第28話:僕の日常でかき消して
「また開いてる……」
これはもはや風の仕業ではない。最初にぶつけた日――土曜日の朝はこの部屋の窓を開けていたから風の仕業だと考察したが、今日は窓は閉め切っている。
もとより、風でこのクローゼットが開くのは有り得ない。あの日はややホラーじみていたから物理的解釈を求めていたに過ぎないのだ。だが、2度も同じ事が起こったのだから、そこにはきっと何か原因があるはずだ。
人為的な原因を含めて有り得るとするならば、飛鳥が開けたか、僕が寝ぼけて開けてしまったか。
もしくは、リンカネイト――
まあ、とにかく今は他にするべきことがあるだろう。
「遅刻だー!」
僕の「声を上げて着替えるスキル」がどんどん上達していくように感じた。
「遅刻は嫌だー!」
なにしろ、銘鐘学園は遅刻に関しての罰則が厳しすぎる。遅刻する度のグランド10周は基本。学期単位での遅刻3回以上で土日に職員会議室へ赴かなければならず、5回以上で停学&学校に保護者を召喚して説教の挟み撃ち。
そして、10回以上で――退学である。
しかも、僕の今学期の遅刻回数は既に8回。保護者召喚までは経験済みです☆
今日遅刻すると、退学にリーチをかけてしまう。そうなれば「南無三だ」では済みませんからね。
「いざ、参らん!」
全身の筋肉と相談して今日をフルパワー記念日にしてもらった僕は、忍者さながらのスピードで階段を駆け下り、鷲のように食パンをくちばしに拉致し、韋駄天のごとく通学路を一直線に貫いた。
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「いやいや、だから遅刻だって」
そう吐き捨てて教卓に頬杖をつき、土下座する僕を見下す作東先生。
「どうか! そこをなんとか!」
「なんとも出来ない。一度許すと周りの人間が真似するだろう。ルールはルールだ――変えられない」
くそ。いつになく教師らしいこと言いやがって。
「お願いします!」
「なあに、もうすぐ夏休みだろう。それまで遅刻しなければ新学期でカウントリセットじゃないか」
それまで遅刻しなければ、ね。
「簡単なことだ。毎日一時間前に学校に来れば、遅刻なんて絶対にしないだろう」
「それはそうですけど……そんなに早く起きられないんですよ」
「では関ケ原よ。私が直々にお前の家に出向いて毎朝起こしてやろうか?」
そこはかとなく不幸せな気がする。
「あ、目覚し時計を20個買うので結構です」
「うむ。精進せよ、遅刻ボーイ」
誰が遅刻ボーイだ。いや、ちょっとかっこいいかも。
「それと遅刻ボーイ。言い忘れてたがもうひとつ」
「なんですか?」
「早くその食パンを食べなさい」
「ごめんなさい」
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と、まあ色々あった午前のその後は何事も無く進んだ。午前までは。
事件発生は、そろそろ朝の食パンも消化され終わった昼休みである。
「あれ?」
空腹に待ったをかけて、カバンの中にあるはずの弁当を探すが見当たらない。参ったな。遅刻しない為に焦ってて忘れたのか。しかも、結果的に遅刻したのか。厄日だトホホ。
「ん? ヤマトくん、探し物? もしかして……はんだごて?」
「違いますよ、茜さん……」
茜は相変わらずだ。どうして僕がはんだごてを探していると思ったのだろう。今日も元気に不思議ちゃん登場。
「何を探してるの?」
「弁当だけど……多分、家に置いてきたと思う」
ああ、どくどくオードブルに続いて今日の晩飯は冷めた弁当か。やっぱり厄日だトホホ。
「じゃあ、わたしと一緒だね。わたしも今日は弁当忘れて来ちゃった」
「え、そうなの?」
忘れ物か。茜にしては珍しい。不思議ちゃんだけど、自己管理においてはしっかりしてるからな。
「あ、そうだ! 一緒に食堂で食べない?」
わー、どうしよう。え? 女の子と二人で食事? あれ? 厄日は? 厄日はどこいった? いやいや、ついてる。全てこの時の為の伏線だったに違いない。幸福は義務だから。
「うん、いいよ」
「決まりだね!」
銘鐘学園の食堂はかなり広々としていた。生徒数が多いのが理由だと思われるが、テーブルが大小合わせて80脚はあるだろうか。実は入学してから一度も、ここで昼食を注文したことが無かった。
初めての食堂にわくわくしてどれにしようか迷ったけど、最終的にはなぜかカツカレーに。
この「最終的には食べ慣れたものを頼んでしまう」って現象は、初めて来た飲食店あるあるだよね。
「ねえ、茜さん?」
番号札を持ってカツカレーの到着を待つ僕は、向かいの黒髪の彼女に聞きたいことがあった。
「どうしたの、ヤマトくん?」
「こんなに大きいテーブル席じゃなくて、あっちの二人席で良かったんじゃない? ほら、空いてるし」
「何言ってるのヤマトくん。それじゃ6人で食べられないでしょ?」
6人?
