第七話 『ラブコメ回』 Cエミー編
館内の暗闇の中にはファッション店や雑貨店が幾つも並んでいた。
閉館時間はとうに過ぎており、各テナントの入口にはネットが掛けられている。人影はない。静かだ。しかし、エスカレーターの近く、休憩所の一角から微かに音が聞こえ、光が漏れていた。休憩所にはテレビが置いてあり、その電源が入れられたままの状態になっていたのだ。
『……くらえ! ディモールショット!』
テレビにはクリーチャーと戦う赤司の姿が映っていた。
向かいにあるベンチから軋む音がする。
何者かがそこに座り、輝く画面をジッと見つめていた。その何者かは、赤司の顔のアップが映った時、ぎこちなく呟いた。
「アア、素敵……素敵、コノ人。私ノ、運命ノ人……」
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
「うーん。キラキラしてて近未来って感じですね……」
店に張ってあるポスターを見ながら桃が呟いた。
「黙っていれば男前なんだよなあ。もったいない……」
隣にいる赤司は同じポスターを見ながら言った。
ポスターには、紫色の口紅をつけ、気取った顔をした先峰が写っている。
二人は、コスメブランド、ディモールの店先にいた。隊員達は今現在もディモールレンジャーを名乗っているのだが、それだけではなく、メンズコフレのモデルに先峰が起用されたのだ。
「でもさあ、これって先峰君みたいな二枚目じゃないと似合わないよな。菰田さんが同じ口紅をつけた時の顔を見ただろ? 売れんのかね、これ」
「ちょっと赤司先輩! 恥ずかしいから店頭でそういうこと大きな声で言わないで下さい!」
桃に引きずられて上りエスカレーターに乗る。そこは地下三階からショッピングフロア最上階の五階まで円柱状の吹き抜けになっており、ツタのような電飾が幾つもぶら下がっていた。赤司と桃は休日が重なり、渋谷の商業ビル、ヤミエに買い物に来ていたのだ。
赤司は、電飾を眺めながらエスカレーターの手摺りにもたれ、ぼんやりと口を開いた。
「……二枚目と言えばさあ、御影君、カッコ良いよな。見た目も中身も」
「そうですか? 私はちょっと苦手ですね。完璧過ぎるっていうか、隙がないっていうか、近付き辛いです。私は……隙がある人が好きですかね……」
「隙ねえ……確かに、何回か訓練室で格闘の手合わせをしたんだけどさあ。彼は全く隙がなかったね。あれは相当強いよ」
「そういう隙の話じゃないですよ」
「あ? じゃあ何?」
「分からないなら、もう良いです」
桃が拗ねた表情を浮かべる。
「なんで機嫌損ねるんだよ……あ、分かった。悪い悪い、俺が悪かった。なんだかんだ言ってもさ、俺は篠原隊員が一番好きだよ」
「……え?」
「ほら、篠原隊員は派手な近接格闘が得意じゃん。そういう戦闘スタイルが一番好みだよ。御影君みたいなさ、無駄のない合理的な動きよりも魅力を感じるね」
「一体何が分かったんですか? 見事に嬉しくないです……」
その後二人は、レディスファッションのフロア、四階に降り立った。
エスカレーター乗り場の隣にはテレビと自動販売機の置かれた休憩所がある。それを見て赤司は提案をした。
「ちょっとお茶でもしようか」
「じゃあ、上の階のカフェに行きませんか?」
「えー、ここの店はどこも値段が高いよ。ペットボトルで良いよ」
「もー、どうしてそういうことを堂々と言っちゃうんですか」
桃は唇を尖らせながらもベンチに腰を掛けた。赤司は自動販売機でジュースを二本買い、そのうちの一本、濃厚フルーツオレを桃に差し出した。
「ほい、おごり。好きでしょ? これ」
「あ、ありがとうございます……で、先輩。どんな物を買うか決めたんですか?」
「いいや、全っ然っ! 何が良いか分からないから篠原隊員に来て貰ったんだろ?」
「潔子さんの喜びそうな物ですよねえ……」
