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第一話 『オープニング』 Cナスビーノ前編

 NFCと赤く大きな文字の書かれた紙袋を抱えて店を出る。振り返ると、メガネを掛けた白髪のおじさんの人形が前ならえの姿勢で立っている。ニュージャージーおじさんと呼ばれるその人形は、ある意味、職場の人間以外では最もお世話になっている人物だろう。


 赤司あかしは、苦々しげにその人形を睨み、そして溜め息をついた。


 自宅から徒歩五分。ニュージャージーフライドチキン、略してNFCには週に五回は通っている。出来ることならば、こんなにもお世話になりたくないのだが、自炊をする技術がない上、今の給料ではファーストフード店くらいでしか食事が出来ない。

 仕方がない。心の中で呟き、袋からクリスピーチキンを取りだすと、寒さのためだろう、白い湯気が立ち昇った。サクリッと音を鳴らしてかじる。口の中に熱い溶けた脂が広がる。間違いない。いつもの味だ。超が付くほどの常連客なのだから、店員も気を利かせてたまには違う味にしてくれても良いのに。そんな無茶なことを考えながら赤司は家までの道を歩いた。


 横断歩道に差し掛かった時、大きな腕時計の形をした携帯端末がLEDを赤く点滅させながら着信音を発した。付属の骨伝導イヤホンマイクを端末から外し、耳にはめる。

 するとオペレーターの潔子きよこの声が聞こえてきた。


『赤司君、今何してる?』


 急いでいる様子だ。


「え? 何もしてないですけど」


 歩きながらチキンをかじり、呑気に答える。


『ちょうど良かった。吉祥寺に今から急行してくれる?』


「は? 俺、今日は非番ですよ!」


『それは分かっています』


先峰さきみね君と菰田こもださんは? いるんでしょ?」


『もちろん今、出動の準備をしていますよ。ただGPS情報を確認したら赤司君が凄く近くにいたから、だからお願いしているのだけど』


「えー……」


 ガタガタと騒がしい音がイヤホンの向こう側から聞こえ、直後に男の怒鳴る声が響いた。


『おいコラ! 赤司! てめえ、この間は給料を上げろってのたまってたなあ! だったらそれなりの仕事をしろよ! 他の業者よりも先に現場に到着出来るチャンスなんだよ! 分かったか? 分かったらどうすんだ? おい!』

 社長、熊山くまやまの声だ。

 イヤホンマイクを投げ捨ててしまおうかと思ったが、これ以上、職場での地位を下げるのは賢明ではないと考え、なんとか堪えた。


「……じゃあ、休日出動手当を弾んでくれますか?」


『分かった。検討しよう!』


 検討。何度聞いた言葉だろう。自分の知る限り実際に検討して貰ったのはホンの数回だ。あまり当てには出来ない。

 仕事を引き受けるか否か迷っていると、再び潔子の声が聞こえた。


『では、地図情報を送りますね』


「え? ちょっ」


 腕の端末のディスプレイに地図が表示される。画面が小さくて見難い。ただ地元の地図なので、すぐに現場の見当は付いた。確かに近い。


『既に巡回中の着装車と撮影班は現場に向かっているから、おそらく十分後くらいには到着できると思います。それからリモコンヘリはもう赤司君の所に……あ、赤司君の姿が見えた見えた。うん。そのままの格好で放送しても大丈夫そうだね』


