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おこたの国

作者: 百賀ゆずは

この企画「冬の童話祭2012」を知って、一日で書きました。

童話と言うにはけっこう、何というか、くたびれている感じです。

それでもよろしければ、ぜひどうぞ。

 ユウスケが初めて「おこたの国」に行ったのは、五歳のときのことです。

 冬でした。とても寒い日でした。

 おじいさんの家の掘りごたつの中に、その国はありました。


 ユウスケは、お父さんの方のおじいさんとおばあさんが嫌いでした。

 言葉が荒いし、ユウスケのことをすぐにバカにしたり、怒ったりするのです。

「なんだお前は、意気地なしだな」

「弱っちい」

「こんな大きくなって、口もろくにきけねえんか」

 そんな風に言われるたびに、ユウスケはじっと黙り込んで、下を向いてしまうのでした。

 確かにユウスケは臆病でした。

 風邪を引いてしょっちゅう熱も出しました。

 そして、思っていることをうまく言葉にできませんでした。

 幼稚園に入る前は、ほとんどお話ができなかったほどでしたので、電車に乗って遠くの病院に連れて行かれたこともあります。

 頭に冷たい金属を貼り付けられて検査をされたり、注射をされて血を採られたりしました。テストのようなこともされました。

 その結果、体にも頭にも異常はないと言われて、少し様子を見ましょうということになりました。

 そうして、幼稚園に入ってからは、先生となら少し、家でも少し、お話ができるようになったのです。

 だけど、友達とはうまく話せませんでした。

 すぐにかんしゃくを起こして泣くか、叩いたり蹴ったり噛みついたりして泣かせてしまうかのどちらかでした。

 まして、怖いと思っているおじいさんやおばあさんとなんて、おしゃべりできるはずがありません。

 おじいさんと一緒に暮らしているおじさんも、おばさんも、いとこの兄弟も、みんなみんな、乱暴で、怖くって、ユウスケにとっては嫌な人たちでした。


 だから、たまにこうして家族揃っておじいさんの家に来ることは、本当に気が重い、嫌なことでありました。

 お母さんも、いつもそう言っています。

 お母さんは、やっぱりおじいさんとおばあさんのことが嫌いなのでした。

 おじさんのことはそんなに悪くは言いませんでしたが、おばさんのことは特に嫌がっているようでした。

 みんなしてユウスケのことをいじめるから嫌なのだと言っていました。

 お父さんの嫌なところが、親子だからそっくりだと言っていました。

 そして、そんな風にお母さんをきぃきぃさせるので、ユウスケはますますおじいさんの家に行きたくなくなるのでした。


 その日も、ユウスケはうつむいて、掘りごたつの端っこの席に座っていました。

 隣にはお母さんがいます。

 逆の隣には、いつもはお姉ちゃんがいるのですが、今日は庭へ遊びに出てしまいました。

 何日か前に降った雪が、こちらの方ではまだ溶けずに残っていたので、いとこ兄弟と何やらこしらえているようです。

 二歳年上のお姉ちゃんは、頭がよくて、ユウスケよりうんとおしゃべりです。

 ちょっと太っていて、運動は苦手でしたが、でも友達とはよく遊んでいました。

 お姉ちゃんだって、いとこたちとは、そんなに親しくはありません。

 でも、こうして何かあれば一緒に行動できるくらいには、人とのつきあい方がうまいのでした。

 そんなお姉ちゃんたちを、お父さんは外に出て眺めています。

 お母さんは、おじいさんおばあさんとおしゃべりをしていました。

 あんなに裏では悪口を言っているのに、外面がいいのだと、いつかお姉ちゃんが言っていました。

 つけっぱなしになっているテレビは、いつも家で見ているのとは違う番組で、ちっとも面白くありません。

 壁の時計の音がカチカチとやたら大きくて、でもさっきから針の形は全然変わっていないのです。