先日、潔子が国際レンジャースーツオペレーター試験に合格した。同試験は、医学と工学の知識が必要な上、語学も堪能でなければならないという難易度の高いものだ。
赤司は、その合格祝いのプレゼントを探しにきていたのだった。
「……今更ですけど、大袈裟じゃありません? 誰もプレゼントなんて用意してないですよ」
「うん……実はさ……潔子さん、会社を辞めるんじゃないかって思うんだ」
「え? どういうことですか」
「だって不自然だろ? 突然、試験を受けるなんて。しかも合格。資格を持っていれば、警察や消防、自衛隊、軍隊とかで引っ張りだこだぜ。もう貧乏中小企業にいる必要ないだろ」
「じゃあ、送別のプレゼントの意味合いもあるってことですか?」
「すぐに辞めるってことはないだろうけど、まあ、そうだね」
そこまで話をすると、桃が少し思いつめたような顔をした。
「……先輩、一つ聞いても良いですか?」
「なに?」
「潔子さんの、どういう所が好きなんですか?」
「は? ちょっ、ま、ええ? 何言ってんだよ!」
「分っかりやす……」
「なんでなんでなんで、なんで分かったんだよ」
慌てて詰め寄る。それに対して、桃は落ち着いた調子で話し始めた。
「なんとなくですかね。他の人は気付いていないっぽいですけど、私は入社してすぐに分かりました。あ、この人が先輩の好きな人なんだなって。潔子さん、凄い美人ですしね」
「美人? そうか、言われてみれば美人かもな。あんま意識してなかった」
「え? じゃあもう一度聞きますけど、どこが好きなんですか?」
「うーん……そうだねえ……耳が……」
「耳? 潔子さんの耳って、そんな印象的でしたっけ?」
「違うよ。俺の耳の話。潔子さんってさ、無線で指示を出す時、囁くような声を出すことがあるだろ? 例えば、『真面目にやって下さい』とか。その声を聞くとさ、耳がゾワゾワして、心地良いっていうか……うん。好きなんだよね、俺……」
「嗜好がマニアック過ぎて理解出来ないんですけど……とりあえず、本気で好きってことですよね。はいはい。だから送別の前にプレゼント持って告白ですか」
「は? 告白なんかしねえよ。そういうの、諦めてるっていうか、別に何も望んでない……何より俺は七つも年下なんだぜ。異性として、見られてないよ……」
赤司の言葉を聞いた桃は、深く共感したかのように何度も頷いた。
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
画面には、赤司と桃の姿が映っていた。
休憩所を発った二人は、寄り添いながら館内の通路を歩き出した。時折、桃が店頭に並ぶ商品を指差して赤司の手を引く。けれど、その度に赤司は首を傾げた。
二人の姿はまるで、浮かれた彼女と、買い物に無理矢理付き合わされている彼氏のようだった。
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
「……あ! スカーフですよ。スカーフ。潔子さん、よくCA巻きしてるじゃないですか」
桃が手を叩き、店の棚を示した。
「シーエーマキ? なんだよそれ。シーフード手巻き的な食べ物?」
「と、とりあえずスカーフ巻いてますよね? プレゼントに最適だと思いません?」
「うむ。良いんじゃないかな」
「どうして突然不自然に偉そうなんですか」
「だって、ここ居辛いんだもんよ! どう振舞ったら良いか分かんねえよ!」
「だから一々声が大きいですって! ほら、早くどれにするか選びましょ」
「俺、良く分からないし、選んでよ」
「はい? それくらい自分でやって下さいよ……あ、じゃあこれなんてどうです?」
桃はおざなりに赤と金の幾何学的な模様のスカーフを指差した。
「うーん、派手じゃない? 潔子さんはもっと落ち着いた感じだよ」
「しっかり文句だけは言うんですね」
「てか、高っか! ただの布が俺の一ヶ月分の食費と一緒なんだけど」