 見上げると、カメラを搭載したマイクロリモコンヘリが数台こちらに向かって飛んできていた。最初から仕事を引き受けることを前提に話が進んでいたのだろう。


『インナーは装着している?』


「はい。一応……」


『さすが』


「いえ、このインナー、暖かいので……」


『…………』


「…………」


『まあ……いいです……では、よろしくお願いします』


 通信は切れた。


 赤司は再び溜め息をつき、現場に向かうことにした。

 しかし、近いと言っても徒歩で行く距離ではない。何か足になるものはないかと辺りを見回すと、信号待ちをしている一台のネイキッドバイクが目に入った。

 ダウンジャケットのポケットを確認。必要な書類はある。赤司はそのバイクの前に手を広げて立ちはだかった。


「すみません。私、特殊警備員、赤司功治と申します。緊急の案件により、そのオートバイをお借りしたいのですが、よろしいでしょうか」


 公安委員より支給されたIDカードを懐から取り出し、提示する。運転手は年下と思われる学生風の男だった。男は渋っている様子だ。


 こんなに若い男の所有物ならば、そんなに値の張るものでもないだろう。多少の無茶をしてもすぐに補償出来るに違いない。そういった打算もあって強気に出る。


「特殊警備業法第八条二項により、緊急時の強制的な捜査、押収は認められています。願わくは、穏便に話を済ませたいのですが……分かるよね?」


 満面の笑みでそう言うと、男は怯えながら頷いた。


 実際は、特殊警備業法八条は、追跡中の対象が民家等に侵入した場合でも職務遂行を可能にするためのものであり、移動手段を確保するためのものではない。しかし、赤司の所属する会社では以上のような用い方が常態化していた。


 ポケットから取り出した皺くちゃな書類を差し出す。


「では、お借りする前の状態を撮影させて頂きますね。その間に、こちらの書類にサインと必要事項の記載をお願いします。物品名の欄には車種とナンバーも記載して下さい」


 一通りの事務的な処理が完了すると、赤司はヘルメットを被り、バイクにまたがった。


「ご協力感謝します!」


 敬礼をする。それから、食べ掛けのチキンを全て口に放り込んで紙袋をポケットにねじり込む。指に付いた脂をジーンズに擦り付け、アクセルを捻ってクラッチを気前よく離すと、ガチリッと物騒な音が鳴ってバイクは前輪を浮かせながら急発進した。

 後方から、「大事に乗って!」という叫び声が聞こえた気がしたが、赤司は気のせいだと自身に言い聞かせて更に速度を上げた。


 大通りを西へ向けて走っていると、四台のリモコンヘリが周りを取り囲んだ。


『タコちゃん、到着~』

 イヤホンから調子の良さそうな男の声が聞こえる。撮影班班長、木村きむらの声だ。


 タコとは、リモコンヘリの通称だ。直径十五センチほどの円盤型の本体に、壁でもどこでも着地出来る数本の脚が付いたその撮影用ヘリは、独特な形状と空を飛ぶ機能から、海の蛸と空飛ぶ凧をかけて、タコと呼ばれている。


『ヘイヘイヘイ、赤司ちゃん。カッコ良いバイクを強奪したじゃん。さっきは素敵な画が撮れたぜ。バイクを奪われた若者が悲痛な叫びをあげてたよ。アハハハハ……もう最高! その調子で、今日も期待してるぜ!』


 相変わらず、なかなか最低なことを言っている。

 口の中に入れたチキンが思いのほか大きかったため赤司は何も言えず、木村の言葉を聞き流した。すると潔子の声が聞こえてきた。


『木村さん。正義の味方側の人間がそんなことを言わないで下さい』


『あれ? 潔子ちゃん、聞いてたの~?』


『当然です。作戦遂行中の音声は全てチェックしています』


『怒んないでよ。美しいお顔に皺が寄っちゃうぜ』


『私の美貌の心配をして下さって、ありがとうございます』


 無線越しにくだらない会話をするなよ。赤司は苛立たしげにアクセルを捻った。

 潔子が淡々とした口調で話を続ける。


『……間もなく放映を開始したいと思いますが、準備は大丈夫ですか?』


『もちろんよ。現場も赤司ちゃんも押さえてるぜ』


『赤司君は?』


「うーっす」


 唸るように返事をする。


『では、放映を開始します……五秒前……』


 無線を聞いている全員に対して言っているからだろう、潔子の声が大きくなった。


『……四、三、二……』




 ✝ ✝ ✝ ✝ ✝




『表を焼いたら裏も焼く。フライ返しだ!』


 そう言って半熟直樹は、フライパンの蓋を閉めずに目玉焼きをフライ返しで裏返した。


 オペレータールームのディスプレイには大昔のドラマの再放送が映し出されていた。赤司の所属する会社と提携しているテレビ局の映像だ。この後、料理長が床に頭を擦り付けるシーンに繋がる。

