1-10 追いかけっこは苦手です
首都ホーリーの転移ポータルは中央広場の中心にある。
狩場から転移してすぐ、わたしは「フレンド以外からのウィスパー受信拒否」の設定をオンにした。
申し訳ないけどそうでもしないと、あの人のよさそうなギルハンPTさん達は、ボスの分配を渡そうとウィスしてきそうだしね。
まぁ、どちらにせよタイムカウンターの残り時間的に、分配相談とか関わってる余裕がないんだけど。
赤くなってる数字は残り八分、隣村へ行くクエストは間に合いそうにないし、またカズ兄のホームでいったん落ちてお風呂と夕飯にしよう。……と思ったところに、フレンドリストのカズ兄とエリーンさんが、同時にオンライン状態になった。
あー、二人同時かぁ……。
この二人はリアルカップルなんだけど、今はエリーンさんの仕事の都合で遠距離恋愛中。つまり、二人で四葉世界にいるときは、デートもかねているわけで……。
だめだ、今カズ兄のホームには行けない、行ったらさっきの馬ボスにけられて死んでしまう!
しょうがないので、中央広場から一番近い安宿屋に入ることにした。
「いらっしゃいませぇ、お泊りですか?お食事ですかぁ?」
扉をくぐると、どこの居酒屋の従業員だ! と突っ込みを入れたくなる口調のエルフNPCさんが、みごとな営業スマイルで対応してくれる。入ってすぐが広い食堂になっていて、ファンタジー物によくある食堂兼宿屋スタイルらしかった。
「あ、ええっと宿泊で。」
「かしこまりましたー。宿泊のお部屋は時間貸しシステムとなっております。ログアウト中はカウントいたしませんので、安心してお休みいただけます! 十五分で五百ギールからですが、いかがなさいますか?」
ログアウトするだけなので十五分でお願いすると、手のひらサイズの古めかしいカギを差し出され、カギを受け取るのと引き換えに、自動で五百ギールが差し引かれた。
「そのカギで奥の扉が開きます。カギは一度使用すると消えてしまいますが、十五分間は自由に出入りできますのでご安心ください。」
彼女が指し示した先には、古めかしい扉がひとつだけぽつんとあった。
貸し出すたびに新しい部屋を作成するインスタンス形式の部屋で、扉はひとつでも入る人によって中は別々になるらしい。
時間がないのでさっそくカギを消費して扉に入ると、最安ランクの宿なのでベッドひとつに机と椅子があるだけの、簡素なつくりの部屋だった。
変なところにこだわる四葉世界は、宿屋ごとに値段だけでなく調度品や部屋の作りもまったく違っている。
現代の高級ホテル風の部屋や、建物の中なのに露天風呂付きの民宿風だったり、ファンタジーなロッジ風もあるし、なぜかレトロな3Dゲームマシンやカラオケセットが設置してあったり。あまりにもいろいろあるので「四葉オススメ宿屋マップ」なるものが有志の手で作られているくらいだ。
実はわたしもそれをチェックして、隣村にあるカントリー風の宿屋を利用するつもりだったんだけど……まぁ、しょうがない!
