第16話:僕のエメラルド
「ヤマト……お前今なんて言った…?」
佐世保が驚いているのも無理はない。というか僕自身も驚いている。
「これはこれは、お前もアーカイブなのかアホ面。お前だけただの一般人だと思ったんだが」
「うるせえアホ面って言うな!」
まさか勢いでアーカイブを名乗ってしまうとは。なんというセルフドッキリだ。大成功だなオイ。
「連行か、やってみろよ!」
ほぼ頭上から降り注ぐ拳の雨が蒼い盾をどんどん凹ませてゆく。これではそのうち雨漏りしそうだ。
「やってやるよ!」
気が付けば白紙戻しで失われた視界が回復していた。僕は紅い剣で久々野に斬りかかる。だが、久々野の膝に直撃するもまったく斬れない。もっと具体的にいえば皮膚に遮られて傷をつけることが出来ない。
「なんだその剣は。痛くもかゆくもねえぜ、避けるにも値しねえ。本当に剣か?」
「…分かった」
「あ?」
「そこまで言うなら斬ってやるよ」
もう誰も傷つけない。誰も傷つけさせない。僕はそれで仲間が傷つかないと思っていた。
でも、誰にだって傷つくことがある。大なり小なり多かれ少なかれ傷を作っているのだ。治る傷も治らない傷も、見える傷も見えない傷も。どれも傷に変わりはない。
そして、傷つくことで人は学習する。次は傷つかないようにしっかりと脳が憶えている。だから人は、自分にとって良い事より悪い事を強く脳に刷り込まれるのだ。
僕は、傷つけることで傷つけさせない、そんな矛盾したことを行おうとしていた。
「鮮緑の打刀、二刀流」
僕は盾を捨てて両手に2本の鮮緑の打刀をそれぞれ構える。
「なっ……二刀流…!?」
「おい久々野、知ってるか? 天然のエメラルドってのはとても傷が多いんだ。いや、傷があって当たり前なんだよ。それが磨かれて磨かれて美しく光るのさ」
「何が言いたい?」
「まるで人間みたいじゃないか?」
「人間……!!」
「そう、人間。普通に生きていれば、誰だってどこかで傷つくだろ? 心も身体も、逆に傷つけてしまうことだってある。それは人として当たり前の事だ。でもね、エメラルドが自分自身では輝けないのと一緒で、人は人と切磋琢磨しながら自分を作り上げていくんだ。僕もつい最近まではその辺、誤解してたよ」
僕は狙いを定める。
「だけどね、傷は必ずしも悪いものじゃないよ」
僕は見つけた。自分の戦い方を、戦う意味を。傷つけあうための戦いであり、磨きあうための戦いであり、そしてなにより『守りあうための戦い』だと。
「久々野! 僕の刀も2倍、これで正々堂々戦えるな!」
「ふん、よく喋る奴だ」
「くらえ!」
僕は思いっきり刀を振るった。
「だから、お前じゃ俺は斬れねえ……いや、違う……!!」
久々野はまた間合いを調節するように後ろへジャンプし、元の身長に戻った。
「これはこれは、今度は本物のようだな」
「身長も同じ、これで本当に互角かな?」
久々野は頭を振った。
――馬鹿言ってんじゃねえ互角なわけあるか! これでも俺は短距離専門だぞ! それにあの刀、本当に斬れるようだ。あのまま皮膚で受けていたら、倍化昇拳を無視して斬られていた――
「ぼーっとしてんじゃねえよ! 久々野!」
「しまった…!」
思わず目を閉じる久々野。しかし、音も立てずふたつの鮮緑の打刀が、久々野の首筋を挟むように左右に位置したまま停止していた。
「久々野、アーカイブへ連行だ」
断末魔の恐怖を味わった久々野は、言葉を発さずまばたきもせず、そのまま床に倒れ落ちた。
「これが僕のリンカネイト…」
「関ケ原!」
リンカネイトを解除した僕に背後から声が飛んでくる。誰かと思えば安曇野だった。
「やるじゃねえか。4回見直したぜ」
「見直し過ぎだ。あ、そうそう…」
僕はズボンのポケットからバンダナを取り出す。
「これ、お前のだろ?」
「お、サンキュー」
穴が開いたり裂けたり破れたりしてボロボロのバンダナ。それでも安曇野は頭に巻く。
「ありがとう、関ケ原」
「え?」
「お前、アーカイブに入ってくれるんだろ?」
「聞いてたのか…!」
「俺も聞いてたぜ。まさかあのヤマトがアーカイブに、ねえ…」
「なんだその、息子の結婚式に来た親みたいな言い方は!」
自分でもちょっとツッコみの意味が分からない。
「とりあえず、今からこいつを本部に連れて行かないとな…」
安曇野が久々野を抱きかかえる。どうやら気絶しているようだ。
「そういえば、そのアーカイブの本部ってどこにあるんだ?」
「隣の啓蓮町だよ。お前も来るか?」
「いや、授業もあるし…」
「じゃあ放課後に佐世保と来るか?」
「うーん、どうしようかな…」
「なんだ? 乗り気じゃないな。向こうに行けば西淡にも会えるぞ」
西淡明! そういえば茜と同じ高校だって言ってたような…
「行こうぜヤマト。他のリンカネイターもいるし、お前にとっても色々勉強になると思うぜ」
他のリンカネイターか。確かに、アーカイブの活動内容についても知っておきたいな。
「分かった。行ってみるよ」
ボクシング部を出るとそっと吹いた風が涼しかった。かなり長い間外に出ていないような気分だった僕は大きく深呼吸。
「ああ、麦茶が飲みたい…」
******
教室に戻ると、案の定クラスメイトに取り囲まれた。
「あ、関ケ原くんだー」
「おい、関ケ原が帰って来たぞ」
「佐世保も一緒だ」
「お前ら何してた」
「トイレだよ。なあヤマト?」
「え、ああ、そうそうトイレ……」
「嘘つけ、まさか二人であんなことやそんなことを…」
「するか!」
「そういえば安曇野は? お前らと一緒じゃねえの?」
「帰ったよ」
「ええ!?」
「帰ったよ」
「なんで?」
「トイレだって」
「なんで?!」
――とりあえず廊下に立たされた。
「僕の麦茶…」
「ヤマト、買って来たぞ。緑茶しか無かったけど」
僕とのじゃんけんで負けた佐世保が緑茶のペットボトルを抱えて戻ってきた。
「ありがとう、それ150円だっけ?」
「あーいいよいいよ、俺のおごり」
「え? あ、ありがとう」
こういう日々も悪くないな。怪我したり怒られたり廊下に立たされたり。散々だけど、退屈で平凡な日常に丁度いいスパイスだ。
今日も大量に増えた傷は、今まで荒く磨いていたエメラルドを傷だらけにして、自分探しはまた最初からやり直しになってしまった。それでも身体は、磨き方をしっかり覚えている。どうすれば失敗して、どうすればうまくいくのか。まだ全部は分からないけれど、それもまた人生の醍醐味だ。
ペットボトル越しに下から覗いた緑茶は、ぼんやりしてて僕のエメラルドに見えた。