 帰るのはいつも、晩ご飯を食べてからです。

 でも外はまだ明るいし、それはうんとうんと先のことのように思えるのでした。


 ユウスケはお母さんの服をつんつんと引っ張りました。

 ミィコがほしい、と訴えました。

 ミィコは猫のぬいぐるみで、ユウスケのお気に入りでした。

 お気に入りどころか、もう一人の家族だと思っていました。

 毎日一緒に寝ていましたし、起きているときも毎日抱っこして連れ歩きました。

 幼稚園の時だけは、離ればなれになってしまうのですけれど、本当は幼稚園にも一緒に行きたいのです。

 今日も連れてきています。

 でも、車でお留守番をしているのです。

 おじいさんおばあさんに見られたら、きっとまた馬鹿にされるから置いて行きなさい、とお母さんが怒ったので、車の中で、毛布にくるまって、お留守番をしているのです。

 もう限界なのでした。

 こんなに居心地が悪い、怖いところにいるのに、ミィコがそばにいないなんて、耐えられません。

 ミィコがほしい、ミィコ、ミィコ、と訴えました。

「あれ、やっぱりお前、まだあの人形から離れられねえんか」

 とおじいさんが笑いました。

 がはは、と大きく開いた口から、黄色くて並びの悪い歯が見えました。

 お母さんが、ちょっと苦い顔をしました。

「わかった、ユウスケは眠いんだね」

 ぐずるのはその証拠だと、ユウスケの頭を撫でます。

「ほら、ここに横になって、寝かせてもらいなさい」

 長い座布団を指します。

 ちがう、眠くない、と言いましたが、聞き入れてもらえません。

 おばあさんが、隣の部屋にたたんであった毛布を持ってきました。

 ちがうのです、ちっとも眠くなんてないのです。

 でも、そうやって泣いても、きっとだめだろうと思いました。

 お母さんがこうやって決めつけるときには、何を言ってもユウスケの考えは通じないのです。

 あんまり駄々をこねて、後でミィコが捨てられそうになっては大変なので、ユウスケは涙を飲み込んで、言うとおりに横になりました。

 でも、掘りごたつは、とても寝づらいということに気がつきました。

 仰向け、横向き、どっちで足を入れても、体がねじれてしまいます。腰が痛いのです。

 お家のこたつなら、深く潜って眠れるのに。

 やっぱりこんなところ嫌だ。

 早くお家に帰りたい。

 そう思いながら、落ち着きなく何回目かの寝返りを打ったとき――。

 ユウスケのお尻はつるつるの座布団の表面を滑ってしまいました。




 あっ、と思った次の瞬間、すとん、と足が底に着きました。

 ちょうどひざを抱えてしゃがむ形になって、そろそろと目を上げると、そこは洞窟のようでした。

 あれ、僕はおこたの中に落ちたはず、とよくよく見ると、おこたの中のようでもあるのです。

 でこぼこの岩肌はお布団のでこぼこによく似ていましたし、色合いも、赤いヒーターの光が少し透けているときの感じにそっくりです。

 でも、やはりそこは洞窟なのでした。

 そっと手をついて、四つん這いになりました。

 掘りごたつは確か、床の真ん中がヒーターになっていたはずなのに、気がつくとそれがありません。

 すべすべしてはいるけれど、ただの地面です。

 落ちてきたばかりのときは、すぐ頭の上に天板があった気がしたのに、それはもう洞窟の天井になっていました。

 ゆっくりと立ち上がります。

 ユウスケの頭がぶつからないくらいの高さがありました。

 気がつくと、引き返す道がありません。

 洞窟の通路はただまっすぐ前に伸びていて、すぐ先が出口になっているようでした。

 白く和やかな光が差し込んでいました。

 ユウスケはそっと歩き出しました。


 そこは春の野原でした。

 ずっとずっと緑の草が生えていて、足の裏に伝わる感触はとても柔らかいのです。

 空はかすんだ青で、全体に何だか暖かく、ふんわりと眠くなるようで、でも眠ってしまうのがもったいないような素敵な場所でした。

