1-14 森と湖とお婆ちゃんとかなづち
滝の爆音から離れ、しばらく川の流れに沿って下っていくと、目の前に霧の立ち込める広い湖が迫ってきた。
ここが目的地のシクルド村のはずだけど……。
あたりを見回しても湖の周囲には小さな小屋がひとつだけで、周囲は村という感じがまったくない。
唯一、湖の中心の小島に生えている一本の巨木が、何かのシンボルのようにそびえ立っているけど、その巨木のある小島もかろうじて島の残骸が木の根の周囲に見えるだけで、とても家が建てられるような場所はなさそうだ。
一軒だけある古びた小屋は、まるで木に寄生するかのように大木と一体化した……というより、むしろ半分以上を成長した木に侵食されちゃった感じの、奇妙な小屋だった。
カラスさんたちは戸惑うわたしを見てうなずくと、手なれた様子で小屋に向かう。その後をクロウ君と一緒に小走りに追いかけていくと、小屋の中から小柄な婆ちゃんが出てきて、わたし達に笑顔を向けてくれた。
「これはこれは、こんな辺鄙なところにどんなご用件で?」
白い髪を長く伸ばし、後ろでひとつにくくったお婆ちゃんの頭の上には、見間違いようのない報告NPCを示す赤いクエフラグが回転している。
お婆ちゃんに近づくと、ポーンという音と共に視界の隅に「『スラニルの最後』を伝えにきました。」と、クエストワードが表示された。
こういうところは親切設計なんだよなー。
わたしが返事をしていいのか迷ってると、後ろから頭を軽くはたかれる。振り仰ぐとガゼルさんが、あごで「いけよ」と指し示してた。
いや、いいけどさ……、ガゼルさんは女の子に対する扱いを、もう少し覚えたほうがいいんじゃないかなぁ。
苦笑しながら場所を譲ってくれるカラスさんの前に出て、わたしはお婆ちゃんに話しかけた。
「あの、スラニルの最後の言葉を伝えにきました。」
「おやまぁ……、あの暴れ馬も最後を迎えたのかい。あれの最後に立ち会ったのなら、お前さんたちにはさぞ迷惑をかけたことだろうて。すまないが、ちょっとそこで待ってなさい。」
お婆ちゃんがそういって小屋に入ると、クエストクリア音と同時に「『スラニルの記憶派生クエスト:村への招待』を受けました」とログが流れる。
しばらくして小屋から出てきたお婆ちゃんの手には、白い大きな杖が握られていた。
二メートル近くはあるだろう白杖は、大小の白い蓮の花と分岐した枝状の小さな蓮の葉がデザインされた神秘的な杖ですごくかっこいい。
「すまないが迷惑ついでにシクルド村で、あやつの最後の言葉を長老に伝えてもらえるとありがたい。スラニルは長老の守護者だったのでね、長老も直接聞きたかろう。」
シクルド村で……といわれてもあたりは森と湖だけで、お婆ちゃんがいた小屋が一軒あるだけだ。隠し村って言ってたし、地下とか湖の底にでもあるんだろうか?
わたしが村の入り口を求めてあたりを見回していると、すでに何度も訪れた事のあるカラスさんたちが、なにごとか含んでる笑顔でこちらを見ていた。
「村の入り口って隠されてるんですか?」
「うん、そうなんだけど……。」
「だまって見てりゃわかるさ。」
にやり、と人の悪い笑顔で笑うガゼルさんと、何かを期待する眼で笑いながら頷くカラスさん。
二人ともわたしの反応を楽しみにしてるんだね……。ガゼルさんもだけど、やっぱりカラスさんも人が悪いなぁ。一応、初めての楽しさを奪わないように、言わないでいてくれるのはありがたいけど!
「どれ、後ろのお二人さんはすでに道が開かれているようだけど、お嬢ちゃんには新しい道を作ってあげなきゃいけないね。」
そういうとお婆ちゃんは白蓮の杖を片手に、湖のほとりに向かった。
うっそうとした森の中にある湖の周辺には、うすぼんやりとした霧も漂っていて、ただでさえ暗くて深い水底を見通すことなど出来そうにない。
波のない静かな湖の水の底を透かし見るように覗き込んでいると、水際に立ったお婆ちゃんがむぞうさに白杖を水際の水面につきたてた。
――一瞬で、世界が変わった。
杖から閃光があふれ、巨木に向かって一直線に放たれると、一筋の光の橋となって水面を走って木の幹にぶち当たり、巨大な木全体を包み込んで広がった光は、そのまま拡散して周囲の霧を打ち払う。
やがて閃光が収まると、一変した周囲の風景は明るい光に満ちあふれ、光の橋はそのまま白蓮の葉で出来た蓮の橋となった。
そして……濃い霧が打ち払われた巨木の枝々には、まるでクリスマスツリーのオーナメントのように、丸いツリーハウスがいくつも点在していて、木そのものがひとつの村を作り上げているのが見える。
「精霊界に唯一根付いた最後の天界樹にしてわれら天人の隠れ里、シクルドの村へようこそ。」
柔らかな声に振り返ると、お婆ちゃん……いや、輝く白銀の髪と半透明の翼を背中にたなびかせた、元お婆ちゃんらしき美女が微笑んでいた。
有翼の美女は白杖を引き抜くと、水面からちいさな蓮の花を摘み取ってわたしに差し出す。