 ところが突然、画面はバイクを運転する赤司の映像に切り替わった。


 機械的なアナウンスが流れる。


『番組の途中ですが、戦隊ニュースをお送りします。本日午後一時、東京都武蔵野市にクリーチャーが出現。現在、隊員達が現場に急行しております。恐れ入りますが、討伐完了まで、そちらの映像をご覧下さい』


 ♪チャッチャラー、チャチャー、チャンッ。ダンダンダンダンダンダンダン……


 勇ましい音楽が鳴る。同時に画面にデカデカとテロップが表示される。


『株式会社戦隊ヒーロープレゼンツ』


 テロップが切り替わる。


『戦隊ニュース』


 再び切り替わる。


『ロシアン戦隊

 サンボレンジャー』


 そして、赤司の映像を背景に主題歌が流れ出した。


 ♪チャチャーン、チャンッ。



 (株式会社戦隊ヒーローのテーマ

  作詞・作曲・うた:ヒロノブ)


  ♪どこにいるんだ 一体全体

   ここにいるぜ 必殺戦隊

   握りしめた拳に 気を込めろー


   謎のクリーチャー

   好きなようにはさせねえ

   街の平和は俺らが守るぜ

   一刀両断 プラズマソードー

   (アンド ブラスター GO!)


   着装 充填 シリンダー

   光り輝くレンジャースーツ

   ゆくぞー 我らのー

   戦隊 戦隊

   カッコマエカブ 戦隊ヒーロー



『この番組は株式会社戦隊ヒーローと、サンボ振興連盟の提供でお送りします』


 オペレータールームのスタッフ達が大型ディスプレイを見ながら一斉に拍手をした。


 ディスプレイの映像は徐々に赤司に近付き、やがて顔のアップになる。

 その時、背の低い、しかし非常に筋肉質で強面の男、株式会社戦隊ヒーロー社長、熊山が怒鳴り声をあげた。


「こいつ! 赤司の野郎、口をモグモグさせてるぞ!」


 操作ブースの前に座っているメガネを掛けた黒髪の女性、潔子が、冷静な口調で熊山の発言に補足をした。


「しかも唇がテカテカしていますね。おそらく脂っこいものでも食べたのでしょう」


 熊山がブース卓のマイクに向かって喋る。


「おい、キム! 映像を切り替えろ。しばらく赤司の顔は映すんじゃねえ!」


『はいよ~』


 スピーカーから木村の声が聞こえる。

 直後に映像は切り替わり、駅前の風景になった。


 避難が完了しているからだろう。街には誰もいない。

 その街の真ん中で、ずんぐりとした黒い影が、踊るように暴れていた。




 ✝ ✝ ✝ ✝ ✝




 赤司はチキンを飲み込み、左手の袖で口を拭った。

 間もなく目的地に到着する。既に避難区域だろうか。人がまばらだ。


 バイクの速度を落として慎重に辺りを見渡すと、進行方向の先、カクイ百貨店入口の催事スペースに怪しい影が見えた。


「こちら赤司。潔子さん……」


『潔子さんじゃないでしょ。そろそろ赤司君のマイク音声も放送に乗せるのだから、ちゃんとオペレーターって言って下さい。で、なに?』


「失礼、オペレーター。目標らしきものを発見。あれで良いのかな?」


 赤司の見つめる先で黒い影が電信柱を叩いている。

 それは、手足の生えた、黒く巨大な、ナスビの着ぐるみだった。


『今回の目標は、大阪府泉州地域名産、水茄子をモチーフにしたマスコットキャラ、浅漬け大使ナスビーノ三世です。物産展のイベント中に突然暴れ出したと報告を受けています』


