第05話:フランスにでも行こうか
網戸から吹き込んでくる風とツクツクボウシが奏でる土曜日の朝は、深呼吸とともに広げた手を半開きのクローゼットにぶつけて始まった。
「いてっ、なんで開いてんだよ」
ぶつけた方の手でお返しと言わんばかりにクローゼットをどかんと閉める。不自然だとは思ったが、ホラー全般が苦手な僕は何も無かったように円周率を暗唱する。
「3.14159265さんーん、いい朝だ」圧倒的誤魔化した感。
「雨降ってるけどね」
「どわあ! 飛鳥お前いつの間に!」
「ずっとここにいましたよ? なぜ気付かないのですか?」
「…お前がクローゼット開けたのか?」
「クローゼット? 何のことよ」僕の寿命カウントが減少した。
「と、とぼけるなよ。目が覚めたら勝手に開いてたんだぞ。他に誰がいるんだ」
「風かなんかで開いたんじゃないの?」
「いや、そりゃ物理学的におかしい」
「じゃあ幽霊の仕業とかぁ? 朝ごはん出来てるから早く降りてきなよー」
僕を小馬鹿にしたような態度で飛鳥は1階へ降りて行った。あいつ、僕がそういうの苦手だと知ってての態度だな。それにしてもなぜ開いていたのだろうか。飛鳥が言うように風のイタズラだろうか。うん、そうに違いない。きっとそうだ。自分で自分を幾度となく励まして飛鳥を追いかけた。
「…風?」
「ああ、きっとそうだよ風だ。風の仕業なのさ」
「さっき物理学的におかしいとかって」
「いや、僕の頭がおかしかった。風を甘く見てたよ。あいつはやるときはやるやつなんだよ」
「風と知り合いかアンタは」
妹と漫才を繰り広げながら食べた冷やし中華が胸の中のもやもやを吹き飛ばしてくれた。この安心感は何だろう。昨日、茜に手品のことを打ち明けたときとは別の「良い方」の安心感だ。
「天気予報じゃ晴れだとか言ってたのにな。最近の天気予報はあてにならないな」
マグカップ片手に語る僕。食後のモーニングコーヒーが雨の不快感を浄化してくれる。
「いつの天気予報は安心と信頼のそれだったのよ」
「さあな」
「さあなってあんたねえ…」
「ジャンジャカジャンジャカトゥルルルーン」
「あ、電話だ」
誰だこんな時間に電話をかけてくる奴は? 店長か? いや、今日は休みだ。何の用もないはず。あったとしてもあの面倒くさがりの店長がそりゃないないない。
非通知設定
なんだよもう! とか思いながらもとりあえず出てみる。
「はい、もしもし…」
「あ、もしもしヤマトくん。茜でーす!」
コーヒーが前方にスプラッシュした。
「あ、茜!?」あ、しまった。
「え、茜さん? なんで?」
飛鳥がなぜか睨みつけてくる。んなこと僕が知るか! 飛鳥とアイコンタクトを取りながら茜に事情を訊く。
「なんだってこんな時間に電話を?」
「あのさ、今からヤマトくんの家に行ってもいいかな?」はあ!?
「え、だって外は大雨だよ。それになんで僕の家に…」
「ダメ、かな…?」
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まったく、ズルいよなーあの言い方。まあ、僕が柔らかい断り方を知らなかったのも原因のひとつか。今更どうしようもないことを悔やみながら部屋を必死に片付ける。茜が来る前に早くきれいにしておかないと。
「私も手伝おうか?」
「僕は優しくて頼もしい妹を持ったよ。でも、ここは僕ひとりで十分だ。お前は茜に出すお茶でも用意しててくれ」
冗談じゃない。飛鳥に片付けさせたら埃ひとつないぴっかぴかの1年生の部屋になってしまう。いや、具体的にいえば、僕の「アマゾンで揃えたアマゾン」が飛鳥に見つかってしまう。それだけはどうしても避けたい。
「いいけど、茜さん本当に来るの?」
「ああ言ったら嵐でも来るさ。そういう奴だからな」
「ふーん、そうなんだそうなんだ」
不気味に笑いながら飛鳥は階段を下りて行った。お茶に薬でも混入するんじゃあるまいな?
「ピンポーン」
すごく嫌な音がした。茜じゃありませんように茜じゃありませんように。大事なことなので2回言いました。
「どうぞ上がって」
「おじゃましまーす」
この声は茜さんの声ですね。ああ、現実逃避してえ。フランスにでも行こうか。っていってもフランスなんて行ったことないし、これから行くこともないだろうし、もちろん行くつもりも無い。そのうえフランス語も話せないときた。
「ピロン」
ん? 飛鳥からメールだ。こんなときに一体何のマネだ?
「私が茜さんをなるべく足止めするから、アンタはアマゾンしっかり片付けときなさいよ」
僕の妹がこんなに大人に近いわけがない。僕はアマゾン解体作業に入った。