 空気にお日様の匂いがあります。

 ユウスケは嬉しくなって、きゃーっと叫びました。

 きゃーっと叫んでも、誰も怒りません。

 ただ、自分の出した声が、遠く遠くまで届いて、響くのが肌に伝わるだけです。

 それが面白くて、何度も何度も叫びました。

 そして笑いました。

 まったく何てゆかいな場所なのでしょう。

 草の大地を踏みしめて、ずんずん歩きます。

 すると家が見えてきました。

 幼稚園の滑り台によく似た家でした。

 赤や青の窓があって、数字のパネルがついています。

 それがユウスケはとても好きなのに、いつも友達が意地悪をして、遊ばせてくれないのでした。

 でも今周りには誰もいなくて、独り占めができそうでした。

 ユウスケは飛びついて、夢中になって遊びました。

 どれくらいそうしていたでしょう。

 ふと、気配を感じて目を向けると、傍らに一人の女の子が立っていました。

 最初はお姉ちゃんかと思いました。

 雰囲気が何だか似ていたからです。

 年も同じくらいに見えました。

 でもお姉ちゃんより体が小さいのです。

 お姉ちゃんはクラスで二番目に背が高いし、クラスで一番太っているけれど、その子はほっそりしていて、華奢な感じでした。

「こんにちは」

 と、その子は言いました。

 こんにちは、とユウスケは答えました。

「あなたはだあれ?」

 ユウスケ。

「私はフミコ」

 フミコは優しく笑いました。

「よかったら一緒に遊ぼうか」

 そう言ってそっと手を差し出してくれたので、ユウスケはぎゅっとその手を握りました。


 そのお家はフミコの家でした。

 家の中には、お菓子がたくさんありました。

 それから、ユウスケの好きな遊びがいっぱいありました。

 ユウスケは数字や図形の出てくるものが好きでした。

 トランプを数字とマークで分けたり、並べたり、並べ替えたり、そんなことが大好きでした。

 囲碁の石を端からずっと置いていって、白と黒で模様を作ったり、最後にいくつあるか数えたり、そういうことも好きでした。

 リバーシの白黒の石をくるくるとひっくり返すのも好きでした。

 そういう動きに自分だけのお話をつけて、ぶつぶつとつぶやいているのがとても楽しいのでした。

 でも、それをわかってくれる人は少ないのでした。

 一緒にやってくれる人は、今まで一人もいませんでした。

 フミコは、初めての人でした。

 すごいね、と言って、目を細めてくれるのでした。

 ユウスケが、うまく言葉にできなくても、全部のことをわかってくれるのでした。

 ずっと碁石を並べていって、次にフミコだったらどう置くだろうかと思って動きを止めると、フミコはちゃんと心得ていて、とてもよい場所に石を置くのです。

 それは、あまりに見事で、ユウスケは興奮してぱちぱちと手を叩きました。

 頭の中の物語がぶわっと広がって、また楽しく遊ぶことができるのでした。

 決して飽きることはありませんでしたが、それでもずっと座りっぱなしで疲れてくると、外に出ます。

 外は秋になっていました。

 空気が冷たく湿って、涼しい匂いがしました。

 地面は枯れ葉で埋め尽くされて、ふかふかのベッドのようでした。

 ユウスケとフミコはその枯れ葉をもっともっと集めてひとところに積んで、山を作りました。

 その山に飛びついて、ずぼっずぼっと埋まりました。

 ぽんぽんとトランポリンみたいに跳ねました。

 髪にも服にも枯れ葉をつけたまま、家に戻って、お菓子を食べました。

 お菓子はいっぱいあったけれど、わざとちょっとずつしか食べないで、「非常食ごっこ」をしました。

 家の中に掘りごたつがあったので、フミコと二人、そこに潜りました。

 ひざを抱えて小さくなって、自分たちは今雪山で遭難しているのだと話しました。

 ここは何とか設置したテントの中で、残りの食料はもうこれだけなので、大事に大事に食べないといけないのです。