ため息をつきながらベッドに腰かけると、肩でおとなしくしていたトトがひざの上に飛び乗ってきた。うにゃう? と首をかしげながら見上げるトトの頭をなでて、いったん落ちてご飯にしてくるからまた後でね~、と〈返還〉して召喚宝珠に戻した。
うーん、神獣さんからトトと一緒にゲットした十万ギールの使い道、やっぱり個人住宅を買おうかなぁ。アパートメントならそのくらいで買えるらしいし。
チームの共有家にいつでも戻れていたSTK時代とちがって、今みたいに時間ぎりぎりになったときに、すぐログアウトできる場所に戻れないのは結構不便だ。
一般的にVRMMOでログアウトするときは、どうしようもない場合を除いて、宿屋か個人住宅などでログアウトするのが、常識になっている。
最近のVRゲームは一分ほどで残存アバターは消えるけど、初期のゲームは三分前後残るものが多く、へたすると五分近く残るものもあったらしい。
そしてその残った残存アバターは、中身のないロウ人形のような状態でフィールドに放置され、心無いゲーマーのイタズラの対象になった。ログインしたらPKされていたとか、モンスターを連れてきてMOB死させられてたとか可愛いほうで、女性ゲーマーに対するセクハラめいたイタズラもあったりした。
そのため、実際はその辺の道端でもログアウト自体は可能なのだけど、VRMMO暦が長いプレイヤーほど放置ログアウトを嫌う傾向にあり、実際わたしも一般フィールドでログアウトするのに抵抗を感じてしまうタイプだ。
もちろんマナーの他にも「スタミナ値」の回復と言う理由もある。
スタミナ値は基本的には非戦闘時にアバターを激しく動かすと消費されるもので、回復POTが存在しないため、回復方法は安静にして自然回復を待つか、宿屋・住宅のベッドでログアウトして完全回復するかの二択以外の回復方法がない。
ただ、戦闘中には激しく動いても減らないし自然回復量も多いので、街中をウサ耳と追いかけっことかしなければ、そうそう活動限界値まで減るものじゃないけどね!
個人住宅を持っていれば、狩場からでも〈ホームリターン〉で直に住宅に戻ることが出来るし、十五分以内ならホームリターンの痕跡ポータルから元の狩場へ転移で戻ることも出来る。
カズ兄みたいに一戸建てとかじゃなくていいから、買えそうな家の相場を後で調べてみるか、と思いながら今回はここでログアウトするために、ベッドに横たわった。
夕飯とお風呂をすませたらすぐにログインするつもりが、いろいろ手間取ったのでこちらではちょうど夜明けの時間だった。
まだ薄暗い首都ホーリーの東門を出て、道なりにまっすぐ行くと隣村のベックス村が見えてくる。
四葉世界には太陽がないので、東の空から朝日が昇る事はない。そのかわり「群光花 」と呼ばれる光る巨大な花が、世界の柱の上からランプのように釣り下がり、その花が開いたり閉じたりすることで昼夜が生じるようになっていた。
空を見上げると、そこには月のように銀色に輝く大きなツボミや、開きかけて行灯のようなぼんやりとした光を放ち始めているもの、小さいけれど満開で強い光を放ち始めているものなど、複数の花らしきものが視認できる。
こういうのを見ると「あー、ファンタジーワールドなんだー」と思ってしまうなぁ。
目の前にあるベックス村も、いかにもファンタジーの農村! といった感じで、十軒ほどの家はすべて木造だし、二階建ての大きな建物も二軒しかない。
マップを開いてクエスト報告の場所を確認すると、村の中央にある一番大きな宿屋らしき建物のすぐ近くだった。
早朝の農村風景らしく、道端の家々では早くから忙しく働く人たちの姿が見える。眼が合うと「おはよう、はやいねぇ」と気さくに声をかけてくれるので、こちらも挨拶を返しながら村の中央の建物に向かった。
マップ上に表示されている「報告NPCフラグ」のマークは、建物の裏手にある小川の近くを動いている。小川で洗い物をしていたのは、ややお年をめした恰幅のよい人族の女性NPCウィーダさんだった。
「頼まれて忘れ物のお届けにきましたー。」
「まぁまぁ、このショール無くしたと思ってたのよ。朝早くからわざわざありがとうねぇ、お礼にうちの食事をサービスするから持っていってね。」
声をかけるとクエストクリア音がして、インベントリのクエストアイテム「忘れ物のショール」が消え、代わりに「ウィーダ手作りのサンドイッチ」が十個といくらかのギールが入る。
ここで「サンドイッチ十個とかどこに持ってたんだ?」とか考えちゃだめだよね。
そのあとウィーダさんはそこの宿屋の女将で、宿屋には冒険者協会のクエスト請負ボードがあるからついでに見てくといいよ、と丁寧に教えてくれた。
ウィーダさんの助言に従って宿屋とその周辺をチェックしたら、宿屋の入り口にはメールボックスと冒険者協会のクエストボードがあるし、おまけに宿の正面が雑貨商人の店で、そこには商業組合の取引仲介ボードまである。
転移ポータルのある首都ホーリーからもすぐだし、ウィーダさんの宿を常宿にしてもいいくらい便利だ。
とりあえずこの村の近くで出来そうなクエストを受けるかなー、と宿屋に戻ろうとしたら村の入り口あたりに何か見覚えのある人影が立っていた。
……二刀装備ハンターのガゼルさんが、どう見ても怒っているようにしか見えない笑顔で、腕組みをして仁王立ちしている。
見てない、わたしは何も見てない! つぶやきながら回れ右して宿の裏手にまわった。
「顔をみて逃げるとはいい度胸だな、チビエルフ。」
建物の逆側から先周りしたガゼルさんが正面に立ちふさがる。わたしはそのままもう一度回れ右して、すたすたと早足で逃げ出した。……だって、ガゼルさんの笑顔がものすごく怖い。
「ちょっとまて、なんで逃げる。」
「追いかけて来るから逃げるんです!」
「だから、逃げなきゃ追いかけねーよ!」
いや、そんな怖い笑顔で来られたら誰だって逃げるから!