「シルク製のブランドものなんて、こんなものですって。これでも安い方ですよ」
「そ、そうなんだ……分かった。はい。じゃあ、次の候補をお願いします」
「偉そうだなあ……あ! これ! これ凄い可愛いですよ!」
桃は淡い緑とピンクの花柄のスカーフを手に取り、自身の首にそれをあてがった。
「確かに可愛いけど、潔子さんよりも篠原隊員に似合ってるよ。うん、可愛い」
桃は一瞬恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「じゃ、じゃあ、こうしましょう。実は私、もうすぐ誕生日なんです。だからあ、これを私にプレゼントして、潔子さんには他のを選びましょう」
「は? そんな金はねえ! だいたい隊員同士でプレゼントの交換なんかしたことないし、それをあげたら菰田さんや先峰君の誕生日にも何かをあげないと決まりが悪くなるだろ」
「……冗談ですよ。そんな真剣に拒否しないで下さい。でも、本当にこれ可愛いなあ。私が欲しいくらい……きっと、これなら潔子さんも喜ぶと思いますよ」
「本気で言ってる? じゃあ、それ。それにしよ。会計しに行くから一緒に来て!」
そう言うと、桃は呆れたように溜め息をついた。
その後、買い物を済ませた二人は、桃の提案により館内を散策することにした。
「……さっき店員さんに恋人同士に間違われちゃいましたねえ」
「悪かったね。不本意な誤解を与えることになって」
他愛もない会話をしながら通路を歩いていると、赤司の視界の片隅で小さな影が動いた。一瞬の出来事ではあったが、その見覚えのある姿を見て、赤司は一つの確信を得た。
アレが飛んでいるということは、近くにいるに違いない。
赤司は辺りを見回した。すると、逃げるように柱の裏側に隠れた人陰が見えた。桃の手を強く握り、急いで走り出す。
「ちょっと先輩、いきなり強引過ぎです。心の準備が……」
その言葉を無視して目的の場所を覗くと、そこには、うつ伏せの姿勢でピタリと柱に体を付けている男がいた。
「それでも隠れてるつもりですか? 木村さん!」
「あ、あれ~? バレちゃった?」
「タコが飛んでたので、近くから見ていると思いましたよ。これは盗撮ですよ!」
「まあまあ、落ち着いてよ赤司ちゃん。これにはさ、深い事情がある訳よ。俺がこんなことをしたくてしたと思う? まずは話を聞いてくれよ……」
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
同日、四時間前。
オペレータールーム内撮影班ブースにて木村が編集作業をしていると、突然、向かいの席に熊山が腰を下ろした。
「なあ、キム。映像に何かが足りねえと思わねえか?」
熊山は腕を組み、眉間に皺を寄せながらそう尋ねた。
「何かっていうと、なんですか?」
作業をしながら木村が聞く。
「ドラマだよ。ドラマ! 隊員が念願の五人体制になった訳だが、個性というか、バックストーリーが足りてねえ。特に桃だ。せっかくの紅一点にもかかわらず、そのキャラクターを活かせずに男達と同等に戦っていやがる。そこでだ……」
「出た。結果ありきの質問! 社長のそういうところ大好きです~」
「おい、聞けよ! そこでだ、ラブストーリーっていう設定はどうだ? 隊員同士、愛し合っている。しかし、いつ命を落とすかも知れねえ戦いに明け暮れる毎日によって、その愛は一向に結実しない。そのもどかしい関係を見て、三次元の恋を知らねえ少年少女達が大興奮!」
木村は頭の中で映像を浮かべ、しばらくしてから笑みを浮かべた。
「社長、その設定、頂きですよ……総集編版の戦闘シーンの合間に隊員同士の仲睦まじい映像をカットインさせるんです。そうすることで視聴者は想像を膨らませます。ああ、この二人は愛し合っているのに戦いの最中はそれを伏せているのね。ああ、ピンクのピンチを誰々が救ったわ。やっぱり大切な人なのね。って具合に。そこでですよ、社長。俺に考えがあります」