 チョコを一かけ、ちょっとずつ口の中で溶かして食べました。

 ビスケットを半分ずつにして、ちょっとずつかじりました。

 ユウスケがたまにお姉ちゃんとする遊びでしたが、フミコとするのはまた別の楽しさがありました。

 いつもは話を作るのも、食料を分けるのもお姉ちゃんでしたが、フミコとは相談をしたりするし、ユウスケがお話を作ったりもするのです。

 掘りごたつの中は暗くて暖かくて居心地がよくて、ユウスケはうとうとと眠くなってしまいました。

「また、おいでね」

 そっと言われた気がして、慌てて目を開けたとき、フミコはどこにもいませんでした。

 ユウスケは、おじいさんの家の掘りごたつの座布団に寝て、お母さんのひざを枕に眠っていたのでした。


 それからしょっちゅう、ユウスケはおこたの国へ遊びに行くようになりました。

 家に帰ってから、またどうしても行きたくなって、こたつに潜ったら、ちゃんとたどり着けたのです。

 一度行ったから、道ができたんだな、と思いました。

 今度はちゃんと、ミィコも連れて行きました。

 フミコはいつでもそこで待っていました。

 そしてミィコのことを、可愛がってくれました。

 耳やしっぽをつかんで振り回したり、ミィコが思っていないことを声音を使って話すような乱暴なことなど、しませんでした。

 ユウスケはそんなフミコを好きだな、と思うのでした。


 ユウスケの家はお店をやっています。

 だから、お客さんがいてお父さんお母さんが忙しいとき、お姉ちゃんが学校へ行っている間、ユウスケは一人でいます。

 そんなとき、おこたの国へ行けるのはとても嬉しいことでした。


 そのうちに冬が過ぎ、春が来ました。

 おこたが片付けられてしまうとき、ユウスケは泣いて反対しました。

 でもうまく伝えられませんでした。

 幼稚園から帰ってきておこたがなくなっているのを見て、ユウスケはぎゃーと叫びました。

 でもそのとき、お母さんは仕事で忙しかったので、静かにしなさいとひどく怒られてしまいました。

 ユウスケは激しく泣きながら、押し入れのふすまを蹴飛ばしました。

 すると、どこからかフミコの声が聞こえたような気がしました。

 ユウスケは泣き止んで、それからそっと、押し入れを開けました。

 中からふわりと、よく知っている香りがしました。

 上の段によじ登って、きちんとふすまを閉めると、そこはもうおこたの国でした。

 押し入れの他にも、マットレスを折って立てた隙間や、カーテンの後ろや、開けたドアと壁の間などにも、おこたの国の入り口はあることを、ユウスケは知ったのでした。



 ユウスケはフミコから、いろいろなことを教わりました。

 草花遊び、あやとり、折り紙。

 歌も教えてもらいました。

 おこたの国は、春や秋の他に、夏も冬もありましたが、フミコの声はどんな季節の空気にもぴたりと合って、風に乗って空へと昇っていくようでした。


 ある日、ユウスケがフミコに教わった歌を歌っていると、お父さんが驚いたような顔をしました。

「そんな歌、どこで覚えたんだ?」

 おこたの国のこともフミコのことも内緒にしていましたから、ユウスケは困ってしまいました。

 でもお父さんは、しつこく聞こうとはしませんでした。

 ただ、同じ歌を歌い出しました。

 お父さんは、お母さんに言わせるととても音痴だそうで、実際ユウスケもその歌が、今自分が歌った歌、フミコが教えてくれた歌と同じとはすぐにはわかりませんでした。

「これは、お父さんが小さいときによく歌ってたんだよ」

 言われてみれば、前にもお父さんがこんな感じで口ずさんでいたのを聞いたことがある気もします。

「……お父さんの妹が、好きだったんだ」

 お父さんには確か、弟が三人と、妹が一人いました。

 でも、その妹、つまりおばさんのことは、ユウスケはやっぱり苦手でした。

 あんまり会ったことはないけれど、お母さんが図々しい人だと嫌っているからです。