「オッケー、分かりました。間違いない。あれがクリーチャーだ」


『あ、それから……』


「なんですか?」


『着装車が遅れているみたい。到着まであと二分くらいかかりそう……』


「あ、はい。分かりました。それまで待機してれば良いですかね?」


『うーん……もう放送が始まっているし、やっちゃってくれる? で、なんとか時間を稼いで欲しいな』


「は? 生身で挑めと?」


『健闘を祈ります』


 クリーチャー・ナスビーノ三世は電信柱を叩き続けている。まだ百メートル以上は離れているというのに、岩を砕くような音が赤司の鼓膜を強く震わせていた。


「厳しいなあ……」


 呟いた時、金属の切断される音が響き、電信柱が百貨店に向かって倒れていった。赤司は目を見開き、ブレーキを掛けて離れた場所で停車した。

 潔子の囁く声が聞こえる。


『特別手当、出るみたいだよ』


 赤司は唾を飲み込んだ。


「ハハハ……やれば良いんでしょ。やれば……」


『赤司ちゃん、男だねえ!』


 その声と同時に、赤司の近くで丸いアンテナを備えた銀色のワゴン車が急停止した。撮影班の車だ。窓が真っ黒になっており車内の様子を窺えないが、そこから木村がこっちを見ているに違いない。黒縁メガネを掛けた軽薄そうな顔が思い浮かぶ。


『俺ちゃん到着~。これで対象を目視出来るから、よりドラマチックな画を撮れるぜ』


 周りを飛び回っているタコが、そんな訳はないのだが、嬉しそうにしているように見えた。


『赤司ちゃん、凄んごいの頼むぜ~』


「期待してて下さいよ」


 投げやりに応じる。


 ナスビーノは、次に破壊する物を求めているのか、道路に躍り出ていた。

 赤司は、ナスビーノを挑発するようにエンジンを吹かした。


『おお、緊張感が増すね~』


 ギヤを入れ、ナスビーノに向かって走り出す。


『いよいよだね~』


 ギヤをトップにし、加速。


『うん。加速してからの~?』


 赤司は、バイクごとナスビーノに突っ込んだ。


『ゴォォォォォル!』


 ズドンッ、と派手な音が鳴ってバイクもろともナスビーノが吹っ飛ぶ。


 赤司は衝突と同時に横に跳んで逃れていた。しかし、かなりの速さで地面を転げたため服がボロボロになるほどのダメージは負った。幸いにも衝撃吸収インナーを下に着用していたので怪我はしなかったが、全身痛む。しばらく立ち上がれそうにない。


『木村さん、そろそろ静かにして下さい! 赤司君、大丈夫?』


 潔子の声だ。心配をしてくれるなんて意外と優しいのだなと思った。


「大丈夫です……」


『じゃあ、いつまでもそんなみっともない姿で転がっていないで、急いで格好良い構えを取って下さい。お願いします』


 この人は鬼だと思った。


 痛みを堪えて言われた通りに立ち上がり、格闘の構えを取る。

 ナスビーノも同じタイミングで立ち上がる。ナスビーノの腹の部分はバイクの直撃により僅かに凹んでいた。否、腹と言えるのだろうか。人で言うところの腹の部分には口があり、胸の部分には大きな目がある。ちなみに、遠くから見た時には分からなかったが、ヘタに見えた頭上のギザギザしていたものは、良く見ると緑色の王冠だった。

 大使というより王様じゃねえか。声に出さずに突っ込みを入れる。


 ナスビーノは表情を変えず、というより変えられないと思うのだが、笑顔のまま目の前に転がるバイクを粉々に破壊した。

 このクリーチャーは頑丈な上、相当な力があるようだ。これ以上、生身の戦闘は不可能。そう判断した時、銀色のボディに赤青黄色のラインの入ったトラックが現われ、こちらに背を向けて停車した。


