第23話:飽きるか殺すか
中学1年生の夏、父が家を出て行った。上司には逆らえないと言って。
中学2年生の秋、兄が家を出て行った。世界を見て回りたいと言って。
中学3年生の冬、母が家を出て行った。現地で仕事がしたいと言って。
生活を支えるためにバイトを始めた。妹と二人での生活は、束縛されない自由よりも、心の中の三人分が寂しかった。
バイト先の店長は心優しい人だった。何を考えているか分からない人で、店長を果たせているかも怪しいほどの申し訳程度の働きぶりで、常に無表情のマスクで「店長」という人物に仮装しているようだった。
それでも、僕の家庭の事情を聞いてくれて、それなりの給料を出すように細工してくれた。おかげで、これまで特に困ることなく生活できた。複数のバイトに出向かなくて済んだ。大袈裟かもしれないが、店長は僕の命の恩人のようなものだ。
だから、今のこの状況で僕は、店長には手が出せそうにない。仮に手が出せたといて、手加減や躊躇という壁が僕の前に立ちはだかりかねない。
なにより、店長の発する禍々しさが僕の両足をアスファルトに拘束し、身動きが取れない。足どころか、天地が逆転しているかのように全身の融通が利かず、空間そのものに固定されている感覚。それは、まるで逆さ十字架に磔にされているのと同じ感覚であろう、呼吸の度に気分が悪くなる。
「それにしても、さっきヤマト君が僕の家に来たとき、言葉遣いの変な子が一人いたね」
ああ、安曇野のことか。
「ん? 安曇野君っていうのかい?」
「なんでも読めるんですね……」
「いや、彼は『無』で喋っていたから読めなかったよ」
店長の眉がわずかに動いた。
「……無? 彼って、安曇野のことですか?」
「そう、無。なんでも読めるのはこの上ない事実だけど、読む対象が無ければこの黄泉読みは成立しない。彼には、あのとき既に、それが分かっていたようだね」
読む対象が無ければ成立しない――
確かに、そこに文字が無ければ読むことは出来ない。それは当たり前だ。
だけど、無で喋るってことは、頭の中と心の中の両方を空っぽにしなければならない。反射的でもない限り、何も考えず声を出すということ自体が人間には無理なはずだ。
「そうだね。もしかすると彼もリンカネイターなんじゃないかな」
「…………」
「それじゃダメだよヤマト君。まるで無に出来ていない」
店長は首を傾けて僕を見つめている。
「それにしても、へえ。安曇野君だっけ? 彼もリンカネイターなんだ。メモメモ……」
また読まれた。世の中、物知りで損することは無いって聞くが、今の僕は情報の漏洩が著しいぞ。
「……うん? そこにいるのは誰かな? 出ておいで」
店長がそういうと、店長の後ろ、50m向こうの曲がり角から何人か人が出てくる。
「もう敬語を使う必要はないな、香焼大介」
「おやおや、噂をすれば安曇野君。相変わらずいい無をしてるね」
いい目をしてるね、みたいに言うな。
「というか両哉。あれで敬語のつもりだったのか? お前、就職無いぞ」
「うるさいぞ、女たら……佐世保」
「あれ? 今、女たらしって言いそうになったよね? 俺の事そんなふうに思ってんの?」
「そんなことないよ安曇野くん。佐世保くんは色魔なだけだよ」
「フォローになってないよ、茜ちゃん……」
どうやらこの三人の他には誰もいないようだ。
んでもって緊張感無いな、こいつら……
「…………」
ふと店長を見ると、深刻そうな顔をしている――ように見える無表情だ。
「…どうしたんですか?」
「あの三人、読めない」
え? 安曇野のみならず、佐世保に茜も、みんな無で会話してるのか!?
いや、それよりも。
「三人とも、なんでここに?」
「なんでって…」
「そりゃあ…」
「アーカイブの活動初日だよ。盛大に祝わないとね」
祝うって、祝える状況じゃないだろ。
「なるほど、僕を本部に連行しようってわけか。さっすがアーカイブ。度胸が違うね。確かに久々野くんと会えるのは嬉しいけど、そういうわけにもいかないんだよね」
店長が指を鳴らす。
「リーダー、お呼びですか」
気が付けば、店長の横にもう二人。ショートウェーブヘアの男とロングヘアの女が立っている。いつの間に…!?
「ちょっと厄介なことになってね。暴れたがってるみたいだから相手してあげて」
「どこまで相手しましょう?」
「常呂君、覚えてないの? 飽きるか殺すかだよ」
「承知しました」
「ほら、一緒に遊んであげて」
「え!? アタシも!?」
「飽きたらやめていいから」
「……仕方ないわね」
安曇野がバンダナを巻きなおす。
「どうやら、遊び相手としか思われてないようだな」
「ああ、アーカイブとして複雑だ」
「わたし、もうケーキも買ってるのになあ…」
革新軍のメンバーであろう二人が安曇野たちに近寄ってくる。
「革新軍補助戦闘員、常呂誠壱。どうぞお手柔らかに」
「同じく革新軍補助戦闘員、湯布院湯華。飽きさせたら殺すわよ」