「私はシクルド村の門番にして最後の天人のひとり、白蓮のエリエルと申します。この花はエリエルの証、これを持っていれば白蓮の橋をいつでも呼び出すことが出来ますよ。」
美女に変身したら声も口調も変わってるし。
これは、お婆ちゃんの姿は世を偽る仮の姿だったのか、それともこっちがただの若作りなんだろうか……。
あまりにもいきなりいろいろ変ったので、どう反応していいものかわからなくて固まってたけど、蓮の花をさしだすエリエルさんの笑顔に、なんとか気を取り直して花を受け取る。
受け取った瞬間、蓮の花は光の粒となって消え、かわりにクエストの「村への招待」をクリアしたログが流れて、インベントリに「エリエルの証」が入った。
「えーっと……つまり、あの巨木がシクルド村なんですね?」
「そういう事、ちなみに天人に関してはこれから会う長老が説明してくれるから、それまでスルーでいいよ。」
カラスさんはそういうと、自分のエリエルの証を取り出して湖に向かって使う。
気がつくと、ガゼルさんもエリエルの証を使ったらしく、私には見えない橋を使って湖の水面を身軽に渡っているところだった。
なるほど、この橋は作った本人にしか見えないし渡れない、つまりお婆ちゃんが言ってた「新しい道を作る」ってのは、わたし専用の橋を作るって事だったのかー。
「なにぼーっとしてんだ、さっさと渡って来い。」
さっさと巨木のところまで渡りきったガゼルさんが、不機嫌そうな目つきで腕組みしてこっちを見ている。もっとも、実際のところ本人は不機嫌なのではなくて、目つきが悪いからそう見えるだけだってのは、なんとなくわかってきたけど。
笑顔で蓮の橋を指し示すエリエルさんにお礼を言って、水面に蓮の葉っぱが浮かんでいるだけの白蓮の橋に足をふみだした。
葉っぱの橋は手すりも何もないし、それどころか葉と葉の間に大きな隙間があったりするので、カラスさんたちのようにさっさと渡るのはなかなか難しい。……からだが小さくなったせいで、今の自分がどれだけの距離をジャンプ出来るのか、まだいまいち把握できてないから、多少足取りが遅いのは仕方ないと思うんだ。
慎重に慎重を重ねて、水面に落ちないようゆっくり渡っていたら、痺れをきらしたらしいガゼルさんがカラスさんに何事かささやき、頷いたカラスさんが苦笑しながらクロウ君を迎えによこしてくれた。プレイヤー同士には見えないし渡れないけど、使役獣には見えて渡れるらしい。
……クロウ君の首にしがみつきながら、リハビリを兼ねて通っているスポーツジムのメニューに「初めての水泳」を入れるのを私は心に誓った。
何とか無事に湖を渡りきって、巨木のある小島までたどり着いた。
小島といっても、大人が十人も立てばいっぱいになりそうな狭い地面でしかないけど、水面の蓮の葉っぱよりは百倍ましだと思う。
クロウ君にお礼を言って背中から降り、巨木の……いや、シクルド村の木へ近づいた。
私が十人手をつないでやっと一回りできそうな巨大な幹には、一枚の大きな扉が付いていて、その扉の表面にはシクルド村の木をかたどったデザインが彫りこまれている。
掘り込まれた木の枝にはツリーハウスに対応した場所に雑貨屋などのアイコンがならんでいて、村の案内板もかねているらしい。ちなみに、アイコンの中に宿屋があったので、いざとなったらここでログアウトも出来そうだ。
わたしが巨大な扉を眺めていると、後ろで突然「えっ、あっ……ちょっとまって。」と、カラスさんのあわてる声がする。
「ああ、うん……いや、そうじゃなくて。違うよ、うん……うん、ああわかった。」
振り返ると、カラスさんは小声であわてたようにつぶやいていた。どうやら誰かから個人通話が飛んで来たらしい。
「どうした?」
「うん、ごめん。フレ……っていうか、会う約束してたギルドの奴らがもうここの雑貨屋に来てるらしいんだ。俺、ちょっとそいつらに用事あるから、先に二人で長老に会ってイベント進めといてくれるかな?」
「ああ?……いや、別にそれはいいが、クエストの進行は大丈夫なのか?」
「うん、それは村内にいれば大丈夫、俺も用事すませてすぐ戻るから。」
そういうと、なんだかあわてた様子のカラスさんは木の幹に近づき、扉に掘り込まれた雑貨屋アイコンを軽く手のひらで押した。
カコッという軽い音と共にアイコンがへこみ、扉が一瞬だけほのかに輝いたと同時に、くるりと扉が回転すると「じゃ、また後で」と言う声を残して、カラスさんとクロウ君が扉の向こうに消える。
中央を軸に回転した扉の隙間から、ちらりと雑貨屋らしき店内といくつかの人影が見えた。どうやらこの扉ひとつでシクルド村のそれぞれのツリーハウスにつながっているらしい。
ガゼルさんは肩をすくめて扉に近づくと、いくつかあるアイコンの中でも、ひときわ大きくて中央に位置する村長の家を示すアイコンに手をかざす。
ガコンッっと、さっきよりは重々しい音がしてアイコンがへこみ、扉が再びほのかに輝いた。
「しゃあねぇ……。おら、さっさと行ってすませるぞ。」
振り返り、私を促しながら扉を開いてくれたガゼルさんの後を追い、長老に会うためにわたしも大きな扉をくぐった。