第17話:甘い甘納豆の方がまだ甘くないよ
とある廊下の罰則時間、夏の日差しが廊下側の窓から束になって突き刺さる。たまにふっと通る風が無ければ干物になっていただろう。既に緑茶は2本とも空である。
「ヤマトよ、俺たちはここにいつまで立たされるんだ? 足と脚がもう使い物にならねえんだが」
「さあ、あの作東のことだからこの時間ずっとじゃないか? 僕ももう限界が近づいてるよ」
「おいそこの廊下、私語をしない」
「すいません…」
汗がナイアガラの滝を彷彿とさせるように床を濡らしていく。ただでさえ久々野とあんな事があって疲れてるってのに、なんだこの仕打ちは。しかも、よりによって数学の作東だとは。これは逃げようも避けようもどうしようもない。窓際の席に座っている茜がこっちを見て笑っている。ねえ助けてよ。
「暇だな…」
「そうだな…」
「…………」
「…………」
佐世保の言うとおり、ここは暇である。授業に参加するのもあまり気乗りはしないが、この何もない殺風景な端の見えない長い廊下に、ただただ何もせず立っているだけよりは幾分マシだ。これは精神的拷問と言っても勝訴であろう。何か今の状況を打破できるようなアイデアは無いだろうか。
「…しりとりでもするか、ヤマト」
「お、いいよ」
「じゃ、俺から…」
そうだな、さてどう攻めようかな…
「パキスタン」
「え? しりとり終わっちゃったじゃん。つーかなんで『パ』から始まるんだよ」
「…の首都、イスラマバード」
「えっ」
「イスラマバード。次、『ド』だぜ」
なんか先に攻められたー!!
「…毒消し草」
「ウルグアイの首都、モンテビデオ」
「…オランダの首都、アムステルダム」
「なっ、現在『ム』が頭文字の国が存在しないことを知っていての所存か…? こいつできる……!!」
「それはお前の勝手なルールだろ。いいから続けろよ」
「くっ、ここからは心理戦か…」
心理戦? 何がだよ。
「む、無断転載」
「なんだか急に攻め方が変わってきたな」
「無断転載」
「一進一退」
「なっ、『い』を『い』で返すだと…? やはりこいつ、できる……!!」
「そんな難しくねえだろ」
「こら、私語をするな。六本木ヒルズに吊るすぞ」
なにその微妙な脅し。すると横の茶髪、
「ごめんなさい」あら素直な子。
「リーンリリーン、リーンリーリーン」
「お、チャイムが鳴った」
「起立、礼、お前らももう戻っていいぞ」
「いい練習になりました!!」
「もう1時間するか?」
「いえ、結構です!!」
******
放課後、檻から解放されたように走って飛び出ていく奴、とにかく叫ぶ奴、何の意味もなく教室に残る奴、何故か先生に呼び出される奴。それぞれに別々の過ごし方があるが、当の僕はといえば寄り道の真っ最中だった。
とは言っても、ハンバーガーショップだとか洋服屋だとかカラオケボックスだとか喫茶店ではなく、中庭を抜けていく佐世保にただただついて行くのみだ。
「あれ? こっちってボクシング部じゃないの?」
「そりゃここを左だろ。俺達が行くのはこっち」
ボクシング部の部室に背を向けて階段から右に曲がると孤立した建物が見える。
「あれが本部に繋がってんの。俺達の部室な」
「部室…?」
「そう、表向きは健全な部活動なんだぜ。その名も『アーカイ部』」
僕は笑わなかった。
「元々は大量の書籍を保存してた読書愛好会だったんだよ」
「ああ、それでアーカイブか」
「でも、ある日転生についての本を見つけて以来、部員が興味を持ってね。それからはリンカネイターを優先的に集めるようになったんだ」
「え、リンカネイターじゃない人もいるの?」
「まあね」
ボクシング部とは正反対の、手入れの行き届いたきれいな壁だ。佐世保が扉をノックする。
「カンカン」
「イリーガル…?」
ノックに反応して、扉の向こうから声が聞こえる。パスワードってやつか。
「ユースオブハンズ!」
「よし入れ」
なんて甘いセキュリティだ。甘い甘納豆の方がまだ甘くないよ。
「ん、そういえば本部って隣町の啓蓮じゃなかったっけ?」
「安心しろって。ここから繋がってるから」
扉を開けるとなんとも部室部室しさがにじみ出た空間が広がる。
「ん、佐世保か。あれ、そっちは?」
「彼が例のヤマト君じゃない?」
「麦茶いれるからちょっと待ってね」
なにやら騒がしいけど、麦茶が飲めるなら別にいいか。
「じゃヤマト、紹介するぜ。あの一番奥に座ってる目つきが悪いのが響灘亥。あいつは12人兄弟の八男だ」
「そりゃすごいな」
「誰の目つきが悪いって?」
佐世保が目を泳がせて続ける。
「で、あの髪束ねてる女が八女千紗都。チサちゃんって呼ぶと犬みたいにすぐお座りするよ」
「するわけないでしょ! ヤマト君、気にしなくていいからね」
「う、うん…」
「チサちゃん!」
「わんわん!」え…!? ホントにするのかよ…!!
そしてもう一人の部員が、部室の隅にある小さなキッチンから麦茶を持ってくる。
「はいお待たせ。麦茶好きなんだよね」
「まあ、割とね…」
「この糞イケメンが各務原更太郎な」
「糞ってなにさ」
こうしてみるとアーカイブって結構いるんだな。ここにいるのはみんなリンカネイターなんだろうか。
「あ、そうそう佐世保っちに見せたいものがあるんだけど」
糞イケメン、もとい各務原が胸ポケットから何かが書かれた紙を取り出す。
「ん? なんだこれ?」
シアワセノコトバノ
ツヅキヲウタウ
カミヤアクマヤ
ソノフシギガ
カリニイダイナ
ショウライノユメナラ
モウサガスノハヤメテ
イヤシダケヲモトメヨ
「例の久々野がぼくにくれたんだよ」
「なにかの暗号か…?」
「でも頭を使わなくても解けるって言ってたよ」
「ふむ……」
しばらく沈黙に包まれる部室。みな必死で考えてるのだろう。そうに違いない。
「…待てよ? これってまさか」
佐世保が鉛筆で紙に何か書き始めた。
「佐世保っち何してんの?」
「頭を使わなくてもいいってことは、文の頭を消せってことじゃないかと思ってな。ほら見てみろ」
「ん?」
ア ワセノコトバノ
ヅ キヲウタウ
ミ ヤアクマヤ
ノ フシギガ
リ ニイダイナ
ョ ウライノユメナラ
ウ サガスノハヤメテ
ヤ シダケヲモトメヨ
「安曇野両哉……!!」
「こりゃ、何かあるな。ヤマト! 本部に行くぞ!」
「え、ああ。分かった」
アーカイブという組織。部室の雰囲気。久々野のメッセージの中に安曇野の名前。
僕は以前、似たような夢を見たことがあったような気がした。その夢の中でもこんなメッセージがあって、でもなぜかしっくり来ない。何か重要なことを忘れている。そんな気がする。
なんだろう。
このときそれに気づいていれば、あんな事にならずに済んだのに。本部へと続く地下への階段も、それを教えてはくれなかった。




