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 影が空を覆って、光は地べたに張り付いていた。立ち上る煙の線が日々近づくのを振り切るようにして、人々が熱気を上げている。

 最近よく潜り抜ける人の波と、握られた両手が結ぶ先にある顔を見て、私はきっとお母さんになった気でいるのだ、と思う。闇に押し込められながらも立ち上る熱気の中で、言祝ぐように私にほほえみかける男女。よくよく考えればお母さんによく似たそのふたりはいつもその姿を見せながら、夢から醒めてああ今日も現れてくれたんだなとぼんやり考える私に、温かさを残していた。

 おじいちゃんとおばあちゃんは夢の中の想像上の姿で、実際には会ったことも残した写真を見たこともないのだけれど、確かに血の通った関係が存在するのだと、その夢から醒めるたびに考えるのだった。


 東向きの小窓から差し込む陽光に、階段が艶やかに光る。朝、足にひんやり滑らかな感触が伝わるたびに、お母さんは日本人なのだと笑う。母方の祖父母はとんと知らないので、記録しか証明するものはないけれど、お母さんはアメリカ人で、日本に来た頃は割とおおざっぱだったらしい。日本の存在はまだ今ほど大きくなくて、戦争をしていた子供の頃聞いた印象と、文献の中にある知識しかないままお父さんに連れられてやって来て、おばあちゃんはやたら口うるさい人だと思ったわ、と言っていた。日本の姑というものはそれが一般的だとあとで知ったけれど、と弁解がましく苦笑した顔を今でも覚えている。文化に自分を溶け込ませた跡がこの家にも残っている。階段の陰に家の中には似つかわしくない、竹ぼうきが立てかけられている。ほうきにはこだわりがあるのに、私が昔、病気だったときには、全然使ってくれなかったらしい。ハーフとはいえど、完全に日本に染まった私では単なるステレオタイプ的なイメージでしかないのだけれど、そういうところ、実にアメリカ人なんだと思う。そんな母が磨いた階段は日に日に輝きを増して、今ではどんな日本人にも負けないきれい好きを自認するお母さんを象徴する場となっている。

「おはよう。今日も素敵な一日が待ってるわよ」

 小刻みに震える、ガラスのはめられたダイニングの木戸を開けると、テーブルの向こうに腰掛けたお母さんがほほえんでそう言った。向かいの棚の上で今日もやっぱりオーディオが鳴っている。クラシックにそこまで詳しくない私にも聴きなじみのある、ショスタコーヴィチの七番。世間でそこまで聴かれているわけではないけれど、お母さんはよく聴いている。何度も繰り返される旋律に、小さい頃はお母さんのお気に入りなんだと思っていた。私は第一楽章のちょっと間抜けなフレーズを繰り返してお母さんに近づいた気でいたから、訊ねたときは落胆した。別に好きではないらしい。けれどもお母さんは、「思い出の曲なの」と言っていた。ほほえんだ顔がいつもに増して白く見えて、きっとその思い出は悲しいことなのだろう、とその時思った。実際はどうか知らないけれど、それ以来、この曲については訊ねていない。名前からどこの国の人か分かりかねて中学の頃調べ、やっとソ連人が作曲したものと知った。お母さん、アメリカ人なのに、と思ったけれど、考えてみれば芸術は国境を越えて愛されているのだった。取り立てて変だと言うことはないのかも知れない。

 学校では一度も出て来なかった有名らしい作曲家を聴きながらテーブルについて、白米、味噌汁、卵焼き、浅漬けという完全な日本食を口にする。味もちゃんと日本食している。私の喫食風景を幸福そうに見守る母とときどき視線を合わせる。顔はやっぱり欧米人で、確かに、いつも夢の中でまみえる祖父母の娘なのだと思った。きれいな顔立ちは、温かに部屋の光に溶け込んでいた。

「ソ連の作曲家って、学校では出て来ないけど」

 私はその子の娘なのです、と考えながら目の前に捉えたお母さんのほほえみに、なんだか面映ゆくなって、思考のベクトルをねじ曲げるように言った。

「アメリカの作曲家も聞かないね」

 欧米顔のお母さんを見ても日本人らしいと思うのは、お母さんの反応がいつも慎ましやかで、大げさに見えないところに原因している部分も大きいと思う。日本人的な行動を学習したのだと思ったけれど、お父さん曰く、ニューヨークで出会った頃からそうだったらしい。

 今もまた湛えたほほえみを崩さずに、

「アメリカは最近の国だからね」

 と答えてお茶に口を付けた。湯飲みを緩やかに下ろして、

「ソ連は知らないかも知れないけれど、ロシア人は知ってるでしょ? ムソルグスキーとか、聴かなかった? 「展覧会の絵」なんかは日本でもよく流れているけれど」

 そう言って口ずさみはじめた。……ああ、聴いたことある。

「有名だね」

「そうでしょう?」

 温かな表情は形を変えず、言葉に温もりを与え続ける。

「でもさ、なんでロシアはソ連になったんだろうね」

「なんでって?」

「なんの必要があったんだろうって。ちょっと、恐いから」

「早苗」

 呼ばれて目を合わせた。お母さんの瞳はまっすぐ私を捉えて、……硬直しているように見えた。

「なに? どうしたの」

 ふるふると首を振りながら顔を下に向けたお母さんは、手元に抱き込んだ湯飲みを見つめながら、

「それはね、難しいの」

 と言った。ちょっと変わった様子に気後れしながら私は「難しいの」と復唱した。

「そう、難しい。でもね」

 そこで表情が和らいだ。瞳に映った光が柔らかに揺らめいている。

「人は、人よ。ソ連人も、アメリカ人も、日本人も。みんな温かくて、みんな冷たいの」

 なんとなく分かったような、分からないような気がして、私は声を落として「うん」と頷いた。

「優しくもひどくもあって、それで人間なの。関係の深い人と浅い人がいて、どこの国の人もそれぞれのコミュニティの中で血の通った関わりを持っていて。たとえ政治的にはどうであれね。だからきっと早苗がソ連人と会っても、仲良くできるわ、人としての関係なら。アメリカ人だって個人的には関われるソ連人がいるもの」

「お母さんにも?」

「もちろんいたわ。難しくなる世の中で、人が人として存在していることは、きっと希望なの。だから私たちも、人としての存在を失わないようにしましょうね」

 窓の外に陰が流れて、お母さんの顔が暗くなった。けれど、お母さんのほほえみはやはり、その中でも熱を持っていた。

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