 そんな人が歌う歌と、フミコが教えてくれた歌が同じだなんて、ちょっと複雑です。

「ああ、違うんだ、ヤヨイおばさんじゃないんだ」

 お父さんは、少しためらって、でもぽそりと続けました。

「お父さんには、もう一人妹がいたんだよ。うんと小さい頃に死んでしまったけどね」


 フミコおばさんは、とても賢い子供だったそうです。

 賢いだけではなくて、とても優しくて素直な、可愛らしい、いい子でした。

 でも、悪い病気にかかってしまったのです。

 特効薬はありました。

 それを注射をすれば治るだろうとお医者さんに言われました。

 でもそれは、とてもとても高価なものでした。

 当時とても貧乏だったお父さんの家にとっては、なかなか思い切れないものでした。

 その注射を打ってしまったら、さらに借金が増えてしまうでしょう。

 他の子供がお腹を空かせてしまうでしょう。

 悩んで迷って、やっとおじいさんたちは注射を打つことにしました。

 けれど、遅すぎたのでしょうか。

 フミコおばさんは帰らぬ人となってしまいました。

 おじいさんと、特におばあさんは、悔やんでも悔やみきれないと、ずっと言い続けていたそうです。

 代金の借金は返すのに最近までかかりました。


 多分お父さんは、ユウスケにはわからないと思っていたのでしょう。

 独り言のように、しみじみと、消え入るような声で、話しました。

 いつもの賑やかすぎる声とは全然違う声で、話しました。

 でもユウスケは、みんなが思っているほど物事がわかっていないのではありません。

 ただ、うまく話せないだけ、表せないだけ、受け入れるのに時間がかかるだけなのです。

 逆に、人の気持ちを感じることにかけては、鋭すぎるほどでした。

 ユウスケは、泣きました。

 泣く以外には何もできませんでした。

 お父さんがとてもおろおろして、ごめんな、怖かったな、と謝りました。

 ずっとずっと泣いて、泣き疲れて、眠りました。

 その日を境にユウスケは、しばらくおこたの国へ行けなくなってしまいました。


 次に冬が来たとき、ユウスケは六歳になっていました。

 おじいさんの家に、お父さんとお母さんとお姉ちゃんと、行きました。

 ちょうどあの日と同じようでした。

 けれど、掘りごたつに入っても、やっぱりおこたの国には行けません。

 しょんぼりとして、じっと、大人たちの話が終わるのを待っていました。

 どんな流れでその話になったのかはわかりません。

 おばあさんの口から、「フミコ」という名前が聞こえました。

 びっくりして、うとうとしてた目が覚めました。

 いつの間にか、夜は深くなっていました。

 明かりの量は同じでも、おじいさんの古い家の天井や部屋の隅が、とても暗く見えました。

「フミコはなあ、賢い子だったよ」

 おばあさんの声は静かでした。

 いつかその話をしてくれた、お父さんと同じでした。

 荒っぽくて怖いと思っていた、いつもの声ではありませんでした。

「他の子よりもうんと大人みたいだった。あんまり賢かったから、人より早く行っちゃったのかもしれないねえ」

 涙ぐんで、目尻も鼻の先も赤くなっていました。

 おじいさんも、同じでした。

 ユウスケは、初めて、おじいさんとおばあさんは、お父さんとお母さんなのだと、思いました。


 その次の日、とても久しぶりに、ユウスケはおこたの国に行くことができました。

 フミコはやっぱりちゃんと待っていてくれましたが、心なしかさびしそうでした。

 ごめんね、とユウスケは謝りました。

 何故かわからないけど、来ることができなかったんだ。

 ひとりにさせてごめんね、もっとちゃんと、来られるようになるね。

 けれどフミコは首を横に振りました。

「もう、ユウちゃんはここには来られないんだよ」

 ユウスケはびっくりしました。

 なんで、と聞きました。

「ユウちゃんが、わたしよりも大きくなってしまうから」

