人に影響があるのか、理解もしていないでしょうに。
原発周りが安全!なんて言う気は、さすがにないです。何度か横を通りましたが、数値で出てます。でも安全な場所、安全でない場所って、もう少し冷静に見れないもんですかね?
この震災後五年間というのは、一生懸命やっても、そうして無碍にされる五年間でもあったと思っています。
作品を発表した後、その先生が何かしら福島の為に何かしよう!と行動されているのであれば、理解してくれてると分かります。が、やりっぱなしってのは、どうなの?ただ悲劇を書きたいが為に利用したんじゃないの?と邪推したくもなります。
だから、最大限の嫌がらせをしてやろうと思った訳です。あれは、そうした作品です。
私怨と言われればそうです。認めます。私はそうした無責任な危険論を吐く人間に対して、強い嫌悪感を抱く、未熟な人間です。
一方で、作品中でもある通り、測定しない物、基準値を超えた物を出荷してしまう福島県民にも怒りを覚えます。そのせいで、回復してきていた信頼が傷つく。数値だなんだといっても、結局最後は信頼の問題だというのに。
語れば止まらなくなってしまいますので止めます。が、それでも前に向かうしかない。その背景があっての「五年後」でもあるのです。
建物、道路などのハードは徐々に整ってきました。しかしソフトは……?まだまだ課題は山積。でも、頑張るしかない。
この事だけはお伝えしたく、自分の信念を曲げて解説として書きました。
現実は非常である。
でも頑張ります。
本来であれば自分の作品の解説とか、やりたくないんですがね~。言い訳しているみたいで。
でもちゃんと伝わってほしいので、少しだけでも心意気をくみ取ってもらえれば幸いです。