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先に行われた生徒会役員公募に応募した私は、放課後のひとときを毎日のように生徒会室で過ごす。授業の終わった教室でからかってくるクラスメイトと苦笑しながら別れ、今日も開いた扉の向こうでは英一くんが笑っていた。昨季、無理やり押しつけられたクラス委員に困惑する私の前に現れ、前生徒会役員として私を手助けしてくれた時の顔、そのままに。それはいつもの顔で、私が特別と言うことはないけれど、私を役員に誘った真剣な顔は特別だった。気持ちも特別だった。私は生徒会長となった英一くんを、私的にも公的にもサポートする立場になっていた。それは経験のない人との関わりで、困惑することもあるけれど、やはり幸福なことだった。
「前田先輩と今日も仲良くするんでしょ、って言われたの」
からかわれたことを愚痴っぽく言うのだけれど、本当はちょっぴり優越感に浸っている。英一くんが相手だから。愚痴には「今日もうらやましがられたよ、さすが英一くんだね」と言う気持ちも多分に交じっている。
「愛生ちゃん? ほんと、仲いいんだね」
英一くんもそれは分かっているのか、私の愚痴をそのまま受け取らず、笑う。笑い顔が本当に似合っている。きっと笑うのに慣れているんじゃなくて、笑えるときに価値を見出しているのだと思う。温和で、割と落ち着いているけれど、英一くんは私みたいに笑いたくないときにまで笑ったりしない。その表情は幸福と結びついている。笑うときは本当に辺りまで丸くなって、私は英一くんが笑ってさえいれば、私がその表情を保てるように補佐できれば、バカみたいなのだけれど、世界は平和でいられるような気さえしていた。
冬に向かって下っていく時間を、今日も私たちは陽が陰るまで学校のために過ごし、そして秋の夕闇をひそやかに、互いの手を握りながら帰った。
「お帰りなさい」
玄関で私を出迎えたお母さんは、いつも調理の際身につける、しわのない白いエプロンをしていた。
「英一さんも、いつもありがとう。これからも早苗をお願いね」
恭しく礼をして英一くんは寄り道になった家路をもとへ戻っていく。英一くんはいつも私を送ってくれる。申し訳ないので最初は断ったのだけれど、できるだけ一緒にいたいからね、と言って結局今までこうしている。十月も後半に入り、つきあい始めてひと月を迎えようとしている今、そういうことに寛容だという外国人のお母さんばかりでなく、お父さんにも認められて、英一くんは私の家に自由に出入りできるようになった。彼はいつも遠慮して玄関より奥へ立ち入ろうとはしないのだけれど、お父さんはゆっくり話してみたいとここ一週間言い続けている。
「英一さんがしっかりしているから、安心できるようになったわ」
確かに英一くんはすごくて、比較対象に私を持って来てはなにも言えはしないのだけれど、ひと月で生まれてこの方手元から離したことのない実の娘より英一くんの方に信頼をおくようになったとは、なんともむごい。
夕食のお皿を並べていたらお父さんが帰ってきたので、そのことを愚痴ると、まあまあ、と笑って、
「でも、お父さんも、我が家の安康が約束されたようで、嬉しい」
と言う。とっても優しい両親だと思うのだけれど、ときどき正直で残酷だと思う。
この様子だとあの英一くんの地位がまさか揺らぐことはあるまい、私の方がずっと心配だ。地元ではちょっとした家柄らしい彼のうちでは、どこの馬の骨と、こちらが言われているかも知れない。
愉快そうな両親を置いて、ちょっと笑えない感じになった私は、顔を引きつらせながら肩を落とし、両親ゆずりの茶色く長い直毛を亡霊のように垂れていた。