「逃げなきゃ捕まるじゃないですかっ。」
「つまり、捕まるような事をした自覚があるんだな?」
「そんなものないです、ガゼルさんの顔が怖いだけです。」
「なん、だとっ……。」
あ……あれ? ガゼルさん、壁に向かってなんか傷心のポーズとってる……。
さすがに言い過ぎたかなぁ、と思いながら近づくと、満面の笑顔でがっちりと肩をつかまれた。ぎゃー、だまされたっ!
「まったく、ウィスは着信拒否してやがるし、すぐにログアウトして検索にも引っかからなくなるしで、いやぁ苦労させられたぜ。」
だから、怖いって! その笑顔が怖いんだって!
「なな、なんでここがわかったんですか。」
「フレンド全員に、お前さんのSS付きで指名手配したからな!」
わたしの肩をつかんだまま、自慢げに言うガゼルさん。
ちょっとまって、スクリーンショット付きで指名手配したとか、ドヤ顔で言わないでほしい。
「勝手にわたしのSS配るとか、なに恥ずかしいことしてくれてるんですか!」
「大丈夫だ、俺のフレンドだから信頼できる奴しかいないし、それにお前さんのSSはすでに有名だぞ?」
「……は?」
気のせいだろうか、なんか妙な事を言われた気がする。
「お前さん、昨日『アリスのウサギ』を追っかけてただろ、そんときのSSだな、ほら。」
トレードで渡されたスクリーンショットは、走るウサギ耳のブラッセル氏と追いかけるわたしを撮ったもので、なぜかわたしの服が少女趣味なエプロンドレスに加工されていた。
幸い帽子の影になってわたしの顔は写ってないけど……ブラッセル氏に時計を持たせたりして、どう見ても童話のアリスのワンシーンにしか見えないよね、これ。
「掲示板に『アリスが街中を走ってた』ってコメント付きでこの加工SSがアップされてたから、知ってる奴も多いだろ。顔は隠れてるけどこの帽子と背丈で、なんとなく検討はついたしな。」
あああ、昨日カフェで感じた視線はもしかしてこのせい? もうこの帽子かぶって歩けない、いや問題はそこではなくて。
恥ずかしいというかなんというか……、よし、あとでケンさんに美味しいご飯おごらせよう。
「それでだな、って……こら、しっかりしろ、ちゃんと立て。名前も顔もばれてないから、心配いらねーだろ。」
スペシャルチョコパフェでもいいなぁ、と現実逃避してたら乱暴に肩を揺さぶられて、手の中のSSが地面に落ちた。
と、背後からそのSSを拾った誰かが、肩からガゼルさんの手を引き剥がしてくれる。
「ガゼル?……お嬢ちゃんに何乱暴働いてるんだ。」
振り返った先には、ガゼルさんの腕を捻り上げた黒い服・黒い髪の武器職人カラスさんと、その横で長い尻尾を揺らめかせている相棒の巨大黒猫クロウの姿があった。