『お待たせ。着装車到着したよ』


 潔子が言う。


「本当に待たされましたよ!」


 赤司は着装車に向かって走った。


 荷台のウイングが開く。同時に後方扉が開いてスロープに変化する。そのスロープを駆け上りながら服を脱ぎ、インナー一枚だけの姿になる。黒い全身タイツのような衝撃吸収インナーは、手首からつま先、首に至るまで全身を覆っている。

 胸の前で両腕を交差させると、携帯端末が強い光を放った。


『マイク音声をテレビに繋ぎます』


 潔子の言葉を聞いて、赤司は力一杯叫んだ。


「着装!」


 同時に両腕を開き、フロントパネルの大の字型の窪みに手の平を後ろに向けて体を納める。


 腕を交差させたり、端末を光らせたり、叫んだりすることに意味はない。あくまで見た目重視のポーズだ。着装車は運転を含む全ての動作をオペレータールームからリモートコントロールされている。


 再び潔子の声がする。


『身体チェック完了。隊員ナンバー三番、赤司功治確認。着装開始します』


 カギ爪型のアームが赤司の手足を隠すように幾つも飛び出す。続けて胴体も隠される。同時にバケツを引っくり返したような機械が降りてきて、頭も隠される。着装宣言から一瞬にして赤司の体は完全に機械に包まれた。

 直後に背中を押すような衝撃を受ける。


『油圧ポンプ作動、レンジャースーツ充填開始。ハッチ開けます』


 赤司を覆っている全ての機械が取り払われる。

 大の字型の窪みから現れたその姿は、赤かった。皮膚のように全身にピッチリと張り付いた赤い生地、赤いヘルメット、赤いベルト、赤いグローブ、赤いブーツ、赤い胸当て。


「フェイスオフ!」


 そう言って頭上に跳ね上げられていたフェイスガードを下ろすと、顔まで赤くなった。


『充填率三十、四十、五十……』


 油圧ポンプのシリンダーがフル稼働しているのだろう、唸るような音をあげ、背中に背負ったバックパックの排気口から煙が噴き出す。人工筋肉と呼ばれる赤い生地が膨らみ、徐々に体を締め付ける。