 その事実は、とてもはっきりと、ユウスケの胸に刻まれました。

 本当は心のどこかでわかっていたのです。

 前に来ていたときに比べて、おこたの国の空気が変わっていたこと。

 フミコが、うんと小さく見えていたこと。

「こっち」

 フミコがユウスケを家に連れて行きました。

 今まで滑り台やお菓子の家や遊び場のように見えていたそこは、改めて見るとおじいさんの家でした。

 いつも通される居間よりももっと奥、暗くて怖い廊下を通って、お手洗いの前を過ぎ、行ったことのない部屋に着きました。

 文机があって、和紙を貼った小さな箱がありました。

 フミコはそれをそっと開けて、中から何か取り出しました。

 小さな石でした。

 きれいな丸い小石でした。

「近くの川で昔拾ったの。あげる」

 ユウスケはいやいやをしました。

 とても大事なものだと思ったので、もらえないと思ったのです。

「ありがとう」

 フミコはそっと、ユウスケの手のひらにそれを握らせました。

 ユウスケはその重みを感じました。冷たさを感じました。暖かさを感じました。

 もうユウスケはいやいやをしませんでした。

 その石を受け取って、大事に大事にポケットにしまいました。

 それから、今日も連れてきていたミィコをしっかりと胸の前で抱き直しました。

 ミィコからは、慣れた自分の匂いがしました。

 それを、ずいっとフミコに差し出しました。

「あげる」

 初めてはっきりと、生まれて初めてはっきりと、ユウスケはしゃべりました。

「ありがとう」

 ちゃんと、フミコに伝えることができました。

 フミコは、ミィコをそっと受け取りました。

 笑いました。泣きました。

 ありがとう、と言いました。

 ありがとう、ありがとう、と言いました。

 今まではっきり聞こえていたフミコの声は、だんだん霞んで、溶けていきました。




 それから、何年も何年も時が過ぎました。

 ユウスケは結婚して、子供が生まれて、お父さんになりました。

「しかし、あのときはびっくりしたのよねえ」

 ユウスケの家に遊びに来ているお姉ちゃん――もう姉さんと呼ぶべきでしょうか――が、ぽつりと言いました。

 こたつに入って、みかんの白い筋を取りながら。

「あのとき?」

「ほら、あんたがお母さんをいさめたこと、あったじゃない。――フミコおばさん、のことでさ」

「ああ」

 お母さんがある日、お父さんと喧嘩したとき、おばあさんの悪口を言ったのでした。

「だってルール違反だろ、相手の親を悪く言うのってさ」

「まあね、それはあたしもそう思う。その点お母さんけっこうひどかったよね」

 反面教師にしてるけど、と姉さんは笑います。

「でもあんときはあんた、特別キレてたからさ」

「特別、ひどいこと言ったからだよ」

 おばあさんの判断が遅かったから、文子さんが助からなかった、あんたの親は冷たい人だ。

「姉貴だって、怒ってたじゃんか」

「そりゃね。でもほらあんた、それまでお母さんに逆らったりしなかったからさ」

 ユウスケは、鼻からため息を吐きました。

「ま、お母さんはあんな人だから」

「お父さんもあんな人だしね」

「それでも夫婦は夫婦なんだなって、この年になると思う」

「親は親だし」

「おじいちゃんやおばあちゃんもさ」

 姉さんはみかんを口に入れました。

「私、けっこう毛嫌いしちゃってたけど、別に普通の人だったんだろうね。私たちと同じに、普通に結婚して、普通に働いて、普通に子供育ててさ」

「うん」

「それでもまあ、あの人たちを好きか嫌いかって言ったら実際はわからないけど、お葬式くらいはちゃんと行っておくべきだったなあって、今頃悔やんでるんだよね」

「大学の試験が重なってたんじゃなかったっけ」

「まあ、そうなんだけど、手続きとか、調べればあったんじゃないかなあとか。それに試験当日じゃなくて、勉強時間を惜しんだわけだし」

 ぱくぱくとみかんを平らげて、姉さんは次の一個に手を伸ばします。

