第13話:アーカイブ
中庭を抜けて学校の東側へ階段を下りた左側、そこにボクシング部の部室はあった。ひび割れた白塗りの壁。ところどころが赤黒く錆びた重そうな金属の扉。見るものを不安にさせるその場所は来るものを拒む無言の威圧感があった。
「ここか…」
「そこはかとなく空気が重いな」
「いいか、開けるぞ」
ここだけ校内じゃないのかとさえ思ってしまうその圧倒的に隔離された雰囲気が肩に乗ったまま、僕は扉のドアノブを握る。それを回すとひんやりとした不気味な冷感が、右手から腕から首筋をかけて額を襲う。
「ぎぎぎぎぎぎ…」
頭が痛くなりそうな雑音を発しながら徐々に開く扉。その隙間から漏れ出す汗の匂いに思わず鼻をつまむ。
「よし入るぞ」
ドアノブの感触がはっきりと残ったまま中に入ると、さっきまで見ていたものに収まるほどの空間ではない気がした。四方の壁を覆うようにサンドバッグやプレスベンチ、パワーラックが並び、スキップロープやダンベル、ボクシンググローブ、空のペットボトルもそこかしこに転がっている。その中心にはリング、4本のロープには黄ばんだタオルがかけてある。これがさっきの異臭の原因だろうか。
そしてその赤コーナーには、首にタオルをかけて腰掛けている部員が一人。
「これはこれは、新入部員かな?」
目にはくっきりと黒いクマ。全く手入れをしていないのか、ぼさぼさの深い赤髪。鋭い目つきでこちらを睨んでくる男が久々野久邦であることはすぐに分かった。
――――――――――――
ほんの五分前、1限目の参加を諦めて大人しく連行されていた僕は安曇野にこんな質問をした。
「なあ、久々野久邦が革新軍だと思ったのはなんでだ?」
「…革新軍のメンバーには体のどこかに必ず決まった紋章が刻んである」
「紋章?」
「Pledge emblem innovation の頭文字を取って、PEIと呼んでる」
「どんな紋章なんだ、それは?」
「んー、それは言葉では表現しにくい。というか実際に目にした方が分かりやすいな」
「ペイ、か…」
「オレが久々野が革新軍のメンバーだと思ったのは、ペイが刻まれているのを見たからだよ」
――――――――――――
安曇野の言った通り、久々野久邦の右肩にはペイが刻まれていた。
黒い逆さ十字架の形をしたそのペイからは、言葉では言い表せない邪悪さが伝わってくる。なるほど、安曇野の言いたかったことは紋章の形ではなく、それの醸し出す雰囲気のことだった。
「残念ながら、今日は君に挨拶に来ただけだよ。ただの挨拶。入部なんて以ての外だな」
安曇野が久々野を居丈高な口調で挑発する。
「俺もお前らと一緒にボクシングなんて御免だがな」
久々野が首のタオルを後ろのロープにかけて立ち上がる。
「…で? 挨拶って何?」
「革新軍についてだよ」
佐世保がそう言い放つと、久々野の目がかっと見開いた。
「まさかお前ら……アーカイブか…」
アーカイブ? なんのことだ?
「ああ、そうだよ」
そうなの!? 便乗ではなさそうだけどそうなんだ!?
「佐世保、アーカイブって…?」
「俺たちの事だよ」
「え?」
「関ケ原、お前には少し誤解を生むような言い方をしたが、オレたちに対抗して革新軍が生まれたんじゃなく、革新軍を壊滅させる為にオレたちが結成されたんだよ」
「それって…」
「アーカイブは革新軍のメンバーを確認したら、本部へ連行する決まりだ。したがって…」
安曇野の右手が鋭くとがり、すぐそこのサンドバッグに穴をあけた。
「久々野久邦! お前をアーカイブとして本部へ連行する! デッドオアアライブだ!」
安曇野の右手の指し示す先、久々野久邦は溢れる余裕と不気味な笑いを混ぜて両手をぱんと叩いた。
「いいだろう。革新軍の恐ろしさを教えてやるよ」
そう言って笑いながら、久々野は軽やかなステップに乗せて、空中を拳の連打で切り刻んでいる。
「佐世保、関ケ原、ここはオレに任せろ」
「了解!」
安曇野は再び久々野に視線を飛ばす。
「一斉にかかって来なくていいのか?」
「オレも男だからな。1対1は基本だろう」
「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな」
なんかそのセリフ聞いたことあるんですけど。
「じゃあ、お前から来いよバンダナ」
今度は久々野が脚を躍らせたまま人差し指で挑発する。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ!」
安曇野の身体が変形したかと思えば、物凄いスピードで久々野に突っ込んでいく。
「なんだあのスピードは…!」
「空気抵抗だ」
佐世保が右隣でつぶやく。
「両哉はリンカネイトで自分の体の表面積や迎角やアスペクト比なんかを操作して空気抵抗を少なくしたのさ」
何言ってるのかさっぱり分からないけど解説ありがとうございます。ってあれ? こいつこんなに頭良かったっけ?
「くらえ、折り紙突き!」
スパッという音とともに安曇野の右手が久々野のこめかみをかすった。
「おお、これはこれは危なかった」
久々野は血で滲むこめかみを手首で拭って、やはり不気味に笑った。
「よし、次は俺の番だ!」




