第30話:自らの存在を校則に
昨晩、夢は見なかった。停滞なく夜は更け、いつも通りに朝が来た。そんな日常の一片の木曜日が戻ってきたというのに、それはむしろ不思議だった。
理想と妄想と現実がシャッフルされている気分だ。木曜日は僕に何かを隠していながら、平気な顔してやってきたのである。
今日も、先生に遅刻か否かを審議してもらうほどギリギリで飛び込んで笑われる始末だ。いつも通りだけど。
「また遅刻かよ」と前の茶髪は笑う。
「いや、遅刻ではなかったよ。ぎりぎりセーフだよ」
さもないと退学だもんな。なんて校則だ。
「これじゃ、いつ退学になるか分かったもんじゃねえな」
「ほんとだよ。校則変わらないかな……」
どうにもならない現状に、つい溜め息が出る。
「変えればいいじゃないか」
そんな僕に救いの言葉が降りかかる。
「い、今……なんて……?」
「厳密には、変えてもらう、だが」
僕の隣には、後光を纏ったバンダナの仏が椅子にお掛けになっていた(あまりの輝かしさについ謙譲の意が滲み出てしまった)。安心と信頼の安曇野さんが言うのだから間違いない。僕が今後遅刻しても退学処分にならずに済む手段があるのだ。
「どうやって変えてもらうのですか?」
「校則の変更手続きをすればいい。その為には、変更事項を承諾してもらう必要があるのだが、その業務を負うのが生徒会役員会だ」
銘鐘学園生徒会役員会。僕を悩ませている現在の校則を設定したのは彼らである。そんな頭の固い人々を動かせるのだろうか。
「そういえば、このクラスに生徒会役員がいなかったっけ?」
「呼んだかなー?」
僕の言葉に反応して、ひょこっと大月が顔を出す。
「え? 大月、お前生徒会役員だっけ?」佐世保がボールペンを飲み込んだような顔をする。
「そうだよー」
いた。いたけど、頭が固いなんてそういう問題じゃないな。
でも、そういえば大月は生徒会役員だった。あまりにも威厳が無いから忘れてた。威厳っていうか、この人髪の毛緑色に染めちゃってるもんな。その辺、好みで自由自在なのか?
「あのさ、僕の遅刻回数があと一回でビンゴなんだよね」
「ああー、ビンゴねー」
「そこで。大月さんに校則をちょっといじってくれないかな、と」
「んー? 人に物を頼む時は土下座って相場が決まってるよねー?」
あー、腹黒い。っていうか容赦ない。人類を9つの檻に分けたら、この人と織田信長は同じ檻だ絶対。
と思いながらも、僕の将来が懸かっているので土下座を――
「いやいや、本当にしなくていいよー」
******
昼休みになり、僕と安曇野と大月で生徒会役員室に向かった(佐世保は腹が痛いと言ってトイレに駆け込んだ)。
「土下座の構えまでみせるなんて、関ケ原君よっぽど深刻に考え込んでるんだねー」
「そりゃそうだよ。停学ならまだしも、退学だよ?」
「お前が遅刻をしなければいいだけの話なんだがな」
「学期ごとっていうのがネックなんだよ。週ごとにしてほしいよね」
「一週間に10回も遅刻するっておかしいと思うよー?」
廊下をぞろぞろ歩きながら駄弁っていると、その廊下の突き当たりに見える生徒会役員室のドアが開いて中から一人の女子生徒が出てきた。
「こら! そこの3人組! 廊下は並列歩行しない! 他人の邪魔になるでしょう!」
姿を現したのは僕でも知っている人だった。いや、この銘鐘学園に彼女を知らない人間なんて存在しない。入学初日に、全生徒の脳内には記憶として必ずこびり付くのだ。生徒会役員会会長、雲母恋恋愛。
その印象的な名前もさることながら、眉目秀麗・頭脳明晰の才色兼備で、華麗にして聡明にして、その魅力で男女問わず虜にしてしまうのだ。「褒め言葉の大半は彼女の為に作られたんだよ」と佐世保が言っていたような気がするが……忘れることにしよう。
ただ、そんな彼女にも悩ましい欠点が――
「まず、そこの君! 校内でバンダナを着用していいなんて校則は無いわよ! さっさと外してポケットにしまうか、従わないのなら没収するわ!」と言って雲母会長が僕たちに近づいてくる。
彼女が校則から逸れた行動に走ることはない。
彼女は、生徒会長・雲母恋恋愛は。自らの自由も自らの主張も拘束して、自らの存在を校則にして、それでも生徒の為に、それでも学校の為に生きているのだ。校則が一番、校則が絶対、校則が第一。三度の飯より校則。頭の中は校則だらけ。完璧な人間とはそうそう存在しないようである。
だが、あの安曇野の事だからすぐさま論陣を張って応戦するのだろう。
「すいませんした」妥協するんかい!
