第34話:離れるって、どこに
「いやあ、お前はとことん不運だよな、ヤマト。次のバイトは決めたのか?」
前の席の茶髪がハエのように笑う。
「次ってなんだよ。諦めろってこと?」
「諦めないのか?」
「僕はまだメロンを失いたくないからね」
バイト先だからという理由ではなく、もっと別の感情で、僕はメロンを失いたくなかった。足を踏み入れたのは初めてだったけど、居心地が良くて、絶対になくなってはいけない場所だと思った。
革新軍が奪っていいものではなかった。
それと同時に、何も知らない僕が手を出してはいけないものでもあったのだけど。
「まあ頑張れよ」
「なにを他人事のように……お前もアーカイブだろ」
「はっはっは」
相変わらず生意気だなこの野郎。
「関ケ原の言う通りだな。アーカイブだという自覚を忘れてしまっては困るな、佐世保」
先ほどじゃんけんで負けた安曇野が、僕らの焼きそばパンを両手に抱えたまま言葉を落とす。
「お前は固すぎなんだよ。頭も固い、信念も固い。なにもかもな。あ、敬語は脆いんだっけ?」
「オレはもう少し固い団結力が無ければ、革新軍には歯が立たないと言ってるんだ」
「話を逸らすなよ。俺はお前の人格そのものが固いって言ってんだよ」
「では、お前の言う通りに、お前の望む通りに。オレの人格そのものを曲げてしまって、人格そのものを変えてしまって、それで何かが得られるのか?」
「利益がどうとか、損得は関係ないっての。友人や仲間や恋人を『お金をたくさん持っているから・常にプレゼントを用意していてくれるから』ってだけで選ぶかよ」
「では、佐世保よ。お前は〝固くないオレ〟を見たいか?」
だめだ。それはだめだ。
「ああ。是非とも一度見て見たいモンだね」
「待って待って、二人とも! なにを訳の分からない喧嘩してるんだよ! 安曇野、お前ももう席に戻れ!」
絶対にあってはならない会話だった。
「佐世保! お前も言い過ぎだ! 人格は、壊れてからでは遅いんだよ!」
「壊れる……?」
「僕は見たことがある。もう内面がすべて腐りきって、人としての存在を留めなくなったモノを」
安曇野から「あらゆる固さ」を取り除いたら、きっと同じようにだめになる。
「それは、香焼大介のことか」
安曇野が静かに訊いてきた。
「いや、もっと酷い壊れ方をしたよ。僕の兄だ」
「兄?」
「認めたくはないし、すべてを許してはいないけど、事実上の兄がいるんだ。佐世保は知ってるよね」
「あ、ああ……」
仕方ない。同じ父と同じ母から生まれたんだ。
兄、と、言うしかない。
――――――
「このままじゃいけない。誰かが変えないと」
「えっ?」
両手を広げる兄に、分からない僕は訊いた。
「変えるって、何を?」
「世界。この腐りきった世界さ。ヤマト、お前だって嫌だろう」
「別にそうは思わないけど……」
「俺は思うぞ。『受験だ、受験だ』と追い詰められてるからな。もっと自由な世界が欲しいし、そんな世界のほうが人々が思い悩まなくていいだろ。世の中にはもっと〝認められるべき人々〟がいる。他人にはない力を持った人間を積極的に認め、分かち合い、尊敬するべきだ」
「……仕方ないよ。誰かが働かないと、水道も電気もガスも止まるんだから」
僕はもっともらしい言葉を返したけど、兄の考えが自分の心を貫いていることを自覚していた。自由でいたいのは僕も同じだ。みんなそうであればいいと思っている。
だけど。
「世の中はそううまくできてないと思うよ」
「ダメだなあ、ヤマト。変えられないと思い込んでちゃダメダメ。俺たちが変えるのさ」
このとき彼が発した〝俺たち〟を、僕はてっきり〝人類〟という一般的な括りで聞いていた。
「だから、俺は少しこの家を離れるよ」
「離れるって、どこに行くんだよ、テンリ」
「世界を革新する光、それを見つけに行く。受験なんてやってられるか」
僕が中学2年生の秋、すべてを放り出して兄が家を出て行った。
いま思えば、彼は既に死んでいたのかもしれない。