「いくら何でも食べ過ぎじゃね?」

「最近いくら食べても減るのよ、二人分だし」

 姉さんはお腹をさすりました。

 まだ目立ってはいませんが、その中には赤ちゃんがいるのです。

「そういえばジョウくんは? さっきから姿が見えないけど」

「ああ、多分……」

 ユウスケはこたつ布団の端をめくりました。

 息子のジョウのお尻が出てきました。

 頭からこたつに潜っているのです。

「ほら、お前はまた。暑くないのか?」

「臭くないの? 足とかみんな突っ込んでるんだよぉ?」

 姉さんが笑います。

「でもまあ、おこたの国はいいところだからねえ」

 え? と聞き返すと、姉さんは懐かしそうな目をしました。

「おこたの中には別の世界があるの。ま、ナルニア国の日本版ってところね」

「それって……」

 言いかけたところで、ジョウがざざっとこたつから這い出てきました。

「おかえりー」

「ただいま!」

 姉さんに元気よく答えてから、ジョウはユウスケに手を突き出しました。

「お父さん、これ、もらった」

 見るとそれは、猫のぬいぐるみでした。

 薄汚れて、というよりもとても汚れて、あちこちに繕ったあとがあり、それでも布地自体がすり切れるのはどうしようもなく、ぼろぼろで、でもとても大切にされていたことがわかる、ぬいぐるみ。

 ユウスケは言葉も出ません。

 姉さんも気がついたのか、目をぱちぱちさせました。

「それって、あの子に似てるわね。ほら、あんたが昔大事にしてた」

「うん」

 ユウスケはその猫のぬいぐるみにそっと触りました。

 懐かしいような、でもやっぱりぼろぼろの手触り。

「ミィコだよ」

「なくしちゃったんじゃなかったっけ?」

「……あげたんだ。でも戻ってきた」

 ユウスケは腕を伸ばして、ジョウごとミィコを抱きしめました。

 えー、お父さんどうしたの? 苦しいよぅ、とジョウがもぞもぞ暴れます。

「……ね、もらったって言ったよね。誰に?」

 姉さんがジョウに尋ねます。

「それはねー、ナイショ」

 ジョウはユウスケの腕の陰から答えました。

「あ、でもね、おばさんにもね、伝言があるの」

「――何て?」

「『もうすぐ会いに行くから、よろしくね』」

「……そう」

 姉さんの声が涙ぐむのがわかりました。

「あの子は、そう言ったのね」


 姉さんの子供が生まれたら。

 とユウスケは考えました。

 あの小石を渡してみよう。

 覚えているだろうか。

 笑ってくれるだろうか。

 そして、少し大きくなったら。

 ジョウと二人で、おこたの国で遊んでくれるだろうか。


 そのときふわりと、懐かしい風が吹いた気がしました。

 懐かしい懐かしい、おこたの国の、風でした。

お読みいただきまして、ありがとうございました。


ですます調であれば童話になるかというと、やっぱりそうでもないような気がします。

というか、一歩間違えると怪談ですね、これは。


以下言い訳的になりますが。


導入部分が長いこと、内省的に過ぎること、設定がどことなく暗いこと、山とか落ちが弱いこと、などは自分でも把握している欠点なのですが、こうしてざくっと書くと、特に顕著だなあと思います。

しかし、ここからの削りようがわからない・・・。

まして今回はいろいろ、自分のことを反映させて書いているので、削ったり調整したりも思い切れない。

今後の課題かなあと思います。


以上、言い訳すみません。

自分用のメモも兼ねてます。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  お姉さんの台詞を読むまでもなく「これはナルニアだ!」と感激しながら読んでいました。その台詞のあとの、ファンタジーが世代を超えて受け継がれていく描写にも胸が熱くなりました。  父母、祖父母…
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