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【6】後姿

 菅沼の会社はホームページの制作から広告代理、その他ネット銀行の運営まで幅広くIT関連に携っている。

 彼の部署は主にサイトのデザインなどを手掛けるが、菅沼自身がWebデザインをしているわけではない。

 契約して詳しい内容が決まってから、デザイナーを交えて仕事を進めればいいので、彼の仕事はある意味仲介みたいなものだ。

 菅沼と麻美は電車に揺られて、クライアントの事務所へ来ていた。

 瀟洒なビルを見た瞬間に再び彼の脳裏にざわめきが起こる。

 今朝から何度も起こるデジャヴは、明らかに何かを暗示しているように思える。

 しかし、それでも菅沼にはそれが何なのかわからない。ただ、デジャヴを感じる度に何か得体の知れない不安や悲壮感が脳裏を掠める。

 ……なんだ。最初の水曜日に何かが起こったのか? 彼は自然にそう感じ始めていた。神のお告げや予知などといった曖昧なモノはいままで信じた事も気に掛けた事も無い。

 そのくせ自分は水曜日を何度か繰り返しているのでは? などと思ってしまう矛盾もあるのだが、人は自分に直接降りかかった事に対して一番思考を巡らせるものなのだ。

……いったい俺に何が起こったというんだ。この水曜日は何が起こる。

「チーフ?」

 入り口で、ビルを見上げたまま立ち止まっている菅沼に麻美は声をかけた。

「えっ、ああ。大丈夫だ。行こう」

「お疲れですか?」

 麻美は二十六歳にしては無邪気に笑って、そう言った。

 商談が終わってそのビルを出たのは十二時近くだった。

「何処かで飯でも食っていくか」

「えっ、ええ」

「あれ? この後も何か押してる仕事あったっけ?」

 麻美の表情を察して、菅沼は確認した。

「いえ、はい。喜んで」

「喜ぶような事でもないだろ。ただの昼飯だぜ」

 菅沼はそう言って先に歩き出すと、ふと通りを見渡した。何だか見覚えのある通り。それはデジャヴではない。

 明らかに以前来た事のある通りだった。

 目の前の電柱に着いた学校名入りの通学路の表示を見て思い出す。ここは娘のまど香が通っている私立中学の通学路なのだ。

 去年、学校で捻挫をしたまど香を、旅行中の母親に代わって菅沼が迎えに来た事があったのだ。

 電車で二駅の場所だが、滅多に来ない所だから来る時には全く気づかなかった。もちろん、考え事をしていたせいもあるのだろうが。

「どうしたんです?」

 通りを振り返ったまま立ち止まる彼に、麻美は再び怪訝な笑みを浮かべる。

「ああ、いや。ここは娘の学校の近くなんだなって思ってさ。今まで気付かなかったよ」

「ああ、娘さん聖和学園なんですか。優秀なんですね」

「まあ、その辺は母親似だと思うけど」

 菅沼はそう言って歩き出した。

 少しもしない内に、後から複数の足音が聞こえて来て菅沼と麻美は同時に振り返った。

 聖和学園の生徒がマラソンか何かで走って来たのだ。

 集団の体型からして中等部らしい事は何となく判った。

 少しバラけた先頭が目の前を通り過ぎるのを二人の視線は追って、再び歩き出そうとした。

「お父さん」

 直ぐ横から声がした。

 菅沼がハッと振り返ると、足踏みをしながら息を切らしたまど香がそこにいる。

「おお、何だ。まど香のクラスだったのか」

「もう、最悪。走り終わった順に終わりなんだ」

 まど香は息を切らしながら「その人は……」

「あ、ああ。彼女は部下の中島君だ。そこのビルへ仕事でね。不倫じゃないぞ」

 菅沼は冗談交じりに返した。

 まど香の額には、玉の様な輝く汗が光っていた。

「わざわざ娘の通学路で不倫する父親もいないでしょ」

 まど香はそう言って笑うと

「じゃあね」

 軽く手を上げて再び走り出し、少しバラけた集団の中に入り込んで行った。

 その後姿に、菅沼は今日最大の不安が過る。背筋に冷たい悪寒のようなものが素早く走った。

 なんだ……今日起きる何かは、まど香の関係する事なのか? そうなのか?

 自問自答するも、具体的な何かは浮かんでこない。

 思わず娘を追いかけて、保護したくなるような気持ちになった。

 何故だ、何かあるならどうして思い出さない。何故忘れている。そんなに重大な何かならどうして記憶に刻んでいないんだ……

 一日目の水曜日を過ごしたであろう自分をひたすら恨んだ。

 記憶を探ろうにも、それが何処に隠れているのかもはや判らない。そんな感じだ。

「カワイイ娘さんですね。目元がチーフに似てましたよ」

 立ち竦む菅沼に麻美が声をかける。

「あ、ああ。えっ、そうか? 俺はあんなに睫毛は長くないぞ」

「男親に似た女の子は綺麗になるんですよ。知らないんですか?」

「へぇ、そうなの。DNAのマジックだな」

「ああ、そうかも。父親の顔がどんなんでも、上手く可愛い方向にバランスがとれるんですよね」

「それって、結局俺は喜べないのか?」

 菅沼はそう言って苦笑すると、住宅街に向って角を曲がるまど香たちを横目で見ながら、駅に向かって歩き出した。




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