【7】予感
二階の窓から見えるのは、慌しく駅へ出入りする人波だった。この時間はビジネスマンとOLの姿が多いが、学生もちらほら見えるのはどういう事なのか、菅沼は何時も不思議な気持ちになる。
菅沼と麻美の二人は、手っ取り早く駅前の洋風レストランに入った。一階はコーヒー豆や紅茶葉などを売るショップと、お茶屋が入っているテナントの二階だ。
窓からは駅の小さなロータリーが見えて、行き交う人の波につい目が行ってしまう。
「娘さんは何年生ですか?」
「えっ」
窓の外に気を取られていた菅沼は一瞬間を置いて、麻美の質問を頭で繰り返した。
「ああ、中三だよ。普通なら受験だけど、あそこは中高一貫だからこんな時期が楽だね」
「そうですか」
「まあ、週に何度か塾だけは行ってるけど」
菅沼は自分で言ったその言葉に、何故か引っ掛かりを覚える。
しかし、何故そんな事に何かを感じるのか判らない。
……塾? まど香の塾がどうしたと言うんだ。確か週に三回、月、水、金曜に行ってたかな。そうか、今日はまど香の塾がある日か……しかし、それがどうしたと言うんだ。
「チーフ?」
菅沼が麻美の声に顔をあげると、彼女は今日幾度も見せる怪訝な笑みを浮かべている。
彼は自分でも知らぬ間に、俯いてテーブルを睨んでいたらしい。
「大丈夫ですか? 何か悩み事でもあるんですか?」
「あ、いや。別にそう言うわけじゃないんだ」
彼はそう言ってから少し躊躇って、次の言葉を口にした。
「中島は、デジャヴって……遇うかい?」
「デジャヴ……ですか?」
麻美はそのネタが冗談なのか本気なのか測りかねて、複雑な笑みを返す。
「デジャヴによく遇うんですか?」
「ん、まあ、時々な」
「デジャヴは、過去の出来事を正したいと思う気持ちが引き起こさせるそうですよ」
「そうなの?」
口に着けたコーヒーカップを離して、菅沼は真顔を返す。
「いえ、確かフロイトが言った言葉だと思いますけど」
彼女はそう言って明るく微笑むとコーヒーのカップを傾けた。
「あたし、これでも大学では精神医学を少しやってたんです。カウンセリングの勉強もしたんですよ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、悩み事が出来たら、キミに相談するのが一番だな」
菅沼はそう言って明るく笑ってみせた。
「あの……菅沼さん……」
麻美が何時ものチーフではなく、名前を呼んだ事は彼の耳には入らなかった。
その時デザートを運ぶウエイトレスが菅沼の直ぐ横を通りかかったのが見えて、彼は彼女の身体に左手を伸ばした。
その手が触れるか触れないかの距離になった瞬間、ウエイトレスは軽く躓いて前のめりになる……が、ちょうど菅沼の出した手がその身体を制したのだ。
「きゃっ」
ガチャンッと少しだけお盆の上でずれた食器が音を立てたが、何も零れずに済んだ。
「す、すいません……」
慌てたウエイトレスは、赤面しながら菅沼に頭を下げる。
「ああ、いや……危なかったね」
ウエイトレスの履いていたヒールの踵が折れて、躓いたのだ。
「大丈夫?」
足元に視線を下げて菅沼が言う。
「あっ、あははは。平気です。ヒール折れちゃいました」
彼女は再び頬を赤くして明るく笑うと、菅沼たちの奥のテーブルに無事デザートを運ぶ。
……なんだ。何故判った? 今自分は一瞬先に……彼女が躓くより早く手を出した。ほとんど無意識だった。彼女が躓く事を予測したのか?
記憶が自然にそうさせたのだろうか……やっぱり、俺は今日を知っている?
菅沼は思わず、半ば無意識で事前に差し出した自分の左手を見つめた。
「どうしたんです。彼女のさわり心地はそんなによかったですか?」
麻美が再び笑って見ていた。
「あ、ああ。いや、若い娘に触れるなんて、そうそう無いからね」
彼の冗談に、思わず麻美は吹き出した。
レストランの会計で、菅沼が支えたウエイトレスは再びお礼の言葉を発し、ドリンク券を二枚多くくれた。
「いやあ、先週の晩に、先輩が酒気帯びで掴まってな」
その時、直ぐ近くのテーブルでの会話が菅沼の耳に飛び込んできた。
「馬鹿だな。俺はもう絶対に飲んだら運転しないぜ」
「俺だってそうさ。罰金の値上がりもそうだけど、あんな事故は起こしたくないからな」
あんな事故とは、半年前に立て続けに起こった酒気帯び、いや酒酔い運転の挙句に人身事故を起こして相手を死亡させたケースの事を言っているのだろう。
「でも、逃げてから酔いを醒まして出頭する奴は、悪知恵働くよな」
「そう言う奴は何処にでもいるんだろ。変な事だけ頭が回る奴な」
菅沼は何気に聞き耳を立てながらも、レジのお釣りを受け取ると、麻美と一緒にレストランの階段を下りた。
菅沼は電車に揺られながら考えていた。
酒酔い運転……そのキーワードにも何かを感じる。一体どうしたと言うのか。今日は何故こんなにも沢山の事柄が頭に引っ掛かるのか、謎は深まる一方だった。
今までに何度もデジャヴを経験しているが、こんなに胸騒ぎを感じた事はない。いや、少しも感じたことが無いと言った方がいいだろう。
せいぜい自分は水曜日を何度か繰り返しているとか、突拍子も無い事を思いつくのが関の山で、本能が何かを感じて心がざわめくような感覚は今日が初めてなのだ。
もう今日を繰り返しているかそうでないかは問題ではなかった。ウエイトレスを支えた左手は明らかにそれが起こる前に差し出したのだから。
それよりも、どうしてあの時だけ事前の予測が出来たのか。しかも、ほとんどが無意識下の行動だった。
今までは必ず何かを見て、それから気付くだけだったのに。もちろん、だからデジャヴなのだが……
昼過ぎの電車は意外と空いていた。
窓の外を眺めて思案を巡らせているとあっという間に会社のある駅へ到着し、麻美に声をかけられる前に菅沼は自分から彼女を促した。




