第3話 「楽園」と「死線」
~ 第3話 「楽園」と「死線」 ~
『――――ルルルルル』
と、ボーっとしていたら呼び出し音が鳴った。
【ジーンさんたちからグループチャットの招待が届いています。 参加/拒否】
グループチャットとは、複数のプレイヤーと同時会話する機能だ。【参加】を押す。
『兄さん! 大丈夫ですか?』
俺の身を案じてくれる妹声が真っ先に飛び込んだ。今日は心配させてばっかりだな。
「俺はなんとか無事だ。そっちは?」
『ちょい強いモンスターだったが一匹だしな、速攻で終わらせて今は安全地帯まで逃げてきた』
ジーンの答えに俺は少しほっとする。
『で、ユウは何処にいるんだ?』
「今は見たことも無い森のなかにいる」
『……見たことも無い、ですか?』
「ああ、どうしてこんなことになったのかさっぱりだ」
『……おそらく、妖精の羽を使ったからだろうな』
「妖精の羽を? 俺は使ってないぞ」
ウインドウに触れてさえいなかったはずだ。
『いや、アイテムを使う方法は一つじゃないんだ。例えばポーションを使う時、戦闘中だといちいちウインドウ操作したり、飲んだりするのは面倒だろ? だから、その時は強く握って『割る』んだ。そうすると手順を省略してアイテムを使うことが出来る』
ここに来る前のことを振り返る。確かに俺は、宙に逃げた羽を強く掴み直していた。確認してみると、手の中にも、インベントリの中にも、妖精の羽はなかった。
「……どうやらその通りらしい」
呆然としてそう答えると、ジーンもうぅんと唸った。
『やはりか……説明文の通り、『妖精の羽』は何処かにランダムで転移するアイテムだったんだろうな。とりあえず現在地を確認しよう」
「どうやって? 看板など何処にもないが」
『兄さんステータスです、ステータス画面開いてみてください』
「ステータス?」
とりあえず指示通りにウインドウを開いてみる。するとそこには自身の能力パラメータの他に、よく見れば現在地が書かれていた。
「現在地……【失われた楽園『アルカディア』】、だそうだ」
それに対する二人の対応は鈍かった。
『あるかでぃあ……? ダメだ、俺は聞いたことがない、妹さんは?』
『私も知りませんね……』
βテスターの二人が知らないということは、何処かに新設されたエリアなのだろう。
「どうしたらいい? なにか戻る方法はないか?」
『……う~ん、『帰還スクロール』は、ないんだよな?』
「ない」
即答する。『帰還スクロール』とは、使えば一瞬にして登録していたポイントに戻れる便利なアイテムだ。俺の場合スタート地点のアルフガルドの始まりの広場に戻れるらしい。普通に道具屋に売っているが、1000Gと高額だったため手を出さなかった。
『すると、徒歩で帰り道を探すしかないな……どこか大きな町に着けば『ゲート』を使ってアルフアルドまで戻ることができるんだが』
やはりそれしかないか……。
『まぁ手段がないって訳でもない』
「なに? なにがあるんだ?」
俺は前のめりになって聞いた。
『死に戻りだよ』
「…………」
『死に戻り』、それはHPが0になった時、少々の経験地とアイテムを失う代わりに帰還できるシステムのことだ。
「……それは嫌だ」
『だよなぁ、せっかくAランクのアイテムを使ってまで行ったんだから、何か収穫がないと――』
「そんなの関係なしに嫌だ。断固拒否する」
『……?』
俺の拒絶にジーンはちょっと戸惑った様子だった。そんなジーンに沙耶が優しく語りかける。
『ジーンさん、兄さんはそういう『安易な死』を選ぶことが大嫌いなんですよ、それが例えゲームだとしても。ですよね、兄さん?』
俺の過去を知る血を別けた妹は、俺の心境をよく分かってくれていた。
「ああ、さすがよく分かってるじゃないか、沙耶」
『そりゃ兄さんの妹ですから』
「はははっ」
『ふふふっ』
『……兄妹愛を確認してもらうのはかまわないんだが、わけがわからず傍から見てる俺のこの微妙な気持ちはどうすりゃいい?』
『嫉妬すれば良いんじゃないでしょうか? 私に』
『しねぇよ?! てか妹さんに嫉妬すると、俺はユウのことが大好きということになってしまうのだが?!』
「直樹…お前……すまん、俺はお前をただ友人としか見られない」
『哀れむような声で断るなよッ! 俺はフツーの女好きだわッ!』
「それならそれで、おまえを妹に付く虫と認定して、排除しなければならなくなる」
『手ェださねぇよ!』
「なにっ おまえ沙耶に魅力が無いというのか?! なら俺の敵だ」
『どーしろっつーんだよッ?!』
『直樹さん、大丈夫です、二次元っていう手があります』
