1-18 背後にはブリザード
にこにこ、にこにこ……にこにこ……。
「どうしましょう、コレ。」
「う、うん……。」
引きつりつつある笑顔を張り付かせたまま、わたしはカラスさんと顔を見合わせた。
あの後、リリエルさんもちょっとだけ落ち着いてくれた。
といっても、両手で抱きつくようにしがみついていたネグロ君の前足を離し、そのままふわりと浮かび上がってクロウ君の頭にいるトトの背後に隠れて、はにかんだ笑顔をのぞかせてくれるようになっただけだけど。
そしてそのまま……、何もイベントが起きないまま事態は膠着状態に陥ってしまった。
マップ上にはしっかりクエストマークが付いてるのに、どれだけ目を凝らしても、小さなリリエルさんの頭にはクエストフラグは見当たらないし、クエストワードも表示されない。
またもやアイテム使用系かと、例の呪われた召喚宝珠を取り出して使ってみたけど使用不可、さらにリリエルさんに宝珠を見せようと近づいたら、悲鳴を上げてトトの背後に隠れちゃうので、アイテムを見せることも出来ない。
ちなみに、リリエルさんはトトより一回り大きいぐらいのサイズなので、トトの背後にすっぽり隠れていると、トトから紅の翼が生えてるように見えてかなりかわいい。
「うーん、普通ならしばらく話してるとイベントが始まるんだけどね、話せないとどうしようもないな……。とにかく、そのまま機嫌を取るしかないかな、何故かいつもよりおびえ方がひどいけど、慣れれば普通に話してくれるようになるから。」
わたしを励ますようにささやくカラスさん。
ちなみにローゼさんは無言無表情でぼーっと立ち尽くしてて、ガゼルさんにいたっては、しばらくわたし達の後ろをうろうろ歩き回っていたけど、今は部屋の隅に積まれた木箱にどっかりと足を組んで座っていて、いらいらしたようにこっちを睨んでる。
んー、なんだろう、いつものように「睨んでいるように見える」んじゃなくてあきらかに怒ってるというか、機嫌が悪くてイライラしているような気がする。
クエストが結構長引いちゃってるからなぁ、うーん……よし。
早く終わらせるために、わたしはさらに気合を入れて、笑顔の大サービスを再開した。
「あ、あの、私、その、……悲鳴を上げて、ごめんなさいです。」
クロウ君の頭の上でトトのシッポをもじもじといじりながら、ようやく話をしてくれるリリエルさん。
あ、トトが嫌がってシッポ取り戻した。
と思ったら、リリエルさん今度はトトの羽に手を出し、口元にもってってさらにもじもじしてる……。
いいなぁ、わたしもトトの羽に顔を埋めたい! 騎乗できるサイズになったら、背中でもふもふさせてもらおう!
ちなみにトトの羽は根元は普通の毛だけど、だんだん羽毛になって羽全体は鳥に近い形をしていので、触るとパフパフして気持ちいいんだよねー。
あ、いやそうじゃなくて。リリエルさんに召喚宝珠を見せないと……。
「えーっと、リリエルさんあの……。」
と、わたしがリリエルさんに召喚宝珠を見せようと、足を踏み出した瞬間。
――眼前に見事な馬尻が。
わぁ、なんて見事に発達した筋肉…………じゃなくて。
いや、いいんだけどね、ただイベントが始まっただけで、狙ってるわけじゃないんだろう……けど、シクルド村の住人は、わたしの顔面に何か恨みでもあるのかといいたい!
本日何度目かの「のけぞり」をやりつつ後ろに下がると、予想通りスラニルがちょうどわたしの目の前、リリエルさんとの間にいきなり現れたのがわかる。
そりゃあ、大きさ的に普通の人だったら胸とか腰までの高さなんだろうし、わたしが小さいからちょうど顔面にジャストフィットするのは仕方ない、仕方ないんだろうけど!