『……六十、七十、カタパルト用意』


 赤司は目の前の小さな二つの板の上に両足を乗せ、スキーのハイジャンプでもするかのような姿勢を取った。目の前に二本のレールが現われる。


『……八十、九十、充填完了』


 残り稼働時間、身体状況、弾薬数……ゴーグルにあらゆる情報が表示される。腕の携帯端末にあるスイッチを弄り、とりあえず表示を縮小させる。

 そのゴーグルは外から見ると真っ黒だが、中から見ると視界は良好。それどころか、見たいと望めば拡大映像等も見られる代物だ。


『赤司君、準備は良い?』


「準備オッケー!」


『それではいきます。発進!』


 足元の板がレールに沿って急速前進。赤司の体はナスビーノに向けて打ち出された。


 空中を舞いながら、叫ぶ。


「サーンボ、レッド!」




 ✝ ✝ ✝ ✝ ✝




 ディスプレイに映るサンボレッドこと赤司は、ナスビーノに攻撃を仕掛けた。手刀を勢い良く振り下ろしている。


 その映像を見て、潔子が呟いた。


「あ、チョップしちゃいましたね……」


 同じく映像を見ていた熊山が言う。


「あの馬鹿。サンボは柔道に似た格闘技だ。打撃技はねえよ!」


「しかも、『サンボチョップ』とか『サンボパンチ』とか叫んでいますね。どうしますか? やめさせますか?」


「あー……突然攻撃をやめるのも不自然だからなあ。足払いという名目で、ローキックに切り替えさせてくれ。叫ぶ技の名前は『レッグスイープ』だ」


「分かりました」


 その時、電話が鳴った。営業担当のスタッフが応じる。


「はい。こちら株式会社戦隊ヒーローでございます……」


 しばらくすると、スタッフは熊山のことを呼んだ。

 熊山は電話の相手の名前を聞くと、スタッフのことを見ながらヘッドセットマイクを装着した。言いたいことを察したのだろう、スタッフが電話を転送する。


 熊山は笑顔を作り、マイクを押さえながら、高く、優しい声を発した。


「お電話変わりました。熊山でございます。いつもお世話になっておりますー……」




 ✝ ✝ ✝ ✝ ✝




「レッグスイープ!」


 レンジャースーツによって高められた攻撃力は凄まじく、膝を蹴られたナスビーノは大きくよろめいた。その隙に赤司は後方にジャンプして距離を取った。


 ナスビーノの動きは止まっている。その顔は、相変わらず笑ってはいるが、何やら力んでいるようにも見える。

 赤司は様子を見守った。すると突然、ナスビーノのモフモフとした柔らかそうな短い腕に亀裂が走った。少ないマヨネーズを絞る時のような湿った音が響き、そして次第に、その腕は伸びた。長さは三メートルほどだ。


「ナジャジャジャァァァァ!」


 奇怪な叫びと共に鞭のように振るわれた触手を、赤司は大袈裟に横に転がってかわした。すぐさま腕をバネにして跳んで立ち上がり、ベルトの左の銃を取る。


「ブラスターオン!」


 そう言って両手で銃を構えると、ゴーグルに緑色の照準が表示された。

 狙いを定める。


「ロック!」


 照準が赤に変わる。この状態になれば、敵が多少移動したとしても人工筋肉が腕の位置を自動的に微調整し、狙い通りの場所に弾を運んでくれる。


 まずはその目ん玉だ。


「くらえ、サンボブラスター!」


 そう叫びながら引き金を引くと、赤く輝く弾丸がナスビーノに向かって飛んだ。


「ナジャァァァァァ!」


 左目に火球を受けたナスビーノは悲鳴をあげた。


 プラズマブラスター。実弾ではなく高温プラズマを弾丸として飛ばすこの武器は、見た目は派手だが、攻撃力が低い。クリーチャーが相手では絶命させることは不可能だ。ただし、動きを鈍らせるくらいのことは出来る。


 赤司は立て続けに銃を撃ちながら考えた。いつも通り、こいつで四肢を狙って動きを鈍らせ、とどめにレールショットガンで粉砕するコースだな。あんまりアッサリ倒してしまうと番組が盛り上がらないだろうから、あえて数回ギリギリで敵の攻撃を避けとくか。

 頭の中に討伐までのシナリオは出来上がった。ところがその時、イヤホンの向こうから微かに声が聞こえてきた。


『……赤司のマイク音声をテレビ放送から切り離せ……』


 熊山の声だ。オペレーターに指示を出しているようだ。

 赤司は、オペレータールームでどういうやり取りが行なわれているのか知ろうと、遠くから聞こえるその小さな声に集中した。


『おい! 赤司!』


 突然の熊山の大声に驚き、赤司は攻撃でも受けたかのように体を震わせた。


「は、はい……なんでしょうか?」


『今回のスポンサー、サンボ振興連盟から直々の依頼だ』


「ど、どういった?」


『サンボ式腕ひしぎ十字固めで敵を倒せ!』


「へ? それって関節技ですよね?」


『そうだ。資料を見たからやり方は分かっているよな?』


 赤司は、目の前にいる敵、ナスビーノを見つめた。長く伸びた触手が軟体生物のようにクネクネと波打っている。


「あの……奴に、関節あるんですかね?」


『ああ? 俺がそんなこと知る訳ねえだろ! 俺がそれを知っていたらなあ、今頃クリーチャーは謎の生物なんて言われてねえよ!』


「無茶ですよ……」


『ムチャー? 赤司、お前は俺達がどうやって飯を食ってるか分かってんのか?』


「スポンサー、様、のお陰です……」


『だよな。忘れちまったのかと思ったよ。今の俺達にとって、サンボ振興連盟様の意向は絶対だ。サンボレンジャーはサンボの凄さを世間に広めるために存在する! 分かったな!』