「お、おう。いきなり凄えやる気になったな。言ってみろ」
「実は桃ちゃんから聞いたのですが、今日の午後、赤司ちゃんと桃ちゃんが二人で渋谷に買い物に行くらしいんです。それを盗撮するんですよ」
「……お、おい、キム。それは犯罪じゃねえのか?」
「バレなきゃ良いんですよ! 良いですか社長。せっかくのガチの戦闘シーンに取って付けたような作り物のドラマを乗せてもしょうがないでしょ。必要なのはリアリティです。盗撮中にイチャイチャチョメチョメしてくれれば、こっちのもんですよ。俺ちゃんに任せて下さい……」
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
「……と、いう訳よ」
木村の話を聞き終えると、桃が反応に困ったような顔をして呟いた。
「う、うーん。その話を聞かされても木村さんが主犯にしか思えないのですが……」
「違う違う。俺はね、会社に貢献するために自分を殺した訳よ。苦渋の決断だったね~」
どうしようもない言い訳を聞いて、赤司は呆れながら口を開いた。
「苦渋の決断だとしても、残念ながら俺と篠原隊員はそういう関係じゃないですよ」
「仮にそうでもさ、編集後の映像で愛し合って見えれば良い訳よ」
「それは作り物のドラマと変わらないじゃないですか。だったら、先峰君や御影君のほうがラブストーリーには向いているんじゃないですか? 俺は恋愛なんて無縁ですよ。今まで誰からも告白とかされたことないですしね」
「大好キ……」
「え? 篠原隊員、何か言った?」
「いいえ。何も……」
「…………」
「大好キ! 運命ノ人ォォォォォ!」
すぐ横のショウウィンドーのガラスが砕け散り、女性の形をした下着姿のマネキン人形が赤司に抱き付いてきた。
突然のことに反応をすることが出来ず、赤司はマネキンと共に床の上を転がった。
「せ、先輩に何をするんですか!」
桃がそう言ってマネキンを引き剥がそうとすると、マネキンは立ち上がり、蛙のように数回跳ねて赤司達から距離を取った。
赤司は体を起こして呆然と呟いた。
「あ、あれ、クリーチャーだよな?」
「そう、みたいですけど、喋ってますね……」
マネキンの口の周りにはヒビが入っており、その隙間から皮膚を剥がされた筋肉のようなものが見え隠れしていた。それが再び動く。
「私? 私ハ、エミー。アナタノ、アナタノ運命ノ女……ウフフ」
言語を話してはいるが、クリーチャーに間違いない。
赤司はエミーに視線を向けたまま桃に語り掛けた。
「戦うぞ、篠原隊員。インナーは着用してる?」
「持ち歩いてはいますが、着用はしていないです」
「じゃあ、すぐに着てきて! 木村さん、避難して会社に連絡をお願いします!」
そう言って赤司はエミーに向けて走り出した。するとエミーは逃げ出した。
「サア、ダーリン。私ヲ捕マエテゴランナサイ。アハハ、ウフフ……」
人々の悲鳴があがる中、エミーが脇目も振らず階段に向かう。
赤司は道の途中、セムコの制服警備員を見つけ、走りながらIDカードを提示した。
「お疲れ様です! 特殊警備員の赤司と申します。これ、お借りします」
警備員の腰から警棒を抜き取り、それを引き伸ばす。長さは六十センチほどだ。手元のボタンを押すと、パチパチと音を鳴らして電流が流れた。スタンガン機能がついているようだ。
「これ効くのか? ないよりはマシか……」
強く抱きつかれたが、どこも怪我をしていない。その上、エミーの走る早さはそれほど早くない。おそらく運動性能は普通の人間並み。警棒でも何とかなるかも知れない。
エミーは上の階に逃げたらしく、そちらから悲鳴が聞こえてきていた。数段飛ばしで階段を駆け上がる。
五階に辿り着くと、そこは雑貨のフロアだった。
「どこに行った……」