「ナイスアイディアだ妹」
『ナイスでもなんでもねーよ! もうやだこの兄弟!! あとリアルネームで呼ぶな!』
――とまぁ、色々あったが、俺は自分の足で帰路を探すことにした。
『……何かあったらすぐ連絡してくれ、こっちもアルカディアについて調べてみるから』
ふてくされながらも直――ジーンはそう言ってくれた。ありがたいことだ。
「悪いな、じゃとりあえず探索を開始する」
『ああ、健闘を祈る』
『兄さん、くれぐれも気をつけて』
「了解だ」
(……さて、どうすっかな)
通話を切った俺は、とりあえず空を見上げてみる。高い木々のせいで太陽は見えなかったが、空の色の様子から、日が暮れつつあるのが分かった。
《アンノーン》内では夜と昼は1時間周期で変わる。もう間もなく夜が訪れることになるだろう。
(夜になったら何も見えなくなるし……場所によって凶暴なモンスターが出てくるって言ってたな……なら一番優先すべきは安全な場所、セーフティエリア探しか)
セーフティエリアとは、どのフィールドにも複数存在すると言われている安全に休憩できるエリアだ。そこならモンスターは寄ってこないし、運がよければ回復手段や食料がある場合もあるらしい。
比較的通りやすい木々の間を選んで歩みを進める。その間に忘れていたHPを、ポーションを使って回復しておく。
「……青臭くてエグ味が凄いな」
なんとなく飲んでみたのだが、おいしい物ではなかった、次からは割ってみることにするか。
――それから10分ちょっと歩いただろうか? だが何にもたどり着く様子がない。さっきから代わり映えのない風景ばかりだ。ここはポルックの森と違い、道らしい道がない。やばい、迷いそうだ。
と、その時前方に大きい岩(?)のようなものが見えた。木々の陰になっていてよく見えないが、なかなか大きいので、もしかしたら洞窟の入り口とか、祠のようなものかもしれない。身を休めることができればいいな、と思いつつその影に近寄ってみる。
――すると岩が動いた。
「は?」
“――ドドドドドドド”
続いて地響きのような音が聞こえてくる。
「ッ!? 《ステップ》!」
その音に嫌な予感を感じて、とっさに《ステップ》を発動させて左に飛ぶ。
――すると、さっきまで俺がいた場所に、巨大な何かが弾丸のようなスピードで突っ込んできた。余裕をもってステップをしたにも関わらず、その何かが突っ込んできた風圧で、俺は転倒してしまった。
巨大な何かは、背後にあった木に、ドガァッ! と派手な音を立てて激突した。
立ち上がりつつ、恐る恐る振り返るとそこには――【アタックボアー】とは比べ物にならないほどの大猪がいた。
全長は4mほどだろうか、高さも俺の倍、3mはあるだろう。
一体何者だ、とその怪物の名を見ようと目を凝らして――絶句した。
大猪の頭上には、【??? Lv??】とあった。
これは由々しき事態である。
なぜかって? 名前もレベルもわからないモンスターというのは、少なくとも俺より『20レベル以上も上』ということを意味しているからだ。
――突っ込まれた木が、メリメリと派手な音を立てて倒れた。大猪がゆっくりとこちらへ向き直る。
(冗談じゃねぇッ!)
とてもかなう相手ではない。大猪が動き出すのと同時に、俺も《ダッシュ》で駆け出した!
(障害物がない直線は、まずい!)
俺はそう判断して、再び《ステップ》で突進を回避しながら、木々が多く茂るところまで逃げ込んだ。
あの巨体だ、この中までは追いかけてこれないだろう。
――とでも思ったのが間違いだった。
「ふッざけんなッ!?」
俺はことのありえなさに叫びながら《ダッシュ》と《ステップ》を繰り返していた。
林の中に身を隠したのにも関わらず、大猪は止まらなかったのだ。なんとそのまま木々を薙ぎ倒しながら突っ込んでくる。まぁさすがに動きは鈍くなっているが……俺自身も木々に阻まれ思うように《ダッシュ》
できない。さっきから気を抜けば木々を無視した突進が、背後から襲い掛かってくる。
(このままじゃ、俺の《SP》が先に切れる!)
もう何回目かわからない《ステップ》でなんとか回避しながら《SP》を確認すると、もう残り1割を切ろうとしていた。ヤバイ。
と、その時、前方が僅かに明るくなった。どうやら森の終わりに近づいているようだった。
(くっ、開けた所であいつを相手になんかできないが――)
“ドドドドドド” “バギッ ドオッ”
後ろからはなおも迫り来る足音と、倒される木々の音。
(どっちにしろ俺には前に逃げるしか選択肢は残されていないかッ!)
