第14話:お前のすべてが倍にまで
今は一体何時だろうか。おおよそ30分、1時間、2時間という風に見当をつけてみようにも、このボクシング部の部室には銘鐘学園の鐘は届かない。
隔離を超えた隔離によって校外と化したこの場所においては、時間という概念の存在を認識する術はなく、この場にいる4人の人間によって、かろうじて四次元を肯定できていた。
「おら、おらおらおらおらおらおらぁ!」
久々野の拳が縦横無尽疾風怒濤の勢いで空中を走り回る。
そしてそれをすいすいとかわす安曇野。その華麗な動きの背景には、もちろんリンカネイトの存在が大きく関わっているということを忘れてはならない。
だが、そんな安曇野にも徐々に疲れが見えてきた。
言うまでもないが、リンカネイトを使用すればその分だけ身体には負荷がかかる。むやみに多用したり、大規模な能力を使えば、個人差こそあるものの相当の負荷がかかるはずだ。それはリンカネイターである安曇野も例外ではない。
それに対し、未だ久々野のパンチ数毎秒が衰えることはない。
「いつまでそうしているつもりだバンダナ野郎。俺はまだ10000発は打てるぜ」
「そうか、お前の番だから手を出さなかったんだが、しかしあまりにも退屈だな他人のターンというのは」
安曇野が両手で三角形を作り久々野に向けると、安曇野の周りをぐるぐると無数の何かが取り囲む。ばさばさという音を立てて竜巻のように渦を巻き、久々野を退ける。
「ああ、あれか」
僕の横で佐世保が知っている風な口調で寝転がる。
「なんだよあの小型竜巻は?」
「いいから見てろって、寝てた方がいいぞ」
佐世保が笑うのと同時に、安曇野の手元に渦巻く何かが集まってくる。
「紙吹雪」
途端に固まっていた何かが安曇野の両手を離れ一直線に飛んでいき、その先の久々野を切り刻んだ。激しい風圧で辺りに散らばっているペットボトルやグローブは吹き飛ばされ、サンドバッグはぐらぐらと揺れ動き、リングのロープ全てばらばらに切れ、それでも久々野は立っていた。
「ほう、あれを受けて立っていられるとは。ボクサーの足腰はよほど頑丈なんだな」
勢いを失い、ひらひらと落ちてくる白い紙切れたち。あれもリンカネイトの一種だったのか。
「…ちっ、うざってえ能力だなー」
無数の紙切れに切り刻まれた血だらけの久々野は、不快な様子で舌打ちすると、血混じりの唾を吐き捨てた。
「やっぱ、このままじゃ勝ち目ねえか」
ロープにかけてあったタオルで顔を拭くと、久々野の全身が光り始める。
「な、なんだ…!?」
「ただのボクサーだと思った? 残念、ただの転生者でした」
直後、久々野が安曇野に接近する。が、速い。さっきよりも恐ろしいスピードで連打を叩き込む。
「くっ…」
ガードこそしたものの、この勝負において初めて久々野の攻撃が安曇野を捉えた。
「まさかお前もリンカネイターだとは。正直驚いたぜ、久々野」
「俺も驚かすつもりで隠してたんだぜ、驚いたか」
しかし本当に驚くべきは、リンカネイトの追加に伴う久々野の戦闘力の、過剰とも言える大幅な上昇である。
ジャブもフックもアッパーカットもストレートも、ステップも。いや、何もかもそうだ。
「驚いた。お前のすべてが倍にまで跳ね上がってやがる」
さっきまでのパンチングの速度も、その威力も、その間合いも、久々野のすべてがリンカネイトによって大きく進化していた事実は、既にリンカネイトを多用し、疲労していた安曇野を苦しめる。
「俺のリンカネイトは『倍化昇拳』、俺に関する情報を倍にできる能力――つまりこれで俺の勝利の確率さえも倍だ。100%から200%にな」
「なかなかいい能力だな。だが、オレの前では無力だ」
「なんだと…?」
久々野が目つきの悪さも倍にしたかと思えば、周囲が急に霞み始めた。
「なんだ、何が起こっている…!?」
辺りはまさに白一色になった。前とか後ろとか右とか左とか、アイレベルとか消失点とか、空間を把握する視覚的手段がすべて封じられ、これ以上ない隔離のなかで戸惑う久々野の声だけが響く。
「白紙戻し」
安曇野の声が聞こえた瞬間、視野がぐんと回復する。だが、正面にいた久々野だけが真っ白のまま床に倒れていた。
「目に見えないほどの微小な細胞を空中にばらまき、包み込む最終手段だ。もうしばらく意識は戻ってこない」
「まだだよ…」
真っ白の身体のまま立ち上がる久々野。
「肺活量! 身長!」
みるみる久々野の身長は大きくなっていき、全身を覆っていたものが剥がれ落ちる。
「跳躍力! 体重!」
「まずい! ヤマト! 跳べ!」
「え!?」
3m越えの巨体、120㎏越えの重量、天井近くまでの跳躍で繰り出された地響きはリングが吸収しきれず部室全体を襲う。
「それでははりきって参りましょう。ウルトラスーパーヘビー級――第2ラウンド、ファイト!!」