呟きながら辺りを見渡す。既に悲鳴は収まり、落ち着いた雰囲気だ。気になる点は、近くの店先にすました顔のマネキンが腰に手をあてたポーズで立っていることぐらいだ。
「あっれー? どこに行ったんだ。普通のマネキンしか見当たらないなあ……って、ひっかかるかアホ! どうして和物雑貨屋に下着姿のマネキンがいるんだよ!」
警棒を振り上げると、再びエミーは逃げ出した。すかさず追う。
「サスガネ、ダーリン。私ガドコニイテモ、スグニ見ツケテクレルノネ?」
「うるせえ!」
エミーがフロアの端に向かっていくのを確認し、赤司はあえて追う速度を落とした。既にエスカレーター乗り場を通り過ぎており、この先は行き止まりだ。
追い込んだ。そう思った時、エミーが立ち止まった。赤司も足を止める。
「イルミネーション、綺麗ネ……」
エミーが窓の外を見る。赤司も釣られてそちらに視線を向ける。その瞬間、エミーは再び走り出し、窓を突き破った。窓の向こうは地下まで続く吹き抜けだ。
「自殺?」
急いで破れた窓から顔を出す。するとそこには、ツタのようなロープ状の電飾にぶら下がるエミーの姿があった。笑いながらターザンのように移動している。
下を見ると、吹き抜けを突っ切るエスカレーターに避難中の人々が列を作っていた。更に二階の駅への連絡通路には人だかりが出来ている。
ガラスの破片で怪我をした人がいるかも知れない。しかし、それよりも大きな懸念はクリーチャー自身が人込みに飛び込むことだ。万が一エミーが爪などの能力を隠し持っていた場合、あの人だかりに飛び込まれれば、かつてのフィフティーの惨劇を越える犠牲者数になるだろう。
追わなければならない。覚悟を決めて窓から少し離れ、信心深くはないが、胸の前で十字を切る。警棒をベルトに差し、赤司は、雄叫びをあげながら破れた窓からジャンプした。
一本の電飾を掴むと、赤司の体は振り子のように空中で大きく揺れた。勢いをつけて隣の電飾に飛び移る。吹き抜けの最下層は遥か数十メートル下だ。手を滑らせれば確実に死ぬ。
余計なことを考えないよう赤司はエミーの行方だけに集中した。視線の先で、エミーが器用に中空を飛び回り、四階のフロアへと逃げていく。
「逃がすか!」
電飾を揺らして三階と四階を繋ぐエスカレーターに飛び乗る。避難態勢中のためエスカレーターは全て下り方向に進んでいたが、それを必死に駆け上がる。
四階に着くと、既に避難が終了しており、とても静かになっていた。時間的に他の階へ逃げる余裕はなかったはずだ。このフロアのどこかにエミーは隠れている。
赤司は慎重に気配を探りながら移動した。すると、ファッション店の奥から物音が聞こえてきた。そこにはカーテンの閉まったフィッティングルームが二つ並んでいる。
この中にいるに違いない。赤司は、警棒を構え、右側のカーテンを勢い良く開けた。狭い個室の中には、桃がいた。彼女は衣類を全て脱ぎ、インナーを腰まで引き上げた状態で固まっていた。
「キャー!」
悲鳴と同時に頬を平手打ちされ、カーテンを閉められる。衝撃吸収インナーに保護されていない顔面部分をあえて狙ったのであれば、上出来な判断力だ。
「着替えを覗くなんて最低です! しかも、股下部分を引き上げるためにガニ股になった瞬間を覗くなんて! わざとですよね! わざとガニ股の瞬間を狙ったんですよね!」
「そ、そんな訳ないだろ! それに、他の所に目がいっててガニ股には気付かなかったよ!」
「他の所って、どこを見たんですか! もうお嫁に行けません! 責任取って下さい!」
「わ、分かったから、早く出て来て。クリーチャーがこのフロアにいるんだよ……」
しばらくすると、シャッと音を鳴らしてカーテンが開き、桃が不機嫌そうな顔をしながらインナーの上に服を羽織った姿で出てきた。
「お待たせしました……」
シャッ。直後に音が鳴り、隣のフィッティングルームのカーテンも開く。