しかたなく、俺は覚悟を決めて森から飛び出した。
「! これは……」
そして驚いた。そこは少し広い丘だったのだが、そしてその丘の真ん中に、天までそびえるかのような大樹があったのだ。「この~木、何の木?」のCMレベルの大樹だ。
そのとき閃くものがあった。
(あの木にさえ登れれば――逃げ切れる!)
あれほどの大樹となれば、大猪の突進でもさすがに倒れることはないだろう。
俺は《ダッシュ》を開始した。後ろから遅れず大猪が現れる。
(問題は《SP》がもつかだが……)
走りながらもインベントリを呼び出す。だがそこにももう《SP》回復ポーションは無かった。ポロックの森と、さっきまでの逃走で全て使い切ってしまっていた。
(くそっ! 頼む、もってくれよ!)
もはや神に祈る気持ちで走り続けた。
“――ドドドドドッ”
「《ステップ》」
落ち着いて背後からの突進をギリギリで回避する。もう音がわかれば後ろを振り返らずに回避できるようになっていた。前に立ちふさがった大猪を大きく迂回するようにして大樹を目指す。
「《ステップ》」
次の横からの突進も、横目で確認しながら余裕をもって回避する。
大樹まであと……1,2回回避すればたどり着ける距離になっていた。なんとかなりそうだ。
「《ステッ――ッ?!」
そう確信した時だった。突然足が動かなくなって、転んでしまった。
《SP》を確認すると――0を示していた。
俺は後で知ることになるのだが、《SP》や《MP》が足らない状態でスキルを発動させると失敗となり、デメリットが発生するのだ。《ステップ》の場合、それが足の硬直――転倒だった。
「ッ――ガハッ!?」
直後、【アタックボアー】とは比べ物にならない衝撃が襲ってきた。大猪の一撃をついにもらってしまったのだ。俺は再び高々とぶっ飛ばされ、受身の姿勢をとるのもままならず、6mほど先の地面に叩きつけられた。
《HP》を確認する。全快だったそれは、さっきの一撃と、落下ダメージで、残りは一割を切っていた。だがこれでもレベル差を考えれば、生きているのが不思議なぐらいだった。
(しかし……終わったか……)
俺は横たわったまま、訪れる『死』を悟った。大樹まではまだ10mほどはある、最低あと1回は突進を回避しなければならない。いまさら起き上がったところで、《SP》もない今、もうどうにもならない。
――だが。
「……だからって、諦める理由には、ならねえよな」
俺は立ち上がった。痛む身体に鞭をいれて、大樹へと歩き出す。一歩踏み出すごとに、全身にギシギシと痛みが走る。どうやらHPが一割以下になると瀕死状態になり、行動にペナルティがかかるようだった。とても回避なんて出来る状態じゃない。
だがそれでも諦めず、歩みを止めないのは、それが俺の意地であり、信念であるからだ。
“ドドドドドドド”
しかし無常にも、死神の足音は迫っていた。
(……ったく、絶対に死に戻りはしないと言っておいて、さっそくこれかよ……カッコ悪ぃな)
だが妹と友人なら、それでも笑って帰還を歓迎してくれる、そんな気がした。
俺はせめて、痛みが酷くないことを願って――瞳を閉じ、『死』を待った。
“ドドドドドド――”
(――ッ ……―――?)
だが、ついにそれは訪れなかった。俺は何事も無く大樹の根元までたどり着く。
後ろを振り返ってみると、大樹から7,8mほど先の場所から、大猪がジッと俺を見つめていた。
ただ見つめてくるだけで、攻撃してくる様子が無い。
そのまま1分ぐらいは見詰め合っただろうか、突然大猪は――クルリと身体を反転させ、森へと帰っていった。
「…………助かった……のか?」
まさかの生存に信じられず、呆然と大猪の背を見送った。
そしてその姿が完全に見えなくなると、緊張の糸が切れた俺は脱力し、その場に倒れた。
「この樹が……セーフティエリアだったのか」
あの大猪が去った理由は、それ以外考えられない。
「なんていう幸運だよ……ハハッ」
自分の悪運の強さに思わず笑ってしまった。
……だが、その僅かな生を掴み取ったのも、諦めず大樹を目指した結果だ。起き上がってからのあの数歩があったからこそ、セーフティエリアまで入れて、猪の突進が止まったのだ。
「やっぱ最後まで足掻いてみるもんだよな、うん」
しばらくの間、HPが自動回復して瀕死から抜け出すまで、俺は横になったまま手に入れた生をかみ締めていた。
日は完全に落ち、世界は夜を迎えようとしていた。