よほど没収が嫌なのか、おとなしくバンダナを外す安曇野。っていうか、なんでいつもバンダナしてるんだろう。確かに似合うんだけど。
「次に君! 胸元のボタンを留めなさい! シャツはズボンの中に入れる!」
僕も指摘されてしまった。自覚なく校則に反してしまっていたようだ。僕は侃侃諤諤と意見を戦わせることは出来ないので、黙って身なりを整えた。
「最後は……あら、大月さんじゃない。何か用?」
どうやら髪染めの件はスルーのようです。
「この関ケ原君が聞きたいことがあるそうですー」
「ええ!? あ、そうなんですよ……」
ここでもう僕に振って来るのかよ。絶対楽しんでるなこいつ……。
「へえ、何かしら? 言ってごらんなさい」
「じ、実は……遅刻回数の事なんですけど……」
「遅刻……?」
雲母会長は僕の発した言葉に反応して、一度生徒会役員室に戻ると、しばらくしてから青色のクリアファイルを手に戻ってきた。
「ふんふん関ケ原……なにか聞き覚えがある名前だとは思ったのよね……」
雲母会長は小声でそうつぶやいて、ファイルの中から何かを探している。
はて? 僕が何か名前を憶えられるようなことをしまして?
「あ、あった!」
なんだろう、と雲母会長が取り出したプリントを見てみると、そこには〝要注意! 校則違反人物一覧〟と名付けられた、本来作成されるべきではないブラックなリストが記載されていた。しかも、そこには僕の名前も載っていたのだ。
「ふんふん、今学期最多遅刻者の関ケ原君ね。職員会議でもいい笑い種よ」
とっても嫌な憶えられ方でした。
「しかも、授業をサボってゲームセンターに行った挙句、ゲーム筐体に足を乗せて焼酎を飲んで、店員に注意されたときには酔いが回っていてその場で暴れまわったらしいわね」
「いやいや! それは誤解です! 誰かが面白がって話を盛っただけですよ!」
「あら、そうなの?」
とんだ尾ひれがついたもんだ。
「で? そんなブラックリスト入りの関ケ原君。遅刻回数がどうしたのかしら?」
なんか余計言いづらくなったな……。
「まさか、退学だけは勘弁してください、なんて言わないわよね?」
どうやら一から十まで見透かされてました。
「ははっ! そのまさかなんですよー!」
「ふんふん、そんなことだと思ったわ」
雲母会長の目つきが鋭くなる。
「あの……どうにかできませんかね……?」
「そうね……」
腕を組んだ彼女は少しだけ窓の外を見て、何か考えるような目をしてから言った。
「そういえば、頼みたいことがひとつあったのよね。あなたたちがそれを聞いてくれるなら、考えてあげてもいいわよ。どうする?」
「頼みたいこと? なんですか?」
そこで、僕はうかつにも訊いてしまったのだ――
「私の不思議な力のことなんだけど……」