『テレビにマイク音声戻します』


 潔子の言葉を最後に通信は切れた。反論さえ許されていないようだ。

 ただ言われたことは尤もな話だ。自分達の戦いはサンボ振興連盟の広告だ。サンボの良さを伝えられなければ、敵を倒しても意味がない。やるしかないのだ。

 赤司は銃をしまい、格闘の構えを取ってナスビーノを睨んだ。


 うわぁ、笑ってるよ。心の声。


 笑ってはいるが、当初よりは弱っているようだ。触手の動きが遅い。

 赤司は覚悟を決めてナスビーノに駆け寄り、左に跳んだ。横殴りに振り回された触手を宙返りでかわす。そして、更に間合いを詰め、右の触手の中央を掴む。


「くらえ! 必殺飛び付き腕十字!」


 触手を引っ張りながらジャンプし、右脚をナスビーノの胸だか目だかにあてがって左脚を正面から頭を刈るように振る。赤司は触手を両脚で挟む姿勢になった。相手が人間ならば、この時点で重さに耐えられずに地面に転がるはずだ。

 ところが、ナスビーノは倒れなかった。赤司は完全に触手にぶら下がることとなった。このまま極めるしかない。両腕で触手を抱え、引き抜くように体を反らす。


 ニョリーン。伸びた。


「ムーリーッ!」


 赤司が叫ぶ。赤司が投げ飛ばされる。


『てめえ! サンボの技を使っておいて負けるなよ!』


 熊山が怒鳴っている。


『アハハハハハハハ……』


 木村が笑っている。


 笑い事ではない。地面に叩き付けられるように投げ飛ばされたおかげで、体が痺れて思うように動けない。

 ナスビーノが触手をグルグルと回しながら近付いてくる。あんなもので殴られたら耐久性に優れたレンジャースーツを着ていても、タダでは済まないだろう。


 絶体絶命だ。


 その時、赤い閃光が走り、ナスビーノの顔面が弾けた。


「大丈夫か! サンボレッド!」


 声のする方を振り返る。そこには青いスーツを着た長身の男が銃を構えて立っていた。


「サンボブルー!」


 赤司はわざとらしく叫んだ。


「レッグスイープ!」


 別の声がする。

 そちらを見ると、黄色いスーツの小太りな男がナスビーノに足払いを仕掛けていた。


「サンボイエロー!」


 またもや、赤司はわざとらしく叫んだ。


 ブルーとイエローが駆け寄り、手を差し出して赤司を引っ張り起こす。

 赤司はフェイスガードを頭上に跳ね上げ、マイクに拾われないほどの音量で囁いた。


「先峰君、菰田さん、ギリギリ助かりましたよ……」


 他の二人もフェイスガードを上げて顔を出した。


 小太りなイエローこと菰田が小声で言う。


「いやあ、とっくに到着していたんだけど、潔子さんの指示で待機させられていたんだ」


 長身のブルー、先峰が続く。


「そうそうそう。冗談かもだけど、赤司君が死ぬまで待てってさ。ハハ。さすがに可哀そうだから途中でブラスターを放ってあげたよ」


 赤司は顔を引きつらせて笑った。


「ハハハ……」


 あの人、自分のことを殺す気か。そう思った時、まさにあの人から連絡が入った。


『立ち話をしていないで、決め台詞をお願いします』


 赤司の溜め息を合図に、三人は揃ってフェイスガードを下ろした。

 数台のタコが三人を取り囲む。カメラを意識しながら、中心に赤司、左手に先峰、右手に菰田が立つ。そして一人ずつ、台本通りに台詞を口にした。


「広大な大地で生まれ……」


 菰田が敵を左手で指差しながら言う。


「力と技を身に付けた……」


 先峰が敵を右手で指差しながら言う。


「正義の格闘戦士……」


 赤司が両手の拳を握り締める。


「サンボイエロー!」

「サンボブルー!」

「サンボレッド!」


 腰を落として前傾姿勢になり、声を揃える。


「三人合わせて、ロシアン戦隊、サンボレンジャー!」

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