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【4】リフレイン

医療関係、医学知識に関しては、必ずしも正確性を追求してはおりませんのでご了承下さい。

 小さな光が消えるのを、視界の隅で感じた。

 手術中のランプが消えたのだ。

 菅沼が振り返ると、裕美子もそれに気付いて振り返る。腕時計に目を配ると、もう深夜の十二時になる所だった。

 手術室の扉が音も無く開いて、ほの暗い廊下に青白い光があふれ出し、ストレッチャーに乗せられたまど香の姿が現れた。

 菅沼と裕美子はほとんど同時に椅子から立ち上がる。裕美子が一瞬ふらついたのを、菅沼は片手で軽く支えた。

 しかし、彼の一家の主としての姿は無常にも打ち砕かれる。娘の変わり果てた姿に、彼はわが目を疑った。

 変形した顔の痣。頭部の全てを覆った包帯と全身のあちこちに巻かれたギブス。

 いったいどんな状況下で彼女はこんな姿になってしまったのか。

 菅沼は、さっきいた刑事の言葉を思い出しながら込み上げる怒りに、涙が溢れてきた。

「娘さんは今のところ死亡したわけではないので、犯人の起訴はもっとも重くて業務上過失傷害になると思います……おそらく、せいぜい実刑でも五年に届くかどうか……」

 そんなバカな。娘が死んでるとか生きてるとか、そんな事は関係ないではないか……

「オペは一応無事終了しました」

 出て来た医師の声に菅沼が顔をあげると、彼は表情を変えずに説明を続けた。

「手足の骨折はそれほど酷いものではありません。ただ、頭蓋骨の陥没で脳に直接的なダメージがあります……」

 脳のダメージが自己回復し無い事は、菅沼も知っている。彼は手足を震わせながら声を出した。

「障害が残る……という事でしょうか」

 彼はそれなりの覚悟をして、最悪の状況を言ったつもりだった。

 しかし、医師は深い表情を微動だにぜず

「……意識が戻れば幸いと思ってください」

「意識が戻れば?」

「深刻なダメージを受けている為、意識が戻らない場合もありえます」

 意識が戻らない人間の手足の骨折を綺麗に治して何の意味があるのだろうか……

 菅沼の脳裏に一瞬そんな思いが過る。

「植物状態の可能性があるという事ですか……」

 菅沼の言葉に、思わず裕美子は泣き崩れて床に膝を着いた。

「その覚悟も必要だと言う事です。もちろん、われわれも全力を尽くします」

 ……どいつもこいつも全力は尽くす。全力は尽くす……そんな事は当たり前じゃないか。俺たちサラリーマンは結果が全てだ。

 いくら努力されたって、結果が出なければやってないのと同じなんだよ。

 菅沼の頭には、理不尽な状況へのやりきれない思いが止め処なく湧き出て思考を埋め尽くした。

 まど香をこんな目にあわせた人間の罪が三年から五年? そんなバカな事があってたまるか。

 死んでないから? じゃあ、植物状態で生きるくらいなら死んだほうがいいって事じゃないか。

 世の中いったいどうなってるんだ。

 裕美子は傍にいた看護師に抱えられて、長椅子に腰掛けていた。

 菅沼は裕美子を置いて、まど香の運ばれた病室へ足早に向った。

 まど香の病室の前は慌しかった。まだ処置の続きがあるからと言って、廊下で何分も待たされて娘の顔はなかなか見る事ができない。

 半開きのドアから見える病室内には、大そうな機器類がずらりと並んでいて、看護師がそれぞれ作動チェックなどをしながらまど香の身体に電極などを繋いでいる。

 最初に繋がれたであろう人工呼吸器のノイズが喧騒の中に確かなリズムを刻んでいたが、それは菅沼にとって悲しい音でしかない。

 しばらくして部屋に通された頃には、看護師に支えられながら裕美子もやってきた。

 何時もはつらつとした裕美子がこんなにも弱々しく感じた事は初めてだ。

 同時に菅沼は、廊下に置き去りにしてしまった彼女に対して罪悪感を抱かずにはいられず、看護師に代わって裕美子の肩を抱いた。

 二人でならんだまま、ゆっくりとまど香のベッドに近づく。

 時間が停まった様に穏やかな部屋の空気は、呼吸器の一定ノイズだけを明確に響かせる。

 車に撥ねられた際にかなり強打したまど香の顔は痣だらけで腫れ上がり、あの大きな瞳は閉じられたままだ。

 鼻も骨折したらしく、鼻の中に管が入れられてギブスで覆われている。

 呼吸器のチューブを咥えた口から覗く前歯が、数本折れている事に気付いた。

 ……あんなに綺麗だった白い歯が……いったいどれだけの衝撃を受けたのか……菅沼は思わず彼女の頬に手を伸ばし、触れようとして止まる。

「痛みは無いですか?」

 触ることが可愛そうなほど腫れ上がった頬の痣に、思わず躊躇したのだ。

「意識がないから大丈夫ですよ」

 横にいる看護師が言った。

 ……意識がないから大丈夫……それがありがたい事なのか不幸な事なのか。彼にはもはや判断できるものではなかった。

 ただ、ひたすら自分の頬を伝う涙が次々と目から溢れ出て、娘の顔が朧に霞んでいた。





「……さん。お父さんってば」

 声が聞こえて菅沼明久はまどろみの中で薄っすらとひらける視界を見つめた。

「お父さん。早く起きないと会社遅れるよ。今日会議って言ってなかった?」

 目の前で声をかけながら身体をしきりに揺すっているのは、娘のまど香だった。

 菅沼は何故かまど香の顔を見入っていた。

 白い頬は多少のニキビの痕はあるものの、窓から差し込む陽射しを受けて陶器のように輝き、澄んだ黒い瞳は、長い睫毛に囲われて笑みを浮かべている。

「な、なによ。そんなにジロジロ見て」

「あ、いや……何だかお前が懐かしく感じて」

 菅沼は、娘の姿が無性に愛おしく感じて思わず見入ってしまった。

「へんなの。あんまりヤラシイ目で見ないでよね」

 まど香はそう言いながら笑って、剥ぎ取った布団をベッドへ戻すと部屋を出て行った。

 目覚まし時計を覗き込むと、カレンダーは水曜日の表示だった。





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