「オ待タセ、ダーリン。ドウ? コノ洋服」
そこには、水色のワンピースを着たエミーがいた。
「なー!」
赤司と桃は同時に叫んだ。エミーが、笑いながらまたもや階段方面に逃げ出す。
「は、挟み撃ちにするぞ! 篠原隊員はエスカレーター側、俺は奴を追う!」
エミーは三階に向かった。二人も三階に下りる。
そうして、思惑通り、エミーを三階中央で挟み撃ちすることに成功した。
「もう諦めろ。せっかく言葉を使えるんだ。お前らが何者か吐かせてやる」
息を切らせながら赤司がそう言うと、エミーは肩をすくめた。
「何者? 私ハ、エミー。アナタノ運命ノ女ヨ。私達ハ、ヤガテ訪レル新世界ノ、アダムトイブ……トコロデ、ダーリン。コノ、チンチクリンナ小娘ハ何? マサカ、浮気ヲシタノ?」
「チンチクリンって! そんなことクリーチャーに言われたくないですよ!」
「オ黙リ、小娘! ネエ、ダーリン、コノ娘ニ手ヲ出シタノ?」
エミーの詰問に対し、赤司はしどろもどろに答えた。
「ば、馬鹿だなあ。そんな訳ないだろう。そ、その娘とは何もないよ……」
「ちょっと先輩! なんで浮気疑惑を弁明する夫みたいになってるんですか!」
桃の突っ込みで赤司は我に返った。
「そ、そうだ。なぜ弁明しているんだ……てめえには、んなこた関係ねえだろ! 俺がどこで誰とナニしようが、俺の勝手だろがあ! オウ!」
「先輩、今度はDV夫風になっています!」
二人のやり取りを聞いていたエミーは体を震わせた。
「開キ直ルノネ……コロ、コロ、コロ、コロコロコロコロコロ、殺ス!」
エミーの指がボロボロと崩れ落ち、その腕は次第に二本の槍に姿を変えた。
「私ノ物ニナラナイナラ、殺シテヤル!」
叫びと共に繰り出された攻撃を赤司は警棒で凌いだ。一撃一撃が重い。エミーは関節にヒビが入ったことにより運動性能が上がっている。生身の状態では、いつまでも攻撃をかわし続けるのは不可能だ。そう考え、赤司は手元のスイッチに指を置いた。
エミーの腕が振り下ろされる。それを警棒で受け止める。
「くらえ! ディモールスタンガン!」
電流が走り、火花が散る。しかしエミーは笑い出した。
「フフフ……私ノ表皮ハ、絶縁体ノ強化プラスチックヨ。ソンナモノ効カナイワ」
「で、ですよね」
赤司は後ろに跳んだ。桃は武器を持っていない。下の階にはまだ避難中の人がいる。エミーが自分のことを狙っているのであれば、それを利用して上の階に誘導するべきだ。
赤司は桃に対して上の階に行くとジェスチャーで示し、それからエミーを挑発した。
「ほらほら、クリーチャーちゃん。俺を捕まえてごらんなさい」
そして、階段に向けて走り出した。
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
近隣をパトロール中だった先峰と御影が、ヤミエ二階入口、エスカレーターの前に到着した時、そこは避難中の人々でごった返していた。
「こちらブラック。オペレーター、館内地図をお願いします」
御影の発言の直後、ゴーグルに地図が表示され、イヤホンから潔子の声が響く。
『目標は四階に現れました。現在の位置はリモコンヘリで探索中です』
「承知しました。では階段とエスカレーターの二手に別れ、まずは四階を目指します」
通信を終えた御影は先峰に話し掛けた。
「私はこのフロアを抜けて階段に向かいます。ブルーはエスカレーターを上って下さい」
「うん。分かったよ」
先峰の暢気な返事を聞くと、御影は銃を構えて走っていった。
独り残された先峰は、エスカレーターを見上げて呟いた。
「……全部下りになってるし、人が多くて上るの大変そうだなあ」
その時、三階から四階に向かおうとする桃の姿が見えた。
「あ、桃ちゃーん!」
先峰が大きな声を出すと、桃は足を止めて返事をした。