……せめて、出る場所を考えて欲しいです、はい。
「スラニル様!」
リリエルさんがクロウ君の頭から飛び立ち、スラニルの顔の前まで舞い上がった。
しばらく無言で見つめあい、抱え込むように差し出されたリリエルさんの両手を、……いや、空中に浮かんだリリエルさんの身体を突き抜け、そして何も言わずに左手の壁、ちょうど天界樹の幹に当たる壁に吸い込まれるように、スラニルは消えていった。
「スラニル様……そうなのですね、わかったのです。」
何がよくわかったのかわからないけど、スラニルが消えた後も正面に浮かんだままうつむき、両手を祈るように胸元に引き寄せてつぶやくリリエルさん。
あらためて近くで見ると、リリエルさんの背中にある半透明の翼は炎のように燃える紅、そして朱をちりばめた金色の髪が腰までふんわりと広がっていて、頭には金細工で出来た幅広のサークレットをはめてるのが印象的だ。
紅翼の天人と言うだけあって翼と髪は見事な紅だけど、サイズ以外は他の天人さんたちとあまり違いはないように見える。
じーっと観察してたら、顔を上げたリリエルさんとばっちり目があった、瞬間「ひゃうっ」とわけのわからない声を上げて、まっすぐ一メートルほど空中で後退された。
むぅ、そんなに怖い顔してないと思うんだけどなぁ、たぶん……してない、よね?
「えっと、あ、あのトトの召喚主様、スラニル様の最後をお伝えいただいたのに、無礼を働いてしまってごめんなさいです。」
空中で何度も頭さげながら言うと、両手のひらをさしだして円を描き、渦を巻く赤い光の球を召喚するリリエルさん。
光の球は渦を巻いて広がって行き、ちょうど大人が通れるぐらいの大きさのポータルに変化した。
「あ、あのっ、お詫びにお茶を一杯差し上げたいので、こちらにいらしてくださいですっ。」
早口でまくし立てたかと思うと、リリエルさんはポータルのなかに逃げるように消えていき、いきなり火が消えたように静かになった小屋に、ポータルとわたし達だけが残された。
隅の木箱に座り込んでたガゼルさんは、大きく伸びをして立ち上がると、ポータルの近くにきて覗き込む。
「んー、これで部屋に入れるのか?」
「うん、でも問題はここからだね、いつもなら部屋でお茶を貰って帰るだけ、それがどう変化するか……。」
「お楽しみはこれからなの。」
つまり、このポータルの向こうが問題の「テイマーがいないと入れない小屋の中」らしかった。
このなかで新しいイベントが起きれば、いよいよあの召喚宝珠の正体がわかるかもしれないのだ、うん、なんか新しい冒険してるって感じがしてきた!
わたしが三人を見上げると、カラスさんが力強く笑顔で頷き、ローゼさんは無表情のままわたしの背中を押してくれる。そしてガゼルさんにあごで「オラ行け」と促され、トトを定位置の肩に乗せると、わたしは勢いをつけて真っ先にポータルをくぐった。
ポータルの向こうは、長老さんのところの半分ぐらいのがらんとした部屋だった。
部屋のどこにも明かりが差し込む窓がなく、ランタンに似た小さな光の花が、天井からいくつも下がって部屋を照らしている。
そして、長老さんのところと違うのは、壁や天井から天界樹の根が進出しまくっていて、どう見ても天界樹の地下にある部屋なことだ。
でこぼこの天井には平たい籠のようなものがいくつも釣り下がり、なかにはリリエルさんサイズのベッドや、テーブルセットがあるのが見える。
部屋の隅にかろうじてわたし達が座れそうな木のコブと、背の低いテーブルがセットになっておかれていたけど、わたしたちはそこではなく、部屋の中央にぽつんと置かれている、ワイングラスみたいな不思議な形をした丸い木のテーブルに近づいた。
背の高い丸テーブルの天板はわたしの顔とほぼ同じ高さで、かろうじて見える天板の上に丸い木の実をくりぬいたようなコップがおかれ、なにか液体のようなものが満たされていて、甘いにおいが漂っている。
カラスさんに「一人一個だから、好きなのを取っていいよ。」といわれて、一番手前のコップを持ち上げると、取ってすぐ手の中で掻き消え、ログに「リリエルのおもてなし茶」の取得ログが流れた。部屋の固有物体ではなく、取得アイテムだったらしい。
インベントリを確認すると「リリエルのおもてなし茶 効能:使用すると召喚獣のHPが再召喚するまで二倍になる」とあった。
……うわぁ、これってテイマーには、いやテイマーじゃなくても召喚獣使う人には、ものすごく貴重なアイテムなんじゃないだろうか。カラスさんがスラニル討伐のクエストを何回もやってるのは、たぶんコレ目当てだったんだろうなぁ。
部屋に広がる甘いにおいに、ちょっとだけ空腹感を刺激された。ガゼルさんも同じなのか、テーブルの上のコップを見て、盛大にため息をついている。
そういえば、夕食を早めに済ませたから、わたしもおなかがすいてきたなぁ。
……って、あれ?
