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【9】模索

 もう直ぐ目的の駅に着くという頃、タクシーは急に減速して止まった。

 菅沼は助手席のシートに手を着いて前のめりに前方の様子を覗う。すると、前方に工事の札が見える。

「なんだ、どうしたんでしょうね」

 タクシーの運転手は、ルームミラー越しに菅沼に向って言った。

「通れないのか?」

 少し先は、道路が水浸しになっている。

「ありゃ、水道管ですね。工事中に傷つけたんだな」

 運転手は窓をあけて車をゆっくりと進めるが、警備の男は迂回するように赤く点滅する棒をグルグルと横に向って振っている。その赤い光が鮮明に見えるのは、夕暮れが迫っている事を示していた。

「通れないの?」

 運転手が警備の男に声をかけた。

「はい、今水道管をやっちゃって。業者が来るまで無理ですね」

「でもここ曲がったら一通で戻っちゃうじゃない」

「そうなんですけどね……それから他の道に出てもらうしか」

 道の先は緩いカーブで見えないが、もう駅は目の前なのだ。

「じゃあ、俺は降りて歩くよ」

 菅沼はポケットから麻美に借りた一万円を差し出した。

「直ぐ駅なんでしょ」

「ええ、警備員が示す方の路地へ入ってから、左へ行けば駅ですよ。車は逆の一通だから行けないんですがね」

 菅沼は運転手からお釣りを受け取ると

「判った、ありがとう」

 そう言って、降りたタクシーを後にして駅へ向かった。

 暮色に染まる駅前周辺は、帰宅する人波で溢れていた。ロータリーとは呼べない駅前に立った菅沼は三本ある通りを見渡す。

 しかし、ふと何かが気になった。

 何かが違う。何かがおかしいと感じたのだ。

 彼は目を伏せて空を仰いだ。

 ……何だ。何が腑に落ちないんだ。思い出せ、あの時見えた映像と声を思い出せ。

 大通りの直線……そうだ。まど香が交通事故に遭ったのは大通りと聞いていた。しかし駅前の通りはどれも片側一車線の大通りとは言い難いものだ。

 この周辺の何処かに娘の通う塾が在るのは確かだろう。しかし、彼女が事故に遭った場所は駅前ではない。

 何処だ……まど香は何処で事故に遭ったんだ……

 菅沼はあの時事故の状況を詳しく訊きいたはずだ。いや、裕美子の知っている事を聞いたに過ぎない。もしかして、彼女も事故現場が何処かは詳しく知らなかったのかもしれない。

 菅沼はとりあえず裕美子の言った真っ直ぐと言う表現に当てはまる道を探した。

 駅から見て道は三本。右斜め方向から二本と左の線路に沿うように抜ける道が一本だ。

 ……やっぱり真ん中の道の事なのか? 

 一番右は、さっきの工事で迂回させられた道路だ。

 菅沼はとりあえず真ん中の道を歩道に沿って歩く。それは今路地を抜け出てから、駅に向かって歩いて来た道だ。少し先はカーブしていて、何処へ向っているのか判らないが、おそらく国道へ出るのだろう。

 大通りはどうなってる?

 彼は頭の中で地図を思い描いて見るが、来慣れない立地と碁盤の目にはなっていない区画が、菅沼を混乱させる。

 ふと見ると、駅からそう離れない場所には雑居ビルに居酒屋の看板が目立つが、コンビニの二階が塾になっているのを見つけた。

 心が逸る。……ここか? 

 菅沼は迷わず階段を上がって、塾へ入って見る事にした。時計を見ると5時半を回っている。

 まど香が事故に遭った正確な時間は判らない。塾へ行く途中と言う事しか判らないのだ。だから、まずその塾が何処に在るのか知る必要があると思った。

……事故の時刻、裕美子は旅行から帰っていたのだろうか。菅沼はまど香が事故に遭った時間が気に掛かった。

 先ほど携帯に掛けた時にはまだバスの中だった。しかし、首都高速に入ったと言っていたから、彼女が家に着く前にまど香は事故に遭ったに違いない。

 そうだ、あの日、いや実際は今日なのだが……病院で見た裕美子は外出着のままだった。家には帰ってないか、または帰宅して間も無く連絡があったのだ。

 しかし、自分に連絡があったのは残業が片付いた七時半頃だった。

 どうして直ぐに連絡しなかったのか……そうだ、会議で携帯の電源を切ったままだったんだ。

 次々に菅沼の中に一度目の水曜日の出来事が浮かび上がる。

 コンビ二の横の階段を上がると、三つ部屋が見えた。二つは教室で、一つは講師の準備室みたいだ。

 すると、その準備室から一人の女性講師らしき人物が出て来たので、ちょうどいいとばかりに菅沼は彼女を呼び止める。

「すいません、ここの講師の方ですか?」

「え、ええ。そうですけど」

「ここの教室に菅沼まど香という娘はいますか?」

「あの……失礼ですけど、どちら様で?」

 どうにも不審な目で見ている。最近は青少年を狙った犯罪が多いから仕方が無いのだろう。

「父親です。菅沼まど香の」

「ちょっとお待ち下さい」

 彼女は再び準備室のドアを開けると

「何年生ですか?」

「中3です」

 準備室の中には四つの事務机が向かい合わせに並んで、壁際には事務用の整理棚が置いてある。六畳ほどの小さな部屋だった。

 彼女はドアを開けたまま、整理棚から生徒名簿らしきものを取り出してパラパラと眺めると

「菅沼まど香さんは、うちにはおられないようですが……」

 彼女は再び怪訝な顔で菅沼を見つめる。

「そうですか。いや、娘に急用なのですが、この近くの塾としか聞いてなくて。何でも母親任せだったのが、今更ながら恥ずかしいです」

 菅沼の言葉を聞いて、女性講師は母親に何か不幸が起きて父親が娘を連れに来たのだろうと勝手に解釈した。

「それでしたら、この一本向こうの通りにも学習塾が在りますからそこではないですか?」

 急に優しい笑みを浮かべる彼女に、今度は菅沼が妙な印象を受けたが、まさか自分が言った言葉を勝手に彼女が別の解釈をしているなどとは思いも寄らない。

「有難う御座います」

 菅沼は直ぐに踵を返して階段に向った。

「あの」

 背中から女性講師が呼び止める「あの、携帯電話は持っていないのですか?」

 菅沼はその一言で、自分の愚かさを認識した。

 ……そうだ。携帯電話が在るではないか。どうして真っ先にそれに気付かなかったのか。まど香に連絡して、大通りの歩道を歩かないように言えばいいのだ。




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