「あ、先峰さん! クリーチャーは赤司先輩を追って階段側から上の階に向かいました。私もすぐ上に向かおうと思います!」
「武器も持たずに生身で? それなら、これ使って!」
先峰はブラスターを桃に向かって投げた。桃が手を伸ばしてそれを受け取る。
「ありがとうございます!」
「どう致しだよ。僕もすぐ上に行くから、頑張ってね」
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
階段を上りながら赤司は考えを巡らせていた。もはや誘導どころではない。背後でコンクリートを砕く音がしている。このままでは殺される。どうすれば良い。そして、一つの考えが閃いた。そうだ。あそこなら。
赤司は五階の通路を吹き抜け方面に向かって走った。すぐ背後にはエミーがいる。
やがてエミーが追い付き、大きく腕を振った。それと同時に踏み切る。
赤司は、再び電飾にぶら下がった。足を絡ませれば長時間でもこの状態を維持できそうだ。
「ハハハ……その手じゃ、ここには来られないだろ?」
しかし、その考えは甘かった。エミーは破れた窓から数歩退がると、スタート直前の陸上選手のようにしゃがみ込み、一気に駆け出した。
「心中する気かよ!」
赤司が叫んだ時、空気の擦れる音が鳴り、エミーの体が後方に吹っ飛んだ。
見ると、エスカレーター三階付近で先峰がレールショットガンを構えていた。
「ギリギリ助かったよ! 先峰君!」
「赤司君。もう放映が始まってるんだけどさ、電飾にぶら下がるって、生身でそういう人間離れしたことをしないでくれる? レンジャースーツの存在感が薄くなるだろ!」
「うるせえ! ここまで耐えたんだ! 少しは労えよ!」
そんな会話をしていると、赤司の視界の片隅でエミーが起き上がり、来た道を戻っていった。散弾はかすっただけのようだ。赤司は先峰に対して叫んだ。
「クリーチャーはまだ生きてる! 急いで五階まで来てくれ!」
「大丈夫。既に桃ちゃんがブラスターを持ってそっちに行ったよ」
「は? 馬鹿野郎! あのクリーチャーは生身じゃ危険だ! なんで止めなかったんだよ!」
桃は銃撃が得意ではない。その上、刀での接近戦はエミー相手では不利。桃は、エスカレーターにいなかったということは、四階で降りて階段方面に向かったに違いない。このままではエミーと桃は鉢合わせする。
赤司は電飾を大きく揺らし、破れた窓に向かって跳んだ。もはや空中ブランコ乗りだ。
着地すると、エミーの後ろ姿が遠くに見えた。その背中に向かって叫ぶ。
「エミー! 上の階にカフェがあるぜ! 一緒にデートしようぜ!」
それを聞いたエミーは振り返った。赤司は急いでフロア中央のエスカレーターを上った。
六階飲食フロアは、ショッピングフロアに比べて壁が多く、視界が悪かった。この地形を利用すれば身を隠すことは簡単だろう。
エスカレーターを上ってくるエミーの足音を確認すると、赤司は和食レストランの入口に身を隠した。
カツン、カツン、と足音が近付いてくる。赤司は息を殺した。
早く通り過ぎろ。祈る。その時、階段の方向から桃の声が聞こえてきた。
「せんぱーい! 無事ですか? どこにいるんですか?」
エミーの足音がそちらに向かった。赤司は慌てて物陰から姿を出して階段方面を見た。エミーが走っている。その向こう側には桃の姿があった。
「おい! そっちに行くな!」
呼び掛けると、エミーは動きを止めた。そして、ギリギリと音を鳴らしながら首を百八十度回転させ、赤司を見つめた。ヒビ割れた口が大きく開く。
「ミーツケタ……」
エミーは、壁を蹴り、天井を蹴り、縦横無尽に飛び跳ねながら近付いてきた。
「篠原隊員! 今のうちに逃げろ!」
そう叫んだが、桃は逃げようとせず、ブラスターを構えた。
「嫌です! 先輩のことを置いて逃げることなんて出来ません!」
赤い弾丸が走る。それはエミーのすぐ隣、和食レストランの大きな水槽に当たった。フロアに水と魚が散らばり、エミーが水浸しになる。