なんかひっかかった。そう、今はリアル時間でもうすぐ十一時を過ぎる時間なんだよね……、という事はもしかして……。
「ガゼルさん、もしかしてものすごくおなか、すいてたりします?」
ガゼルさんを振り仰いで言うと、ものすごくバツの悪そうな顔で、何か言おうと口をパクパクさせてたけど結局何も言わず、不機嫌そうにそっぽを向かれた。
そうだよね、ガゼルさんに会ったのがお昼ごろ、ログインしてすぐにPTですれ違ったのが最初で、その後スヴァーデル(スラニル)との戦闘して、わたしが夕食でログアウトしてたときも、わたしにアイテムを渡すためにゲーム内で探してただろうし、アイテムを渡した後もそのままの勢いでクエストを始めちゃったわけで、……絶対何も食べてないと思う。
「なんだ、妙にイラついてると思ったら、腹減ってたのか?」
「……昼を食いそびれただけだ。」
むっつりとした顔で、これが終わったら昼夜兼ねて食べる、とか言ってるけど、お昼も食べてないんじゃ、クエスト中ずっとイラついて当然だよ。
四葉世界に限らず、VRワールドでは食事に関しては、まったく満足感が得られるように出来ていない。オブジェクトとしての食べ物はあるのだけど、美味しそうな香りがするだけで、口に入れた瞬間に消滅し、味覚も食感も感じられないのだ。
もちろん最新のVR技術なら、味覚や食感をフィードバックすることは可能なのだけど、あえてVRでは食べた気にならないように制限されている。
これはまだVRが全感覚投影型VRになる前、擬似VRで一部感覚のみを使用していた頃に、爆発的に人気が出た『VRダイエット』が引き起こした栄養失調や摂食障害、それによる精神的悪影響などが社会問題となり、それが原因といわれている死者が出るに至ったために全面的に規制され、今では医師による監視の下でしかVR食事は行えないようになってるからだ。
でも実際のところ、VRMMOの内部でのVRフードで、擬似的にでも満腹感が得られるようになったら、ただでさえ寸暇を惜しんでプレイする廃人プレイヤーは、丸一日どころか数日ろくに食べずにすごしそうだから、ゲーム内で満腹感を得られないようにするのは正解だと思う。
ただ最近は、食事に力を入れられない分、飲み物をこだわって作ってるVRが多く、四葉世界の飲み物も、本物そっくりの香りがして口に含むと暖かかったり、ひんやりしたりする液体状の何かを感じることが出来る。……もちろん、味はないし咽の渇きも癒されるわけじゃないけど、コーヒーやお茶などの香りを楽しむ事はできるのだ。
ちなみに食感も味覚もないのにVRMMOに食料アイテムがあったり、料理人という職業がなぜあるかと言うと、食料品は食べると一定時間HPが増えたり、攻撃力がアップしたりするバフアイテムとして存在しているためで、プレイヤーには食べる物としての認識はない。
むしろ美味しそうな甘い匂いとかが、ため息をついたガゼルさんみたいに空腹を刺激するので、あえてアイテムボックスの中で取り出さずに使用する人が多いくらいだ。
すごくおなかすいてるときの、美味しそうな匂いほど威力の高い攻撃はないよね、うん。
「一食や二食、気にしなくていい。」
「……まぁ、ガゼルが飢餓状態になって凶暴化する前に、クエストを終わらせようか。」
「オトコハクワネド、タカヨージ、なの。」
「それは男じゃねぇ、武士は食わねど、だ。」
ローゼさんのよくわからない言葉に、律儀につっこみを入れつつガゼルさんは最後に残ったリリエルさんのお茶を手に取った。
四人分のお茶がそれぞれ取得されると、それを待っていたかのように、リリエルさんが中央の丸テーブルの上に現れ、ゆっくりとわたし達全員を見つめる。
最初のおどおどした感じは薄くなったけど、両手を祈るような形で握りしめてて、なんだか妙に必死な雰囲気が伝わってきた。
「あの……ひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
両手を祈るように胸元で握り締めたまま、リリエルさんはゆっくりとわたしに問いかける。
「もしかして、……もしかしてスラニル様は、卵のようなものを持っていらっしゃいませんでしたか?」
おお、おおおおお!
