蜉蝣
――――影の繕い。いつか晴れると信じてようが、信じてまいが怔艷は存在していた。
煦煦した里に当たる陽の欠片は、有象無象の覬覦を受け皿としていた姿は似而非の靄靄のようにも思えた。
私は虚構が蔓延るこの世界で、何の夢も見つけられないでいた。
齟齬した感情を籲天しようが、纔な希望も甕裏醯鶏な自分には届かないのだ。
皚皚の朧なる雨は甕牖縄枢な私の姿のアイデンティティーを消失させるかのようであった。
―――そんな情景を雍煕する自分の姿は、何処か儚くも残念に思えた。
廱疽が心の中を巣食う。世間から独立した我が身の存在は庸愚に感じられるだろう。
―――ついこの間、私は吉野 弘が書いた小説である「I was born」を読んだ。
手に入れた際は瑶瓊を扱うかのような滑稽な姿だったと言われたが、順応した今では多少汚くなっている。
…まあ、此処で麤枝大葉のような文章を推敲しているだけでその事は言われようともおかしくない。
ともかく、私は頤で縄を追われるまでは喜慍を此処で表現したいものだ。
――――さて――――
そのI was bornと言う小説は主に父と子の会話で成り立っている、短編小説である。
私の書く稚拙な文章より遥かに驥尾な小説だが、その少ない内容からして私は感銘を受けた。
生に乏しく、何時死ぬかも儘ならない我が身として、生きる事を願い、そして羈鞅を付けられた足枷の身は何かを願った。
私は…蜉蝣なのかも知れない。
生まれてから二、三日で死ぬ蜉蝣は生を受けて尚、必死に足搔いて生きようとして踠く姿は最初は覉客の笑みを浮かべられたものだ。
口は退化し、五臓六腑は空である。何の為の現世で輝嚇したのか、下らないディプラヴィティと思っていた。
だが、卵だけ…そう、自分の子孫の夢はぎっしり詰まっていたのだ。
私は蜉蝣を見た事はあるが、解剖を指し示したことは無い。
だが、その卵の姿は生が何であるべきか、私に教えてくれたものだ。饑寒な私を暖めた亀鑑のような真実であった。
讒誣では無い、その或るべき生の姿は、私を旰昃まで考えさせたものだ。
夢寐の憔悴感。私は受身形なのだ。…そう、「I was born」したのではない、「I was born」されたのだ。
感情を拡大鏡や顕微鏡で見られているかのような気持ちであった。
この世界に生を受けた以上、やはり羈鞅を付けられた我が身も隳敗するまでは生き続けよう―――そう自身を付けてくれたのだ。
虁鳳も、その生には逆らえない。人生の道をどんなに彳亍しても、やはり死と言う壁は乗り越えられないでいた。
私は其の本に蝋燭の光を灯し続けていた。
氤氳が戻ってきた広間は静まり返り、声も音も広間に鬯浹しなかった。
私の心に残った黮闇は淋しげに纘繼していたかもしれない。
鬮するはずが鬮された・・・戇愚な話で終わりそうな私の終焉も、虚構が灎灎とした中で終わったのであった。
空鬮か?…いや、違う。どの鬮も外れでは無い。人生に、外れと言う道は無いのだ、と。
外では風の芔の音が響く。
空はいつの間にか朧月が出ており、皚皚の冷たげな雨が降り積もる。
瀟灑な飂戻に黮闇を乗せた時、私は本当の蜉蝣に為れたのかも―――しれない。