「セッカクノ、ワンピースガ濡レタワ! アノ小娘、殺ス。デモ、マズハ、アナタヨー」
エミーは槍を赤司に向けた。
赤司は引きつった笑みを浮かべ、エミーに語り掛けた。
「なあ、床に散らばってる魚が何か知ってるか? 鯵と鯛だ。つまり、お前が浴びたのは海水だよ。その海水はヒビ割れた体に染み込んだか?」
「私ノ肌ノ潤イヲ心配シテクレテイルノカシラ?」
「いいや。お前の輝く未来を案じてるんだよ!」
そう言って警棒を振る。エミーは咄嗟にそれを受け止めた。そのタイミングで赤司は手元のスイッチを押した。バチンッと音がなり、エミーの体が輝く。
エミーは、痙攣しながらその場に倒れた。体のヒビから染み込んだ海水を伝い、スタンガンの電流が全身を流れたのだ。赤司は電流を流し続けた。エミーが泣き叫ぶ。
「ドウシテ! 私ハ愛ガ欲シカッタダケナノニ、ドウシテ、コンナコトヲスルノ!」
赤司は少し考え、そして、冷たい声を発した。
「お前が、謎だらけの化け物だからだよ」
「謎ノ生物デナケレバ愛シテクレル? 私達ガ何者カ分カッタナラ、仲良クナレルノ?」
「可能性がゼロとは言わない。お前が素直に捕獲され、情報を提供する気があるならな」
「ジャア、私ハ研究所デモ、ドコデモ行クワ。何デモ話スワ。計画ノコトダッテ」
「計画?」
「ソウ、計画。私ハ、計画ノ為ノ実験体。私達ハ、モウスグ……」
瞬間、エミーの頭が砕け散った。
横を向くと、桃の隣で御影がレールショットガンを構えていた。
「赤司さん、大丈夫ですか?」
御影の問いに対して、赤司は、溶けていくエミーの体を見下ろしながら曖昧に頷いた。
✝ ✝ ✝ ✝ ✝
「あ? 潔子が会社を辞める? そんな訳ねえだろ。国際レンジャースーツオペレーター試験は、会社に箔をつけるために俺が受けさせたんだ。あいつは受ける気なかったけどな。それよりもお前、この間のクリーチャーが業界で話題になってるぞ……」
思い切って潔子のことを熊山に確認すると、そういう回答が返ってきた。
それから赤司は、延々と続くエミーについての話の最中、ずっと放心していた。
「先輩、良かったですね」
廊下に出ると、一緒に熊山の話を聞いていた桃がそう言った。
「まあね。そうなると、やっぱプレゼントは大袈裟かなあ」
呟くと、桃がうつむき、深呼吸をして笑顔を作った。
「告白すれば良いじゃないですか。クリーチャーが人間に告白をする時代ですよ? 七つ年下の人間男性が年上の人間女性に告白するのなんて、大したことじゃないですよ」
「よ、良く分からないけど、説得力を感じるな……やるか……」
赤司はそう言って、願いを込めるように懐のスカーフに触れた。
会話をしながら廊下の角を曲がると、その先の給湯室から潔子の声が聞こえてきた。赤司と桃は反射的に身を隠し、そちらを覗き見た。
「……先峰君、口紅落ちてないよ。一人では何も出来ないのね」
潔子は向かいに立つ先峰の唇を指で擦り、当たり前のように、そこに唇を重ねた。
「相変わらず社内で堂々とイチャついてるね~」
背後から声が聞こえ、赤司と桃は振り返った。そこには缶コーヒーを持った木村がいた。
「……あれ? ひょっとして二人は潔子ちゃんと先峰が付き合ってるって知らなかった? 結構前からだぜ。彼女は面食いだし、先峰は馬鹿だけど顔は良いからなあ。潔子嬢曰く、相手が馬鹿でも自分がその分賢いから気にしないんだとよ。秀才の考えることは分からんね~。君達二人は、ああいう悪い大人になっちゃ駄目だよ~」
そう言って木村は去っていった。
「篠原隊員。これ欲しかったんだろ? やるよ。誕生日おめでと」
赤司はぶっきら棒にスカーフを桃に渡し、片手を振りながら訓練室へと向かった。
その場に残された桃は、遠ざかる赤司の背中を見つめ、独り寂しげに呟いた。
「こんな渡され方されても、嬉しくないですよ……」