これか!カラスさんが言ってた思わせぶりなセリフは!
そして、リリエルさんがそのセリフを言った瞬間、彼女の頭の上にクエストフラグが立ち、視界の隅に「クエストワード:『はい』ありました。」と表示された。
きた! わたしは間違えないように、クエストワードをクリックし、ついでに声でも「ハイ!」と返事をして、例の呪われた召喚宝珠を差し出した。
とたんに後頭部を拳固で小突かれ「おちつけバカ」とガゼルさんにささやかれた。
むぅ……ちょっと声が裏返えったくらい、見逃してくれてもいいのに。
差し出した召喚宝珠を見た瞬間、リリエルさんは小さく悲鳴を上げて固まった。
そして、ふらふらとよろめくように舞い上がり、わたしの手の上の召喚宝珠にすがりついて、悲しげな呻き声を上げる。
「ああ……なんという……なんというお姿に……。」
しばらく「私のせいで……。」とかいいながら、嘆いていたかと思うと、わたしの顔の前までふらふらと浮かび上がり、再び両手を握り締めた必死の表情で話しかけてきた。
「あの……、トトの召喚主様、私の頭のサークレットをはずしていただけないでしょうか。どうかお願いします、スラニル様を救われた貴方様なら、私の封印を解く事が出来るはずです。」
そういって差し出されたリリエルさんの頭には、いかにもこれが「イベントキーアイテム」ですよと言ってるかのように、金色のサークレットがキラキラとした光を放っている。
封印と言う言葉に不吉な予感がしつつ、わたしは人差し指と親指でつまむように、そっと金のサークレットに触れた、瞬間。
――真紅の光が爆発した。
ま・た・か!
部屋中を真っ赤に染める光に目を覆いながら、門番のエリエルさんのように変身するのかと、光の中心にいるリリエルさんを透かし見る。
リリエルさんは空中に浮かんだまま、ゆっくりと回転し……回転しながらだんだんと大きくなり、カラスさんたちと変わらないサイズの大人の女性の姿になり……。
ものすごく大きな音を立てて、見事にお尻から床に墜落した。
「つあぅっ、いったあああああいい……。」
床の上で、お尻をさすりながら身もだえする天人さん。
うわぁ……、なんというかずいぶんその……目に毒な光景が展開されているんじゃなかろうか。
天人さんたちはみんな似たような服装で、ファンタジーによくあるローマ・ギリシャ風のトーガに似たふわりとした服を着ていた。
エリエルさんや長老さんたちも同じような服を着ていたはずだし、リリエルさんも手のひらサイズだったときは気にならなかったのに、普通の大人の女性サイズになったとたん気になってしまう。
なにしろ目の前に女性として出るところが、ものすごく自己主張しているのだ。
リリエルさんがそれを着て床に転がっていると、男性ならいろいろと目のやり場に困るというか、こんなところにもスリットが入ってるのかと、男性じゃなくても目がいってしまうというか。
うん、はっきり言って、エリーンさんより、ある。
ふと気配を感じて男性陣二人を振り仰ぐと、二人ともすごい勢いで顔ごと視線をそらせた。……まぁしょうがない、目が行くよね、あれは。
リリエルさんは奇妙な姿勢でお尻と細い腰をさすりながら、丸テーブルにすがりつくように立ち、空中から杖を召喚してなんとか天人っぽい威厳を出そうとしてるけど、微妙に曲がった腰がすべてをぶち壊している。
そして……、さっきからなにやら背後で急激に気温が下がったような、こわい気配がするような気がするけど、ただの気のせいだよね……。
なんだか「……滅びよオッパイ××」とかいう、ローゼさんのどす黒いつぶやきが聞こえたような気がするし……、怖くて後ろを振り向けないけど……うん、何もなかったことにしよう、そうしよう。
私と、妙に硬直した二人の男性陣は、リリエルさんに話しかけるのに必死で集中することにした。