「それ詳しく」
「だから、魅桜ちゃんや佐世保くんが来たときに座る場所がないでしょ?」
ないでしょ……ないでしょ……
「え、二人じゃ……」
「ないよ」
ないよ……ないよ……
頭の中の茜の声に虚しいエコーがかかる。
「お待たせー茜っち」
「あ、関ケ原君もいるねー」
「おうヤマト。お前が食堂とか珍しいな」
うわああああ。お疲れキャストが僕を取り囲んでゆく。
すると、安曇野が僕の肩に手を乗せて、
「大丈夫だ関ケ原。実はこの食堂はオレも初めてなんだ」
いや、知ったこっちゃねえよ。
「それにしても、赤羽根が転校してきて以来、色々変わったな」
「色々?」
「ああ。例えば関ケ原、お前がリンカネイターだと分かったのも偶然にも赤羽根とぶつかったからだろう。こうしてみんなを集めるのも赤羽根だ」
確かに、以前の僕ならこうやってテーブルを囲んで食堂でカツカレーを食べたりすることはなかった。教室で訳の分からないことで言い争ったり議論したり馬鹿笑いはしたけど。変わったと言えば変わったけど、変わらないものもあるかな。
「ただ、あいつは明るく振る舞ってはいるが、どこか気を使っているような感じもする。何かに迫られているような、何かに縛られているような」
「どういうことだ?」
「なんとなくそんな気がしてならない。たまにはそういったことから解放してやらないとな。それがお前の仕事だ――関ケ原」
「お前、何言って……」
「それに、一番変わったことがあるだろう」
一番変わったこと? リンカネイターのことか? アーカイブか? 革新軍か?
「赤羽根が転校してきたせいで、俺の出席番号が2番になった」
「一番どうでもいいよっ!」
急に意味深な事を言い始めるかと思えば、今度はすごい落差を持ってくるなこの野郎。
でも、ふと思った。安曇野よ、本当に気を使っているのは他の誰でもないお前なんじゃないか。
「それと……おい、赤羽根」
「ん? どうしたの安曇野くん?」
「この弁当はお前のだよな。机の上に置きっぱなしだったぞ」
「えっ……あっ、う、うん。ありがとう」
なんだ、家に置き忘れてたわけじゃなかったのか。
「な、気を使ってただろ?」
「は? なにが?」
「はっはっは。相変わらず鈍いな、お前は」
「なんだよそれ……」
そうしているうちに僕のカツカレーが運ばれてきた。
「アタシ、カツもらいっ」
「俺はこのジャガイモね」
「ライスいただきー」
「じゃあ、わたしは残ったルーもらうね」
「僕の取り分は!?」
「関ケ原君には……はい、スプーン」
「食えるか!」
ああ、安定のお疲れキャストだ。でも、それが僕の居場所でもある。
「仕方ねえなあ。俺のカツ丼少し食っていいよ」
「こっちのサラダもどうぞー」
「このもやしなら食べてもいいわよ」
「はい、スプーン」
「もういいよ!」
今の楽しい時間に、他の時間の存在をすべて忘れてしまっていた。決して平和とは言えなくなった僕の日常を、かつて住んでいた僕の日常でかき消して忘れたかったのだろう。
しかし、そんな日常などは束の間だ。
「さて、水曜日ってことは……」
もちろん今日も香焼書店のバイトの予定が入っていたのだ。その後も、店長は香焼書店にいるのだろうか。仮にいたとして、どんな態度で接してくるのだろうか。それに対し、僕はどうやって接すればいいのだろうか。不安だけが募りに募って、手に持つカバンが重くなってゆく。
僕の家での日常も、学校での日常も、バイト先での日常も、全部僕の築き上げてきた世界だ。その世界が少しづつ少しづつ、リンカネイトを軸に狂っていく。
革新軍、暗号文、置手紙、夢、リンカネイト。僕を取り巻く謎がどんどん世界を歪ませ、大切なものを奪おうとする。
それで一体、どうすれば元の生活に戻るのだろうか。あの平和な日々はどうすれば手に入れられるのだろうか。
いつもの帰り道、いつものメンバーでも、なぜか水曜の空が狂って見えた。




